part15 VS獣使い
草原エリアを越え、砂漠エリア、街エリアと進んだ先にあるエリア。それがここ、田園エリアである。ここは草原エリアほどではないが、天然物の遮へい物が存在している。ほとんどのプレイヤーが街エリアの他に好む戦闘エリアらしい。俺たちは獣使いを倒す為に、ここまでやってきたのだ。
「……こんなエリアがあったなんて」
「……遮へい物が多いな。ここなら、あいつが隠れていてもおかしくない。カズマ、少し辺りを探ってみるぞ」
俺はキリヤとともに辺りを探ってみる事にした。それにアイリもついて来る。
「すまないが、アイリはここで待っていてくれるか? もしかしたら、俺たちと入れ違いになる可能性もあるからな」
「……分かりました」
アイリの返答からはなにか別のモノを感じた。……不安? それとも、もし現れた時の恐怖? ……いや、違う。これは心細さだ。アイリは一人になるのが心細いのだろう。俺はアイリの元に駆け寄っていく。
「アイリ……」
「カズマくん……。行ってらっしゃい、気をつけてね……」
アイリは俺に手を振ってくれた。だが、いつもの元気はなく、何だか空しそうな声だった。だから俺は、アイリに元気になってくれるように、
「……あぁ、行ってくるよ」
と、言った。その後に……
――――――絶対に、アイリの元へ戻ってくるからな。
と、付け加えた。アイリはその言葉を訊いて、すぐにぱぁ、と表情を明るくし、元気よく送り出してくれた。
「……あぁ、行ってくるよ。…………絶対に、アイリの元へ戻ってくるからな」
その言葉を信じ、アイリはカズマを元気よく送り出した。カズマはかすかに微笑みを浮かべながら、キリヤとともに辺りを見回りに向かった。
その細い背中が遠ざかるのを見つめながら、アイリはふぅ…、と息を吐いた。ここで残るとはいえ、いつあの獣使いが現れるか分からない。一応のためにも、アイリは腰にぶら下げていた細剣を右手に構えた。
一人じゃ、やはり心細い。それはこの大会中にいつも、あの二人が一緒にいて、戦ってくれたからだ。だからこそ、あの二人がいなくなるのはとても心細かった。
「……早く帰って来てくれないかなぁ」
そんなことを呟きながら、カズマたちを待っていた。その時、突然アイリの全身がビリッ、と震えだし、その身を重力場に逆らいながら地面に落下したのだ。それはまるで電気ショックでも受けたかのように……。
―――――電気、ショック……?
異変に気付いたアイリは、辺りを見回してみる。そこには280ミリリットルのペットボトル容器のような物が落ちていたのだ。……アイリは、その物体の名前を知っていた。
――――スタン爆弾……!?
その爆弾は、落下した場所半径50メートルのプレイヤーを完全行動不能にさせるスタン効果を与える爆弾であった。
こんな土壇場であるのに、アイリは未だ《あいつ》の仕業だと思っていなかった。何故なら、スタン爆弾が飛んできたのはカズマたちが向かって行った方向とは全く逆の方向だったからだ。
一体、誰が? なんのために?
その問いに答えたのは、言葉だけなく、直後アイリが捉えたひとつの光景だった。
田園エリアに生えていた木から、ひとつの人影が姿を現したのだ。それは茶色い服装で、どこかで見覚えのある様な…………。
その姿があらわになると同時に、アイリは無言で叫んだ。
――――さっきの獣使い!!
