11話 決断
世界は回り続ける。
何が起ころうとも世界は変わらない。
世界は止まった者のことなど考えない。
ただ、置き去りにして世界は変わらず回り続ける。
ショコラを失ったエクアリオン共和国はそれはもう火が消えたようだった。
つい最近までは亜人解放によって沸いていたはずなのに今では国全体が沈黙している。
だから俺が立ち上がるしかなかった。
例え虚無と絶望によってこの心身を蝕まれようとも俺は膝をついてはならない。
象徴的存在だったショコラが死に、軍政の総責任者であるマルスが失脚した今。
エクアリオン共和国議長であるこの俺しか事態を打開する術を持つ者はいなかった。
「――後はよろしく頼む」
屋敷にある会議室で一通り謁見を終えた俺は隣に控えているマルスに問いかけると。
「ああ、分かった」
俺の指示に反応したマルスは殊勝な態度でそう返事を返した。
あのショコラ暗殺事件の総責任者であるマルスの信頼は地に落ちてしまった。
長い時を掛け、リーメンダーク国から築き上げていた実績はその一件によって全てがふいとなり、自身がクオーターであることなど潜在的な不満が一斉に噴き出したのでマルスは首相の座を降りることを余儀なくされてしまった。
「マルスに対して抗議の声を上げる者がいるのなら俺に知らせろ。その者とマルスの3人で直談判を行う」
が、たださえ戦争直後であり国全体が疲弊している中でマルスを失うことがどれだけの影響を及ぼすか。
ベルフェゴールのためにもエクアリオン共和国の崩壊を避けるために、苦肉の策としてマルスを外に出られない俺の名代に任命した。
幸か不幸か、花嫁を失った俺がそう決断したことによって国民からは一定の理解を得られている。
「済まぬな、コウイ――」
「終わったことを悔やまないでくれ」
もう何度目になるか分からないぐらい懺悔の言葉を口にしようとしたマルスを押し止める。
「あれは止められない事故だった。例え誰であろうとショコラは守れなかったと思う」
ショコラの命を奪ったあの毒矢。
強力な呪いと未知の毒物によって作られた代物だったので強力な治癒師が何人いようと解毒は不可能だったという結論が出ている。
犯人はその場で取り押さえられ、帝国の臣民だということが判明していたが、その毒物は個人で手に入る物じゃない。
必ず裏に大きな組織があると踏んでいた。
「失礼します」
その時、ドアが4回ノックされてガチャリと開き、緊張した面持ちのデザイアが入室してくる。
「ファラウェン将軍からの伝達です。先程有力な手掛かりを知っている疑いを持つ者が名乗り出ましたので、30分後に謁見を申し出ております」
「そうか……」
俺は1つため息を吐いて相槌を打つ。
責任を問われたのはマルスだけでない。
デザイアも責を問われ、将軍職を降りる羽目となった。
しかし、デザイアの代わりを務められる人材は今のところいなかったので、代替案としてファラウェンに将軍に復職するよう打診した。
「まあ、仕方ないわね」
ファラウェンは当初難色を示したものの、俺の必死の懇願が功を奏したのかハクアの口添えもあって期間限定で将軍職を引き受けてくれた。
デザイアは己の不甲斐無さゆえに自害しようとしたが俺とマルスはそれを思い留まらせる。
そして副将軍であるソルトの名代の立場に任命し、ソルトの代わりに軍隊を指揮することによって失った信頼を取り戻させている途中だった。
「なんかあのお嬢さんの指揮は鬼気迫るものがあるぜ」
と、ソルトがそう評する通りデザイアは贖罪として獅子奮迅ともいえる活躍を見せていた。
今、ここで佇んでいるデザイアの立ち姿を見ても以前とは比べもにならないほど筋が通っているように見える。
マルスとデザイアと俺。
この空間で沈黙を保っていると空気がどんどん悪くなってしまうので俺は口を開ける。
「……そろそろ結婚すればどうだ?」
