第九話 「ノーラの日常」(2)
いくつかの講義を終えて、お昼どき。
眩しいばかりの視線を降らせる太陽の下、図書館付近に設置されているテーブルで、私はある人と席を共にしていた。
「エステルハージさんもそれを頼んでいたのですね」
「はい! これ美味しいですから!」
吸い込まれそうなほど深い紫紺の瞳に、ゆるやかなウェーブを描いて胸元まで流れている長髪は、一部が精緻な三つ編みに編み込まれている。
気品や上品と相まって、彼女の佇まいには、どこか神秘的で人間離れしたような雰囲気が漂っていた。
リファーナ・エス=サラディアさん。
殿下を通じてこれまでも何度か顔は合わせていて、この前のパン作りでも隣で一緒に取り組んだ。
南方に沢山ある国のひとつ、サラディア王国の王族で、ヴァルモン国には留学に来ている。
同性の私でも思わず見惚れてしまうくらい、所作が綺麗。模範的というなら、この人こそ相応しいと思う。どこぞの嫌味な女子生徒よりね!
日課である礼拝堂でのお祈りをしてから昼食を取るつもりだったらしく、銀縁の木肌テーブルに座っていた私の姿が見えたらしい。
突然声を掛けられてビックリしたけど、それ以上に嬉しかった。彼女の手には、私と同じものがあったから。
「大食堂は人だかりが凄かったのでしょうか」
「混み混みの混みでした。もう、全然座れません」
中央本館には、大勢の学生が腰を下ろせる大食堂が存在する。王都でも有数の店から派遣されてくる料理人たちが、実績と矜持と双肩に乗せた品々を提供する。授業や研究、社交で多忙な大学の学生たちは、それでもここに集ってくる。
当然、昼食時は特に混雑しており、席に座れない者も出てくる。
「やっぱり、こちらにして正解でしたね」
「皆もっと時間をずらしてくれればいいのにー」
「皆さん考えることは同じなのでしょう」
広大な敷地では、格式ばった大食堂以外にも選択肢がある。その一つが、移動販売店だ。
屋台とは言っても、一般の市街地で見かける販売店とはまるで違う。華やかで衛生的な見た目から調度品、取り扱う食材はザックスファードの名に恥じないものばかりだ。
大学が認めた専門の調理師や契約した業者のみが敷地の移動を許可されている。
利便性と効率性を重視する一定数の学生など、十分に需要がある。
「私、結構好きなんです。ここのミートパイ。お肉が本当に美味しくて」
「実は、私も。学生寮に帰る前に立ち寄ることもあって」
「ですよね! たまにガバっとかぶりつきたい時があって。私はいつもですけど」
私とサラディアさんが手にしているのは、コンタルージュのミートパイ。
容易には破けることのない特殊な素材で作られたホイルが、料理とともに内部で掛けられた保温魔法を包んでおり、パイ生地の固い感触と出来立ての温かさが掌に伝わる。
ひとめくりすれば保温が解除される仕組みになっており、優雅に食べ進めることができる。
「昼食はこれ一つで十分ですね。少量に抑えないと眠気に誘われますから」
「あ、私もです! 午後の授業はよく寝ちゃいそうになるので、抑えめに!」
「……私の三倍は、買われているそうですけれど」
「……えへ、今日はちょっと、お腹がたくさん食べたいらしくて」
話を合わせるために同意を示したけど、手元の食べ物を見れば、言い訳が苦しかった。
ミートパイの他にも、同じくホイルで包まれた軽食が二つ並んでいる。
一つはデリケートサンドイッチ、もう一つはソーセージロールだ。
どちらも同じく魔法による温度調整が施されており、新鮮かつ出来立ての状態を保って、封を切られる瞬間を待っている。
本当は、いつもこれぐらい食べている。
育ち盛りだから。まだまだ育ち盛りだから、食いしん坊ってわけじゃない。
「いただきます」
「いただっきまーす!」
ん~、おっいしい~!
