第8章
8、突然の訪問
それは6月のある日曜日だったと記憶している。私は午前中買い物を済ませ、
下宿で読みかけの小説など読んでいた。
その時何か外が、気配がするのだった。
ふと窓を見ると、そこに懐かしい顔がいた。
野梨子だった。
『先生、来ちゃったよ」無邪気に笑う野梨子がいた。
そしてなんと後ろには渡部さんもいたのだ。
私は何かほっとしたのを今でも覚えている。
なぜって、もし野梨子だけだったら、私と二人きりで、どうなっていたのか?
いや勿論私は野梨子に対して、何もするはずもなかったし、この小妖精を見とれていればそれでよかったのだ。
少なくとも、その頃は。
『わー、古そうだね。』とか言って2人は玄関から入ってきた。
「ちゃんと掃除とかしているのかな?」
『ああ、でも割ときちんとしているよ」
「おいおい、ちゃんとさ、いってきたのか?」
『大丈夫だって、3人の秘密だから誰もわかりゃしないよ。」
2人は料理を作ってくれるというのだ。
ありあわせの材料で、2人して、
カレーを作ってくれた。
そして3人で食べたカレーの味は今も忘れられない。
「ねえ、先生なんでこんな田舎の山のがっこうにきたの?」
「もっと、先生の出身の山下県なら、町の学校もあったのに」
『そうだね、でも先生は東京で4年大学に行っていて、
「何か大都会に疲れちゃったって言うか、いやになっちゃってさ。
うんと田舎に行きたいなって思ってきたんだ。」
「そっかあ。私も1度は都会に行ってみたいな」
なんの、やましいこともなく、3人はこうして小半日を過ごした。
夕方、野梨子たちは「また来たいな」とかいって2人で並んで帰っていった。
2人が帰った後も私は心の高ぶりがなかなか収まらなかった。
野梨子の笑顔、そして野梨子の香りがまだ立ち込めているような気がして。
私はあらぬことを想像していた。
野梨子が卒業したら、絶対、結婚を申し込もうとか。
しかし、こんな少女に結婚なんて10年早いだろう。
今なら分かるが、当時23歳の私は、ロマンのかなたに翼を羽ばたかせていってしまっていたのだった。
そして今こんなに年取って、がんじがらめの日常にしばられた現状を見るに付け、
あんなにものどかだった、昔を老人になった私は今しのぶしかないのだった。