俺は2人に問う。
「お前らが俺に遠慮してそういう話を控えているのは分かっている。けどな、俺は2人が幸せになることを歓迎しているから遠慮などする必要が無いぞ」
「その提案はありがたいが、余とデザイアは受け入れることが出来ん」
代表してマルスが少し声のトーンを落としながら答える。
「ショコラ殿を守れなかった余とデザイアが婚姻など結んでみろ、国民は決して余達を許さんぞ」
デザイアはマルスの言葉を聞きながら唇をぎゅっと噛み締めて俯いていた。
「コウイチ殿、これはもう2人で話し合ったことじゃが余らは契りを結ぶことなど金輪際あ――」
「それは違う」
マルスがデザイアと共にいることはありえないと言おうとしたので俺は制止する。
「もしマルスが今回の出来事で負い目を感じているならば、なおさら結ばれるべきだ。俺とショコラの分まで幸せになることこそが最大の贖罪になる」
贖罪は確かに大事だが、マルスのやり方は間違っている。
贖罪とは幸せにならないことではなく、その罪を背負って精一杯生きていくことをさすんだ。
「少なくとも俺は2人の結婚に賛成だ」
俺は繰り返す。
「そうやって負い目を感じながら生き続け、いつか離れ離れになった時に後悔するような真似だけは止めてくれ」
後悔した時にはすでに遅い。
こんな結果になるのであれば俺はもっとショコラを大事に扱い、長く濃く接し続けていただろう。
知らず、俺は涙が溢れる。
「頼むから……俺とショコラの様な結末だけは止めてくれ」
「「……」」
俺の言っていることを理解したのかしていないのか。
マルスとデザイアは俺の言葉を無表情の沈黙で答えた。
しばらくするとギアウッドやルクセンタール、アロウやハクアに加えてソルトやファラウェンを含む多数の文武官が会議室に集まる。
「今回の証言者を連れて参りました。元神聖ガルザーク帝国首相――バサラ=メルディアス=コンクルードです」
呼ばれて出てきたバサラは以前と比べてみすぼらしくなっている。
まあそうだろう。
何せ此度の戦争において残った最重要参考人だ。
必然的に取り調べも過酷となり、今回の招致も半年間訴え続けてようやく実現したほどだったのである。
「今回は私を招致して下さり誠にありがとうございます」
「前口上はいいから早く用件を伝えろ」
バサラは前と変わらぬ人懐っこい笑みを浮かべながら語り出そうとしたので俺は先手を打って止めた。
「はい、分かりました。しかし、話す前に知っておかねばならない事前知識がいくつかあるのですが、それから話してもよろしいでしょうか?」
まあ、良いだろう。
それぐらいなら俺も許せる。
周りを見渡すと皆も肯定していたので俺は許可をした。
「ありがとうございます。さて、それではまずこの世界の成り立ちからお話しましょう」
「それは知っている。神人と人間そして亜人の3種の知的生命体がいるということだろう」
「はい、その通りです。ですが、神人についてコウイチ様は深く知っておいでですか?」
そう問われて俺は首を傾げる。確かにショコラやベルフェゴールからは触りだけで終わった覚えがある。
「これは推測の域を出ませんが、神人というのはこの大陸をコントロールしているのですよ」
「どういうことだ?」
「その言葉の意味通りです。神人はイースペリア大陸のパワーバランスを司っています。具体的には国同士の戦争を誘発させたり、干ばつや自然災害を引き起こしたりして均衡が崩れないよう調整しています」
バサラは重ねて。
「変だと思いませんでしたか? どうして亜人や人間の国々が100年単位で滅ぶにも拘らず神人達の国は永遠に存在しているのか。それは神人達が自分達の脅威になりそうな国や人物が現れたら謀殺しているからですよ」
「つまりこのイースペリア大陸で起こっている戦争の大半は神人が関係していると?」
