第九話 「ノーラの日常」(3)
魔法には格位が存在する。第三、第二、第一と階梯を用いて区別され、これらは様々な要因で定義される。
威力や規模、魔法式の構築及び実行への難易度、発動までの速度や詠唱の長さ。必要とされる魔力の量、制御の継続性など。
火や水といった自然現象から、人体と生命、物質や錬成、空間への影響など、多様な魔法は国によって格付けに多少の差異が介在する。だが、根本的な捉え方に違いはない。
簡潔に言えば、数字が小さくなるほど習得難易度が高い。
「なんでそうなるのよ!」
「だあって~~!」
銀髪を揺らしてあからさまな溜息をつく女に、私は情けない声を出して突っ伏した。
午後。本日の講義が終わり、あとは帰宅するだけの時間。
数時間前にリファーナさんと使用していたテーブルで、私はガーウェンディッシュと顔を突き合わせていた。卓上に広げた教科書は小難しい言い回しや魔方式が羅列されており、私はそれらをノートに摸写していた。
復習しているのは第三階梯の水魔法。私が最も苦手とする分野だ。
「苦手だとしても、第三よ? プレップスクール時代には出来ているはずよ?」
「私は出来なかったわ」
貴族出身者の大半は、幼少からの教育により大学へ進学する前には第二階梯の大半を習得している。入学試験では最も得意な第二を実践できるかどうかも見られる。
第二どころか第三の魔法すらおぼつかないものが多い私は、自由自在に操れるほどの精度で習得できている者はわずかだ。ちなみに目の前の女は第二どころか第一を複数会得している。
そんな人には、私の苦労は分からないでしょうけど!
「……よくこの学校に入れたわね。秘密の入学式でもあったのかしら?」
「あー! 言ったわねぇ! 私だって頑張ってるのに!!」
初等、中等までなら何とかなった。でも、それ以上となると難しい。
私だって入学できたのが不思議よ。気合いと勢いで唱えた魔法がなんとか上手くいったんだもの。筆記試験だってボロボロだったけど、たぶん実践で何とかなった。
そう、つまり私は、やればできる子。ちゃんと集中して取り組めばできることは多い。はずなの。たぶん、おそらく。
「はぁあ、はーあ。どうしたらもっと賢くなるのかしら?」
「ううううう、もういいわよ!」
わざとらしい溜息をつく翠の瞳に、私はいきり立った。唇を尖らせて教材をバッグに押し込み、倒してしまった椅子をちゃんと直し、顎を突き出すようにしてガーウェンディッシュに背を向けた。
何よ、もう。あんなに呆れなくてもいいじゃない!
さっき出された問題集だって、十問中一問しか合ってなかっただけでしょう! リファーナさんを見習いなさいよ!
どこに向かうでもなく、足早に進む。迎えの馬車まで、結構な時間が残っている。
本来なら、ガーウェンディッシュにまだまだ勉強を見てもらうつもりだった。
それなのに、勢いに任せて飛び出してきてしまった。勢いが良すぎた。良くない方面に。
私から頼みこんだことなのに、それさえも自ら放棄してしまった。今からだと戻りづらい。
けれど、これは進級に関わってくることだ。
お世辞にも成績が良くない私は、落第の第一候補と言ってもいい。このままでは確実に進級できない。
もう一度、頭を下げてでも頼むべき。とはわかっていても、足を反転させづらい。
あの女もあの女よ。教える側の態度じゃないわ!
リファーナさんの魔力の残滓を飲ませてやりたいわ!
「エステルハージさん、だよね?」
「うん?」
立ち止まって逡巡していると、ふいに声を掛けられた。身体ごと振り向くと、目尻が下に垂れている女子生徒が微笑を浮かべていた。
両隣では、友人らしい二人の女子生徒が同じように微笑んでいた。
「ええと」
「突然ごめんなさい。私、スイット家の次女、ナーク」
「ええ、ああ、はい」
「識別論、確か取っていたよね? 私も取っているの」
「そうなんですか」
ナークさん、ナークさんね。スイット家っていうと、この国でも有数な家柄じゃなかったかしら。少なくとも、エステルハージよりは上だったような気がする。
今まで話したことあったかな? 何で急に話しかけてきたんだろう。
「この前の授業の時、単位のことで悩んでなかった?」
「うん、これ以上点数が悪くなれば落第って言われた」
この前って言うと、授業終わりに先生にダメ出しばっかりされたところかしら。
あの薄い頭の先生、いつも苛立ってて怖いのよね。魔力までトゲトゲしいもの。
「私、あの先生の好きそうな論文、知っているよ。引用に適したところも」
「え、え!? 教えて!」
「く、食いつくね……」
目線の先に餌をぶら下げられた馬のように私が近づくと、ナークさんは両手を小さく胸の前に掲げて制止するように告げた。
この人。困ってる私に、わざわざ声を掛けてくれたの? 前の講義のことまで覚えていて。
凄く良い人なの? ……いいえ、ちょっと待って。そんなはずないわ。私に近寄って来る人は大体悪い人だもの。
リファーナさんは別でね。殿下は……ギリギリ良い人かしら。
「その代わりさ、ちょっとお願いがあって、」
ほら、やっぱり来たわ。
何をさせようというの? 教師の弱みを握る? 大食堂の制覇? 移動販売店の季節限定商品を買ってこいとか?
