お慕いしています、魔王様!
連載の息抜きに書いたものです。
世界観の説明はあえて入れてないので分かりにくかったらすみません。
脳を空っぽにして読んでいただければと思います~。
目の前には朽ちた城。ずっと後ろにあった門は半壊していたし、続く扉は片方がべきべきにひしゃげた状態で倒れている。とても人が住んでいるとは思えない外観の、荘厳であったであろう城の廃墟があった。
額から滑り落ちた汗を拭って、フィーアはぐっと拳を握りしめる。
そうして、ぼさぼさの髪を手ぐしで出来る限り整え、服についた土埃を払うと、ゆっくりと城へと入っていった。
争いの跡ばかりが残る城は、けれど不思議とその姿を綺麗に保っていた。調度品はほぼ壊れてしまっているが、ひしゃげていた入口の扉以外は、壁や柱は傷はあれど無事なものばかりだ。
フィーアは辺りを見回しながら、慎重に進んでいく。
生き物の気配はない。つまり、この城に巣食っていた魔物は、勇者と祝福の乙女によってすべて討伐されているということだろう。澱んだ空気ではないのがその証拠だ。
フィーアの脳裏に、時期を間違ったのではないか、と焦りが浮かぶ。けれど、それを確かめるためには、最奥にある玉座まで行かなくてはならない。
もし間違えていたならもう一度、何度でも訪れればいいことだ、と唇を引き結び、荒れたホールを横切った。
階段を登り、途中で休憩して、そうしてまた登る。何度も見返したこの城の内部を詳細に描いた地図は、もう少しで玉座の間に辿り着けると告げている。フィーアは震えそうになる息を深呼吸で整えて、視線の先にある扉を見上げた。
とても大きなその扉の奥が、玉座の間だ。魔術紋が破壊されたからだろう、本来なら不可視のはずの結界式の複雑な紋様が扉のあちこちに描かれているのが、魔力のないフィーアにも見てとれた。
一呼吸。無意識に胸元を握りしめていた手で、ゆっくりと扉を押す。
はたして、血塗られた玉座には。
「…………誰だ?」
低く、喉の奥でこもる気だるげな声。
緩く編まれた白髪、白い肌を引き立たせる黒を基調とした不思議な形状の民族衣装。
微睡みから醒めたばかりのような紅い目が、瓦礫だらけの室内の中で唯一綺麗な玉座から、フィーアを見た。
殺意はなかった。害意もない。ただ純粋な疑問として、その誰何の声は静かな室内に落とされた。
「あ……ぁ、」
震える唇が、意味のなさない声をこぼした。
フィーアは両手で口元を覆い、その玉座に座するヒトを見る。
本当は、もっと色々と言うべきことがあった。ここに来る前に、色々と考えていたはずだった。けれどフィーアの口から溢れ出たのは、たった一言だけだった。
「お慕いしています、魔王様……!」
フィーアには、ここでは無いどこかで暮らした記憶がある。
そこには魔術や魔法もなく、暮らす人々は落ちこぼれのフィーアみたいに魔力を持っていないとても不思議な世界だ。詳しい仕組みなどはフィーアにはわからないが、魔力とは無関係なもので発展した世界。
そこで──日本、という国で暮らした記憶があった。
とはいえ、そこまで鮮明に覚えている訳ではなく、フィーアの記憶に少しずつ混ざっている、というような曖昧なものだ。
その中で、なぜか鮮明に覚えているものがあった。
それはフィーアの記憶の中でアプリとかソシャゲとかそういう名称で呼ばれているもので、名前は「玉響の花と祝福の夢」というものだった。
ほかのことが朧気なのにどうしてこれだけが鮮明なのか、幼かった頃のフィーアは考えた。
そうして、そのアプリの事を思い出そうと必死に記憶を探っている中で、どうやら自分の今生きるこの世界がそのアプリの世界にとてもよく似ている、ということに気づいた。
現在自分の生きる世界に似た世界の知識だけが鮮明なので、とりあえずフィーアは、なにかよくわからないけど神様がくれたこの世界を生きる上での知識なのだ、と思うことにした。周りにそんな記憶がある人はいなかったので、もしかしたら神様がフィーアの身体に魂を入れる時になにか間違えてしまったのかもしれない、とも思っている。
そう思うとますますほかの記憶は薄れていって、フィーアが思い出せるのは「玉響の花と祝福の夢」のことばかりになった。
フィーアが生きていく上で、この記憶はほぼ役に立たなかった。
というのも、この記憶から得られる知識は勇者と祝福の乙女、それから勇者と共に魔王を討伐しに行く男性たちのことばかりで、生活知識などはほとんどなかったのだ。むしろ、最初にうっすらと覚えていた見覚えの無い食材を料理する記憶のほうが、フィーアにとっては有益だったかもしれない。