俺が確認を取るとバサラは我が意を得たとばかりに頷いた。
「さて、次は魔族とベルフェゴールの関係について論じましょう」
バサラは言う。
「魔族の役割は国同士の諍いを誘発することです。そして帝国は前皇帝が敷いた善政によって国力が増していました。そしてそれに危機感を持った神人達が魔族であるベルフェゴールで誑かしに向かったわけです」
しかし、そこでアクシデントが起きた。
「ベルフェゴールは己の領分を顧みずに前皇帝を愛してしまったのですよ。そしてその結果生まれたのがダグラス。そこまでは良いですか?」
俺が頷くとバサラは続けて。
「このままだと帝国は大きな脅威となる。ならどうすればいいか。答えは簡単、ダグラスに亜人撲滅を掲げさせて帝国を疲弊させればよろしいのです」
「具体的にはどうやって」
「なあに、簡単なことですよ。魔族の中にはベルフェゴールよりも格上の幻術使いがいるのです。そしてベルフェゴールが幼いダグラス陛下から目を離した隙に催眠をかければ、最初はともかく大きくなれば必ず効果が表れます」
「いつ催眠を掛けたと考える?」
「おそらく前皇帝の死前後でしょう。前皇帝を暗殺する際にダグラス陛下に催眠をかければ疑われなくて済みます」
「なるほどな。それがダグラスが亜人撲滅を掲げた理由か」
俺は1つ嘆息を吐くと。
「前置きが長くなりましたね。さて、ここからが本題です。神人の目的は脅威となる国の排除。そして、現在イースペリア大陸において神人と戦えるほどの武力をもった国はこのエクアリオン共和国にしかありません」
ニコニコとバサラは嗤う。
「聞いた話によるとショコラ様を亡き者としたあの毒矢は我々の知識では知りえないものです。しかし、神人は違う。悠久の時を生き、謀略を繰り返してきた神人ならあの毒矢を作ることなど容易でしょう」
バサラは指をクルクルと回しながら。
「コウイチ様とショコラ様が再起不能となり、マルス様も失脚してしまったエクアリオン共和国はどうなるのか。それは火を見るより明らかでしょう」
最後にこう締め括った。
「コウイチ様、私は此度の事件を神人達による謀略だと発表することを進言します。合わせてダグラス陛下の生い立ちも加えれば人間達の支持も得られ、憎き神人を撲滅することが出来ます」
沈黙が辺りを包む。
ふと周りを見渡すと明確な否定を持っている者もいるがそれはあくまで少数派で、大多数は迷っている者や賛同を示す者だった。
さて、どうするか。
この場の反応を見る限り打倒神人の空気が渦巻いているのだが、俺はイマイチそれに乗ることが出来ない。
もちろんショコラを亡き者とした奴は憎い。
だが、果たしてそれが真実なのかと理性が警告を発しているのだ。
バサラの話は筋が通り過ぎているがゆえに素直に信じることが出来なかった。
「……だがなあ」
この場で俺一人が異を唱えた所で誰も受け入れられない。
むしろ腰抜け王と非難されて最悪この場を追われてしまうだろう。
「失敗したな」
バサラが出来るだけ多くの者の前で話したいと進言したことを深く考えるべきだった。
見るとバサラは上手くいったとばかりに笑んでいる。
こうなればバサラに罪を問うわけにいかず、何かしら恩赦を与えなければならないだろう。
己の迂闊さを呪いながら俺は口を開こうとしたその瞬間。
「――ふざけるな!!」
ギアウッドの天をも揺るがす大音量が屋敷中に響き渡った。
辺りの喧騒がピタリと止み、ギアウッドに視線が集まる。
「先ほどから黙って聞いていれば、よくもそこまで拙者達を侮辱出来るものだ!」
怒髪天を突くとはこのことだろう。
普段寡黙なギアウッドが怒るからこそその恐怖は比べ物にならない。
「我らは誇り高き神人だ! 決してそのような卑劣な真似はせん!」
「まあ、あなた達下っ端はそのお考えかと思いますが、上の方はどうでしょう。長老クラスの方々はどんな意見を持っているのでしょうね」
