第十一話 「下見」(3)
魔導書は、人が魔法を行使するために必要な具体的な知識や手順、理論が記録されている。
成り立ちの経緯、魔力制御の熟練性に合わせた実践方法、魔法式の展開など。高度な魔法式の解読には、一定水準の知識や理解度が必要になる。
魔導書には、事細かく描かれ初読者に配慮した一冊から、筆者の独りよがりな論理式を描いたものまで数多く存在している。中には誤謬の著しい杜撰な粗悪品が紛れ込んでいる場合もあり、それを見極めるには相応の鑑定眼が求められる。
「王女殿下とこのような場で遭遇するとは。それでそちらは、」
「奇遇だね……あ、そっか。二人ってまだ」
ツイードのジャケットにゆったりとしたトラウザーズと学校の制服ではないジャミは、この前市民街で会ったときと似た格好をしていた。
わたしやアークより断然動きやすそう。というか気にしなかったけど、遭遇って言い方おかしくない?
「紹介するね、アーク。こちらはジャミール。南方の故郷に恋人七人を残して、うちの大学に留学に来てるんだ」
ジャミの真似をするわけじゃないけど、こんなところで会うなんて思わなかったな。もしかして、前もってここで待機してたとか……はなさそうだね。アークも初対面って顔つきだし。
「そうだったんですか……七人?」
「あ、誤解しないでね。ジャミは彼女さんたちのこと全員を平等に想ってるから。毎週手紙だって出してるんだよ。送る度に言い訳に困ってるらしいけど」
「語弊があるかと思われます。王女殿下」
七、なな、しち、とスモーキブルーの瞳を瞬きさせて、アークは呟いた。
わかる。わたしも最初聞いた時は聞き間違えたと思ったもん。
「それで、ジャミ。こっちの可愛い顔立ちがアーク。セレヴィの婚約者で、セレヴィのことが大大大好き!」
「語弊がありますね。好きではなく愛しているんです」
「あ、うん。ごめん。表現が欠けてた」
急に落ち着かないで、ビックリするから。
アークって、寝ている時でもセレヴィのことだったら返事してくれそう。
「ガーウェンディッシュ嬢と昼食を摂られているのを何度か見かけたことがあります」
「アークシス=ハルデンと申します。アメリアの友人ともなれば、それは僕の友人と同義です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、お見知りおきを。ジャミール・エフ=バフマーンです」
品のある挨拶を交わす二人は、なんかどことなく雰囲気が似てるような気が。恋人がいるからかな。アークは一夫多妻に否定的だと勝手に思ってたけど、そうでもない? まだ咀嚼するのに時間がかかってるだけなのかも。
「学科はどちらですか?」
「神学科です。宗源文献学、つまり聖典や古文書を分析・研究する科に在籍しています」
「僕も何度か、大学の礼拝堂には足を運びました……パルディア諸邦では、火神学が深く根差していると存じています。日々の生活の指針になっているとも。その歴史的経緯を、ジャミールさんは綿密に考究されているんですね」
「……失礼ですが、王女殿下の御友人とは真ですか?」
「ねえそれどういうこと? どういう質問なの、それ」
「アークシス君は常識と良識に溢れておいでですので」
「ジャミってわたしを非常識だと思ってるの?」
「そんなことは。非良識が思い浮かぶぐらいで」
「否定になってないじゃん!」
口をばたつかせたわたしに、アークも黒服も口に手を当てて笑った。
和やかな雰囲気なのはいいけど、なんか釈然としない!
「それはそうと。王女殿下、先日はありがとうございました。あれから筆の走りが滑らかになりました。ご提案された声の吹き込んだ手紙も好評でしたよ」
「おー、よかったね。わたしも楽しかったしまたやろう!」
「今度は、釈明の声もお願いします」
「え、何があったの」
前の、手紙にジャミの声を吹き込むというアイデアは思った以上に手応えがあった。けど、愛の言葉とは別にわたしの声まで入ったらしく、そのことで恋人たちに言及されているという。
あー、はは。それはまずいね、早めに訂正しないと。セレヴィとはまた集まる日を決めておかなくちゃ。
「それで、ジャミはなに読んでたの? 異性の口説き方?」
「これ以上増えませんよ……恋人の一人に、この国の魔導書を読んでみたいと手紙で綴られまして。目ぼしいものがないかと」
午前中で大学の講義が終わったというジャミは、この店に来ていた。学校からの距離でいえば南の方が近いけど、アッシュブラウンの青年は、どうやら特権エリアに密集する書店類を好まないらしい。その店が、というよりその地域特有の空気が肌に合わないと。
「タニーラと言いますが、二週間後に会いに来てくれるそうなので。その時に手渡そうかと」
「ええと、ジャミの居た都市国家の中で、令嬢の人だっけ?」
「流石は王女殿下。よく覚えておいでで」
「ふふん、ジャミへの愛情表現も覚えてるよ。確か、魔法をよく撃ち込んでくるって」
「まさしくその通り。彼女はいつだって、俺の心と体を震えさせます」
「それは恐怖では……」
しみじみと噛みしめるように言ったロザリオ青年に、アークたちは顔を引きつらせていた。
わかるよ、最初は理解が難しいと思う。わたしも初めて聞いた時は首を傾げたもの。
まあ、愛の形は人の数ほどあるっていうし……本人たちが幸せなら。
「アークも何か探しに来たんだよね」
「セレヴィが気になっていた古文頚慨書がここに入荷したと聞きまして。ですが、まずはジャミールさんの目的物を優先しましょう」
「そこまでしていただくわけには」
「それでしたら、後で僕の探し物も手伝っていただけると助かります」
「……わかりました」
