絶望の翼
ある村に、空を飛ぶことを覚えた男がいた。男の翼は絶望の翼だった。
彼が絶望すればするほど、その翼は屈強になり、より自由に空を飛ぶことができるようになった。
空を飛ぶ男は村人たちの憧れだった。しかし彼は日々絶望していた。彼の目は虚ろに濁っていた。
ある日男が丘で翼を休めていた時、少年が男に駆け寄った。
「どうしたらそんな風に翼が生えるの? ああ、僕も飛んでみたい。飛べたらどんなに気持ちいいだろう。遠くまで見下ろしたらどんなに素敵な景色が待っているんだろう。そう、それに空の島。空の島には、きっと素敵なものがあるんだろうなあ」
目を希望に輝かせ尋ねる少年に、男は答えた。
「とんでもない」
彼は絶望に打ちひしがれた顔をして言う。
「空を飛んでもちっとも気持ちよくなんてない。風が冷たくて凍えそうだ。見下ろしても、見えるのはこの村と森と山だけ。そして空には島なんてないのだ」
そんなの嘘に決まっている、と少年は抗議した。
いやいや、と男は言った。
「空を飛んでも何も良いことなんてない! 空を飛ぶのなんてもうたくさんだ!」
「それじゃああなたは何のために飛んでいるの?」
「私は絶望しているからだ。絶望するために空を飛び、絶望しているから空を飛べる」
少年は声を荒らげた。
「そんなのはちっとも面白くない! 飛ぶ意味がない!」
「君も絶望したら私のところに来るといい、その時は飛び方を教えてあげよう」
そう言って男は空を飛んだ。
それから数年がたった。少年は青年になり、そして世界に絶望していた。
「どうしてこの世界は、こんなにも希望がないんだ!」
青年は数年前に翼を持った男と話したあの丘に立ち、叫んだ。そしてふと思い出した。
「いやまてよ、空を飛んだら、もしかしたらいいことがあるかもしれない。僕は今絶望しているから、空を飛べるはずだ」
青年は男を捜し回った。ようやく、空を飛ぶ男を見つけ、彼は声をかけた。
「おおい、僕はこの世界が嫌になってしまった。飛び方を教えてくれ」
男はその声を聞くと、青年の正面に降り立った。
ふむ、と男は言った。
「それでは、山に登り崖から飛び降りるといい」
「なるほど、ありがとう」
青年は山へと駆けていった。山を登り、崖へと辿り着いた青年は希望に満ちた目で崖の下を見つめていた。
「ああ、やっと飛べるぞ」
そう言って彼は躊躇なく崖から飛び降りた。しかし翼は生えそうにもない。
どんどんと地面が近づいてくる。冷たい風が容赦なく青年に襲い掛かった。
おかしい。彼は思った。翼が生えないではないか。これでは死んでしまう。地面はもう目の前だ。このままでは地面に叩きつけられてお陀仏だ。
そうして地面が目の前に迫ってきた時、彼は絶望した。僕は死ぬのだ、もうダメだ、空を飛ぶことも叶わず、死んでいくのだ。
そう思った瞬間だった。彼の背中から大きく逞しい翼が生え、彼の体は急に上方へと引っ張りあげられた。
「うわあ!」
青年は驚き叫んだ。空を飛んでいる。まだ生きていることが彼には信じられなかった。
「ああ、すごい。僕はやっと空を飛べたぞ。空を飛ぶということがどういうことなのか、試してみよう。きっと、とても素晴らしいことに違いない!」
しかし彼がそう叫び大空へと舞い上がろうとした瞬間、彼の翼はみるみるうちに小さくなり、ついには背中から消えてしまった。
そうして彼の体は空中にとどまることができなくなり、また先程のように落ちていった。
なんてことだ! 彼は思った。一瞬飛んだだけでは、意味がない。こんな死に方は納得いかない。しかし、地面は無情に迫ってくる。
もう駄目だ、僕は死んでしまうのだ。彼が再びそう思った時、同じようにまた彼の背中から翼が生えた。
そうして彼は、翼を持つ男の言ったことを理解した。僕は飛ぶことを楽しんではいけないんだ。飛ぶことを希望にした瞬間、この翼は消えてしまう。僕は飛びたくなんかなかったのだと、考えなくてはならない。
そうしてなくては、またもや落ちるハメになるぞ。
そのことを分かった後の彼は、落ちることなく大空を自由に飛べるようになった。
しかし彼の目にもはや希望はない。ただ虚ろな目で、意味もなく空を飛ぶだけだ。
彼は大空を自由に飛びながら、今でも繰り返し自分に言う。
「希望を持っては駄目だ、希望を持っては。希望を持つと落ちることになるぞ」