エピローグ 待ち人
やはり1万字越えでした。
「……月日が経つのは早いものだな」
屋敷の庭先で車いすに座っている俺は両手を眺める。
俺がこの屋敷に来た当初は若く瑞々しかった手は、神から与えられた能力によって様々な物を生み出してきたのだが、年を取った今となっては見る影もなく、スプーンしか持てなくなっていた。
足腰もだいぶ弱り、車椅子なしでは移動することすら覚束ない。
髪もいつの間にか真っ白に変わっていた。
「そろそろ日が暮れます」
その涼やかな声音の持ち主はこの屋敷に住んでいるルクセンタール。
彼女は神人なので出会った当初と姿形が全く変わっていなかった。
「それでは失礼します」
ルクセンタールは車椅子の取っ手に手を当て、俺に負担が来ないようゆっくりと移動させる。
この移動しているのかも分からない細やかな操作はさすがルクセンタールだと思ってしまう。
「主人が今、お風呂を沸かしていますので早い所入浴されたらよろしいかと思います」
ギアウッドとルクセンタールは出産し、子供が巣立った後でもこの屋敷に留まって屋敷の管理を夫婦で行っていた。
ギアウッドは力仕事を、そしてルクセンタールは細やかな仕事を担当している。
「ルクセンタール、今日はもう風呂は良い」
俺はルクセンタールの申し出を断る。
「そして、夕飯も要らない」
俺の続けざまな注文に車椅子の動かす速度が僅かに変わるが、最後に付け足した言葉によって氷解したようだった。
「多分今日の夜に迎えが来ると思う」
「……そうですか」
一瞬車椅子がピタリと止まったがすぐに再開する。
「あまり驚かないのだな」
「主人ともども、この時を覚悟をしておりましたから」
「そうか……」
そしてしばらく沈黙が続く。
そのまま屋敷へ辿り着き、1階に移した俺の部屋のドアを潜る。
「失礼します」
ルクセンタールはその言葉と共に俺の両脇に手を入れて持ち上げ、備え付けのベッドに移した。
「なあ、ルクセンタール。少し話を聞いてくれないか」
俺の問いかけに部屋を出て行こうとしたルクセンタールは振り返って。
「マルス様やアロウ様などにお伝えした後でよろしいでしょうか」
なるほどな。
せめて死に目に全員を集めようということか。
まあ、皆も俺がもう永くないことを勘付いており、最近は屋敷で寝泊まりしていたから大丈夫だろう。
「今の時刻ですとマルス様とデザイア様が滞在中なので、2人を呼びに参ります」
その言葉と共に去っていくルクセンタール。
そして残された俺は2人のことを思い浮かべる。
「マルスとデザイアは良く頑張ったよな」
ショコラの死によって全てを失った2人だが、お互い投げ出さずに信頼を取り戻そうと1つ1つ築いてきた。
始めの頃は俺の擁護があったとはいえ筆舌に尽くし難い辛苦があったが、年月が経つごとにそれも収まってきた。
「あの2人がくっつくまでに時間がかかったこと」
俺が喉を鳴らして笑うのは、結局あの2人が契りを交わしたのは3年後だったからだ。
2人は仕事に関しては百戦錬磨の怪物だが、そっち方面だと素人も良い所だったので見ているこちらがヤキモキしたのを覚えている。
しかも子供が出来たのはさらに10年後だし。
亜人の血が入っているとはいえ、それは遅過ぎだろうと男3人の席においてアロウと2人でマルスをからかったのは良い思い出だ。
「ハーフという、皆から忌み嫌われていた者が今ではこの大陸随一の権力者か」
バサラを処分した後、俺は武器よりも言葉を選んだ。
各国、特に神人達の国の無理解を解かせるために俺達は岩盤に爪を突き立てるような気持ちで一歩一歩進んでいった。
あの選択は間違っていなかったと思う。
そのおかげで、俺達はこのイースペリア大陸において史上初となる亜人、人間、神人など全ての国々が加盟する大同盟を成し遂げることが出来たのだから。
そしてその大同盟にあたって守るべきことは2つ。
1つは10歳から15歳までの子供は亜人、人間、神人関係なくこのコルギドールで教育を受けさせること。
子供は大人と違って柔軟なので、差別を払拭させるまたとない機会だった。
そしてもう1つは戦争を起こす際には戦争に賛成した政治家や官僚の肉親を戦場の第一線に送り込まなければならないことだ。
おかげで各国は戦争を起こすことに対して慎重になり、結果として無駄な血を流さずに済んだ。
今、この時は歴史においても珍しい平穏の治世を迎えている。
