第1話 日常から非日常へ
「闇を斬り裂く雷光よ 魔の根源たる我が声に応えよ 光の審判!」
夜のエリアボスであるダークドラゴンに極大の雷が直撃した──。
「夜霧! おい、夜霧魔法!」
「──はっ!」
春の暖かい陽射しに意識を奪われていたことに気付くマホ。
長いストレートの黒髪がバサッと揺れる。
「ったく、お前が成績優秀なのはわかってるが、もう三年なんだ。受験が終わるまで気を抜くなー」
ここはマホの通う中学の教室。
居眠りを注意するのは担任の柚木。ネクタイを緩めてゆるーく喋ることから「ユル木先生」と呼ばれる。
ただし、こうやって締めるところではしっかり締める、生徒からも人気の教師だ。
「ご、ごめんなさい……」
大きめの眼鏡とそれにかかるくらい長い前髪が、俯いたことでよりマホの瞳を隠す。
「くすくす、きっと夜霧さん昨日もアレやってたんだよ」
「なぁ、早くパーティに誘おうぜ」
「でも夜霧さん、超有名人だよ? 入ってくれるかなぁ」
「大丈夫だって! クラスメイトなんだぜ? 夜霧はソロなんだしいけるって」
注意されてシュンとするマホに、離れた席の二人がなにやら話している。
マホが有名というのは現実の話ではない。
超人気ゲーム、『センチメンタルブレイク! Voice &Word』──通称センブレ、またはVW──というフルダイブ型VRMMOゲームの中での事だ。
この物語は元々社会人向けのストレス解消ゲームとして発売されたセンブレを、若い世代にまで広め、一大ブームを巻き起こした夜霧魔法のプレイ記録である。
事の発端は一年前のある土曜日。
「おかーさん、今日は私が料理する日だから商店街に買い物行ってくるね」
「ふふふ、毎月悪いわね。でもマホの晩ごはん、楽しみにしてるよ。はい、お金」
受け取ったお金を財布にしまう。
「んーん、おとーさんと楽しんできてね」
「ありがと。じゃあ、私達は入るから、鍵は閉めておくわね。鍵、ちゃんと持った?」
「うん、大丈夫!」
元気よく返事をすると、マホは玄関に向かった。
マホの両親はゲーマーだった。
それこそ娘に『魔法』と名付けてしまうほどに。
しかし、マホが生まれてからはほとんどプレイする機会も減り、中学に入る頃にはほぼ引退状態になっていた。
それがゲーム仲間からの誘いのメッセージをうっかり父親がマホの前で喋ってしまったことがキッカケでマホの知るところになり、マホの提案で毎月第二土曜だけ両親の『デートの日』として集中してプレイするようになった。
その『デート』の締めがマホの手料理というわけだ。
そしてその翌日の日曜日は必ず家族三人で過ごす。これがこの夜霧家の決まり。
一方のマホはというと、小学校に入ってすぐのテストで100点を獲ったことを両親が大喜びして褒められたことが嬉しく勉強の虫になり、ゲームというものに全く触れる事なく過ごしていた。
「あっ、夜霧! どこ行くんだ?」
商店街へ向かうマホを一人の男の子が呼び止めた。
「あ……大澤くん。商店街に買い物に行くところだけど……」
彼はマホのクラスメイト。
男子のクラス委員を務めていて面倒見が良く、周囲から頼りにされていた。
そんな彼を前にマホの口は重い。
というのも、小学校高学年くらいで自分が所謂キラキラネームだということに気付いてしまい、学校では引っ込みがちになっていたからだ。
実は彼の名前は大澤勇者という、マホと同じキラキラネームだったりするのだが、ハルトの方がそれを意識して仲良くしようとしているのに対して、マホは名前のことにすら全く気付いていなかった。
「ちょーど良かった! これ、商店街の福引券なんだけど、俺、逆の方に用事あってさ。誰かと会わねーかなって思ってたんだ」
「えっ……いや……」
「これ今日までなんだよ! どうせ当たんねーだろうからやるよ! あっ、悪い! 当たるかもしんねーよな! 当たっても夜霧のもんにしていーからさ!」
慌てて言い直すハルトがどこかおかしく、マホの緊張も解れる。
「ふふっ、わかった」
ほんの僅かだったが、マホから笑みが溢れた。
「じゃーな! また学校でな!」
「うん。ありがとう」
そう言って商店街とは反対の方へ駆け出したハルト。
受け取った福引券を改めて見ると確かに日付けは今日までとなっている。