思い出せる映像に映っていた主人公だという少女は、先日勇者と共に魔王を討伐した祝福の乙女と酷く似ていた。わざわざ確かめるために凱旋パレードを見に王都まで出たフィーアは、遠目からも記憶に似た姿をしている勇者一行を見て、なるほどこれはやはり神様がくれたものなのかもしれない、と思ったものだ。
この祝福の乙女の記憶は、フィーアには不思議なばかりだった。
魔王討伐には勇者以外にもたくさんの人が協力しているのだが、フィーアが思い出せる記憶のなかの祝福の乙女は、勇者と婚約した現実とは違って(とはいえフィーアは祝福の乙女などという高貴な人には直接会ったことがないので、田舎にも聞こえてくる噂しか知らないが)とても恋多き女性のようだった。
勇者に恋人のように寄り添い、悩みをきいて、唇を許していた映像が見えた。かと思えば、隣国の王子の花嫁としてパレードに参加していた映像もある。では恋人はこの王子なのか、と思えば、今度は筆頭魔術師とともにオンセン旅行というものをしていた。他の男性と恋人同士のように振る舞う映像も沢山見た。しかもフィーアが思い出せる範囲内では一年間の魔王討伐のさなかにそれをしていたので、全員同時進行っぽかった。全員が全員、彼女こそ唯一、という感じだったので、時期はかぶっていないと思いたいが、そうなると季節が合わないので、フィーアはちょっと疲れてしまって考えるのをやめた。
さて、フィーアを少し疲れさせたこの記憶の中に、そのヒトはいた。
世界を闇に落とす魔王の後継、白い悪魔エリアス。
あまりにも自分の生活に役立たないこの記憶を、フィーアは娯楽用に売られる映像投影の魔石のかわりとして楽しむことにしたのだが、そのさなかに彼は出てきたのだ。
魔王の後継者、生まれながらにして魔を統べる王──そして、なぜか人間を愛した苦悩する敵対者。
人気のアプリだったから二部三部と続いた、というフィーアにはよく分からなかった理由で魔王の後継として登場した人がエリアスだ。本来は勇者一行が魔王を倒して終わるところを、色々な要因があって続けた結果生まれたらしい。
彼は、前魔王もそうだったように、祝福の乙女の完全なる敵対者として描かれていた。
見目麗しく、また、人間を愛するが故に苦悩しつつ戦う様は涙を誘ったものだが──そして乙女も「こんなことはもうやめて私たちと共に行きましょう」と声をかけていたが、それでも彼は最期まで敵として立ち続けた。
理由はあまり多くを語られておらず、フィーアが映像で見た中では、人間に自分の命よりも大切だったものを壊された、と語っていたのみだ。
お前たちがあの人間たちと違うことは分かる。善であると理解出来ている。その清廉な心を好ましいとも思う。それでも納得ができない。何よりも大切なものを壊されて、どうして憎まずにいられようか。
そう苦しげに語っていたエリアスは、最期には祝福の乙女の腕のなかで息絶える。そっと手を伸ばし、乙女の頬に触れ、何かを呟いて消えていく。
フィーアは、いつしか祝福の乙女の映像の中から、エリアスのものを多く思い出すようになっていた。そうすると、ほかの記憶は薄れていって、フィーアが思い出せることはどんどん減っていった。その中で彼はいつも鮮明だった。
フィーアが見た映像の中で、彼が一番胸に刺さったのだ。
そうしていつしか、フィーアの中に大それた願いが生まれた。彼を救いたい、ではない。彼を救えるほどの力など、魔力なしのフィーアは持っていないから、そんなことは無理だと試す前からわかる事だ。
フィーアは、エリアスに会いたいと願った。
会って、せめて大切なものが人間に壊されないように、忠告したいと願ったのだ。
眉を寄せるでもなく、真顔でフィーアをただじっと見ていたエリアスは、音もなく玉座から降りた。そのまま歓喜に震えるフィーアの元まで、彼はゆっくりと歩いてくる。
そうしてエリアスは、フィーアの目の前に立った。本当に目と鼻の先、という位置だ。
ほとんど真上から見下ろされ、フィーアは近さやら気配の圧やら、言葉が出てこない。小柄なフィーアではエリアスの胸辺りまでしか身長がないので、拳一つ分の距離を開けただけの至近距離では黒い衣装しか見えない。
「君は、誰だ?」
がっしりと顎をつかまれ、顔をあげさせられる。軽く背をかがめたエリアスの顔が、鼻先が触れ合うような距離にある。