その時、ドアが3回ノックされて扉が開かれる。
「ついに時がきよったか」
マルスは年齢から言うと俺よりも年上なのだが足腰もしっかりしており、現在でも精力的に各国を飛び回っているほどだ。
マルスは出会った当初は愛くるしい顔をしていたが年を経るにつれて変化し、今では愛嬌のある初老という印象を与える。
「覚悟はしていました」
デザイアは亜人の血が濃いのだろう。マルスと比べてもまだ若く、少し年の入った貴婦人といったところかな。
そしてマルスとデザイアは椅子を俺のベッドの横につける。
「「「……」」」
3人とも無言。
まあ、そうだろう。
何せこれが今生のお別れなんだ。
何と声を掛けていいのか、言いたいことがあり過ぎて困っているのだろう。
仕方ない。
ここは俺が口火を切ってやるか。
そう決心して俺が口を開いた瞬間。
「コウイチ殿、そなたは何者だったのじゃ?」
マルスが沈痛な面持ちでそう聞いてきた。
俺はその質問について少し頭を捻り、そして出た答えが。
「コウイチ=タカハラ。それ以上でも以下でもない、救世主でも英雄でも王でもない。俺はコウイチ=タカハラ個人だ」
俺はこれまで「王だから」や「救世主だから」などの理由で動いたことはない。ただ、自分がやらなければならないと思ったからやっただけだ。
その答えに満足したのか、マルスはゆっくりと頷きながら「……そうか」と答えた。
続いてデザイア。
「コウイチ殿……いえ、何でもありません」
彼女はマルスと同じく何事かを問おうとしたが、ハッと何かに気付いた後に唇を引き締めた。
途中まで言いかけて止められるのは気分が悪い。
だから俺はデザイアに最後まで言うよう催促したのだが、デザイアは頑固として譲らない。
それを見かねたのかマルスがデザイアの心境を代弁する。
「コウイチ殿よ、デザイアはそなたに死んでほしくないようじゃ」
「――っ!」
図星を突かれたのだろう。
デザイアが瞬間的に唇を引き締める。
「無論、死を止めることなど誰にも出来はせん。そんなことを言ってもコウイチ殿が困るだけじゃろう。ゆえにデザイアは途中で止めたのじゃ」
「なるほどな……」
マルスの言葉に納得した俺は深く息を吐いた。
「それでは、後が詰まっておるから余とデザイアはもう行くぞ」
そう言って立ち上がるマルスとデザイア。
「コウイチ殿、余はそなたと会えて本当に良かった」
そして笑顔で右手を差し出してきたので、俺は同じように笑いかけて渾身の力を込めて右腕を上げた。
「すまんな、無理をさせて」
マルスは俺の状態に気付いたのかバツが悪そうな顔を作るが、俺が気にするなとばかりに満面の笑みを浮かべると幾分か気が救われたようだ。
「……お元気で」
デザイアは小さくか細い声でそう言い残し、2人は去っていった。
「……ふう」
たったあれだけの会話なのに俺は全力疾走をしたかのように息が切れる。
やはり体の方はもうガタがきているようだな。
「入るぜ」
そんなことを考えているとドアが開かれる。
どうやら新しい客人が来たらしい。
「ああ、ソルトとファラウェンか」
俺はそう声を掛けると、ファラウェンは唇の端を吊り上げながら。
「あら、まだ私のことを覚えていたのね」
と、そんな失礼なことをのたまって来た。
「おいおいファラウェン。コウイチに対してそれは失礼なんじゃないのか」
ソルトがため息をつきながらファラウェンを諌めていたのが印象的である。
ファラウェンは壊れているからかどんなに偉い人間に対しても敬語を使うことはない。
今の様に死にかけの者に対しても遠慮なく無礼な口を叩いていた。
「本当にこの悪癖だけは何時になっても直りはしねえな」
なのでソルトがファラウェンが振りまいた火の粉の後始末をしていた。
「早くこの人格破綻者とおさらばしたいぜ」
ソルトは口癖のように何度も繰り返すのだが、何だかんだ言ってもう60年も共にいるのだからすでに一種の恒例行事となっているんだろうな。
ソルトとファラウェンはデザイアが将軍へ復帰するまでの間、軍のトップを務め、その後はあのショコラ暗殺の真実を追っていた。
いやはや。ショコラには及ばずともソルトの身体能力は目を見張るものがあり、ファラウェンも神人と同程度の魔術を使えたので、ついでとばかりに夜盗退治を行っていたとか。
ソルトもファラウェンも元々整った顔立ちなので、辺境の国々においてはそこの王よりも人気があったと聞いている。