ギアウッドの怒声にバサラは怯んだものの、すぐに気を取り直して冷静に指摘する。
「もちろん私は神人全体が大陸をコントロールしているとは考えていませんよ。何せ人間も親亜人と反亜人と別れているので」
「いえ、長老方であってもその考えは持っていません」
今度はルクセンタールが語り始める。
「遥かな昔、伝承にしか残されていないほどの時代において『天使』と呼ばれる神人がおりました。その種族は我ら神人の雛型とされ、巨大化や幻術など神人が持つ能力を全て扱えましたが滅びました。何故なら、天使はこの大陸に生きる全ての者を支配下に置いていたからです」
ルクセンタールは続ける。
「天使はバサラ殿が仰る通りの方針を取ったがゆえに反乱を起こされて滅亡しました。我ら神人はその教訓を戒めとして口伝で伝えられています」
「その根拠を見せることはできるか?」
俺の問いかけにルクセンタールは頷いて。
「コウイチ殿が望むのなら天使の残骸とされる化石を国から取り寄せましょう」
「……そうか」
と、ここで俺は深く、そして重く息を吐く。
皆の注目が俺の集中しているのを感じながら俺はゆっくりと口を開いた。
「バサラ、お前は嘘をついていないと言ったな?」
俺の確認にバサラは頷く。
「なるほどな……なら、1つ問おう。ベルフェゴールを帝国に招き入れ、そしてダグラスを誑かしたのはお前じゃないのか?」
「――っ!」
一瞬バサラの顔が硬直したのを俺は見逃さない。
「バサラ=メルディアス=コンクルード――お前は騒乱を好む魔族ではないのか?」
人間にも親亜人と反亜人がいるように神人においても急進派と穏健派がいる。
ドラクロワやルクセンタールそしてギアウッドが穏健派ならベルフェゴールなどは急進派なのだろう。
そう考えると辻褄が合う。
神人や亜人を一括りにして考えているのなら絶対に思い付かないな。
「……ハハハ、何を馬鹿なことを。私が魔族? そんなことはありえませんよ」
バサラは渇いた笑い声でそう否定するが、故に俺はますますその確信を深める。
なので俺は声を張り上げて。
「さて、今日の謁見はここまでだ。バサラの処分は追って通知する。以上、解散!」
バサラがまだ何か喚いていたが猿轡を噛まされて退場していった。
「兄ちゃん、凄いな」
見知った顔の面々だけ残った会議室でアロウが呟く。
「あいつが魔族なんて俺には思い付かなかった。兄ちゃん、どうやって見破ったんだ?」
「そうです、私も聞きたいです」
アロウとハクアが好奇の目線を向けてきたので俺は肩を竦めながら。
「ああ、それは嘘だ」
「「は?」」
2人の目が点となっているにも拘らず俺は続けて。
「バサラが魔族か人間かなんて俺に見破られるはずがないだろう。俺の目的は場の空気を反戦に導くことだったから、話題を逸らすためにハッタリをかましてみると意外なものが釣れた」
全員が俺の言葉に唖然としている中でルクセンタールがポツリと呟く。
「……ベルも喜んでいるでしょう」
ルクセンタールは優しげな笑みを浮かべながら。
「ベルとショコラ。そして今回の戦争で散った多くの命を無駄にしないために下した決断に私は敬服しました」
「そうか、ありがとう」
ルクセンタールの言葉に俺1つ頷いた。
「コウイチ殿……そなたは何者じゃ?」
対照的にマルスは恐怖の感情を浮かべている。
「愛する者を殺された者なら、普通バサラの示した筋道に乗ってしまうだろう。そうにも関わらずそなたは見事に回避した。そなたはショコラ殿を愛してはおらんかったのか?」
そんなマルスの問いかけに俺は肩を竦め。
「さあ、自分でも分からないな」
そして顔に笑みを浮かべながら。
「もしかすると、俺は人間じゃないのかもな」
と、答えておいた。
やはり自分にダークサイドは無理だということを痛感しました。