第九話 「ノーラの日常」(4)
「まずは、聞かせてもらおうか」
中央本館の二階。現在授業の扱われていない空き教室に、一人の教師と数名の生徒が集められていた。
私、ナークさん、ナークさんの友人二人、そしてオルテンさん。
先生は、数か月前のドリル・ホール飛行事件のときの担当教員だ。
「では、私からよろしいでしょうか」
「グレイン・オルテン。君は一部始終を伝え聞いただけのようだが」
「姫殿下にこの場を一任されました。このあと、特に急ぐ用事もありませんので」
「それなら構わない。事の成り行きを説明してもらいたい」
「はい」
全員の視線が集中する中、とくに臆した様子のないオルテンさんは、粛々と経緯を述べ始めた。
「三十分前、アメリア王女殿下が魔法を暴発させました。普段の素行を省みれば、なんら不思議には映りません。ただし、本件は姫殿下の御意思で引き起こされたものではありません」
改めて思うけど殿下の日常って異常だと思うけど、誰も指摘しない。魔力があれば魔法を発現できて当然のように、殿下と言えば不良行為と全員に共有されていた。
「こちらのエステルハージ嬢と出会った姫殿下は、令嬢を連れて中央本館から数十メートル離れた池の近くに来ました。二人は石畳の上で少々の談笑を交え、その後、令嬢が魔法を唱えようとしたところ、姫殿下は興味本位で言葉を被せるように詠唱した」
オルテンさんの言葉に、不足はない。
彼と僅かな話のあと、中央本館の前で殿下と出会った。そして、噴水広場近くの池の方へ歩いた。私と殿下が友人になったきっかけの場所で。
私は石畳に右の人差し指を向け、左手でノートの切れ端を持って、詠唱を始めた。魔法で浮かび上がる名前を先に出してから、殿下にナークさんの頼み事を伝えようと思った。
しかし。
その魔法式が私の想像よりずっと難しく、歯切れの悪い詠唱になっていると、隣から覗くようにして紙を見ていた殿下が、私の詠唱に追従するように唱え始めた。手助けするつもりで口を開いたのかもしれなかったけど、途中から私は口を閉ざして、殿下に任せることにした。
詠唱が終わると、石畳の上で突如大気中の魔力が逆巻いた。
掌に収まるぐらいの小さな突風となったそれは、池や噴水の水を微量ずつかき集めるように大きくなった。そして、急激に圧縮されたかと思えば、一瞬鈍い光を放った。
お世話係のエルミナさんが異変に気づき、咄嗟に私と殿下を担ぎ数メートル離れたところで、魔力が破裂した。回転していた塊は、最後に水をまき散らすように消失した。発生した部分の石畳は亀裂が入り少し捲れ、地肌が覗いていた。
「恐らく。魔力の過剰な圧縮により、反動が発生したのだと思われます。ゴム製のボールを両手で無理やり抑え込もうとすれば、反発があるように」
「魔力が行き場を失い、音を立てて消滅したと」
「ご推察の通りです」
訳も分からず殿下と二人で首をかしげているところに、オルテンさんがやって来た。
どこかへ歩いていったはずの彼は、殿下に伝えるべき事柄を思い出し、私に言伝を頼もうと探していたらしい。甲高い暴発音のした方角へ向かうと、私たちを発見。そして傍で一部始終を目撃していたエルミナさんが、丁寧に過不足なく経緯を伝えてくれた。
「姫殿下に怪我等はありませんでしたが、これは歴とした大逆事件に当たります。容疑者への厳正な処分は免れないでしょう」
「その通りだ。だが、その前に聞いておきたい。当事者である第一王女殿下は、何故ここにはいないのか」
「このあと公務が控えているらしく、そちらを優先されました。このような事件は日々の一端に過ぎない、と」
「頻度が多すぎると思うのだがな」
盛大な溜息をついた教師に、共感の意を込めて苦笑いした。
オルテンさんは公務と言い換えたけど、殿下とエルミナさんはあのあと二人で赴く店があったらしく、事情説明諸々を私とオルテンさんに放り投げて行ってしまっただけにすぎない。
あの方、本当に自由よね。
エルミナさんは、また私がやらかしたと思ったそうだけど、ノートの切れ端を見せて懸命に説明したら、すんなりと理解してくれた。
犯人は連れて来いと言いつけられたけど、まさか生命を奪ったりはしないわよね?