王都の東側、肥沃な草原で育てられた魔牛の赤身肉をふんだんに使用しており、南から輸入されるソーデキノコが散りばめられている。それらを閉じ込めたパイ生地が、一口ごとに旨味を届けてくれる。
大食堂で出される料理にも劣らない軽食だ。
この後の二つにも期待感が募る。他にもいくつかの移動式販売店はあるが、私はコンタルージュが一番のお気に入りだ。
「……」
「……」
黙々と、二人で食べる。会話は無い。たまに目線を上げると、サラディアさんもちらとこっちを見ていたようで視線が交差する。
二人してまた俯くようにし、手にした生地に口をつける。
……き、気まずいわ。何を話せばいいのかしら。
サラディアさんとは、殿下や他の人といるときに会話をするような間柄で、二人きりで話したことはない。てっきり話を振ってくれるかと思っていたけれど、これって、私から話しかけた方がいいのかしら。
でも、食事の時はあまりお話をしないのかも。南の宗教的ご法度などがあるかも。
こういうのって、聞いた方がいいのかな。けど、そんなことも知らないの? って顔をされたらどうしよう。
とりあえず、ミートパイは食べ終わったわ。二つ目、サンドイッチよ。
ううん、どうしよ。このまま黙ってるのもちょっと辛いわ。この、何ともいえない空気ってどうしたらいいのか迷って悩んじゃうのよね。
そうだわ、それこそ南方のことを聞けばいいじゃない。
「な、南方って。私行ったことがなくて。名産品とかにも明るくなくて。どういったものがありますか?」
「め、名産品、ですか」
とにかく、会話が無いことに耐え切れず、口を開いた。
脈絡なく尋ねる形になってしまい、紫紺の瞳がハッと気づいたように目線を上げて、その拍子に口元から零れそうになったパイ生地の滓を、彼女は慌てて拭うようにした。
うう、ごめんなさい。急に聞いて驚かせちゃったわ。
「私のいた国だと、やはり海産物でしょうか。マグロやカツオ、タコにイカ。近年では保存魔法の進化によってそのまま輸出されることも増えてきましたね。一昔前は塩漬けや干物にしてからでしたが」
「あ、牡蠣も生で入って来ました! 私も家で食べて、美味しかったです!」
「ふふ。他の一部地域や都市国家では、オリーブオイルやオレンジレモンといった柑橘類などもでしょうか」
想像していたら余計に歯の上下運動が早くなり、いつの間にかソーセージロールに手を出していた。サンドイッチはあっという間に消えていた。挟まれたキュウリやハーブがハムとよく合っていて美味しかった。
話題のチョイスは、間違いなかったわ。サラディアさんの口が滑らかになってきたもの。
「端織物や刺繍といったものも、聞いたことがあるのでは。東方からの絹糸を使い、南欧の職人が精巧に織り上げた工芸品は、ひとときほど目を奪われますよ」
「へえ~~。いくつか見たことあるぐらいで、やっぱり本場でも見てみたいです」
サラディアさんは食べるのが遅い方らしく、ようやくパイ生地を食べ終えそうだった。意図していなかったけど、私も丁度あと一口二口で同時に完食しそう。なんだか歩幅を合わせられたみたい。口の大きさは同じくらいなのに、ここまで食べる速度に違いが出るのかしら。
私の食べ方、汚かったりしないかしら。テーブルマナーだって叩き込まれてはきたけど、いざ実践となると不安だわ。
「南方の魔法は、ここでもよく使うんですか?」
「あまりしませんね。この国の魔法の方が、普段使いといった点では手軽に扱えますので。もちろん、儀式魔法や信仰魔法は一通り習得していますよ。得手不得手は当然ありますが」
「儀式魔法……魔法陣を描くのがメインですよね?」
「そうですね。ご存知の通り、魔法には口頭での詠唱と文字を綴る式陣の二通りが主流ですが、儀式魔法はその二つを兼ね備えていますね。この国との違いといえば、式陣の際に円上の魔法式を描くことと、発動までの所作でしょうか」
「円上、ですか? 所作って、こう、両手を合わせて祈りを捧げるような形ですよね?」
「まずは、私達の信仰や魔法史をお教えした方が、飲み込みやすいでしょうか。少し長くなりますよ」
「え、えあ、はい」
ほとんど同時に食べ終えて、ホイルをまとめテーブルの隅にどけた私たちは、会話を膨らませた。私が疑問を思い浮かべて、それに答えてもらう流れ。
南方の宗教や国の成り立ち、発展した魔法史の現在の主など。
三十分ぐらいの講義が始まった。お昼休憩だったけど。まだまだ次の講義まで時間はあるから良かった。
それに、思っていた何倍も面白いわ。ヴァルモン国のとは一風変わっていて。
「ぶへえ」
でも、ちょっと疲れた。色々情報が流れてきて、頭の中が破裂しそう。
「あ、ごめんなさい。少々長くなってしまいました」
「いえ、ちょっとずつですけど、わかってきました。儀式魔法が器で、信仰がコップですね」
「…………それだと、中身がありませんね」
「ごめんなさい!」
ええと、確か、儀式は人で、信仰は液体で。魔法は儀式で、魔力は国で…………あれ、どうなんだっけ。
もう、嫌になるわ。私の理解力の無さには。これじゃあ、サラディアさんに呆れられるわ。
「口だけの説明だと少々わかりづらいでしょう。実際に披露してみましょうか」