多分2人が独立宣言したら軽く4、5国は追従するんじゃないかなと一時期考えていたのは良い思い出だ。
「ソルト、ショコラの元へ行ってくる」
俺が短くそう伝えると。
「おう」
ソルトは短く返事をし。
「あいつは寂しがり屋だからな。しばらくは離してくんねえぞ」
さすがショコラと長くいただけのことはある。
ソルトの言葉には説得力があった。
「――ゴホッ!」
どうやら今の俺にとってはこれぐらいすらきついものらしい。
痰が気道に詰まって呼吸困難に陥ってしまう。
「あんた、それでハルモニアやアロウに会えるの?」
ファラウェンの問いかけに俺は首を振る。
本当に悲しいことだが、もう俺の体はそこまで待ってくれないようだ。
「頼みがある。アロウとハクアにごめんと伝えてくれ」
おそらく2人と会話することはできないだろう。
俺としても最後に見ておきたかったがゆえに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「はあ・・・・・仕方ないわね」
するとファラウェンは頭を掻きながら俺の胸に手を当てる。
「――っ、――っ」
そして何事か呪文を唱えるとファラウェンの手がボウッと光り、それが納まる頃には俺の体は調子が良くなっていた。
「あなたの体に残っていた全生命力を無理矢理捻り出したのよ」
どうやらファラウェンは残り少ない俺の生命力を掻き集めてくれたらしい。
「今は元気だと感じるけど、それが少しでも落ちたらそのまま死ぬわ」
ファラウェンはそっけなくそう説明してくれた。
「それじゃあ、これ以上ハルモニア達の時間を奪いたくないから私はもう行くわよ」
その言葉と共にファラウェンはもう用が無いとばかりにスタスタと歩き去っていく。
「結局ファラウェンは元に戻らなかったか」
聖女と謳われた頃のファラウェンを見ることなくこの世を去るのかと俺は少しばかり未練を覚えていると。
「なあに、安心しろ。口は悪いが中身はちゃんと元に戻っているぜ」
ソルトが安心させるかの様にニカリと笑う。
「この前もある地方で増税を課している悪領主の屋敷に天誅を下していたからな」
それは元に戻ったと表現して良いのか?
俺は首を捻っていると。
「ソルト! ハルモニアの時間が減っちゃうでしょ!」
扉の奥から雷鳴の如き鋭い叱責が飛んできたので、ソルトは一瞬飛びあがった後転がるように扉へと向かっていく。
そして出ていく直前にソルトは顔をこちらに出して。
「なあ、俺もファラウェンも未だに人間が嫌いだが、その中にもお前の様な存在がいることは認めているぜ」
「ありがとう」
俺は素直にお礼を述べることが出来た。
「意外と俺ってしぶといんだな」
もう駄目かと思っていたが、俺の体はここ最近で最も調子が良い。
今なら両足で歩くことすら出来そうな気がした。
「……失礼する」
そんなことを考えていたせいか、俺はアロウとハクアが入室したことに気付いていなかった。
「やあ、アロウ」
俺は先頭にいるアロウに手を挙げる。
アロウは亜人なのでデザイアよりまだ若く、年は70を超えているはずなのだが、見た所20代後半といった感じか。
「お前も成長したな」
「まあな」
屋敷に来た当初は生意気で世間知らずだったアロウが今では大陸5指に入る程の力量を持ち、近世において間違いなく英雄の1人に数えられる程成長した。
油断のない目つきと鍛えられた細身の体、そして常に刺すような雰囲気を放つアロウを見ると感慨深くなる。
「ところでアロウ、少し殺気を抑えてくれないか。老体の俺には少しきつい」
本人は無意識で放っていたのか、少ししまったというような表情を作った後、ふっと力を抜く。
「悪い、緊張していた」
どうやらアロウも我知らず力が入っていたらしい。
この辺りはソルトと違うか。
「逝ってしまわれるのですね」
続いてハクアが口を開く。
ハクアはファラウェンの後を継いでバーキシアン国の女王となって独立を果たし、アロウと共に国を守り栄えさせてきた。
「コウイチさんには本当にお世話になりました」
「いや、俺は何もしていないよ」
俺やマルスが後ろについていたとはいえ、凡庸な者が王なんて務まるわけがない。
それに加えてハクアはまだ10歳と幼く、経験も浅かったのだがそれでもここまで持ってこれたのはハクア自身の資質が大きいだろう。