配慮に満ちた銀髪青年の笑顔に、ジャミは小さく頷いて頬を緩ませた。警戒心を持たせず、それでいて相手に気を遣わせない。貴族社会で培われたアークの社交術は頼りになる。
わたしも見習わないと。わたしの場合、第一印象はだいたい警戒されるから。
「タニーラさんって、普段どんな魔法を使うの?」
「火に水、それと緑樹の三種を中級まで。この国では第二階梯と呼ばれる技量かと」
「それなら、これなんてどう? 火と水の並行詠唱、同時に発動する極意、だって」
「少々困難そうですね。タニーラも最近になってようやく習得したそうなので、まだ複雑なものは難しいのではないかと」
「そっかあ」
それからわたしたちは三人で寄り合うようにして様々な本を手に取っていった。
棚の上層、天井近くの書物はわたしが軽く飛んだりして回った。近衛の女性二人も飛行魔法を扱えたので、わたしと同じように度々店内を飛び回って探してもらった。
これ、魔法で飛べない場合ってどうするんだろう。って思ってたら、お店の奥に長大な梯子や脚立があった。あれに登って取るにしても、凄い高さになりそう。
セレヴィの婚約者は、ジャミに他の恋人のことまで尋ねていた。どこか真面目な表情で質問する同級生に、ジャミは個々人の性格や好きなところを流れるように話した。相槌を打つアークの目つきは、何かを確かめているようでもあった。
「ジャミールさん、こういうのはどうでしょう?」
「『術者の真円』、ですか」
十数分が経ってアークが手にしていたのは、分厚くも小ぶりな一冊だった。獣革をなめしたヴェラムが使用されたそれは染色や華美な装飾はなく、くすんだ茶色の表紙に最小限の金箔で文字が刻印されていた。
「制御に関する手法を網羅的に記していまして。『新しいものを覚える』というよりは現在習得している魔法の『習熟度向上』に活用するものです」
「なるほど……読みやすいですが、小難しい言い回しも見られますね。南方とこの国では公用語にさほど違いはありませんが、俺の居た都市は方言などもありまして。聡いタニーラだったらそれほど苦になるとは思いませんが」
「少々固い表現は散見されますが、著者の造語や独自の理論は極力排されており、整然とした文法構成で綴られています。言語理解並びに魔法式への読解は、恋人の方にとっても難しくはないかと」
「魔法制御に関する実用的かつ実践的な面、異国の魔法文化に触れる点、それでいて公用語への理解深度……読みやすく持ち運びもしやすい。最良ですね、これにします」
「よかったです」
おお、さっすがアーク。書物への理解も深いね。わたしなんて、キラキラした本とかがあるとそっちに目が移ったりするのに。ちゃんと中身で判断してるんだ。
……あれ、わたしの居る意味は?
「アークシス君は、俺を変に思わないのですか」
「変、ですか」
本を受け取ったジャミは、少し目線を落とし、そしてアークに目線を合わせた。
突然の問いに銀髪青年は聞き返す。わたしも首をかしげた。
「君は、誠実の体現者だと耳にします。ガーウェンディッシュ嬢への迷いなき想いは、王女殿下からも度々聞かされるほどで」
「アークのセレヴィを思う愛は凄いよ。人形だって作るぐらいだからね」
「最近では段々と置く場所が無くなってきそうで。いずれ地下室を増やそうかと」
「へ、へえ。そんなに増えてたんだ」
今更だし、わたしが言うのもなんだけど。アークってセレヴィのことになると豹変しない?
「故に、不思議です。俺は自らの愛念に疑いようはありませんが、それでも複数名の女性と交際しています。一途を規範とする君には、不快どころか嫌悪されるものと思っていましたが」
ジャミは銀髪青年の言葉を待つようにした。貴族の令息は真顔になっていた。穏やかさが鳴りを潜めた顔つきは、どこか冷淡にさえ見える。わたしも口をつぐんでいる。
あまり気にしなくてもいい、なんてこの場で軽々しく言えない。夫婦の形はいくつあってもいいと思うけど、それはわたしだから言えること。
距離を隔てた恋人たちのために、ジャミは苦労と苦慮を両肩に乗せてる。手紙だけじゃなく貯金を切り崩して贈り物を送ってることも。だから、私服だってあまり持ち合わせてない。
自分のことは後回しで、愛する人たちのためには細部までこだわろうとする。
それでも、彼のことを悪し様に言う人は絶えない。価値観の差異が生じる以上仕方のないことかもしれないけど、アークの眼にはどう映るのか。
閑静な店内に下りた沈黙は、数秒続いた。
「僕は、ジャミールさんを応援していますよ」
「……え?」
「え?」
目を丸くしたわたしとジャミに、ふっ、とアークは口元を緩めてわずかにまばたきをした。
「貴方の瞳は、恋人を語る時に一層輝いていた」
「そ、それだけ、ですか?」
「他にもありますが、それ以上に理由が必要でしょうか。先ほど話されていたタニーラさんをはじめ、僕が他の恋人の方々について質問したとき、貴方は即応どころか湯水のごとく答えていました。まるで、僕がセレヴィを語る時のように」
「あ、そうかも。ジャミとアークって何か似てるなーって思ってたんだ」
さっき色々質問してたのって、そこを見てたんだ。
「周囲からはとやかく言われることでしょう。心無い言葉を無雑作に投げられることも。ですが、険しい道を真っ直ぐ歩む人を、僕は蔑むような真似はしません」
「それほど真剣に言われると、何と言うか。照れくさいな」
おお、アークの眼差しは凄まじいね。もうジャミが絆されかかってる。
「愛する人のためにお互い邁進しましょう」
「……ああ!」
握手まで始めた二人に、わたしは少し呆気にとられていた。
二人の人柄ってのもあるんだろうけど。恋人がいると、こんなにすんなり仲良くなれるものなの? すっごいなぁ。




