6話 戦う者
今回は視点が3回ぐらい変わります。
場所はバイリア平原――陣の後方に位置する高台付近。
エクアリオン共和国と神聖ガルザーク帝国のちょうど中間にあるこの場所には現在130万という空前絶後の兵が集結しておるわ。
さすがのドラクロワも表情を硬くしていたことから如何にこの戦いが特別で、ベルフェゴールの落ち着きぶりが異常なのか分かるものよ。
「マルス陛下! 御身を命に代えてもお守りいたします!」
「そんなに気負わなくともよかろう」
余――マルスは思考を中断し、体中の気を逆立てて絶叫するデザイアをそう鎮める。
デザイアは瞳孔も限界まで開いているゆえに相当緊張しているのだろう。
「デザイアよ、そなたはもう少し落ち着くと良い。見ろ、周りはそなたが気を張っているがゆえにピリピリしておるわ」
そう諭してようやくデザイアが辺りを見回してくれおったわ。
「あ……」
デザイアが呆気に取られる声を出してしまうほどに周りの兵はガチガチに硬直しておる。
これでは普段の力の半分も発揮できんじゃろう。
「良いか、余らはここを持ち堪えねばならんのじゃ。常に周りの戦況を把握し、ソルト殿達がダグラスの陣に食い込むまでの間、守り続けるのが余の役目よ」
守備に必要なのは殺意や闘志でなく、冷静と協調性じゃ。
余らの役目は戦線を維持することじゃ。
後はソルト殿やショコラ殿が何とかしてくれる。
「だからの、我を忘れず自然体で対応してくれれば良いのじゃ」
「――っは!」
余の言葉にデザイアは感極まったのかひれ伏して威勢良く返事をしおった。
「それにしても、陛下は動じませんね」
落ち着いてきよったのかデザイアがそう尋ねて来る。
「どうすれば陛下の様な不動の心を手に入れることが出来るのですか?」
デザイアの言葉に余は苦笑しながら。
「別に特別なことをしておらん。強いてあげるなら余は日々を必死で過ごしておったからな」
デザイアはその言葉だけでは足りなかったようなので余は続けて。
「余にとっては毎日が死闘の連続であったがゆえな。やれやれ、頭の固い頑固爺殿相手に亜人擁護の法律を通すのはそれは苦労したわ」
それは筆舌にし難い日々。
海千山千の怪物達は思いもよらぬところで罠を張って一言一句の失言を待ち構えておった。
そんな奴らと戦い、ここまで来れたのはデザイアの功績によるものだと考えておる。
「? 何か私の顔についていますか?」
「いや、何もついておらんぞ」
「そうですか」
デザイアが首を捻る様子を見ながら余は心の中で微笑む。
デザイアがいてくれて良かった。
彼女がおらんかったらクーデターなど2、3回は起きていた自信がある。
そして余はバイリア平原をもう一度見渡す。
ここからでは良く見えぬが、ソルト殿やファラウェン殿、ベルフェゴールやショコラ殿もおる。
そしてコウイチ殿も含め、彼らは余と心を同じくこの忌々しい大陸の常識を変えようと足掻いておる。
ベルフェゴールも申しておったがこの戦、決して楽に勝てない。
むしろ負けてしまう可能性の方が高いのじゃが不思議と余は高揚感に包まれておる。
あと少し。
この戦いに勝てば余の悲願だった差別を撤廃できる。
「しかし、まあ……」
前の余ならせいぜい一国、しかも数十年かかっても僅かにしか進まなかった状況がここにきて一気に動きおった。
どうしてこんなに進んだのか余はしばし考え、そして気付く。
前と今の大きな違い。
それはベルフェゴールやコウイチ殿達の存在であろう。
全く。
大事を為すために必要なのは王などの地位や権力でなく、目的のためには命すら投げ出す覚悟を持つ仲間だったのじゃろうな。
余はここに至ってその事実に気付き、1人笑った。
――前線付近。
「落ち着けよ、ファラウェン」
俺――ソルトは気色ばる亡国の王女様相手にそう繰り返す。
「確かに憎いものは憎い。だがな、それも時と場所を見失うと出来ることもできなくなっちまうぞ」
俺は懇切丁寧に忠告するのだが。
「ふん、説教なんて聞き飽きたわよ」
困ったことに王女様は全然聞く耳を持とうとしなかった。
おいおい。
これじゃあ敵の思う壺だぜ。
敵からすればこの王女様以上に組み易い敵はいないだろうな。
が、それでも王女様をたてるにはその欠点を補って余りある物がある。
何故なら、この王女様から溢れる黒い炎によって俺達攻撃部隊は死を恐れずに敵に突っ込むことが出来るからな。
特にファラウェンが常日頃から接してきた兵達は全員瞳が逝っちまってるし。
これなら例え生還できない死地でも彼らは喜んで突っ込んでくれるだろう。
まあ、俺には彼らを育てることは無理だな。