王という重責を耐え抜いたハクアは心身ともに成長し、当初から持っていた美貌を更に輝かせ、リーダーのみが持つ覇の空気を纏わせることができた。
そしてつい最近ハクアは第一線を退いて後事を息子に任せ、自分は教育関係に精を出し始めている。
「俺から見ればお前らは遠くの方に行ってしまったな」
思い出すのはアロウとハクアがこの屋敷に来た時のこと。
無鉄砲なアロウと引っ込み思案だったハクアがまさかここまで来るとは多分ベルフェゴールさえも予想できなかっただろうな。
「コウイチがそれを言うかよ」
が、何故かアロウは冷めた目つきで俺を睥睨する。
「戦うしか能のない俺が言うのもなんだけど、コウイチほど遥か遠くに行ってしまった者は知らないぞ」
続いてハクアも。
「そうですね。当初は振り回され気質の人間だと思っていましたが、まさかここまでのことを成し遂げるなんて思いませんでした」
「おいおい……」
アロウとハクアの言葉に俺は苦笑するしかなかった。
「……なあ、コウイチ。逝くのか?」
しばらく雑談をしていた俺達だが、不意にアロウが態度を改めてそう尋ねる。
「どうして俺より先に生まれたコウイチが先に逝き、俺達はまだ生きることが出来るんだよ」
「……」
ハクアはアロウにどう答えていいのか分からないらしく、神妙な顔をしている。
さて、これは大切なことだな。
別に俺の方が年上なのだから、単に自然の摂理の一言で片付けてもいいのだが、おそらくアロウはそれで納得しないだろう。
なので俺は深呼吸を二、三度繰り返した後、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「そうだな……あえて挙げるとすれば、俺の役目は終わったからだ」
「役目ですか?」
ハクアの疑問に俺は頷いて。
「そう、俺の役目はこの大陸に蔓延る差別をなくすことだった。そしてそれが達成された今、俺はただ消えるだけの存在さ」
そして続けて。
「もし差別が何百年も続くようだったら俺は多分亜人か神人に生まれてきていたな」
60年で良かった。
60年あれば差別をなくすことが出来たから俺は人間として、17歳のままでこの世界に来たのだろう。
「「……」」
俺の言葉をアロウとハクアは理解したのかしなかったのか、何とも言えない表情を作る。
なので俺は最後にこう締め括った。
「お前達が生きているのは意味があることなのだろう。だから死なないんだよ」
「……コウイチさんは不思議な方ですね」
ハクアがポツリとそう零す。
「最期なのに、明日もあるかのような明瞭な受け答えをするんですね」
「そうなのか?」
俺は別段そんなことを意識したわけではないから、そう聞き返すとハクアは微笑んで首を縦に動かす。
「ええ、コウイチさんは変人ですよ」
ハクアは静かにそう呟いたので。
「そうか」
俺は肩を竦めてそっけなく返した。
「それでは、そろそろルクセンタールさんとギアウッドさんに代わります」
ハクアが俺の様子を見てそう答える。
まあ、確かに俺の生命力が尽きてきたのか、体が気だるく感じ始めていた。
「コウイチさん、今までありがとうございました」
ハクアはその言葉と共に立ち上がり、アロウが後ろに付き従って去ろうとする。
そして扉の外に姿が消える直前にアロウが振り向いて。
「俺、コウイチに会えて本当に良かった!」
10歳だった頃のアロウを彷彿させるような声音に俺は笑みが込み上げてくるのを抑えることが出来なかった。
「失礼します」
扉の外で待っていたのか、ルクセンタールとギアウッドは2人と入れ違いに入室してくる。
「やあルクセンタール、そしてギアウッド。相変わらず変わらないなあ」
神人からすれば60年なんてあっという間なのだろう。
ルクセンタールもギアウッドも姿形が全然変わっていなかった。
「ギアウッド、俺の亡き後この屋敷をどうする?」
俺は事務的なことを確認する。
何せ普段からずっと触れ合っていたゆえに、最後だからと言って特別に会話することが無かったからだ。
するとギアウッドは少々考えた後に口を開いて。
「この屋敷を一般公開する。亜人、人間、そして神人を1つに纏め上げた人物がどのような暮らしを送っていたのか皆に知ってもらおうと思ってな」
「何か恥ずかしいな」
自分の生活様式がこれから先不特定多数の者に見られることに対して抵抗感を覚える。
「なあ、ギアウッド。やっぱり止めないか?」