一時間前にアイリたちと対峙し、あの大きい怪物を呼び起こしたあの獣使いだったのだ。
「……貴方はさっきの剣士たちの連れよね? まさか、ここで会うなんて……」
「く……」
獣使いは、地面に這いつくばるアイリを見下ろしていた。アイリは獣使いを見上げながら、下唇を噛むしかなかった。スタン状態回復まではまだまだ時間がある。
……カズマくん。
この辺りで、今まさに目の前にいる獣使いを探しているあの紅い剣士の名前を、アイリは自身の心の中で呼んでみた。しかしもちろん、応じる声もないし、現れる事もなかった。
代わりに、ざっ、と目の前の敵のかすかな足音が鼓膜を響かせた。獣使いが、地面に転げているアイリの元へ近づいて来る。その手には、軽そうな黒光りしている小さな短剣。きっとその短剣で、アイリのHPをゼロにさせるに違いない。そう思うだけで、アイリは鳥肌が立った。
諦めたくない。こんな所で終わりたくない。だって、やっと《彼》に想いを伝えられたから――――。《彼》とともに戦い、笑いあって……本当の自分の気持ちに気付けたから。
……ここでリタイアしたくない。まだ《彼》のそばにいたい。《彼》とまた一緒に戦いたい。《彼》ともう一度だけ笑いたい。いや、もう一度だけなんて言わせないで。ずっと……《彼》と笑っていたい。
その思考を、ついに断ち切る時が来たようだ。獣使いはそのまま短剣を振り下ろす。アイリは瞼を閉じ、自身の意識とHPが消えるのを静かに待った…………。
その瞬間―――――
「アイリ―――――――ッ!!!」
突如、アイリの名を叫ぶ声がフィールドに轟いた。アイリはその声を知っていた。瞼を開くと、獣使いの右肩にオレンジ色のダメージエフェクトが瞬いていた。誰かが獣使いを攻撃したのだ。
一体、誰が……? その答えは、獣使いが来た方向の反対側にあった。
「……きっ、貴様は!」
「うおおぉぉぉぉぉぉお――――――――――ッ!!」
ばんばん―――! と銃声が轟く。完全に無作為な発砲だった。それでも何発かは獣使いの身体に命中し、獣使いの身にぽつ、ぽつ、とダメージエフェクトを作りだしていた。
「カズマくん―――――ッ!」
アイリはようやくスタン状態から解放されると、すぐさま地面から這い上がって、獣使いが現れた方向の逆方向へ駆けていく。
そう。《彼》の元へと――――。
《彼》の胸に飛び込むと、アイリは心の奥底から安心した。
「無事か、アイリ……」
「うん……、カズマくん……」
カズマは胸に飛び込んできたアイリを優しく抱擁すると、優しく声をかけた。アイリは今にも泣き出しそうな表情で、カズマを見つめていた。
「……まさか、近くにいたとはね」
茶色い獣使いは、右肩を抑えながらこちらをきっ、と睨んでいた。カズマも獣使いを睨みつけながら、片手銃【オートマチックガン】の銃口を獣使いに向ける。
「お前……、アイリに一体なにをした!」
もの凄い剣幕で、カズマは獣使いに怒鳴った。
「別に。ただ、スタン爆弾の被害に遭ってもらっただけさ」
スタン爆弾については、カズマも先刻承知だった。それをアイリに喰らわせたと訊いて、カズマは苛立ちを抑えきれなかった。
「貴様……!」
カズマはアイリを抱きしめていた手を離す。離す時は優しく……そして、優しさは残像のように怒りに変わる。カズマは一歩、獣使いに近づいていく。自身の紅き剣をその手に握りしめ、目の前の敵と対峙する。
「……へぇ。さっきの銃では戦わないんだ……」
「……生憎。さっきの銃は牽制用でね。一度も戦闘で使った試しがないんだ」
「ふぅん……」
獣使いは曖昧な返答を返すと、短剣をカズマ目掛けて投げてくる。カズマはステップでその飛んできた短剣をかわした。
「……へぇ。短剣を投げる事も出来るんだな」
「えぇ。……短剣専用スキルよ。貴方が使っているような剣は投げれないけど、短剣は投げる事も出来るの」
と、言って獣使いは次の短剣を腰から取り出して、手に握りしめた。