真紅の目がフィーアを至近距離で見た。
「フィーア」
フィーアは魔力なしなので、この少し変わった愛称形の名前しかない。ファミリーネームも本来の名前だったソフィアと言う名も、魔力がないとわかった時点で消されてしまった。
問われたことに答えないといけない、そう思ったフィーアの口から、端的な自己紹介がこぼれる。端的すぎて名前しか答えていない、と焦ったフィーアが次の言葉を続ける前に、エリアスは問いかける。
「なぜ、私を魔王だと知っている?」
初めてエリアスに表情が浮かんだ。眉を寄せ、首を傾げている。警戒ではなく、やはり疑問だ。エリアスはフィーアに対して、殺意も害意も向けない。
「生まれた時から知っていました」
映像で見た事があった。そしてフィーアは物心つく頃からこの映像を見てきた。だから知っている──そんなことをどう説明するべきか、考える前に口から言葉が出てくる。
察しの悪いフィーアも、これはなにかおかしいのでは、と頭に過ぎるけれど、それを言葉にできる余裕はない。
「慕っているとはなんだ?」
混乱するフィーアをよそに、エリアスは問いかけを続ける。
フィーアの口からは、フィーアが答えを考える前に言葉が零れていく。
「あなたが好きです」
言ったあと、フィーアはギュッと口を噤んだ。待って欲しい、と思った。
確かにフィーアは、映像で見続けたエリアスに惹かれた。それは間違いない。ただ、それはフィーアみたいな魔力なしにも優しかった映像を見たからだ。蔑まれるのが当たり前の魔力なしを、彼は能力で見て役立つからと登用していた。ずっと役立たずだったフィーアが憧れるには充分だった。
お慕いしています、と開口一番に言ったフィーアに言えることでは無いのだが、それはなんというか、上に立つものとして慕うそれに近い、とフィーアは思っていた。だってそうだろう、会ったこともなければ言葉を交わしたこともないのに、それ以上の感情が生まれるわけが無い。
誤解を招く発言が自分から飛び出たことに目を白黒させるフィーアを、首を傾げたままのエリアスがじっと見つめている。
紅い目が、暗く光った気がした。
「ここまで何をしに来た、フィーア」
噤んでいたはずの唇が綻ぶ。フィーアは喋ろうとしていないのに、声は勝手に言葉を形づくった。
「大切なものは肌身離さず持っていた方がいいと思うんです!」
そう、それを言いたくてここまで来た。
これが目的で、最初の言葉だって本当ならこっちを言いたかったのだ。エリアスを見て、口からこぼれた言葉は何故か「お慕いしています」だったのだが。
「……? 言っている意味がわからない」
それはそうだろう、とフィーアは思った。
いくらなんでも脈絡が無さすぎる。けれど訂正するための言葉が、何故か出てこないのだ。
さすがに察しが悪いフィーアだって、ここまでくればエリアスがフィーアに何かしているのだろうことは分かった。分かったところで、どうしていいのかは分からないけれど。
「フィーア、何が目的なのか言ってみろ」
「人間が、貴方の大切な物を壊してしまう未来を知っています」
フィーアの口から勝手に出てくる言葉は、エリアスからしたら本当に意味がわからないのだろう。首を傾げ、眉を寄せていた彼が、さらに険しい顔になる。
いまさら、こわい、と思った。フィーアみたいな魔力なしなんて、エリアスなら一秒もかからずに殺せてしまうだろう。
もちろん、殺されるかもしれないことも覚悟はしていた。映像で見たエリアスは魔力なしにも優しかったけれど、それはその人が有用だったからで、フィーアみたいに役立たずだったらまた違うんだろうと思っていた。
だから本当なら最初に「お慕いしています」ではなく「大切なものは手放さない方がいい」ということを言うつもりで、もしもフィーアの話を聞いてくれるなら、そこからもっと詳しく説明するつもりで、ここまで来たのだ。もしも話す暇もなく殺されてしまったとしても、手紙を書いて持ってきてある。手紙に気づかれなかったら殺され損になるが、魔力なしのフィーアにはそれもまた仕方ない終わりだと思って。
「それを知って、それを私に告げて、どうしたい」
エリアスの声が、少し低くなった。元々低かったのにさらに低く冷たくなって、フィーアはその美しい声の恐ろしさに震えた。
それでもフィーアの口は、恐怖なんか知らないみたいに、心の内をさらけ出すみたいに、言葉を溢れさせる。
