9話 マルスの苦悩
亜人というのはこの大陸で下に置かれており、よほど優れた能力を持っていない限りは人並みの生活を送ることはかなわず、大抵の亜人は奴隷もしくは辺境の地へと追いやられておる。
亜人も権利など無きに等しいが、半亜人はそれより酷い。
一般的に半亜人は抑圧された亜人達の不満や鬱屈の解消道具と認知されておるのだ。
そのあまりの境遇ゆえに半亜人というのは生まれた直後に殺してやるのが慈悲である。それはつまり半亜人は辛く苦しい生き方しか出来なかった。
コウイチ殿ならともかく、ベルフェゴールはその事実を知らぬわけがあるまい。
下手をすればエクアリオン共和国は分裂してしまうぞ。
「……それはできん」
ベルフェゴールの提案に乗るわけにはいかぬ。
亡国の危険性がある選択肢など取るわけにはいかぬのだ。
「ふーん、マルスちゃん。あなたはこの国と帝国の現状をわかっておいで?」
ベルフェゴールは何が楽しいのかニコニコと笑いながら訪ねてきよったので、余は語気を強めながら。
「軍事面は語るに及ばずだが、それ以上に政治面の差が大きすぎる。これを早急に改善せんと余らは戦わずして負けてしまう」
軍事面においては内乱直後なので致し方ないにしても、政治はちとまずい。
帝国のグエン宰相が打ち出した亜人撲滅宣言はコウイチ殿達の革命もあいまって諸国に受け入れられる風潮が見られておる。
その宣言に疑問符を持つ者がこの国に集まってきよるのもあるが、焼け石に水程度でしかない。
今のところ静観を保っておる国が多数あるが、手をこまねいておるとそれらの国が帝国へなびいてしまうであろう。
「マルスちゃん、この芳しくない状況を打開にするにはどのような手を打てば良いと思う?」
「人間達の利益を確保することを約束しつつ、亜人達の開放を訴え続けることじゃ」
余は胸を張ってそう宣言するが正直な話、手詰まり感が否めん。
エクアリオン共和国の建国当初からそれを掲げ、当初は概ね好意的な反応だったが最近は失速気味じゃ。
「成果が芳しくないのは、周りの諸国はエクアリオン共和国と帝国の戦いという国家間の争い程度にしか見ていないからよ」
ベルフェゴールは長い人差し指を立てて滔々と説明する。
「この国の形式トップには人間のコウイチ、そして実権も人間のマルスちゃんが握っているので諸国からすると少々亜人の待遇が良くなったな程度でしか認知されていない」
「断っておくが、その選択は間違っていないと言えるであろう。なぜなら、そうすることによって諸国からの無用な摩擦が起こらなかったのじゃからな」
亜人達の反乱が起こっている地域にソルト殿率いる特殊部隊が支援しておるが、それは国が認めておらん非公式な部隊ゆえに諸国からの反発を買っておらん。何せ今回の革命もソルト殿の率いる部隊は他国から反乱の気配があったがゆえにこの国を支援しに来た傭兵団と思われておるからな。
「そうね、私も間違っていないと言えるわ。ただ、もうそろそろ次の段階に進んでも良いと思うのよ」
「それが余のクオーター公表か?」
余の問いにベルフェゴールは満足げに頷く。
「そう。リーメンダーク国時代から亜人開放の政策を推し進め、さらにエクアリオン共和国の首相となってからも変わらずに政策を断行した理由は、実は自分がクオーターだったから……このストーリーが人々の中で描かれることによって私達の理想が共感を呼び、静観を決め込んでいた国々が一気に動き出すわ」
ベルフェゴールが得意満面に語るが、余は残念ながら賛同することができん。
「中立派の国が余達のほうへ流れてくるとは思わん。逆に穢れた者として余は非難されて帝国に付き、そしてエクアリオン共和国は内部分裂によって終わる」
余が恐れているのはその最悪のシナリオが容易に思い浮かぶから。こんな危ない橋を渡らなくとも、最強の矛であるファラウェン殿がいれば善戦できるのではないかと思う。
「だからどうして最悪な未来を想像するの? この大陸を見て回った私からすれば、世間の風潮は亜人撲滅を掲げる帝国よりも、自分がクオーターだということを公表して差別されてきた者を救うと標榜している私達の方に味方をしたいというのが多数よ」
確かに余は狭い王宮で、各国の上流階級の人々しか会っておらんから市井の人々の考えなど知らんだろう。
余よりも遥かに見識が深く、頭も回るベルフェゴールが言うからにはその予想は当たっている可能性が高い。
いうなれば余のクオーター公表は国の命運をかけた大博打。
失敗すればこの国は滅びるが、もし成功すれば余達の国は正義を掲げる国と認識され、勝ちの目も見える以上にこれから先の歴史において名を連ねることになるだろう。
……が。
「すまぬ、それだけは認めるわけにはいかんのだ」
25年間隠してきた己の出自。
それを嗅ぎ付ける者が現れたら、最悪殺してまで口を封じていた秘密を解き放つことに余は相当な恐怖感を覚える。
否定されたらどうなるのか。
かつて余を信じてくれた者が手のひらを返すような態度を取ってくるのであろうか。
「あらあら、それにしては迷っているわね」
「っ!」
ベルフェゴールの言葉通り、余は迷っておる。
余の中の感情の部分が叫んでおる。
発表しろと。
今、この時において宣言する機会は他にないと。
そして、愛する母の存在を世間に認めさせろと暴れまわっておった。
「まあ、これ以上私から言うことはないわね」
いつのまにかベルフェゴールはアップルパイを食べ終えており、食器を持って立ち上がる。
「どこに行こうというのじゃ?」
反射的にそう聞いてしまったのじゃが、言ってしまった後に元凶を引き留めてしまった羞恥心が残る。
するとベルフェゴールはフフフと笑って。
「なに、これから先は私などお邪魔でしょうから2人でゆっくりと話し合って欲しいと思ってね」
「な!?」
今の余達の会話を聞いていた不届き者がいたのか。
「誤解しないでねマルスちゃん。彼女には私が盗み聞きするよう予め指示を出していたから、非は私にあるわ」
此奴は本当に悪魔じゃな。
この国においてベルフェゴールに処罰はおろか抗議すらできる者などおらんというのに。
「それじゃあ私はもう行くわ。それじゃあマルスちゃんをよろしくね……デザイアちゃん」
「なに!?」
今度こそ血相を変えて扉の方を向くと。
「……マルス様」
そこには普段の凛とした態度と遠く離れ、不安と驚愕に瞳を揺らしているデザイアが佇んでおった。
次もなるべく早いうちに投稿します。
多分次は短いです。