何せ俺は生還を第一に考えるから、こんな死兵など絶対に作ることが出来ねえしな。
「……帝国め……楽に死ねるとは思わないで……」
歯軋りしながらそう呟く様子に俺はため息しか出て来ねえ。
純白の翼と雪のように白い肌に映える金色の髪による美しさゆえにその黒い感情が余計に際立っていやがる。
「……勿体ねえなあ」
俺が思わず顔を抑えたのは仕方のないことだろうな。
「おい、ファラウェン。少しは落ち着け」
が、それを黙って見ていたら俺は職務放棄になっちまう。
「お前は将軍だろうが。そして将軍が我を見失ったら軍は負けるぞ」
名目上、この軍の最高責任者は復讐に囚われた王女様ということになっていやがる。
まあ、指揮系統は軍の上に立つマルスに委ねられているから、実際は軍の象徴的存在というところか。
「もっと冷静になれ。お前も犬死は御免だろう」
俺はそう諭すと、王女様はグルリと首をこちらに向けながら。
「あら、相変わらずあなたは私に意見出来るのね」
興味深そうにしげしげと見つめてくる様子に俺は「何を呑気な」とうんざりする。
「だってお前と平静に話せるのは俺ぐらいなものだろう」
国をハクアに任せた王女様はその狂気にますます磨きが掛かり、ついには俺以外の誰も目を合わせて語ることが出来なくなった。
「アハハ、そのそっけない様子。だから私はソルトが大好きよ」
そして何故か俺はこの狂った王女様に気に入られてしまったのもあって、俺は小間使いなことをやっている。
俺としてはこんな面倒な女なんて御免なんだがな。
全く。
冷淡なショコラといい、粘着質なファラウェンといい、どうして俺の周りにいる女はこうも厄介なのか。
「……勘弁してくれよ」
俺は額に手を抑えてそうぼやいた。
――中陣付近
「壮観ね」
私――ショコラが思わずそう呟いても仕方のないことだと思う。
「あらあら、さすがのショコラちゃんでも緊張しているの?」
「……あんたは本当に動じないのね」
ベルフェゴールのおどけた物言いに私は呆れを通り越して感心してしまったわ。
私達がいる場所は陣の中央。
つまりソルト達が切り開いてくれた道を通ってダグラスの息の根を止めるのが私達の役目よ。
これは相当危険な任務で、生還率はソルト達の部隊ほどではないにしろ低い。
そうにも拘らず、何故ベルフェゴールがここにいるのかしら。
ベルフェゴールは参謀なのだから後方で指示を出すのが適任なのに。
私はそんな疑念が頭をよぎるのだけど、それ以上に戦場外でちらほら見える神人の影が気になる。
しかも彼らは呑気にお弁当を広げてピクニック気分だわ。
「何か見世物みたいで嫌よね」
「まあ、神人達からすればこれは久しぶりの大きな舞台なのよ。そりゃあ国を抜け出して観戦しに来るわ」
私が不機嫌に鼻を鳴らすとベルフェゴールがそう諌めてくれる。
「彼らが手伝ってくれれば良いのに」
「それは無理よ。何せあの協定で神人の介入は不可能なのだから」
「それは私達に限ってでしょう。神人は破ったところで誰にも咎められないのだから構わないと思うけど」
「うーん、ショコラちゃん。神人は何よりも名誉を重んじる。だから約束は守るわよ」
そういえば神人は無駄に長く生きているから形式などに拘っていたわね。
ベルフェゴールがあまりにも実を取りきるので、すっかり忘れていたわ。
「とてつもなく面白いショーを見に来る感覚を見せられながら言われてもねえ」
「ウフフ、神人達は娯楽に飢えているということで納得してくれないかしら」
「……やる気が削がれる様なことを言ってくれるわね」
思わずそうぼやいてしまったのは仕方のないことだと思う。
「ああ、ショコラちゃん。ちょっと待って」
私は身を翻して持ち場に戻ろうとした時にベルフェゴールからそう声をかけられる。
「ショコラちゃん、その格好で配置に着くの?」
何を当たり前なことを。
私は屋敷で着ている使用人のスカートをヒラヒラさせながら答える。
この格好、私も気に入っていると同時に着ると皆の士気が上がるのよ。
「兵の士気は上がることだからずっと着ているけど、何か変?」
私は首を傾げてそう尋ねると、ベルフェゴールは首を捻りながら。
「違うのよ、ちょっと策のためにやってほしいことがあるから耳を貸して」
一体どうしたのかしら。
けど、ベルフェゴールだから良い策なのでしょうね。
だから私は何の警戒も無くベルフェゴールに近づくと。
「……ごめんね、ショコラちゃん」
「え?」
ベルフェゴールがそう呟くと同時に私の意識は闇に堕ちていったわ。
ベルフェゴールが何の意図があるのかは後のお楽しみということで。