カズマは警戒心を強く持った。相手は遠距離攻撃近距離攻撃ともに可能な戦闘スタイルである。これまで同じタイプのプレイヤーと戦ってきたとはいえ、この勝負に勝てるかどうかはまだ分からない。だからこそ、カズマは剣を強く握りしめ、相手がどう出てくるか様子を伺った。
「……行くよ」
獣使いは瞬時にカズマの目の前まで移動していた。カズマは驚く暇すらなく、獣使いの短剣による突き攻撃を、自身の剣で防御。きん――――と鋭い音が鼓膜を振動させた。
「……なかなか素早い防御ね」
「そっちこそ……。素早い移動だな……」
互いに互いを尊重しながら、もう一度距離を置く。今度はカズマから仕掛ける。紅い剣がぶん、ぶん――! と音を立てながら暴れ狂う。
「ぐ――――!」
獣使いはそれを小さな短剣で弾く。が、刀身はこちらの方が長いので、弾き返すには相当の力とスタミナが必要だった。女アバターである獣使いは、せいぜい三発程度しか短剣で弾き返すことはできないだろう。
三発目の連撃を短剣で弾くと、獣使いは後ろに仰け反り、召喚スキルを使った。
「……召喚スキル、『リザードマン』!」
僅か一小節でスキルを唱えると、獣使いの前に『リザードマン』が召喚される。グォォォォォ――――と、大きな雄叫びをあげながら、『リザードマン』はカズマの方へ向かってくる。
カズマは『リザードマン』を見つめると、スキルを展開する。剣士専用スキル【高速剣・一閃】。眩い閃光となり、敵に猛突進していくカズマ。
ざん――――、と心地よい音とともに、『リザードマン』をスキル一撃で倒す。
「……あまり召喚スキルって小細工を使って欲しくはないんだけどな」
「私は獣使いよ? 召喚スキルを使わなかったら、獣使いを名乗っている意味がなくなるわ」
そりゃそうか、とカズマは心の中で思うと、獣使いとの接近戦に持ち込んだ。短剣はナイフと同じように攻撃速度が速い。が、その分一撃一撃のダメージが低く、重量も軽い。そのため、重い一撃を短剣に受けさせれば勢い負けで、短剣を吹き飛ばす事が出来るのだ。その欠点を突く為に、カズマは短剣を吹き飛ばすことだけを狙う事にした。
自身の剣をわざと、獣使いの短剣にぶつけていく。獣使いの方はきっと、カズマの重い一撃による反動で手がビリビリ痺れているに違いない。表情を険しくしていた。
七発目のカズマの剣による攻撃で、とうとう獣使いは短剣を吹き飛ばされてしまった。その隙をカズマは見逃がさなかった。剣士専用スキル【ウィングブレード】で、獣使いのその身体に斜め一直線のダメージエフェクトを描いたのだ。
「が――――、」
獣使いのHPが、カズマのスキルによって半分近くも吹っ飛んでいく。カズマは喜ぶ暇などなく、すぐさま獣使いから離れた。獣使いはその傷を撫でると、不快な笑みを浮かべた。
「……ふ、なかなかやるじゃない……。正直、ここまでやられるとは思ってなかったわ……」
獣使いはカズマの方を見ながら、再び短剣をその手に握りしめる。カズマも、自身の黒き剣を握りしめ、敵の攻撃に応じようと試みる。
獣使いはだん、と一踏み。たった一踏みだけでカズマの目の前まで移動してきたのだ。
「な――――!?」
カズマはそれに圧倒されるが、それとほとんど同時に視界が一瞬暗転したのだ。気がつけば、カズマの身体は地面に倒れていた。
カズマは一体なにが起きたのか、すぐには把握できなかった。しかし、自分のHPが減っている事と、腹の辺りにダメージエフェクトが表示されている事で大抵のことは理解した。
「……まさか、ここまで速いなんてな……」
感心しながら立ち上がるカズマ。そして、獣使いを目前として剣を構える。……もう手加減はしない。カズマはそう決意し、剣を振りかぶった。
ぶん―――、と威勢の良い音とともに、その剣が青白い軌道を描く。獣使いはその軌道を予測し、華麗にひらりと攻撃をかわし、短剣でカウンターを仕掛けてくる。カズマはそれを剣で防御する。
