6話 それぞれの窮地
「なっ!?」
突然の事態にわしの頭は思考停止へと陥った。
つい先程までコルギドール産のワインとチーズを食べながら戦況を見守っていたのじゃが、目の前の土壁が炎の壁へと変わった瞬間それまでの戦勝気分が吹き飛んでしもうた。
怒号と悲鳴が相次ぎ、兵は我先にと出て行こうとするが8000弱の人数がいるので出てこれそうにもない。
「落ち着け! 落ち着かんかあ!」
わしは大声を張り上げて事態を鎮静化させようとするのじゃが、元々借り物の兵のため大多数の者が聞く耳持たん。
このままでは同士討ちが起こってしまう。
彼ら兵は横の繋がりが希薄のため、自分が所属する隊以外の兵は障害物として見なしているかもしれない。
「……いや、もう起こっているか」
この炎の勢いだと起こることの方が必然。
おそらくこの土壁の中では阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられているだろう。
「おのれ、亜人共め。この借りは必ず返すからな」
この策によって大多数の兵を失ったが、まだ数はこちらの方が有利。
兵の士気は下がるどころか、一杯喰わされたとして雪辱に燃えるだろう。
二度とこんなヘマはしない。
わしはそう誓った。
「ん? どうし――」
背の高い側近が門の方向を見て何か喚いていたので、そちらに目を向けると。
「城門が……開いた」
ここからだと微かに城門の上端部分が辛うじて見えるのだが、先程まで閉じられていたそれは大きく開かれていた。
「――っ! 不味い!」
これは何かとてつもなく嫌な予感がする。
わしはその直感に従って急ぎ退却しようとするのじゃが、行動を起こすより先に1つの影があの土壁の向こうから姿を現しよった。
炎を背景にナイフを構えたメイドがこちらを睨んでいるという非常識な光景にわしを含めた全員がしばし魅入る。
よく見ると端正な顔立ちじゃのう。
銀色の髪と氷のような瞳、そして均整のとれた体つきのあのメイドは相手が亜人であろうとも欲情が湧いてきよる。
そういえばコルギドールへ赴いた使者の内何人かはあのショコラとかいうメイドに心を奪われ、よく似た亜人を欲しがっていたのを覚えているわ。
その時は下らないと一笑に付しておったが、実物を見ると彼らの考えもわかる。
「皆の者! あの先頭に立つメイドは殺すな! 生かして捕えよ!」
後方から次々と犬の亜人が飛び出してきよるが、たった20人程度じゃ。
亜人の身体能力がいかに優れていようと、こちらは500人も控えさせておるので多勢に無勢。
ここまでの数の差があればショコラとかいう亜人を無傷で捕えることができるじゃろう。
そしてできることならわしの下へ侍らせてやりたいものじゃ。
息子が欲しいといっても渡さん、わしのお気に入りの1人じゃな。
「あのメイドに傷をつけるなよ! 付けたらただでは許さん!」
「本当に人間って馬鹿ね」
奥でふんぞり返る人間の命令によって兵は槍や剣の代わりにロープや網に持ち替え始めたのを見ながら私は冷笑する。
まあ、向こうが抱く感情も理解できるわ。
奇襲に慌てたもののこちらはたかが20人で、向こうは25倍の500人。
そして別に攻める必要はなく、向こうは亀の様に固く守っていれば徐々にあの炎の海から生還した兵が戻ってくるので、時間が経つことに兵が増強されるのだから勝ち戦と信じて疑わないだろう。
数の多い方が勝つ。
それは確かに真理だけど、その真理の大前提となるのが自分と相手の質が同等な場合のみ。
脆弱な人間と戦闘種族である狼族を一緒くたに考えることが間違っているのよ。
神人は1人で1000の人間の兵隊を相手にすることができる。
そして私達狼族は10人揃えば神人を打倒すことができる。
つまり実質戦力は20対500でなく、2000対500。
全く相手にならないわ。
「狙うはカテナの首ただ一つ! 全員私につき従いなさい!」
私は走りながらそう号令を出す。
人間は何とか私を取り抑えようと必死なんでしょうけど、私から見れば欠伸が出るほど動作が遅い。
人間が1の動作をしている時間があれば狼族は2の動作を、そして私なら5の動作をできる自信があるわ。
それに、コウイチが特注で作ってくれた鋼のナイフは相当切れ味がよく、網どころか鎖帷子もスパスパと切り裂くことができる。
久しぶりの戦場。
見えるものは血の赤。
聞こえるものは断末魔。
鼻につくのは血の匂い。
口中に広がるのは錆びた鉄の味。
感じるものは肉を切り裂く感触。
昔はこの五感から得られる情報に心が震えていたのだけど、何故か今は逆に心が冷めていく。
ただ、淡々と作業を繰り返しているような疲労感が漂う。
「どうしてなのかしら」
