5話 交渉決裂
今回と次回もハクア視点です。
変更点 『姉さん』を『お姉様』に変更しました。
「さて。そこのお前、もう一度あの戯言を聞かせてもらいましょうか」
コウイチさんが席を外すと同時にねっとりとした声音でお姉様はアロウに問います。
「お前じゃない、アロウだ。そして俺はもう一度言うよ、帝国の臣民を皆殺しにするのはやりすぎだ。彼らに罪はない」
アロウの精一杯の言葉にお姉様は何がおかしかったのか額に手を当てて高笑いします。
「アハハ、懐かしいわねえ。私も罪を憎んで人を憎まずという教えを説いていた愚かな時があったわ」
お姉様は懐かしい記憶を思い出すかのように笑みを浮かべていましたが、次の瞬間には悪鬼の如き形相で己の体を強く抱き締めます。
「『皆で仲良くしましょう』、『暴力は何も生み出しません』全く、どうして私はそんな絵空事を唱えていたのかしら。本当にあの時の自分を殺したいほど憎くて仕方ないわ」
「お姉様……」
過去のお姉様を否定する発言に私は知らず声が漏れました。
あの時のお姉様は本当に優しかった。
国の次代を担う者として多忙な日々の中、時間を見つけては私に構ってくれた記憶が蘇ります。
どれだけ疲れてもその表情をおくびにも出さずに私と遊んでくれた日々。
その時のお姉様の笑顔は本当に美しく、私もこうなりたいと願っていました。
けど、目の前のお姉様はいったい誰なのでしょう。
その姿、顔こそは私の記憶にあるお姉様なのですが、その中身は全く別物であることを瞳、そして雰囲気からひしひしと伝わってきます。
お姉様。
お姉様は私と離れ離れになってから何があったのですか?
私がこの屋敷で過ごしている間、お姉様はどう過ごしていたのですか?
「ハクア、どうした?」
「え?」
アロウに指摘されて頬に手を当てると、そこには微かな湿り気が。
そう、私は知らず涙を流していました。
「帝国の臣民の皆殺しは決定事項よ」
お姉様が私をちらりと一瞥しただけで終わった様子を見た私は心底悲しくなります。
「彼らは帝国の中で暮らしている以上、その責任の一端を負っているわ」
私が泣いている理由をお姉様は知らない。いえ、知ろうともしないのでしょう。
「おい! いくらハクアのお姉さんでも許せないぞ!」
アロウがいきり立ってお姉様に抗議しますが。
「黙りなさい! クソガキが!」
お姉様は堪えた様子もなく、逆に一喝しましたがアロウは怯まず。
「クソガキでも構わない! ただ! 言いたいことは言う! 今のあんたは他人に怒りのはけ口を求めているだけだ! 不甲斐無い自分を認めたくないから帝国の臣民を皆殺しになんて言うんだ!」
「……なんですって?」
般若の如く怒りの形相から今度は能面の如く真っ白な笑みを浮かべて問いてきます。
「私が不甲斐無い? 一体どこからそんな言葉が出てくるのかしら?」
「決まっているだろう! お前達は帝国に対して何の対策も打ってこなかったことだ! もしお前達が何かしら注意をしておけばこんな事態にならなかった!」
アロウは続けて。
「俺からすればお前達も憎い! 対抗手段を考えず、国を滅ぼさせたのは何故だ! 父を返せ! 母を返せ! そして妹を返せ!」
アロウの渾身の言葉の後には静寂が訪れます。
確かにアロウの言うとおり、国が滅びたのは帝国の所業でもありますが、決して私達王族も無関係ではありません。ダグラスが亜人達をこの大陸から撲滅しようと掲げていたのに何もしなかった私達にも責任の一端があります。
しばらく全員が沈黙していましたが、不意に室内にも拘らず風のざわめき音が聞こえ始めました。
「ファラウェン様、落ち着きください」
「そうです、こんな小童に心をざわめかせることはありません」
お姉様の両隣で控えていた側近2名がお姉様の異変を感じ取ったのか慌てて諌めます。