どんなお願いでも、報酬に見合わなければやらないわ。
「エステルハージさん、アメリア王女殿下と親しいよね?」
「うん、友達だけれど」
「私、王国史を取っていて。系譜や治世の功績とか、王室の役割についての科目なの。王女殿下に実際の公務を聞けないかなーって思っていて」
「え、それだけ?」
「それだけ。王女殿下の公務、何でもいいから聞いてきてくれれば」
「それなら、殿下に直接聞いた方が早いと思うけど」
「そうしようと思ったんだけど、その、王女殿下とは講義が被ってなくて。それに活動的な方だから時間をとってゆっくり聞くこともできなくて。あとは、巻き込まれたくないかなって」
「あー、確かに」
学業や公務の傍らに殿下はトラブルを引き起こし、その被害に遭った人は大勢いる。そういえば、この人達も何回か巻き添えになったのを見たことがあるような気がする。とすれば、あまり殿下には近づきたくない心情も理解できる。
そういうことなら別に構わない。殿下に聞いてメモしてくるだけでいいんだから。思ったよりも真っ当な依頼だったわ。
こういうのは、出来る人がやらないといけないからね。貴族の義務って奴よ!
「わかった! 聞いてみる!」
「ありがとう。識別論の資料、まとめておくから。あ、あとこれもお願いできるかな」
「これ、て?」
渡されたノートの切れ端には、複雑な魔法式が綴られていた。私が覚えていないだけで、教科書とかには書いてあったのかもしれない。
ナークさんの筆跡ではないわね。印刷魔法とか転写魔法で教科書の文言をそのまま取り出して張り付けた、といった感じかしら。いいなー、私もこういうのできるようになりたい。
「知っているとは思うけど、水魔法のひとつね」
「水魔法。水魔法ね、うんうん」
「指先を地面に向けて唱えると、発射された水が文字を描いてくれる。この魔法式に私の名前を入れてあるから、アメリア殿下の前で唱えてくれるだけでいいの」
「これって、第二階梯だったりする?」
「第二だけど、それほど難しくはないから。屋外で、できれば石畳の上で使ってね。ちょっとした仕掛けがあって、人づてに教えてもらうわけだから、王女殿下にお礼と言うか感謝というか。とにかく、楽しんでもらえるようなものが見られると思うよ」
「へえ、それじゃあ、やってみるね」
「ありがとう、それじゃあね」
人好きのする笑みを浮かべて手を軽く振る女子生徒に、私も大きく振り返して背を向け、歩き出す。
まずは、殿下を探さないといけないわ。まだ大学に留まっているかしら。
ガーウェンディッシュのことは……一旦忘れよう。ふん、私が戻らないと理解して慌ててればいいわ。
ところで、ナークさんって殿下のことあまり知らないのかしら。普通に尋ねてまともな答えなんて返ってくるとは思えないけど。まあ、頼まれたものは仕方ないわ。
こういったつながりは、後々大きくなるもの。現状危うい科目の一つを解決できるなら、私にとっても十分なプラスになる。特に期限は言われてないけど、早い方がいいわよね。
友達になれるのかは、わからない。でも、もしかしたら三人も一気にできるかも。
他の二人の名前も、聞いておけばよかったなあ。
魔法についてはどうしよう。私も精一杯やってみるけど、駄目そうだったら殿下にしてもらおう。私よりも殿下の方が綺麗に発動できると思う。
「わ、」
とりあえず中央本館へと歩いていると、道の先から一人の生徒が視界に入ってきた。
シャープな顎と整った眉、少しきつめの切れ長の瞳。こちらに気づいたのか、男子は微かに目元を細めた。
咄嗟に目線を下げた私は、前傾姿勢になった。ここは、俯いて気づかなかったフリをしてすれ違おう。
オルテン家の令息は、ほんの数メートルの距離で突然立ち止まった。
そそっと道を譲るように脇を進んでいた私に、オルテンさんは獲物を狙う鳥類のごとく足早に近寄ってきた。
なんで、何で近づいてくるの。これだと、無視するわけにもいかない。
「ご、ごきげんよう。オルテンさん」
「……ごきげんよう。ミス、エステルハージ」
やや青白い肌が相まって、うっすらと、それでいて淡々と睨まれる。
何か、何か話さなくちゃ。
「あ、で、殿下は見ていませんか?」
「騒がしい方を目指せばいいかと。姫殿下をお探しなら」
「それは、そうですね」
うう、何か圧を感じるわ。
この人とは、まだまだ、だいぶ気まずい。一カ月前、彼の整えられていた髪を破損させてしまった記憶が、私の肩を震わせる。あの時は植毛魔法だとかで殿下が直してくれたけど、私が魔道具を発射させて被害をもたらした事実は消えない。
でも、あれって殿下にも責任はあると思う。
少し説明を聞いただけで引き金を引いた私も、悪かったとは思うけど。
「先ほど、どなたかと話しておられましたか?」
「え、ええ。スイート家の、あれ、スイット? の次女と言っていたナークさんって人と。話したのは初めてでしたけど」
「スイット家の次女ですね。かの令嬢とはどんな話を?」
「え、何でそんなことを?」
気になる人だったのかしら。
訝しむように見やっても、彼は表情を崩さかなった。
「失礼。あの方とはいくつか同じ講義を取っていまして。教師からの評価が高く、私も参考にしたいのです。話したことはなかったので、どうしたものかと思案していたところでした」
「あ、そういうことでしたか……ナークさんが受講している王国史について、王族であられるアメリア殿下に質問をしたいそうです。その仲介として、私に頼んでこられました」
オルテンさんは黙っていた。早口に捲し立てたけど、ちゃんと伝わったかしら。
「あ、あの……?」
「ありがとうございます。ああ、彼女には私のことは話さなくていいです。下手な誤解をされたくはないので」
「わかり、ました」
そう言い残したオルテンさんは、軽く私に会釈すると来た道に戻って歩いていった。その威風堂々とした足取りを見送るようにした私は、半ば呆然としていた。
な、何だったのかしら。
そして、 一時間後。
「この人が嘘をついています!」
「わ、私!?」
私は、ナークさんに指を差されていた。