「……カウンターか。確かに、速度の速い短剣なら、カウンター攻撃を仕掛けるにはもってこいだな。だけど、これならどうかな――――ッ!」
カズマはアイテムストレージから得物を取り出す。それはあの蒼き剣【クェイサー】。カズマは二刀流を解放し、獣使い(ビーストマインダー)と対峙する。獣使いはそのカズマの二刀流を見つめながら、ふと笑みを零した。
それはまるで、カズマが二刀流を使用する事を待ちわびていたかのような様子だった。カズマが二刀流を使用する事をあらかじめ知っていたかのような、そんな表情だった。
「……やっと二刀流を使う事を決意したのね。……いいわ、かかってきなさい!」
獣使い(ビーストマインダー)は短剣を構えたまま、二刀流のカズマを挑発する。カズマはいつも通りの冷静な表情のまま、左右の剣を振るう。紅い剣と蒼い剣が交互に振るわれる。それはまるで剣舞。二つの違った剣同士が、ダンスでも踊っているかのような動きだった。
獣使い(ビーストマインダー)は短剣の動きやすさと軽さを活かしながら、その剣舞を受け止めていく。その表情には余裕が見えており、カズマの二刀流なんて相手ではないと物語っていた。
「ほらほら! 貴方の二刀流ってそんなものなの!?」
余裕の表情のまま、カズマを挑発していく獣使い。カズマは剣舞が相手に通用していないことを悔やみながらも、まだその剣舞を止めなかった。
「もっと……速く……!」
カズマは自分にしか聞こえない様に呟くと、その剣舞の速度をあげていく。カズマ専用オリジナルスキル、『ダブルソードウィング』。加速するその剣舞は止まる事を知らない。どんどん加速していき、二つの剣が軌道を描いていく。
「へぇ……。二刀流スキルか……」
獣使い(ビーストマインダー)は感心したような声を上げると、カズマのスキル『ダブルソードウィング』に自ら突っ込んでいく。カズマは驚きながらもその剣舞を止めなかった。
次の瞬間。獣使い(ビーストマインダー)はなんと、二本目の短剣を構えては、カズマの二つの剣を両手に握りしめた二本の短剣で止めに入ったのだ。勿論、その剣舞に短剣で突っ込んでは威力負けする可能性は高い。それなのに、獣使い(ビーストマインダー)は短剣で挑んできたのだ。
加速する剣舞に、その小さな短剣で立ち向かう獣使い(ビーストマインダー)。剣が描く軌道を読んで、そこへ短剣を振りかざす。
きん―――――――! と鋭い金属音が何度も響き、カズマは顔を一瞬しかめる。それと同時にカズマのスキルがピタリ、と止まった。
「な……!」
カズマは目を丸くする。……スキルを止める事なんて不可能に近いからだ。ましてや、相手の武器は威力の弱い短剣。スキルをそう簡単に止めれるような武器ではないからだ。それを目の前の獣使い(ビーストマインダー)は可能にし、現実と化しているのだ。
「……なぁんだ。貴方のスキルって、そんなものなのね……」
獣使い(ビーストマインダー)は短剣で、カズマの剣を止めたままため息を吐いた。カズマは剣をもう一度振りかざす。が、それも獣使い(ビーストマインダー)の短剣によって弾かれる。
「無駄よ。私はMP以外にもステータスは割り振っている。……貴方のような低レベルでは勝つことも出来ないわ」
もう片方の短剣をカズマの方へ向けると、キッ、と睨みながらそう言った。
カズマは下唇を噛む。アイリを助けに来たのはいいが、肝心の目的である獣使い(ビーストマインダー)を倒す事が出来ないからだ。なんのためにアイリを救いに来たのか、その目的すら失いかけていたからだ。
「くっ……そ!」
カズマはやけくそに剣を振るった。しかし思っていた通り、獣使い(ビーストマインダー)に弾かれた。
「……さっきも言ったハズよ。貴方の攻撃は無駄なの」
獣使い(ビーストマインダー)に呆れられていたが、それでもカズマは剣を振るい続けた。獣使い(ビーストマインダー)は「はぁ……」とため息を吐きながらも、カズマの攻撃を短剣で弾き返した。