本当にただもったいないから渡しただけなんだな、とまたマホは笑った。
商店街に入るとすぐに福引所が見つかった。
「おっ、マホちゃん買い物かい? 偉いねぇ」
何度も来ているので商店街のほとんどの人がマホの名前を知っていた。
彼はこの中でゲームショップをしているおじさんだ。
並んでいる景品は最終日とあって少ないが、彼の店から出したらしくゲーム関連の物が多い。
「はい。あっ、福引券もらったので帰りに寄りますね」
帰り道にあるのなら、と買い物を先に済ませることにする。
おじさんは「おうっ」と返事をして見送る。
「今日はおとーさんの好きなカレーにしよう。ルーはまだあったよね」
そう呟きながらマホは八百屋に向かった。
そしてその帰り。
「おっ、今夜はカレーかい?」
さっきのおじさんが買ってきた食材を見てピタリと当てる。
「ふふっ、そうです。じゃあ、コレ……」
そう言ってハルトにもらった福引券を渡す。
「まだ特賞のゲーム機セットも残ってるぜー。当ててくれよー!」
残ると処理に困る、なんていうおじさんの本音はマホにはまだわからない。
「よーし」
単に声援をもらったと思ったマホは気合を入れて、ガラガラと回転式の抽選箱を回す。
当たればゲーム好きの両親が喜ぶかも、なんて思いもあったかもしれない。
当然ながらマホが自分で遊ぶなど露ほども思っていなかった。
「おっ! 赤玉! 特賞大当たりー!!」
カランカラーンとおじさんが鐘を鳴らす。
「あっ、やだ……」
注目されることに慣れていないマホは視線を集めるその行為に焦る。
「おっと、悪いな。ついテンション上がっちまった。コレが特賞の最新ゲーム機Virtual Station、略してVISだ。それと専用ゲームの『センチメンタルブレイク!』ってやつがセットになってるぞ」
「本当に当たっちゃった……!」
紙袋に入れられた特賞を受け取り、思わずガッツポーズが出た。
「ちょっと重いかもしれんが、平気か?」
既に買い物した荷物を持つマホを心配してくれる。
「うん、これくらいなら……なんとか」
「どっちも落とさないように気をつけろよー」
「はーい」
本音を言えば、少々キツいなと思っていたが、両親が喜ぶんじゃないかと思うと不思議と軽くなった。
そして、その日の夜。
「え? これじゃダメなの?」
「これが悪いわけじゃないんだけど、うーん……説明が難しいな」
ゲームに疎いマホには両親がプレイしているものとVISの違いがよくわからない。
父親もそれがうまく説明できず困惑している。
そもそもマホは両親が単純にゲームのプレイを楽しんでいるものだと思っていて、特定のゲームを長くプレイし、その中での繋がりを楽しむということを知らなかった。
「いい機会じゃない。それ、マホがやってみたら?」
「え……? 私が?」
突然の母親の提案にマホは首を傾げる。
「親の私達がやってるんだから、娘のマホがゲームをやっても怒らないわよ」
「でも……勉強は?」
「マホが好きで勉強してるのは知ってるわ。だけど、勉強以外のこともやってみるのもいい経験になると思うわよ」
「そうなんだ……」
ゲームが経験になる、それはマホにとって衝撃的な一言だった。
「もちろん節度は守ってね。勉強も大事。でも、疎かにしなければいいの」
「わかった! やってみる!」
「よし、じゃあ明日は家族の日だから、ゲームのことを教えてやろう」
「そうね。マナーとかやる前に知っておくべきことはあるわね」
翌日の日曜日、マホは両親からゲームについて教わった。
ただし、ゲーム自体は本人が楽しむこと、という両親の持論から、人との関わり方などを中心に、手に入れたゲームのことにはほとんど触れずに話していた。
そして夕方。
「それじゃ、夕飯までちょっとやってみたら?」
「どうせ最初はチュートリアルだろうからな」
「チュートリアル?」
「操作説明とか世界観の話とか、そういうやつだ。実際に体験しながら学べるんだ」
「そう。初心者のマホはちゃんとやるべきよ」
「ふーん……わかった。やってみる」
そしてマホは人生初のフルダイブ型VRを体験することになった。
お読みいただきありがとうございます。
詠唱初挑戦なので厨二感足りなかったらすみません。
とはいえまだしばらくは出てきませんが。
のんびり不定期に更新していきます。