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「いらっしゃーい」
と、おかみのユミが注文を取りに来た。小柄でずんぐりしているが、凄子に負けないぐらいのダミ声だ。凄子は、
「あたしもまずはビール、それと…」
と言いながら壁に貼り付いたすすけた短冊を眺める。
「カシラとカワとシロとレバー、塩で。あ、レバーだけタレで。それと、サバの塩焼き」
凄子が言うとユミは、紙切れにメモした。そしてカウンターの中のおやじに、でかいダミ声で注文の品を告げた。
ユミが、ごゆっくりと言いながらその場を離れようとした時、凄子は思いついてユミを呼び止めた。小声で、
「ユミちゃん、あれ食わしてくれない?レバ刺し」
と、ささやいた。ユミはニヤリとすると、
「しょうがないなあ、セイコちゃんだから特別だよ。でも絶対言っちゃだめだよ」
と、肩をポンと叩いて場を離れた。
「相変わらずよく食うな、細え身体のくせして」
ゴウゾウはコップのビールを空けると言った。
「まあな、あたしゃ働きもんだでさ、腹が減るんだよ。今日もブタを一匹締め上げて来たでさ」
凄子はそう言ってゴウゾウに拳を見せる。そして小鉢のひじきと豆をかきこんだ。
ビールが運ばれてくると乾杯をして、凄子は一気に飲み干すと周りに聞こえるぐらいの、でかいゲップをする。ゴウゾウは露骨に嫌な顔をすると、傍らから出したA4の茶封筒を凄子の前に放った。
凄子は取り上げて中身の書類をパラパラをめくる。期待以上のブツだとすぐにわかった。
「さすがゴウゾウ、いい仕事してんねえ」
と言いながら、封筒に戻した。ゴウゾウは少し照れくさそうな顔で、アゴのヒゲをさする。
先に裏メニューが運ばれてきた、長皿に載った生レバーと、しょうゆとゴマ油をまぜた小皿がふたつ。凄子とゴウゾウはそこにおろしニンニクをたっぷり入れる。
「こんなの出してくれんなら、俺も頼めばよかったよ」
と、ゴウゾウは当たり前のように生レバーに箸を伸ばした。凄子はジロリと睨みながら生レバーをつまむと、タレをつけて口に入れる。
「うめえ!やっぱレバ刺し最高!」
と、声を荒げた。
じきに焼き鳥とサバの塩焼きが運ばれてきた、凄子は次々に口に運ぶ。
「うめえもん食って当たって死ぬんなら、あたしゃあ後悔しねえよ」
と、ご機嫌に笑う。ゴウゾウはビールをやめて、キープしてある一升瓶の焼酎と、お湯を持ってこさせて、ふたり分のお湯割りを作った。
食いおわった焼き鳥の串を、木の細いツボにつっこんだ凄子は、
「ところで仕事代はどうする?」
と聞いた。ゴウゾウは作ったお湯割りに梅干を放り込んで、凄子の前に押しやる。
「いつも通り、柴山に回しとくよ」
と言った。
翌日の昼間、凄子はゴウゾウから受け取った茶封筒から書類を出した。表紙となる紙には『市内在住及び、三年以内に在住していた変質者・性犯罪者リスト』となっていて、そこからは数十人の犯行内容と顔写真、またゴウゾウのメモや考察も、備考的に付け加えられていた。それを見た凄子は唸った。(この短けえ時間に、よくもこれだけのもんを揃えたよな。あいつはいったい何者なんだろう…)そう思いながら書類を丹念に読み尽くし、頭の中に叩き込んでいった。
ハトが出てこないハト時計が午後4時を示している。もう学校は終わってるだろうと思い、ポンコツの携帯から香音の番号に発信した。3回のコールでつながり、
「もしもし」
と、香音の麗しい声が聞こえてきた。
「あ、凄子だけど」
と名乗る。『土橋だけど』と言うと、男と間違う相手が多いからだ。
凄子は、香音と一緒に下校途中に襲われたクラスの男友達に会うことはできないかと持ちかけた。
すると香音は少し言いづらそうに、
「…今、となりにいます」
と答えた。凄子は微妙なものを察知した。途端に、かつて自分にもあった中学生の頃の恋心みたいな記憶が蘇り、チクリと胸のどこかを刺した。ちょっとだけ心が震えた。
「じゃあ、これから会いに行くから」
と言って、待ち合わせの場所を決めると電話を切る。凄子はラフな格好のまま、のろまなエレベーターに乗り1階で下りると、建物の出口付近の壁にもたれているボロ自転車にまたがる。レビンは目立つので近場の場合は、なるべく乗らないでおこうと考えていた。
ボロ自転車は凄子が引っ越してきた時にはもうここにあった、置き去りにされていたので誰の所有物かはわからないが、鍵も掛かっていないので勝手に使っている。
だがタイヤの空気を入れたりチェーンにオイルをやったりと、たまには整備もしてやっているのだ。…ごくたまに自転車がない時もあるから、建物内の他の誰かも勝手に使っているのだろう。
外は薄曇りで涼しい微風が吹いていた、自転車で出かけるにはぴったりの陽気だ。
―午後5時、S中近くの県道沿いにある喫茶店『デッドフラワーズ』に到着した。ツタが絡まった外壁は恐ろしく古い。多分、昭和40年代からやっているのだろう。凄子が高校生の頃何度か来たことがあって、今でも美味いコーヒーが飲みたくなると、たまに立ち寄る。
キーコーヒーの置き看板の向こうの、古ぼけた重い木のドアを押すとカウベルがカランコロンと鳴った。