第十二話 「準備」
天にそびえる荘厳なドメーヌ王城は、堅牢な石造りを陽の光で照らしていた。王都全土を見下ろすようなザックスファード王立魔導大学が富と教育の象徴であるならば、ドメーヌ王城は国の権威と統治を示す。
縦長の窓が連なる廊下は、一歩ごとに歴史と格式を空気に含ませ、俺の肌にわずかな緊張を伴わせる。国王陛下並びに国きっての問題児の居住地は、特権エリアを闊歩するのとはわけが違う。
玉座の間、王室評議会室、大広間、謁見の間。大小二百を超えて点在する部屋の全てに防護や罠の魔法が施されている。正式な手続きを経て承認された者でなければ、即座に侵入者と見做され王城の洗礼を浴びることになる。
城壁そのものにまで魔法が組み込まれており、それらひとつひとつがドメーヌ王城全体を構成する魔法式だ。十万の敵に囲まれようとも、優位性を保った籠城戦を展開できる。建国以来外敵の侵攻を許したことがなく、不落として国内外にその名を知らしめている。
そしてここは、王国の重鎮が通い威信と策謀をかけた議論を日夜白熱させる最高権力の所在地でもある。
一学生が易々と足を踏み入れられる場所ではない。王族の学友がいなければ。
「あ、来た来た」
「初めての王城で緊張でもしたの? 随分とゆったりした足取りなのね。それとも床に感謝しながら歩くのが家訓なのかしら」
そこは、ヴァルモン王国第一王女の私的に有している部屋の一つだった。室内は深緑とわずかな金で飾られ、包み込むような魔導シャンデリアの光に照らされている。窓からは手入れされた庭園が見え、壁一面の書棚には見たこともない書物が並び、所有者の性格が垣間見える物珍しい魔道具がいくつか飾られている。
入室すると、三人の女性が一斉に顔を上げた。
待ち侘びていたように琥珀の瞳を輝かせる姫殿下。翠瞳を細め鼻で笑うようにしたガーウェンディッシュは、開口一番に皮肉を投げてきた。無しか読みとれない暗灰の両眼を湛えるヴァルキュロス侍女は、俺を一瞥だけして視線を主に戻した。
「申し訳ございません、姫殿下。私用にて少々遅れてしまいました」
「いいよー、ほら、早く座って。紅茶を淹れるね!」
「いえ、それでしたら俺が。お手を煩わせるわけには」
「呼んだのはわたしだもん。任せて任せて」
いや、遠慮ではない。恐縮もあるが、恐怖が優る。贅沢を言わせてもらえば自分で淹れさせて欲しい。
姫殿下には何度も問題事に巻き込まれ……共にしている。その経験からか自然と警戒の鐘が脳内に響き始める。
思いつきで紅茶に何かを混ぜるかもしれない。出されてしまえば口にしないわけにもいかない。蛇の卵か、蛙の足か。それとも魔力供給の名を冠したブレンド薬物か。
「グレイン、座らないの? 立って待ってなくていいんだよ?」
「いえ、お気になさらず。姫殿下の流麗な所作を拝見したいと思いまして」
「えへぇー、照れるなぁ。なんか緊張してくるよ」
「俺も緊張しています」
「何で?」
姫殿下はウキウキと手元を動かす。俺は未知の恐怖にドキドキしていた。王城に辿り着いたときより鼓動の音が大きい気がした。
「座りなさいよ。使用人になりきりたいのならいいけど。それとも床がいいのかしら」
戦々恐々とする俺に、ソファーの一つに腰かけるガーウェンディッシュは吐き捨てるように告げてきた。
黙っていろ。これは俺の生命に関わるかもしれないんだぞ。
「はい、グレイン」
「ありがとうございます。大変美味しいです」
「飲んでないのに?」
ソファーのひとつに腰を下ろし、目の前に置かれた白いカップに目をやる。澄んだ色合いをしたものから、フワっと香る湯気からは、雲一つない清涼な山脈が想起された。