「そして騒ぎを聞きつけた私に、エステルハージ君はスイット君の名前を挙げた。この紙端を渡した本人として。その他にも二名いたということで、こうして呼び出させてもらった。何か弁明はあるだろうか」
隈のできている視線がちょっとだけ怖い成人男性が厳かに伝えると、それまで一言も発さなかったナークさんは口を開いた。
「申し訳ありませんが、私は知りません。エステルハージさん、とは同じ授業を受けていたかもしれませんが、直接お話したことはありません」
「え、一時間前に会ったのに」
「人違いではないですか? 二人は会ったことある?」
「見かけたことはあっても、話したことは無いわ」
「私もです」
平然とした様子で振り返り尋ねるナークさんに、友人二人も同調した。私と会ったという事実すら彼女たちは否定した。
「失礼を承知で申し上げます。そちらのエステルハージさんが出鱈目なことを言っていると思います。それか勘違いか。とにかく、私達は関係ありません。この人が嘘をついています!」
「ええ! 私!?」
一時間前の穏やかな雰囲気が鳴りを潜めたナークさんは、敵意を眼差しに込めて指を突き付けてきた。
取り巻きの二人もまた、そうよそうよ! と同調して睨んでくる。
この人達、完全に私を犯人に仕立て上げるつもりだ。確かに、ナークさん以外の人とは会話してないけど。
殿下に公務の事を聞きたいと言ったのは嘘で、あの魔法式も殿下に悪意を持ってのことだったんだわ。自分達は無関係を装って、私に罪を擦り付けるつもりで。
「君たちは一時間前、どこで何をしていた?」
「図書館で調べ物をしていました。識別論の引用文献を探していた頃だと思います。その時に一緒だった子を呼んでみてください。私達のことを証言してくれるはずです」
「なるほど、その子の名前は?」
ナークさんが名前を伝えると、構内放送を掛けて呼び出そう、と教員は告げて扉から出て行った。
あれ。何か、開いた扉の先で、ちらっと見えたような……誰も気にしてないわ。というか出入口の方を見てなかった。いいえ、それより今は、目の前のことよ。
「エステルハージさん、だったよね? 勘違いだったんでしょう? 私もさっきはああ言ったけど、きちんと教師の方に説明してくれたら、これ以上は言わないから」
「そうよ。私達だって、突然呼ばれて犯人扱いされれば怒るわ」
「先生が戻ってきたら、ちゃんと話して、ね? 罪が軽くなるように、私達も口添えするから」
ナークさんの言葉に取り巻きの二人も一緒になって、私を責め立てる目をしていた。彼女たちは完全にこの件について否定するつもりだ。
これからやって来る証言者は彼女たちの友人で、口裏合わせした台本を読み上げるはずだ。それぐらいは、私にだって推測できる。
そうなったら勝ち目はない。謝罪を求められて、言われるままに頭を下げることになる。
いいえ、それだけで収まるとは思えない。未遂とはいえ、殿下に危害が及ぶ可能性があったのだ。それを考慮すると、退学さえ視野に入る。進級どころか、汚名を背負って私はこの大学を去ることになる。
「始めから、私を嵌めるつもりだったんだ」
「嵌めるって何? 冤罪を掛けられているのは私達の方なんだけど」
「口を挟むようで申し訳ありませんが。ご両者とも、一度落ち着かれてはどうでしょう。ここで議論を熱しようと、判断を下す教員はいないのですから」
割り込んだオルテンさんはそれだけ告げて、また黙ってしまった。沈黙が落ちた部屋で私も目線を下げてナークさんたちと目を合わせないようにした。
オルテンさん、私のこと庇ってくれたのかしら。一応、こっちの証言者なのよね。
それにしても気まずい。前には私を犯人にしようと躍起になる女子三名と、粗相をしてしまった男子生徒。針の筵を実感しているわ。
そうこうしているうちに教師が戻ってきた。今度は私に焦点を当ててきた。
「君はどうだ。何か反論は」
「私も、なんでああなったのかわからないので」
「それで私の名前を挙げたんですか? 全く無関係の私を」
「ええ、だってこの紙、渡してきたのは、」
「それは根拠としては不十分です。私の筆跡でもないのに。今回は、その方が自らの技量を弁えずに引き起こした魔法事故です」
若干俯いて答えると、ナークさんは冷ややかな態度で糾弾してきた。
「エステルハージ君はスイット君の名前が組み込まれていたと言っていたが、どこにも見当たらなかった。これについてはどうだろうか」
やられた。ナークさんはここまで計算していたんだ。言い返すことはできなくもないけど、説得力が伴うかしら。上手く説明できる気がしないわ。
紙切れに綴られた魔法式を指でなぞるようにした教師に、何と言えばいいのか。
かといって、このままでは私が犯人にされる。それにしても、ナークさんたち、ちょっと落ち着きがないような。変に焦っているように見えるのは、気の所為かしら。
沈黙した私に、教師は隣に立つ男子生徒に視線を逸らした。
「オルテン君は、現場のことは話を聞いたのみで、目撃はしていないのだな?」
「はい、そうです。ですが、事件の前にエステルハージ嬢と彼女たちが話しているところを見かけました」