「え、いいんですか?」
「このあと講義は無いので。特段の秘密主義でもありませんから」
ニコリとほほ笑むサラディアさんは、内容をきちんと理解できていない私にも柔軟に対応してくれた。この人こそ聖女だわ。
「今日は少し肌寒いですから……体温を上げる魔法はどうでしょう?」
「体温を上げる、ですか」
サラディアさんは、そうして、瞼を伏せた。
淡い光を纏わせた右手で、左の肩から左腕、左手の指先までを撫でるようにしたあと、今度は左手で右側を同じようになぞる。そして、両手を豊かな胸元で重ね、口ずさむ。
「焔の欠片、我が内奥にて芽吹く。閉暗に泣こうとも、その光は供に」
最後に、胸からゆっくりと口元まで上げた掌へ、唇を軽く尖らせ息を吹きかける。
一連の動作は、まるで決まりきった流れを行く川のように流麗で繊細だった。
洗練された所作は、見るだけで感動を覚えさせた。
全身から、わずかに光が解き放たれた。それは纏っているというよりも、聖女の内側から漏れ出ているような波動だった。
「どうぞ、私の手に触れてみてください」
「わ、温かい」
差し出された手は、陶器のように白くしなやかで、直に触れてみるとその変化は如実に感じられた。まるで窓から差し込んだ日光が机を温めるように、段々と熱が上昇していく。
「これがあれば、寒い季節が怖くないですね」
「ふふっ。皆さんそうおっしゃってくださいますが、これにも欠点はあります。ずっと発動していなくてはなりません」
「あ、それだと」
「はい。私は数分ぐらいで解除します。真面目に取り組めば一時間は継続できるかもしれませんが、その後は魔力切れによって倒れてしまいます」
それもそうだわ。石炭が無いのに列車が走れるはずもないもの。
便利だと思っても、やっぱり魔力が続かないとどうしようもないのね。
「自身の魔力、正確な詠唱、淀みのない所作。それらを踏まえて信仰は行われます……試しにやってみましょうか」
「教えてくれるんですか!」
人差し指を立てて得意気にしたサラディアさんは、私と目線を合わせてきた。
そこまで興味があったわけじゃないけど、なんか良い感じの流れだ。仲良くなるきっかけになりそう。
「また失敗しましたぁぁ」
「もう一回です、エステルさん。今のは詠唱と魔力の流れにズレが生じてしまいましたね。ですが、詠唱は全部言えてましたよ。所作も問題はないです」
魔力、詠唱、所作。正しい手順でできずに五回も不発に終わる私に、サラディアさんは何度も修正と指摘をしてくれた。うう、優しい人だけど、申し訳ないぃぃ。
あれ、いつの間にか渾名で呼ばれてない? これ親密度上がってるわよね?
「私、エステルさんなら……貴方ならできると思ってます」
紫紺の瞳は、目線を逸らさずにいてくれる。呆れた顔一つしない。
必ずできると、信じてくれている。
これに応えずして、エステルハージは名乗れないわ!
うう、うお、うおおおおおおお!!!
そして、六回目。
じわりと掌を纏い離れない透明に近い粒子の波は、全身を覆っていた。厚手のコートを着た感覚とは違う、へその付近から糸が伸びてくるように指先まで熱が通い始める。
血管の脈動、僅かに開く毛穴、皮膚を伝播する熱。体温の上昇が、時間の経過と共に引き起こされる。
「やった、やった! できました!」
まさか、こんなに早くできるなんて。一般的な魔法だって、十回以上は失敗する私が。
意外に適性があった? いえ、きっと指導者の腕が良かったんだわ。
「おめでとうございます。綺麗な発動でした」
「ありがとうございました。サラディアさんのおかげです。時間かかっちゃいましたけど」
「お気になさらず。普段接している方に較べれば、なんてことのない『平穏』な日常ですから」
「……あはは、確かにそうですね」
平穏を強調した聖女に、私も思わず笑みがこぼれた。
名前を挙げなくても、お互いに誰かを想像していた。
あの薄赤いブロンドの、問題児さんを。
「それに、一生懸命に取り組んでくれましたから、私としても教え甲斐があります」
「えへえへ。いつも失敗ばかりなんで」
失敗の数なら、誰にだって負けない自信がある。失敗するっていう自信だって負けないけど。
「たとえどれだけ躓こうとも、前を向く。それがノーラさんの美点ですね」
「へ、えへへへへへへ…………え、今、名前、」
「お嫌でしたか?」
やっぱり、聞き間違いじゃなかった。
「い、いえいえいえいえ! そんな、ちょっと驚いただけで」
「私のことも是非名前で。これからも、お互いアメリアさんには振り回されるでしょう。宜しくお願い致しますね、ノーラさん」
「……はい! リファーナさん!」
魔法で上昇した体温以上に、高揚感で胸がいっぱいになる。
やった、リファーナさんまで、呼んでくれた!!
「私、知りたいです。南の魔法、もっと知りたいです! ……また教えてください!」
「…………時間があったときに。前向きに、検討を、しようと、思いますけど、どうでしょう」
「教え甲斐は!?」
やる気に満ち溢れた申し出に、リファーナさんは急に態度と口調を変えてしまう。
えええ、何か粗相でもしたかしら。
何はともあれ。
リファーナさんと友達になれたわ!




