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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 涼子はそこまで話すと顔を上げ、凄子に懇願の眼差しを向ける。

 「この子には防犯ブザーや携帯電話を持たせていますが、いざという時、なにかあった時にはなんの役にも立ちません。スタンガンというものも考えましたが、もし犯人に取り上げられた場合なおさら危険なのでやめました。今は本当に恐怖の毎日なのです。ですので…」

 涼子はそこで一旦言葉を切った。部屋の中は一時沈黙した。

 凄子はポケットからセブンスターとジッポを取り出すと、失礼と言って火を点けた。そして灰皿を取りに立ち上がりざま、香音の様子を眺める。

 妙に白かった顔は蒼白に変わっていた。昔、学校の朝礼でぶっ倒れた生徒を何度も見たがそれと同じ、まさに貧血を起こす寸前の顔色だった。

 (よっぽど怖い思いをしてるんだろうな)と思いながらも、(きれいな顔はどんな表情をしても、きれいなのは変わらない)とも思った。

 本棚に置いてある南部鉄器の黒い灰皿を持って、ソファーに戻る。涼子は凄子が腰を下ろすのを待って、ふたたび話しはじめた。

 「ですので、土橋さんにはストーカーの男を探し出していただき、二度とこの子に近づかないようにしていただきたいのです」

 涼子の視線には切迫した光が感じられた。ふたりは揃って深々と頭を下げる。

 凄子は灰皿にセブンスターを『く』の字に折ってもみ消した。

 「わかりました、きっとお嬢さんはさぞかし怖かったでしょうね」

 凄子はそう言いながら香音に目を向ける。蒼白な顔色とは裏腹に大きな目は充血して赤くなっていた。

 「…はい、とても」

 初めて呟いた声は、やはり見た目通り可憐な響きだ。(ウサギがしゃべったらこんな声だろうか)凄子は意味もないことを思った。

 「東郷さん、話を聞いてあたしも腹が立ちましたよ。うす気味悪いストーカー野郎にね、早速やらせてもらいますよ。ただし、やり方はあたしに任せてくださいね」

 凄子のドスの効いたセリフに涼子は呆気に取られ、キョトンとした表情をした。そして少し間を置いて、

 「よろしくお願いいたします、…それからあの、費用のことなんですが」

 と切り出した。

 途端に凄子は『毎度のこと』といったように左手を出して話を制して言った。

 「そういう面倒なことはすべて柴山に任せてあるんで、その辺のことは柴山と話し合ってください。…それにあたしは一応、無職の身なもんで」

 涼子が戸惑った顔を見せたので、凄子はあわてて、

 「でも大丈夫、『仕事』はきっちりやらせてもらいますから。ストーカーの野郎を完全にぶっ潰してやりますよ」

 と、右拳を握ってポーズを作った。ふたりはどう返していいかわからないのか、困ったような顔つきでまた頭を下げる。凄子はその様子を見て、(このふたりもあたしも、同じ女なんだよな…)と思う。

 凄子はふたりと携帯番号を交換する。ふたりとも最新の電話らしく大きな画面の上を指でなぞっていた。凄子は文字がかすれたボタンを『ピ、ピ、ピ』と押している、やがて登録し終わり、よしと顔を上げると、香音がもの珍しい目つきで凄子の携帯を見ていた。


 丁寧すぎる挨拶を繰り返してふたりが去ると、スリムなブルージーンズとパーカーに着替える。壁に掛かっているハトが出なくなってしまったハト時計を見ると、もうすぐ昼だった。

 擦り切れた黒革のキャスケットをかぶり、黒いコンバースのハイカットを履いて部屋を出る。ドアを施錠すると目の前のエレベーターの『下降』のボタンを押した、インジケーターは1階を指している。

 扉幅が半間もないエレベーターは、とにかく遅い。今ハコに乗り込んだとしても、階段を駆け下りた方が早いくらいだ。だが不思議なことにこのビルには階段がない。柴山が初めてここに来た時、  「停電になったらどうするの?」

 と聞いてきたが、凄子はそう聞かれるまで考えたこともなかった。

 「まあ、急いで下りる用もねえからな」

 と答えると、

 「じゃあ外から部屋に行こうとしてたら?」

 と聞かれ、返す言葉がなかった。

 ボンヤリ待ってようやくたどり着いたハコに乗り込むと、狭いスペースにはタバコの煙が充満していた。階下の4階が雀荘なので、その客どもが吐いた煙だろう。『禁煙 煙を感知するとブザーが鳴り、停止します』と、ヤニで黄ばんだ掲示があるが、多分嘘だろう。天井にもどこにもセンサーのようなものはない。

 凄子はセブンスターに火を点けると、インジケーターが移っていくのをボンヤリ眺める。チンと鳴り、ようやく1階に到着するとくわえタバコのままエントランスまでの真っ直ぐな廊下を歩く。

 外に出るといきなり平日の雑踏に巻き込まれた。駅間近の区域なので、昼間は会社員や学生や暇人がひっきりなしに行き交っている。

 凄子は狭い路地に入り込むと、東に向かう。しばらく行くと月極めの有料駐車場が見えてくる、その一番隅にシートカバーをかぶって蹲っているのが凄子の愛車だ。

 昭和58年式のトヨタ カローラ・レビン、いわゆる『AE86』といわれる型式だ。凄子が21歳の頃、初めて買った新車だ、以来32年乗り続けている。

 走行距離はもうすぐ30万kmになるが、今まで2度のフルレストアを施しているので旧車とは思えないほど快調だ。元は黒とシルバーのツートンだったが2度目のレストアの時、オールブラックメタリックに全塗装してもらった。カラスかゴキブリのような見た目だ。


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