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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 「おい、ババア!」

その声が耳に届いたのは、土橋凄子だけではなかった。市街地の分譲マンション脇の暗がりから、エントランスの明かりを見つめていた男がこっちを振り向き、凄子の姿を認めると慌てて駆け出して行った。

 「ちっ!」

 凄子は顔をゆがめて大きな舌打ちをすると同時に、声のした方を向く。コンビニエンスストアの明かりが伸びた歩道に、若い男がふたり立っているのが見えた。

 ふたりとも高校生ぐらいの歳格好だが、伸ばした金髪の頭にずり下げて履いているハーフパンツからは、黒いブリーフが見えていた。安物のネックレスをTシャツの外に二重にぶら下げている。

 険悪な眼差しを向けた凄子に右側の少年が、

 「なにやってんだよ、ババア。逆ストーカーか?」

 と言いながら甲高い声で笑うと、もうひとりも同じような笑い声を上げた。変声期のようなその声を聞くと、凄子のこめかみには血管が浮き出る。

 立っていた電柱の陰からくるりと向きを変えて歩きだす。黒い細身のスーツに黒いシャツ、黒いショートブーツと黒ずくめだ。

 「見ろ、ババア怒っちまったぜ」

 少年たちはケラケラと笑い合いながら、まだふざけあっていた。15mほどの距離を大股で近づき172cmの凄子が少年たちの前に立つと、少年たちは見上げる姿勢になる。

 女とは思えない鋭い三白眼に気づいた少年たちは、途端に黙り込みクチャクチャとガムを噛んでいた口元も止まる。明らかに目に怯えの色が浮かんできた。キョロキョロと泳いでる目は、逃げ出したくても動けないという気持ちの表れだろう。

 凄子は少年たちを睨み据えたまま、上半身を右に回転させると長い右脚を振り上げる。そして締め上げたスプリングを解放するように、上半身は左回転し右脚は遠心力を伴って水平に飛ぶ。まるでハンマー投げのように繰り出された黒いショートブーツの足の甲は、並んで立ち尽くしている右側の少年のこめかみに衝突した。

 激しい衝撃で少年の身体は棒のように真横に振れ、左側の少年に玉突き状態でぶつかる。ゴツッと頭蓋骨同士が音を立てて、ふたりとも薙ぎ倒された。振り抜いた右脚とともに一回転した頃には、少年たちは白目を剥いて気を失っていた。

 「このクソガキどもが、余計なマネをしやがって!」

 小顔の凄子の口元は憎々しげにゆがみ、前歯が欠けた反っ歯の口から唾とともに罵倒の言葉が吐き出る。その声はブルースシンガーのような枯れ声だった。


 凄子は上衣のポケットからセブンスターを取り出すと、真鍮色のジッポで火を点ける。ひっくり返った少年たちを見下ろしたまま二度煙を吐くと、踵を返しさっきまで立っていた電柱の陰に引き返した。明かりが漏れたエントランス付近には人影はない。

 (これであの野郎は警戒して、しばらくは動かねえだろう)凄子はマンションを見据えながら、短くなったセブンスターをペラペラな携帯灰皿に突っこみ、指先でもみ消した。

 (さてと、これでどうするか…)凄子は彼方に見える信号機に視線を移し、変化を眺めながらしばらく考え込む。左腕のダイバーズウォッチを覗き込むと、そろそろ日付が変わる時間だった。


 ―――土橋凄子どばしせいこ、53歳、無職。だが、昔からの知人である柴山が持ち込んでくる『仕事』のせいで、食うには困っていない。そして『仕事』は年中絶えることがなく、凄子はしぶしぶ受けている、というのが実態だった。

 3日前の午前8時、凄子の携帯電話が鳴った。30秒ほど鳴ってからようやく音で目覚めた凄子は、目をつぶったままベッドサイドテーブルの上の携帯を手探りで探す、そして乱雑なテーブルの上の飲みかけのグラスにぶつかってグラスを落とした。厚めのグラスは割れはしなかったが、Pタイルの床にぶちまけられたバーボンが朝から強烈な匂いを放つ。

 ようやく携帯をつかみ電話に出る。

 「…はい」

 不機嫌に出た凄子と対照的に相手は、

 「おはよう、セイコちゃん!」

 と上機嫌に言った、柴山だ。凄子は二日酔いでガンガンする頭を押さえながら、バーボン臭いあくびをした。柴山は不機嫌な凄子の様子など構わずに早口で用件を切り出す。

 凄子は短い相槌を打ちながらよろよろ立ち上がり、東面の窓のブラインドを上げる、途端にまぶしさに目をやられる。柴山の早口を聞きながら窓を開けると、市街地の朝の雑踏が一気に部屋に流れ込んできた。

 「…わかったよ」

 凄子は最後まで不機嫌な声で電話を切った。

 ―長野駅善光寺口の東側の、乱雑な区域にある細長い5階建ての雑居ビルの最上階の狭い部屋が、凄子のねぐらだ。


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