100人長クラスの指揮官を葬った私は何となく呟く。
あの時の感動はどこに行ったのか私は自問を繰り返す。
けれど、答えなど出ず、私は黙々とナイフを振り回し続ける。
「た……助けてくれ」
腰を抜かしているカテナがそんなことを呟いているのが聞こえる。
彼の周りの護衛はすでに私の手によって物言わぬ肉塊に変えられているので、身を守る者がいないのだろう。
ふと周りを見渡すと、私の突撃によって烏合の衆へと陥った人間が狼族によって狩られているのが目に入る。
勝っているはずなのに。
憎き人間を殺しているはずなのに私の心は全然晴れない。
と、ここでコウイチの顔が思い浮かんだ。
あいつは常識知らずで、殺しに来た私に対しても偏見で見ることがなかった。
そしてアロウやハクア、ベルフェゴールやルクセンタールそしてギアウッドなど屋敷に居候している面々の顔を思い出す。
「ああ、そういえばそうだったわね」
ようやく疑問に対する答えが出た。
「私はあの空気が好きなのよね」
屋敷の管理人としてコウイチや他の屋敷の住人とまったりと暮らすあの時が大好きなのよ。
あそこにいると私の心が落ち着く。
何もしなくても、私の存在を認めてくれるあそこが私の居場所なのよ。
そこまで考えた私はカテナを見下す。
私の体は便利なもので、いくら私が思考の海に沈もうとも体は忠実に動いてカテナをの頸動脈を掻っ切っていた。
この恐ろしいほどの冷酷な私は銀狼と味方からも畏怖されていたのよ。
まあ、唯一ソルトだけは尊敬や恐怖を度外視して見てくれたけどね。
「敵軍総大将! カテナを討ち取った!」
私はカテナの亡骸を高く上げると、人間は戦意を失って次々と投降したので戦闘は終わったわ。
「捕虜4000人、死者2000人そして逃げた者が2000人か」
ベルフェゴールから挙げられた今回の戦果について聞いた俺は嘆息する。
「どうして溜息なんかつくのかしら? こちらの死傷者は500人中50人も満たないのよ、これほどの大勝利なんて歴史を見てもそうざらにはないわ」
ベルフェゴールもこの結果に多少興奮しているらしい、普段より噛みついてくる。
「なに、これから先のことを考えるとな」
1万もの人間の兵がわずか500ばかりの亜人によって撃退された。
この事実は瞬く間に国どころか大陸全体に広がり、亜人たちの蜂起が活発化しているらしい。
「今度は国も本腰を入れるだろうな」
リーメンダークは国としての面目を潰された形となり、形振り構わず鎮圧に動くことは容易に予想できた。
リーメンダークが動かせる兵力は人間だけで5万。
もし鎮圧できなければ国の存亡にかかわるため、向こうも必至だ。
そしてそんな俺達は追い詰められた国の軍隊に加え、莫大な数など相手にできないだろう。
俺はそんな心配をしているのだが、ベルフェゴールは何でもない風に笑う。
「何、安心して。ちゃんと考えてあるわ」
さらに続けて。
「石兵八陣」
ベルフェゴールは唄う。
「5万という大軍を動かそうとすれば必然的に経路は限られる。国軍の集合場所からコルギドールへ向かうためには1つ大きな河の近くを通らなければならないのよ」
そして両手を大きく広げながら。
「これでこの国は完全に掌握できるわ。そして各国の亜人が蜂起しようとも失敗した亜人を保護し、また蜂起しようと計画している亜人たちに援助をする。そして大陸を動かすのよ」
ベルフェゴールは恍惚の面持ちでそう呟いているのが俺にとって印象的である。
「これは乾坤一擲の大勝負。もし失敗すれば亜人の解放は数百年遅れてしまうから失敗は許されないわ」
「まあ、すでに乗りかかった船だ。最後までついていくしかないな」
真剣な様子で宣言するベルフェゴールに俺は息を吐きながら呟くと。
「あら、意外と素直ね。あなたのことだからもっと反対するかと思っていたけど」
意外とばかりにキョトンとするベルフェゴールの言葉に俺は笑う。
現在LUCK -120367
殺した人1人につきLUCK-10
独立を宣言して国から土地を奪い取ったからLUCK-100
が、コルギドールを完全な支配下に置いたので1日につきLUCKが+100ずつ上がっている。
ここまで来たら国を取るしかない。
なるべく早くこの戦乱を終わらせる必要がある。
それしか今後100万にまで届きそうな莫大な負のLUCKを返済する方法がない。
だから、なあベルフェゴール。
俺も絶対に失敗するわけにはいかないんだよ。
ベルフェゴールは俺がなぜ笑っているのかわからず、首を傾げていた。
少しコウイチがダークに入ってしまいました。
けれど、次の話には元に戻るのでご安心を。
後、人間と亜人、神人の3種類はじゃんけんのような関係です。
人間は亜人に、亜人は神人にそして神人は人間に強いです。