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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 デッドフラワーズの店内は極端に照明を落としていて、目が慣れるまでの間、中の様子がよく見えなかった。ちょっといかがわしい店を連想させる。

 「いらっしゃい」

 と、マスターの無愛想な低い声が聞こえた頃、ようやく店内を見回せた。奥に細長いフロアーの向かって右側に、5人分の止まり木のスツールが並んだカウンター、左にボックス席が3席だけの狭い店だ。

 凄子の鼻にはコーヒーの芳しい香り、耳にはローリング・ストーンズの『スウェイ』が届いている。そういえばこの曲が入っているアルバム、『スティッキー・フィンガーズ』に、店の名前と同じ、『デッド・フラワーズ』という曲が入っていたことを思い出した。

 真っ白な頭髪とヒゲのマスターが、ちょうどコーヒーをドリップしているところだった。老眼鏡のように掛けた眼鏡の奥の目が、ジロリとこちらを向いた。

 「やあ、あんたか」

 見た目はかなりのジジイに見えるが、ストーンズのミック・ジャガーやキース・リチャーズと同じぐらいの年齢かもしれない。

 凄子は軽く会釈をすると、ボックス席を見回す。一番奥の席に、まるで雛人形のように座っているふたつの影が見えた。凄子が近づくと、やはり香音と男友達だった。

 ふたり揃ってぺこりとお辞儀してきた。凄子が向かいに座る。薄暗いので定かではないが、香音の様子は初めて見た時より落ち着いて見えた。男友達というか彼氏と一緒にいるからだろうか。

 そしてその彼氏はというと、やはり香音にお似合いの整った小さな顔立ちで、世間知らずな品のある坊ちゃんという感じだ。今どきのアイドル歌手のように、きゃしゃな骨格なのが学校のYシャツの上からでもわかる。人形のようにちょこんと佇んでいる姿を見ると、自分たちとは人種まで違うのではないかと思う。

 マスターがオーダーを取りに来た。ふたりの前には水のグラスが載っている。凄子はホットコーヒーひとつとアイスコーヒーをふたつ頼む。マスターのチェックのネルシャツの後ろ姿を見送ってから、凄子は口を開いた。


 「土橋凄子といいます。…ところで君は香音ちゃんの彼氏?」

 凄子は単刀直入に聞いた。するとびっくりしたような素振りのふたりは、顔を見合わせると恥ずかしそうな表情になる。彼氏は、

 「古屋叶多ふるやかなたといいます。…香音とはまだつきあいだしたばかりです」

 と、照れながら答えた。

 「そう、叶多くんね」

 凄子は言うと、(今が一番楽しくて、毎日がバラ色に見えてる頃なんだろうな)と、ふたりをまぶしく感じた。(あたしが中学ん時ゃ、毎日が修羅場、…まあいいや)凄子は思い直して本題に入った。

 「さっそくだけど、叶多くんが襲われた時のこと、詳しく話してくれない?」

 と、聞いた。叶多はうなづいて、

 「あんまり憶えてないんですけど」

 と、前置きしてから話しはじめた。


 ―その日は日中、香音にストーカーの相談を受けて、

 「じゃあ、今日は俺と一緒に帰ろう」

 と、はじめてふたりだけで帰った日だった。香音はストーカーに怯えて始終後ろを振り返ったり、あたりをキョロキョロ見回していた。叶多は、

 「俺がついているから大丈夫だよ」

 と、ちょっとだけ強がってみせたが、内心はドキドキしていた。

 やがて自分の家の方向と香音の家の方向の分岐点で、

 「あとは家まで走って帰んな」

 と促した。叶多は香音の後ろ姿が見えなくなるまで見送り、自分の家への道を歩いて行く。…その時はまだつきあっていなくて、叶多は『つきあう予感』を感じて舞い上がっていた。だから余計に周りが見えなくなっていたのかもしれない。

 香音と別れて心ウキウキと歩いていた最中、何の前ぶれもなく突然後頭部に衝撃が来た。叶多は激しい痛みと、前のめりに倒れていく視界を最後に意識を失ったようだ。そこまで話すと不甲斐なさそうな顔になった。

 そこまで聞いた凄子は、

 「うーん、それから何か思い出したことはない?警察に聞かれてないこととか」

 と、聞いた。叶多は凄子のおごりのアイスコーヒーをストローでくるくる回しながら、うーんと、考えを巡らせている。アイスコーヒーにまだ手をつけていない香音は、叶多の横顔をみつめて心配そうな顔をしている。

 凄子はホットコーヒーをひと口すすると、

「…たとえば音とか、光とか、匂いとか」

 と、聞いた。しばらく無言でコーヒーをかきまぜていた叶多の手がピタリと止まる。

 「匂い?…そういえば衝撃が来る寸前、なにか匂いがした。…俺はたしかに匂いを感じていた!」

 叶多は目を見開き、凄子の目を見つめてきた。

 「匂い?どんな?」

 凄子は真剣な眼差しになる。叶多は天井をゆっくり回っているプロペラに視線を移し、思い出そうとする。

 「…なんかこう、強烈な。…甘い匂いというか、線香のような」

 叶多の言葉に、(お香だな)凄子は察した。

 「それは、お香の匂いじゃない?」

 身を乗り出して聞いたが、お香?と、叶多はキョトンとした目をしている。

 「お香、知らないのか?うん、まあいいや。でもこれは重要な手掛かりになるかもしれない」

 凄子はワクワクしてきて、自然に笑みがこぼれた。その様子を若いふたりはじっと見ている。香音はようやくアイスコーヒーに手をつけると、

 「セイコさん、こないだは無職って言ってたけど、本当なんですか?」

 と、聞いてきた。

 凄子はセブンスターに火を点けると、

 「ああ、本当だよ。正真正銘の無職で、呑んだくれのろくでなしだよ」

 と言って、ガラガラ声で笑った。


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