功績や足跡はともかく、生活に関してはそんなに自慢できるようなものでないため、俺は躊躇するのだが。
「コウイチ殿が反対しても、遠からず開かれるだろう。そして遅れれば遅れるほどコウイチ殿は曲がった見方をされるがそれで良いのか?」
「それも困るな」
コウイチ=タカハラは屋敷で豪華な生活を送っていたなんて残されるのはもっと嫌だな。
「まあ、それなら諦めるしかないか」
「左様か」
俺の観念した返事にギアウッドは鷹揚に頷いた後に続けて。
「そして、拙者とルクセンタールはここで案内人を務めようと考えている」
ギアウッドとルクセンタールは変わらずこの屋敷に住み込み、訪れる人々の案内を行うという。
まあ、この2人は一番屋敷での生活が長いから適任だろう。
神人は1000年以上も生きるのだから、そのような時間の使い方も良いかもしれない。
……そろそろ限界か
俺の体から力が抜けていくのが分かる。
ファラウェン曰く、こうなり始めたら後は死ぬだけらしい。
しかし、このまま2人に何も言わず逝くのは俺の矜持が許さないので、ありったけの力を込めて息を吸う。
「ルクセンタール、ギアウッド……最期まで面倒を見てくれてありがとう」
体が動かなくなってからもう1年。
何もできない老人の俺の世話をするのは2人とも大変だっただろう。
しかし、2人とも愚痴も文句も垂れず、それどころか嫌な表情1つすらしなかった。
人の目が届かない部分で働いてくれたこの2人には頭を下げるしかない。
「コウイチ殿が気にするほどではあるまい」
「そうですよ、私達が望んでお世話をしていたのですから」
……俺は本当に良い人達と出会えたな。
2人の返事を聞いた俺は目に熱いものが浮かぶのを止められなかった。
「ベルによろしくね」
最期は1人で迎えた方が良いだろう。
俺がそう望んだことによって2人が去ろうとする間際にルクセンタールが口を開く。
「ベルって何考えているか分からないお調子者だったけど、私の大切な親友よ」
ルクセンタールとベルフェゴールは2人でいる時が多かったからな。
ベルフェゴールが亡くなった時、おそらく最も悲しんでいたのはルクセンタールだっただろう。あの時は悲嘆にくれる俺達を柔らかい笑顔で励ましてくれていたが、その裏ではどんなに嘆き悲しんでいたのかはギアウッドと本人しか分からない。
「ああ、分かった」
なので俺は承知したとばかりに力強く頷くと、ルクセンタールは自然な笑みを浮かべる。
「コウイチさんのことはずっと語り継いでいくわ」
ルクセンタールの言葉に俺は渾身の力を込めて頷いた。
「……ふう」
誰もいない中、俺は大きくため息を吐いた。
「これまで良くやったよな」
俺は初めて自分の頭を撫でて褒め称えたい衝動に襲われた。
「けどなあ、腕がもう動かないんだよな」
すでに手足は俺の言うことを聞かない。
「よく頑張った、俺」
なので俺はそう呟くことで納得させ、自分の1人芝居に笑おうとした瞬間。
「……何言ってんのよ?」
「え?」
そこにいないはずの人物――ショコラが呆れ調子で呟いていた。
「混乱する暇があるのなら早く行きましょう」
ショコラがそう言って手を差し出す。
今更ながらに気付いたが、ショコラは純白のウェディングドレスを着ており、周りもこの世界には無いはずの教会の景色だ。
そして極め付きなのがよぼよぼの老人としてベッドに寝ていたはずの俺が、今は白いタキシードに身を包み、自分の両手も18歳の頃の艶具合だ。
「一体ここはどこだ?」
突然の出来事で混乱する俺の問いにショコラはますます呆れ調子を高める。
「どこって……私達の結婚式でしょ? 見れば分かるでしょ」
ショコラの様子からは嘘を言ってるようには見えない。
「ああ、そうか」
俺はこの突然の出来事について納得した、が。
「んもう、考察は後でいいから早く始めましょうよ」
甲高く、しかし懐かしい声音によって俺の思考は打ち切られ、何だとばかりに俺がそちらに目を向けると
「……何をしているベルフェゴール?」
俺がジト目を向けた先にいるのは神父役がベルフェゴールがだったからだ。
「何って、失礼しちゃうわねえ」
ベルフェゴールは生前と全く変わらずオーバーリアクションでヨヨヨと泣く。
「ううう、せっかくおめかししたのに、そんなことを言われちゃうなんて悲しいわあ」
よく見るとベルフェゴールは神父の服装を基調に金銀煌びやかにコーディネートしている。
これは素でやっているのか?
