第十話 「忠臣として」
評議会室の空気は、鉛のように重い。
鍵盤のような髪色と称される私、レオフリック・ドラグネス伯爵は、重厚な黒檀の長机の上座に腰を下ろしている。
本来であれば、ここは国王陛下――ゼロン・ズ・ヴァルモン様の席が置かれる場所だ。しかし現在、陛下は玉座になく、王城の奥の私室で病に伏せられている。
玉座の間での大仰な会議は避けられており、床の絨毯や意匠を凝らした長机と椅子ほどしか飾り気のないこの評議会室が、最高意思決定の場になっている。
眼下には、私と同じく国の重責を担う貴族たちが顔を突き合わせている。彼らの瞼は疲労と焦燥で歪んでいる。卓上には魔力で微かに光る魔道具が浮かんでいるが、それは部屋内部の視認性を向上させるのみで、貴族たちに希望を示すわけではない。
「北部国境では最近ますます緊張が高まっていますな」
「西の商会連合が、またしても我が国へ利欲の手を伸ばしているとも」
「東方からの技術流入が後を絶たない。これにも対策を講じねば」
始まりは周辺諸国の事例と対処について意見を交わしていた会議は、やがてひとつの話題へと集中した。それの前では、諸外国の動向すらまるで前菜かのように捉えている。
「全く、全く。アメリア王女殿下には、もう少し慎みを覚えていただきたいものですな」
「そうとも、そうとも。あのような行動ばかり取られては我が国の威信、沽券に関わりますぞ」
「うむ、うむ。少しは国政に興味を持って欲しいものだ」
示し合わせたかのように発言をつなげていく三名。
ペッティン家、コーロー家、アビッツォ家の当主たちだ。
不敬罪と取られてもおかしくない口ぶりにもかかわらず、参加者の数十名が視線や頷きで同調を示していた。議題そのものが参加者の結束を高める通過儀礼であるかのごとく、貴族たちは不平を臆面もなく言ってのける。
「宰相閣下は王女殿下の御動向を把握されている、とお聞きしましたが」
「……把握などとは、とても言えません。かの御方を捕捉することは、霞の大蛇を掴むようなものです」
僅かなりの期待を含め問いてきた貴族の一人に、私は努めて冷静に返した。
「三日前、専属の侍衛女官が任を離れる日がございました。代わりに派遣された近衛兵の数名が警護につきました。いずれも、国王陛下の護衛を務めた経験のある者達です。しかし、帰還時には全員が疲弊しておりました」
アメリア様に付き従った彼らは、午前は平和なひとときを過ごした。
学友の一人とともに街へ繰り出した王女殿下は、珍しく突飛な行動をとることがなく、ただの溌剌な少女として振る舞っていた。
だが。午後には騒動に巻き込まれた。空から飛行船が落下し、数十を超える馬車が暴走した。
第一王女殿下とともに事の解決に当たった彼らは、口をそろえて報告した。
『護衛の任はかろうじて果たせた』。そう締めくくったのだった。
私の言葉に、質問者は口端を引きつらせていた。
「選りすぐりの警護兵たちが、それでも?」
「天災に接するとはどういうことか。歴史が証明しておりましょう。捕捉ではありますが、王女殿下は事態を収拾したとして市民から喝采を浴びられたそうです」
短く答えると、周囲からは嘆息が漏れた。目線を下げ、肩を落とすようにし、苛立ち交じりに踵を鳴らす。反応は様々ながら、全員が似通った心情を抱いただろう。
あの原動力はどこから湧いてくるのだ。
いっそのこと、他国へ留学にでも行ってくれないか。
そのような願いを吐息に溶かした。
彼らが危惧しているのは、己の領地や領分を侵食される恐れがあるからだろう。
アメリア様は、貴族社会における空気や闘争といった領域からは離れている。当人がそのことに無自覚であり、ゆえに貴族の領分を飛び越えてくる。
彼女の影響力は、貴族に限定されない。上流階級に位置する大半の者に、大小かかわらず影響を及ぼした。もしくは、現在も及ぼしている。
「以前のパブリッシュマカロン事件にて、」
「三か月前の召喚交流の折には、」
「一週間前の玉ねぎ浮遊騒動では、」
このとき。三日前の件に関し私は意図して言葉を少なくした。経緯を省き、結果のみを強調するように告げた。
富裕層の街区をにぎわせた二つの事件は、アメリア様が原因ではない。偶発的に発生した事柄であり、その場に居合わせただけの彼女は市民を助けるべく率先して動いたのだ。民衆の態度は当然だろう。
護衛を担当した者達は随分と潤った表情をしていた。噂とは異なる姿を目の当たりにし、第一王女殿下への見る目が変わったのだと推察した。あの方のカリスマ性は留まることを知らないようだった。
概要を調べれば容易にわかることだが、記事の見出しのみで判断する奴らにはそのような手間さえ惜しむ。『アメリア様』という単語だけでまともに聞く耳を持とうとしない者達には効果覿面だ。あの御方に対する不平不満を、わかりやすく表明してくれる。
腐す暇があるならば、自領地の発展に力を注げばいいものを。
話題の人物に関する事柄で、会議は数十分続いた。