「大切なものを壊されたら悲しいから、知っていたら少しは違うかもしれないと思って」
フィーアがここまで来た理由は、このひとことを言うためだけだった。
もし大切なものが壊されなかったなら、きっと彼は祝福の乙女の手を取れたのではないかと思った、たったそれだけを伝えるためにフィーアはここまで来た。
それ以外にはなかったのだ。
「……他には?」
「時期は詳しくわからないけれど、貴方が生まれてから半年くらい経った頃に人間がここに来るらしいんです。その人間が、貴方の大切なものを壊してしまうと」
だから、大切なものは肌身離さず持っておいて、壊されないように出来ないかと。そう思ったのだと。
フィーアの言葉を聞き終えて、エリアスは手を離した。
「今の私に大切なものなんてなかったが」
えっそうなの、と聞き返すことも出来ずに顔を見上げていれば、エリアスはフィーアをじっと見つめて、ひとつ頷いた。
「肌身離さず持っていろ、だったな」
そうして、その華奢そうに見える身体のどこにそんな力があるのか、フィーアを片手で抱えあげると、そのまま玉座に戻った。フィーアを横抱きにして座ると、抱き込むようにして腕を回す。
「さて、私の大切なもの候補のフィーア」
突然のことに目を瞬かせていたフィーアに、エリアスは初めて笑った。唇の端が少しだけ上がったかもしれないし見間違いだったかもしれない、というようなささやかな笑みだったけれど、フィーアはなぜだかとても嬉しかった。
こんな状況なのに、笑ってくれた、と素直に喜んだ。
エリアスの笑みに気を取られ、わりと重要な言葉を取り逃したまま、フィーアは続く言葉に頷いてしまった。
「君の知っていることを全て教えてくれ。もちろん、君自身のことも、全てだ」
手を取られ、指先に口付けられ、慌てふためくフィーアをよそに。その流れのまま頬と唇に口付けたエリアスは、目を細めてか細い悲鳴を上げたフィーアを見ていた。
魔力なしのフィーアに出来ることは少ない。
でも、だからといって、何も出来ない訳では無い。魔石を使えば家事だってできるし、魔法は使えないけどその分道具を扱う仕事は得意な方だ。魔力を使う以外のことならある程度は一人でできるし、魔力を使うことに関しては補助具や魔石を使えばどうにかなる。
「なので私にもなにかさせてください魔王様」
現在のフィーアの定位置は、エリアスの膝の上だ。たとえばトイレだったり身体を清めるために水浴びに行ったりすることで膝の上から降りることはあれど、それが終わればひょいと抱えられ膝の上に戻されてしまう。
食事に関してはどこから出したのかエリアスが手ずから与えてくれるので(口に無理やり運ばれるので食べないと口周りが汚れてしまう上に、汚れたら汚れたでエリアスが舐め取ろうとしてくるのでフィーアは最初に抵抗した時に諸々を諦めた)、膝から降りる選択肢が生まれない。動かないと身体に悪いからと言えば、彼も玉座から降りてフィーアをエスコートするように城の周りを散歩し、そしてまた膝の上に戻される。
フィーアがここに来てからひとつの季節が過ぎ去ったが、この間エリアスはフィーアを片時も離さなかった。
さすがにトイレの時はそばを離れることを許してくれるが、それ以外では一切許されないのだ。水浴びをする時もエリアスは付いてくるし、フィーアがどうしてもと動き回ろうとすれば、仕方ないと言って許してくれるが後ろにピタリと着いてくる。
「だめだ。フィーアはすぐ死んでしまうくらいに弱いから」
確かに魔力なしのフィーアは普通の人に比べれば弱いだろうが、それでもここまでべったりの理由にはならないのではないだろうか。フィーアはそう思ったが、口には出さなかった。なぜなら一度フィーアは似たようなことを言ったときに、丸一日ゼロ距離に居続けたエリアスにたいへん困らされたことがある。お慕いしています、とまで言った相手に下の世話をされる羞恥など、一度経験すればもう次は二度となくていいと心に刻んだからだ。下手に言い訳めいたことを言うのも得策ではないとフィーアは感じているので、口を噤むに限る。
「大切なものは肌身離さず持っていないといけないんだろう、フィーア」
その通りです魔王様、と気の抜けた声で返事をしながら、フィーアはどうしてこうなったのかわからずに首を傾げるばかりだった。
最初の問答で、そうして共に過ごすことになったこの時間の中で、候補だったはずのエリアスの命よりも大切なものに本当になってしまったなどと、フィーアは気づいていなかったのだ。