俺はそんな疑問が脳裏に渦巻いた。
「コウイチ、少しはショコラちゃんの意をくみ取りなさい」
ベルフェゴールは俺に説教を始める。
「ショコラちゃんはね、ずっとここでコウイチを見ていたのよ」
「ちょっ! ベルフェゴール!?」
ショコラが慌てるもベルフェゴールは止めない。
「60年間ずっと、コウイチの姿を見守るだけ……何が起ころうとも静かに見続けたショコラちゃんの様子にお姉さん胸に熱いものが込み上げていたわ」
「うう~」
ショコラは顔を真っ赤にしてベルフェゴールを睨みつける。
「ふんっ! あんたなんてずっとダグラスを待っていなさい!」
ショコラの拗ねた物言いにベルフェゴールは「うーん、やっぱり可愛いわねえ」と笑った。
「とにかく、早く行くわよ」
ショコラは照れ隠しとばかりに俺の左手を取って引っ張っていく。
俺とショコラ、そしてベルフェゴールの3人しかいない教会で、ヴァージンロードを歩く俺とショコラ。
「ショコラ、俺はやったぞ」
イースペリア大陸を1つにまとめ、差別を撤廃することが出来た。
「ええ、知っているわ」
全て知っていると言わんばかりにショコラが答える。
「ショコラの遺言を守り切った」
悪魔の甘言に心を惑わされず、第二のダグラスにならなかった。
「ええ、ありがとう」
ショコラは安心したように俺の腕に寄り添う。
「俺はショコラだけを愛していた」
生涯純潔を貫き通し、誰とも関係を持たなかった。
「命拾いしたわね」
「……」
最後の言葉が真に入りすぎて冷や汗をかいたのは内緒だ。
そしてベルフェゴールの前に立つ2人。
さすがのベルフェゴールも厳かな口調で話し始めた。
「汝コウイチ=タカハラは、このショコラ=シュガーレスを妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「誓います」
俺がハッキリと答えるとベルフェゴールは満足そうに少し頷いた後にショコラに向かって。
「汝ショコラ=シュガーレスは、このコウイチ=タカハラを夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「誓います」
ベルフェゴールの問いにショコラは俺と同じくそう宣誓した
「では、ここに誓いとなる口付けを」
その言葉によって俺とショコラは相対する。
「待たせてごめんな」
俺はショコラの顔に被っているウェディングベールを上げながらそう呟くと。
「ええ、とても長かったわ」
ショコラの隠しもしない本音に俺は苦笑せざるを得なかった。
「けどね、コウイチ。私こそありがとう、私達は死に別れてしまったにも拘らず、コウイチはまた私に会えると信じ続けたことに」
「辛くないと言えば嘘になる」
言葉では言い表せないほど苦難の60年だった。
バサラのような諌言を囁く者に耳を傾けそうになった時もあった。
「しかし、その苦しみはたった今報われる」
こうしてまたショコラに会えた。
その事実が今までの艱難辛苦を露のように薄れさせる。
ショコラは満面の笑みを浮かべて。
「だから、お礼に」
目を閉じるショコラ。
これは俺からやれということだろう。
「ショコラ……ありがとう」
俺はショコラの顔にゆっくりと顔を近づけて--
全てが光に包まれた。
この瞬間。
イースペリア大陸に住む亜人、人間、そして神人関係なく全ての者が何となく空を見上げる。
別段理由など無いが、そうしなければならないと皆が感じていた。
彼らは空から一筋の流れ星が落ちるのを確認できたという。
その当時、人々は気のせいだったかと首を傾げたが、翌日にその真意を悟った。
コウイチ=エクアリオン=タカハラ
享年78
現在LUCK +999999
これで本作「LUCK -9999」は完結です。
この作品、執筆した時期が時期でしたので私にとっては感慨深い作品です。
……今更ですが卒研に追われている中でよく執筆できたなあと自分に呆れてみたり。
大学生活において最も苦しい時期に書いたものなので、読者様から見れば満足がいっていないかもしれませんが、作者の私が読み返すと当時の状況がまざまざと思い起こされて涙が出てくることもしばしば。
一言で述べると修羅場でしたね、あれは。
感想・意見などをお待ちしております。
最期になりましたが、本作を最後までお読み下さり本当にありがとうございました。