「……だから無駄だって言ったでしょ? どれだけ攻撃しても、貴方の攻撃は通じないのよ」
「それは……どうかな?」
呆れていた獣使いに向かって、カズマはにやり、と笑みを零した。そしてカズマの次の攻撃、剣を振るう。獣使い(ビーストマインダー)はそのまま短剣で弾き返……せなかった。攻撃を弾くどころか、短剣が壊れたのだ。
「な……!」
そのまま振り下ろされる剣。獣使い(ビーストマインダー)はそれをかろうじて回避した。獣使い(ビーストマインダー)の顔には、いつの間にか焦りと驚きの表情が浮かんでいた。
「あ……貴方……な、なにを……!」
「ふっふっふ……」
カズマは肩を揺らしながら笑った。それが獣使い(ビーストマインダー)には、恐怖の笑みにしか感じなかった。カズマはにやり、と笑いながら獣使い(ビーストマインダー)の顔を見た。
「……お前の短剣には耐久が限られている。と言うより、武器には耐久度ってのがあって、どれだけダメージを受ければ壊れるってのがあるよな? 俺はそれを狙って攻撃していたんだよ……!」
それぞれ武器には耐久度と言うものがあり、ダメージを受けたり、使用していると壊れる事があるのだ。そのため、武器には手入れが必要である。手入れをしなければ、武器はいずれ壊れてしまい、使用する事が出来なくなるのだ。バトル中では武器の手入れなど出来ない。壊れたらそのまま戦うしかない。
獣使い(ビーストマインダー)は今、武器が壊れてしまい、そのまま戦うしか手段はないのだ。MPも召喚に使ってしまい、残りわずかである。
「……貴様!」
カズマは獣使い目掛けて剣を振り下ろした―――――が、獣使い(ビーストマインダー)の肩の間上でぴたり、と止めた。
「……あまり相手が不利な状況で倒すのはなんだか嫌だからな。俺の剣で一対一の対決しようぜ?」
と、カズマは左手に握っていた剣【クェイサー】を獣使い(ビーストマインダー)へと投げたのだ。獣使いはきょとん、としていた。
「……かかってきな、その剣で。どっちが強いか、決着をつけようぜ」
カズマは紅い剣を獣使い(ビーストマインダー)に向けながら、そう言い放った。獣使い(ビーストマインダー)はカズマから受け取った蒼い剣を右手に立ちあがる。まだHPも残っている。これはチャンスだと獣使い(ビーストマインダー)は思った。
「……いいわ、受けて立とうじゃない」
獣使い(ビーストマインダー)は蒼い剣を構え、カズマに対峙する。カズマも自身の紅い剣を構える。
静寂が二人を包み込む。剣を構えた二人の戦士は、それぞれ相手を見つめながら、自身の剣を強く握りしめていた。
静寂を突き破るかのような雄叫び。それが合図だった。二人の戦士は、地面を蹴りあげて相手の元へ近づいて行く。
きん―――――! と鋭い音が、決着の合図だった。カズマは獣使いに剣を向けていた。獣使い(ビーストマインダー)はカズマから受け取った蒼い剣を、いつの間にか手放していたのだ。
「……俺の勝ちだ」
「……ふ」
勝負に勝ったカズマを見上げながら、獣使い(ビーストマインダー)はふと笑みを零した。それは興醒めの笑み。あっけなく勝負がついたことで興醒めした事で、獣使い(ビーストマインダー)が不意に零してしまった笑みなのだ。
「……この勝負、私の負けね」
獣使い(ビーストマインダー)は潔く負けを認めた。カズマは「ふぅ…」と息を漏らすと、剣を鞘に仕舞った。
「カズマ…くん……」
そこで初めて、カズマと獣使いの戦いを見ていたアイリが声を上げる。カズマはアイリの方を振り返り、そちらへ向かって行く。
「もう大丈夫だ。あいつとの戦いは終わった」
「カズマくん……」
アイリは今にも泣き出しそうな顔でカズマを見つめて来たので、カズマはアイリの頭を優しく撫でる。アイリは安心したかのように、カズマに満面の笑みを見せるのだった。カズマもアイリの笑顔を見て、笑みを零してしまった。
「さぁ、アイリ。早くキリヤのとこへ―――――」
――――――ぱんっ!