遺物の混入はない。魔力が入れられた様子もなし。姫殿下の挙動に不審な点はなかった。
「そんなに見つめても、ただの紅茶だよ」
「……美味しいです。紅茶ですね、これは」
「さっきから言ってるじゃん」
安堵の心地で、口腔に広がる味を堪能する。
それほど警戒しなくてもいいか。姫殿下が俺に毒物を盛るはずもないだろう。
いや、まだ油断はできない。遅効性の類かもしれない。
などと考えている時点で、俺はだいぶ姫殿下に毒されている。何故こうも神経を使っているんだ、まだ来たばかりだというのに。
「エルミナも座れば? ずっと立ってるの辛くない?」
「いえ、私の事はお気になさらず。壁の染み程度に捉えていただきますれば」
「壁のシミって結構気になるけどね」
影のごとく姫殿下に寄り添うヴァルキュロスは、相も変わらず心情を読み取らせない表情を貫いていた。主の行動を制限せず、好きなように振る舞わせることこそ最大の忠誠だと言わんばかりに。
そういえば、あいつが見当たらないな。
「アークは? まだ来ていないのか?」
「用事で遅れるそうよ。先に始めていていいって」
なんだ、これならあと数十分は遅れて来ればよかったな。いや、王族を待たせるわけにもいかないか。
「この前アークから聞いたんだけど、二人って幼馴染だったんだね」
「幼馴染であり親友ですね」
ひとまず、あいつが参加するのはわかった。それまではこの四人で過ごさなくてはならないのか。
いたたまれないわけではないが、脚の脛を軽く蹴られているような心地だ。
アーク、早く来てくれ。
「二人が初めて会った時のことも、アークが楽しそうに話してた。いいなー、小さい頃から知ってるの」
「あいつ、まったく。仕方ない奴だな」
「嬉しそう」
「アークとなら、私だって幼馴染だけれど」
俺の後から知り合ったくせにしゃしゃり出るなよガーウェンディッシュ。
あいつとのこれまでの軌跡を滔々と語ってもいいが、そうなるとそっちが本題になるな。姫殿下にいずれお伝えするとして、ここは抑えておくか。
「あいつ以上に信頼できる奴はいません」
「ほえー、グレインがそこまで言うんだ。珍しい」
「良いように言っているけれど、アーク以外にまともな友人がいないだけよ、この人」
「俺の顔の広さを知らないのか?」
「うわべの人は沢山いそうね」
「どちらのことだろうな、それは」
ガーウェンディッシュ、お前こそ俺以上に顔を突き合わせるだけの関係が広がっているはずだが。この一年半で大貴族と呼ばれるようになった家柄なら、周囲の反応は大いに変化しただろう。まあ、それはオルテン家にも当てはまるのだが。
「はぁ、アークって罪深い人ね。こんな人にまで懐かれてしまって」
「そうだな、人柄とは考えものだ。なまじ評判に厚ければ、家の意向が反映される。あいつだって婚約相手ぐらいは選びたかっただろう」
「はっ、何を言っているのかしら。あの人は私を選んでくれたのよ。自分の意思でね。友人なら幸福を祝ってあげればいいじゃない」
「泥船に乗ろうとする友は、不安になるからな」
アーク。唯一と言っていいお前の欠点は、女の趣味だ。由緒あるハルデン家ならこの女以外に目ぼしい人間などいくらでもいるだろうに。こいつのどこがいいんだ。容姿でいえばそこらの令嬢よりは優れているだろうが、そんなのは意匠を凝らしただけの書物と同義だ。
「ねえ、わたし思ったんだけど、二人って仲悪いの?」
「良かったことはないわね」
「これからもな」