「そう。それがエステルハージ君側の証言だ」
「オルテンさんが目撃したのは、私たちとは別の人ではないですか?」
「それも否定しきれない。だからこそ、先ほど校内放送で呼び出しを命じた君たちの証言者を待っているのだが、少々遅いな。既に帰宅してしまったのだろうか」
ナークさんたちのアリバイは崩せない。渡された紙の文字は彼女の筆跡ではない。
どうにかして反論できないと、濡れ衣を悔し涙で濡らすことになる。
「遅くなり申し訳ありません。連れてきました」
「……ええ!!?」
凛とした声音に顔を向けると、そこにはガーウェンディッシュの姿があった。
「ガーウェンディッシュ様?」
「何で、彼女が」
私とナークさんたちは驚いて口を半開きにした。何故、あの女がここに来たのか。
そして、隣には見知らぬ女子生徒。うつむき加減にしている彼女は、ナークさんの言っていた友人かしら。
その人は視線を泳がせて、恐る恐るといった様子で室内に足を踏み入れた。
「ガーウェンディッシュ君。何故君がここへ?」
「オルテン家の令息様に頼まれまして。話は聞き及んでいます」
「ええ!」
沈黙していた青年を見やる。やっと来たか、といった面持ちの彼は、静かに瞼を閉じた。
私、驚いてばっかりだわ。というか、いつの間に。
「私はアメリア王女殿下の学友であり友人です。私的な交際のある方に危うく被害が及びそうになったと聞けば、居ても立っても居られませんでした」
よくもまあ言ってのけるわ。いつもは不平不満ばかり漏らしているくせに。内心では、殿下が痛い目を見なかったから残念がってるんじゃないの。
「手早く済ませましょう。伝えることは主に二点です」
目を細める私を気にすることもなく。まるで壇上に上がった俳優のように、銀髪女は高らかに告げた。
「まずは、スイット家の令嬢であられるナークさん。そのご友人であられる彼女から」
優雅に制服の裾をはためかせた女は、主人に叱られた子犬のように身を縮こませる少女へ視線だけを寄せた。
「事件当時。貴方は本当にかの令嬢方と居たのかしら?」
「…………い、いえ。私は、今日は、一人で調べ物をしていました」
「貴方!」
「静かにできるかしら?」
声を張り上げたナークさんに、ガーウェンディッシュは翠瞳を細めた。
全身から魔力をわずかに漂わせ睨みを利かせた大貴族の令嬢。冷淡かつ冷酷な無言の圧に、先ほどまで私を責め立てていた三人の女子は、口を閉ざしてしまった。
「長く一人で居たので、司書さんに聞いてもらえれば、偽りはないとわかってもらえます」
おずおずと答えた女子生徒は、それから誰とも視線を合わせたくないように俯いた。
私達がここで問答をしているうちに何をしていたのか。銀髪女に従順な姿勢を、どころか服従を示す女の子は、どこか哀れみさえ覚えさせた。
「これで、そちらの方々の虚飾は剥がれました。それともう一つ。その魔法式よ」
「そのことについて、私からも一つ尋ねてみたかった」
口を挟むようにした教師にガーウェンディッシュは不機嫌になるわけでもなく小さく頷き、視線だけで質問を促した。
「前提として。この事件は、この紙に書かれた魔法によるものなのだろうか。これの意図した効果とは、現象が異なると思われるが」
「え、そうなんですか?」
どういうこと? あの紙に書かれていた魔法じゃないの?
間の抜けた声で聞き返した私に、教師もまた反応を待っていたかのように続けた。
「近場の水を、魔力で引き寄せる。ここに書かれている通りでは、それが本来起こり得る結果のはずだ。使い道は多岐にわたるが、わざわざあのような場で使用する意味はない。せいぜい池や噴水の水を手繰り寄せるぐらいのものだろう」
「そんなことをして、どうするんですか?」
「それを私は聞きたいのだがな」
特に何も考えずに投げかけた私に、教師は肩をすくめた。私も首を傾げた。
ナークさんから聞いた話とは全く違う。それに、発動した現象まで。
なんだか、こんがらがってきたわ。誰か分かりやすく説明して!
「少し前に、一人の生徒が他生徒へ嫌がらせのためにこれを利用した事例が報告された。まあ、これは置いておくとして、今回の結果は道理を外れている」
「先生の抱かれた疑問を解きましょう。もちろん、これはあくまでも私の仮説です」
「拝聴しよう」
その場の全員の視線を釘付けにした女は、空気をたっぷりと含ませて唇を動かした。
「答えは単純です。アメリア王女殿下が唱えたからです」
「………………え? それだけ?」
自信に満ち満ちた態度で発せられた言葉に、私は思わず聞き返した。
流石に、その根拠が難しいんじゃ。
ナークさんたちでさえ、何を言っているんだ、って顔をしているわ。
「ガーウェンディッシュ嬢、説明はそれだけか?」
「付け加えるのであれば、一カ月前の事件が参考になるかと」
ますますわからないわ。何を言っているの、この女。
性格だけじゃなくて頭まで悪くなったの?
一カ月前の事件なんて。殿下は日頃から問題を起こしているのだから、どれが該当するかなんてわかりもしないでしょ…………一カ月前。
あ、私と殿下が、友達になった日だ。