「……ないくせに」
お姉様が小さく呟きます。
「小童が何も知らないくせに」
ガタガタと、私とお姉様を分けている机が音を立てるほど部屋の中に暴風が吹き出しました。
「いけない! お姉様!」
私は血相を変えてお姉様を止めようとします。
ファラウェンお姉様は歴代王家の中でも随一とされるほど魔力の持ち主で、魔力量だけに限ると神人のエルフを越えるとまでされています。
そんなお姉様が感情のままに魔力を解き放つと、こんな小さな部屋など木端微塵に吹き飛んでしまうでしょう。
「ホーク、そしてイーグル」
お姉様の暗く、低い唸るような声音で側近は直立不動の姿勢を取ります。
「……あのガキを死なない程度に痛めつけて頂戴」
「し、しかし、あの童子は亜人王の身内です。危害を加えれば交渉は決裂し――」
「私の命令が聞けないの?」
「っは!」
お姉様の残酷な命令に側近の1人は躊躇いましたが、お姉様の黒い瞳を向けられると頷きました。
「坊主、あまり抵抗するなよ」
側近は何とか穏便に済まそうとそう一声かけ、テーブルを乗り越えてアロウに掴み掛ろうとしました。
「……止めて!」
あの2人は近衛兵として特別な訓練を受けてきた者です。
なので私はアロウが張り倒される様子など見たくないと思い、目を閉じて耳を塞ぎました。
そして300ほど数え終わり、もう終わったかなとうっすらと目を開けるとそこには信じられない光景が広がっていました。
「……ショコラ姉ちゃんの方が速かったし、ギアウッドはもっと強かった」
「なに……こいつ?」
お姉様が目を剥くのも分かります。
私はアロウがなす術なく、地面に打ち倒されている光景を想像していましたが実際は全くの逆で、アロウは多少肩で息しながらも近衛である鷹人と鷲人をひれ伏せていました。
「彼らは幾多の戦線を潜り抜けてきた精鋭よ。こんなガキにやられるなど天地がひっくり返ってもあり得ないのに」
お姉様の言葉にアロウは首を振りながら。
「今回は向こうが油断していたから勝てただけだ。次に戦えば例え1対1でも五分五分だと思う」
その五分五分に持ち込めるということがどれだけ凄いのかアロウは分かっているのでしょうか。
私の疑念が通じたのかアロウは頬をポリポリと掻きながら。
「言っておくけど。俺、まだショコラ姉ちゃんに触ることすらできないし、ギアウッドの張り手一発で終わるから」
アロウはそう謙遜しますが、もはやアロウは鳥人の中でも有数の力量を持つ戦士でしょう。
普段から共にいたアロウの成長に私は胸が高鳴りました。
「へえ、それがあなた達の答えなんだ」
ゾクッと底冷えのする声音を発し、お姉様がユラリと立ち上がります。
「これはもう駄目だわ、同盟の話は無し。そしてエクアリオン共和国も敵の1つとして見なすから」
一度止んでいた風が再び吹き始め、お姉様以外はその場に立っていることすら難しくなります。
「とりあえず宣戦布告としてあなた達と亜人王を殺しておくわ。じゃあ、ばいばい」
お姉様は手を振り上げてそう宣言してきました。
おそらくあの手が下ろされた瞬間私達は風によって壁に叩きつけられて絶命するでしょう。
周りを見渡すと、アロウを含めて全員が絶望の色を浮かべています。
そして目の前には底なしの狂気と憎悪に心まで侵されたお姉様。
さて、ここで私は何をすべきでしょう。
私達を殺させ、そしてコウイチさんを亡き者にさせてエクアリオン共和国、そして元バーキシアンの国民を滅ぼさせて良いのでしょうか。
答えは否です。
コウイチさんもアロウも成長を見せてくれました。
今度は私の番です。
私もルクセンタールさんとベルフェゴールさんの2人から訓練を受けてきているのです。
だから私は。
「死ねっ!」
その言葉と共に放たれた魔法を。
「打ち消せ!」
強引に精霊を引き剥がして無力化させました。