アメリア様を起因とした事件の数々を挙げていく彼らは、見方によっては彼女を褒めたたえているようにも見えた。
全員が反感を抱いているわけではない。少数ではあるが畏怖の念を瞳に讃える者もいた。
無理もない。貴族社会の顔ぶれは、一年前とは随分変化した。
王国でも有数の貴族であったマグドリッシュ家やウェーキーファーク家は、アメリア様の奔放な影響力を敵視し、あらゆる手段を用いて排除を試みた。
その結果、彼らはここにいない。
両者とも力の大部分を失い、現在は辺境地方の一自治区や小都市へと飛ばされた。
その他にも、衰退した貴族は少なくない。アメリア様もそうだが、ガーウェンディッシュ家の令嬢によって弱体化した家もある。
だからこそ、これまで中層程度に留まっていた者達が、発言力を高めようとしている。
次代の権力を求める彼らは、時を掛けて存在を強めていく腹積もりだろう。家格の急速な発展は求めていない。
肥大化を目論めば、それだけ災害を受ける可能性が跳ね上がるからだ。自らの力は誇示したいが、王女殿下に目をつけられる真似は避けたい。
自分達よりも家柄や規模が数段上だった者達。名を耳にすれば誰もが媚びへつらっていた者のほとんどが、今では威光を鈍らせこの場に参じることさえ無くなった。
二の舞を演じるつもりはない。そう心掛ける彼らは、リスクとリターンの天秤を携え惑い悩む。
「まったく、まったく」
「そうとも、そうとも」
「うむ、うむ」
それにしても、好き放題によく発言できるものだ。
アメリア様は神出鬼没な御方。いつどこで聞き耳を立てているか。それをわからないはずがないだろうに。
ペッティン、コーロー、アビッツォの三家は清廉潔白ではない。どころか黒い噂が付いて回る者たちだ。いっそのことアメリア様へ密かに告げて、三者を排除させるような騒動を起こしてもらうべきか。
そこまで思考を巡らせたところで、頭から振り払う。誘導など、あの方に通じるはずもない。
大勢が彼女を利用しようと試みた。そして片膝をつき、時には地べたに首を垂れた。
大胆不敵に束縛されず、型に嵌らない信念を貫くからこその第一王女殿下だ。
好嫌や利害で他家と繋がる者たちは、常ならば互いを陰で罵り合うのだろう。しかし、第一王女を目の前にすれば、不思議な連帯と結束の輪を作りだす。水が油に、油が水にわざわざ姿を変貌させてまで味方を探そうとする。アメリア様のカリスマ性の一面ともいえる。
彼女を標的に誰かが船頭に立てば、追随する者は少なくないだろう。だが問題は、それを誰がするか。アメリア様に異を唱えることは、平原を闊歩する猛獣の視界に飛び込むと同義。
そのような度胸を秘めた者など、ここにはいない。所詮は中程度の器ばかりだ。
強いて言えば、宰相の地位にある私ぐらいだろう。全くもって、その気は起こらないが。
ドラグネス家は悪事に手を染めたことはない。品行方正を志し、堅実に安寧に。目立ちはしないが悪評も立たない。ただただ、陛下より賜った宰相に従事している。
たとえヴァルモン王家に誠実なる忠誠を誓う身であろうと、この場では彼らの声に耳を貸さなければならない。大国における貴族の役割、個々の機能を無視するわけにもいかない。
議論の皮を被った不平不満を取りまとめ、それでいて力ある者の影響力を多方面に生かす。
私は、市民と王侯貴族の調整弁に遂行するのみだ。
「一時間半後に再開します。皆、茶葉の香気と背もたれに身を委ねましょう」
言葉を皮切りに、参加者は続々と立ち上がり部屋を出て行った。
「宰相閣下はどうされるので?」
「私は未処理の案件を少しでも進めに参ります。定刻には戻りますゆえ」
「いやはや、それほどまでに火急のことですか」
「お気になさらず。諸侯らは十分に羽を休めるがよかろう」
「ドラグネス殿はまさしく国の礎。我らも頭が上がりませぬ」
取って付けたような世辞を述べた貴族たちを見やり、私も部屋を後にした。
談話室に赴く彼らとは反対の道を行く。慣れ親しんだ王城の長い廊下を、やや重い足取りで進む。磨き上げられた大理石の床に、影が長く伸びた。
突き当りの角を曲がったところで、私は小さく息を吐いた。
休憩を挟む。これを告げた時には、肩の力が抜けていった。
王城の廊下は美しいステンドグラスから漏れる柔らかな光に満ちているが、私の心中には雨雲が漂っていた。またあの密室に戻らねばならないことを思えば、気が晴れるはずもない。
粘着剤を練り込まれたような靴底を引きずるようにして、数分ほど。王城の西翼にある小部屋に辿り着いた。
ソファーにテーブル、ティーセットを用意してある。どれも派手さのない質素な造りだが、それぐらいがちょうどいい。あとは市井で話題の書物を添えられれば好ましい空間に足り得る。
時間に余裕があれば、近くの部屋に置いてあるピアノへ指を走らせることもできよう。
何者にも邪魔されない。煩わしい人物模様に悩まされない。
そこでは、宰相の役職を肩から下ろせるひとときだ。
「あ、お疲れ様ー」
足を踏み入れ、目を疑った。
薄紅のブロンドは、挙動に合わせて揺れていた。