「……え?」
それはまるで、この空間をぶち壊すような音。この音はそう、キリヤと一緒にいた時によく訊く銃声だ。カズマはアイリの方を見るが、アイリはただただ驚いてるだけで、HPが減っている訳でもなかった。じゃ、一体誰が……?
「――――――が、」
まるで断末魔のような掠れた声。それはアイリでも俺でもない、目の前にいる獣使い(ビーストマインダー)の発する声だった。獣使い(ビーストマインダー)のHPバーは一気に吹っ飛び、完全に獣使い(ビーストマインダー)のHPはゼロになっていた。
カズマは銃弾が向かってきた方向を振り返る。そこには、カズマよりも少し大きい、キリヤくらいの背丈の少年が立っていた。その手には、小さなハンドガン一丁。銃口からは紫煙が立ち込めており、獣使い(ビーストマインダー)を撃ったのはこいつだと、雄弁に語っていた。
「……お、お前…」
「ふぅ…、やれやれだ。こんな厄介な獣使いをそのまま生かしておくなんて。……このゲームがめちゃくちゃになる前に消しておかないとな」
その男は、銃口から立ち込めている紫煙を「ふぅ」と、自分の吐息で消すかのような真似をした。そして、ハンドガンをリロード。
「……それに、まだ生きているプレイヤーだっているからな。ちょうどいい、ここで出会ったのが運命だ。まとめて片付けておこう」
男は銃口をカズマに向け、トリガーを引く。その銃弾は、わずか十秒足らずでカズマの身体に命中するだろう。カズマはそれを悟り、銃弾をステップで回避する。
「ふぅ――――っ!」
「ちっ……」
男は舌打ちをしながら、リロード。そのうちにカズマは、鞘から剣を引き抜く。ばん――――! ともう一度、弾丸がこちらへ向かってくる。カズマはそれを回避しながら、男の方へ向かって行く。
「うおおおおおお――――――――ッ!」
紅い剣を構えた紅い騎士は、雄叫びをあげながら銃を構えた蒼き銃騎士に向かって行く。蒼い銃騎士はただ、冷静に狙いを定めて、トリガーを引く。
紅い騎士はこちらへ向かってくる弾丸をかわしながら、前へ、それでも前へ駆けていく。蒼い騎士は射程距離に入ってこないようにと、銃で狙いを定めて弾丸を放つが、紅い騎士の方が反射神経は良く、命中する事が出来ない。
「――――お前の弾丸よりッ! 俺の反応速度の方がッ! 速いんだよッ!」
まるでシステムの限界を超えて、オーバーアシストされたかのような動きで弾丸を回避し、蒼い騎士の方へ接近していく。蒼い騎士は銃弾を放つが、とうとう弾切れになったようだ。
―――――今だ!
カズマはその隙をチャンスに変える。走りながら紅い剣を構える。スキル『スラッシュバスター』を発動する構え方だ。カズマは射程内に入ったと同時にスキルで相手を斬り裂く。が、蒼い騎士はそれをバックジャンプで回避する。
「やば――――っ!」
カズマは一瞬焦った。……スキル発動後は一瞬だけ隙が生じるのだ。そのため、スキルを回避されることはかなりのリスクを伴う事になる。その隙を、あの蒼い騎士は突いてきたのだ。
銃口をこちらに向け、トリガーを引く。ばん――――! と音を立てて、その黒い筒から小さい銀色の弾丸が発射される。カズマはどうにか回避しようと考えたが、それは叶わない望みだった。
すまない―――――アイリ――――。せめて、君だけは――――――。
心の中でアイリに謝罪しながら、カズマは静かに目を閉じる……。こうして、カズマは自分がここで負ける事を悟りながら、静かに弾丸が自身の胸を貫く事を待っていた。
その瞬間、カズマの近くで、とても大きな声が、カズマの鼓膜を振るわせた。
鋼に輝く弾丸と、立ち尽くすカズマの間に、凄まじい速度で飛びこんだ人影があった。真紅の長い髪が宙を舞った。
ア、イリ―――――!