こいつの本性は一周目となんら変わっていない。知識や実績、実力と評価を兼ね備えるようになっただけだ……別人のようにも思えるが、大して変化はないぞ。
騙されるな、アーク。婚約の解消ならまだ間に合う。一周目と同様にこの女とは距離を置くべきだ。
「もっと仲良くなって欲しいけどなー。友達同士」
「俺は、姫殿下の友人だったのですか」
「え、違うの? 悲しい。そんなこと言わないでよー」
茶化すように肘で小突いてきた少女に、俺は若干の眩暈を起こしそうだった。
何度か顔を合わせ何事かに巻き込まれてはいるが、せいぜいが同級生ぐらいの認識に留まっていると思っていた。まさかそれほどの地位にまでいるとは思わなかった。
俺の生存計画には姫殿下の協力を得る一案があるとはいえ、『友人』ほどの地位は必要としていなかった。
この人の所業を顧みれば、誰だって避けたくなるだろう。日毎に起こされる事件に巻き込まれ、その対応を迫られる。それが、一日に一度ぐらいならばまだいい、いやよくはないが。
姫殿下は退屈を嫌悪している。これが過言ではないほどに、興味関心に手を伸ばし興奮と刺激を目指し駆けていく。
人生を謳歌しなければ生きる意味はない。そう背中で語るかのように充実を求める。
王侯貴族の檻に囚われない生き様は、反感と嫉妬の的になる。しかし、一国の王女は裏道で吹く風など意に介さず、己が信念を基に行動する。貪欲なまでの姿勢には、俺も少なからず敬意と羨望を抱きそうになる。その度に旋風に巻き込まれ、げんなりするのだが。
それらはさておいて。そろそろ話に移るべきだろう。
「姫殿下、本題に入りましょう。俺たちを何に巻き込むつもりでしょうか」
机を挟んで対面にあるガーウェンディッシュから目線を逸らし、左端に座る姫殿下へ俺は向き直った。
「巻き込む?」
「間違えました。俺たちは何故呼ばれたのでしょう」
薄紅ブロンドの同級生は、軽く咳払いをした。背筋を伸ばし姿勢を正すようにした。
口が開かれるまでに、俺は覚悟を決めていた。いや、覚悟じゃないな、諦観の方が近いか。
これまでにも、トラブル製造機には幾度か巻き込まれた。そして今回もそうだろう。姫殿下の召集とは、つまるところ騒動の前触れだ。
「そうだね。まずは、ありがとう、二人とも。わざわざ足を運んでくれて」
姫殿下は躊躇いもせず頭を下げ、労いと感謝を告げた。世話係は制止さえせず、瞼を閉じていた。自分は見ていないから止めない、という意思表示らしい。
こういった、謙虚と言うべきか無用な矜持にこだわらない面は、紛れもない長所だ。好意的な意味で王族の素養とはかけ離れており、暗君や暴君に転じる懸念が限りなく薄い。
ただ、自らの欲に従順すぎるあまり悪目立ちしてしまうのだが。
「二人とアークにはね、相談したくて」
瞼を伏せて間を置き始めた少女に、俺は視線を注いだ。相談、の単語を耳にしたところで無意識に拳に力が入る。対面の女も、姫殿下の様子を窺うように口を閉ざしている。
何の相談だ。王城の爆破か? 飛行船の強奪か? 大学の私的利用か? いや、最後のは先日やったな。
妙な沈黙が部屋には流れていた。俺とガーウェンディッシュは、普段はお互いを罵り合う仲だが、こういった時には心境が共有される。
とにかく、対処できる事柄であって欲しい。そんな思いだ。
「親睦会を開こうと思うの!」
「親睦会、ですか」
威勢よく琥珀色の眼を開いた殿下に、一拍遅れて聞き返す。
姫殿下にしては世俗的な提案だと、率直に感じた。
しかし、俺はすぐに考えを改めた。姫殿下が単純な企画をするはずがない。内容を開示されるまでは一向に安心できない。