いつの間にかアイリが、俺の目の前に立っていた。敢然と胸を張り、両腕を大きく広げて。
蒼い騎士の表情にも驚きの色が視えた。が、その表情は一瞬で不快な笑みへと変貌した。放たれた銃弾は、もう誰にも止めることはできない。全てがスローモーションに見えてくる。そのセカイの中、カズマは心の中で叫んだ。
――――やめろ! やめてくれ!!
だが、その叫びは届かず、アイリの胸を貫くのだった。そのままこちら側へ倒れてくるアイリの身体を、しっかり自分の腕に抱きよせるカズマ。音もなく、声もあげずに、アイリはカズマの腕の中へ吸い込まれる様に崩れて来たのだ。
アイリは、カズマと視線が合うと、にっこりとほほ笑んだ。彼女のHPはもう……尽きていた。
セカイの時間が止まった。
夕暮れ。草原。微風。心地よい。
その中でカズマはのんびりと寝ころんでいた。
空を見上げれば、雲がのんびりと浮かんでいた。
風の音。小鳥のさえずり。今にも眠ってしまいそうな場所だった。
「まったく。また、こんなトコにいた~」
草原に寝ころんでいた俺を見て、アイリはため息を吐いた。
「なんだよ。別に俺がなにしていようが、アイリには関係ないだろ」
と、ふてくされたように返す。
アイリは俺の隣に寝転がると、空を見上げた。
「……うわ。こんなに綺麗な空、久しぶりに見たな……」
「現実世界とは比べモンにならないよな」
アイリと一緒に空を見上げる。
「……これは眠くなっちゃうな」
「……少しだけなら、寝てていいぞ」
空を見上げながらそう、言葉を返した。
「……うん。おやすみ、カズマくん」
微笑みながら、そう返してきた。
「あぁ。……おやすみ、アイリ」
俺の胸の中に倒れ込んだアイリは、まだ二人が出会って間もない頃と同じような笑みを浮かべながら俺を見つめていた。だがあの時感じた確かな重みも、彼女の温かさも感じなかった。感じるのは、彼女がいなくなると言う喪失感だけだった。
アイリの全身が、少しずつ水色の輝きに包まれていく。光の粒が零れ、散っていく。
「ウソ…だろ……アイリ……そんな……」
震える声で呟く。だが、無慈悲な光はどんどん輝きを増していく。それと同時にカズマの瞳から液体が溢れてくる。涙だ。
「……だい、じょぶ……なか……ないで……カズマ……くん……」
カズマの涙を拭いながら、アイリはか細い声を出した。それでも、カズマの涙は止まることはない。むしろ、増える一方だった。
「そんな……なんで、庇ったんだよ…………アイリ……」
溢れる涙を拭いながら、カズマはアイリに問いかけた。けれど、アイリに答える時間なんてなかった。アイリの身体が金色に輝き、包まれていく。
アイリはただ泣きじゃくるカズマに微笑んでいた。しかし、それはカズマを安心させるどころか、カズマの涙を増やすだけだった。
アイリの唇が、かすかに、動く―――――
や く そ く
ま も れ な く て
ご め ん ね ――――――――――
ふわり―――――。
カズマの腕のなかで、金色に輝く光が弾け、空の彼方へ消えていく。
カズマはそれを見ながら、叫んだ。
しかし、返ってくるのは静寂のみ。
誰も、なにもカズマの叫びに答える者はいなかった。
カズマの隣に、アイリが再び現れることは――――もう、なかった。