第六話 「組織の名は」(3)
水路に落ちる水滴の音が、やけに遠くで聞こえるようだった。
聞き間違い、か?
いや、この耳で、確かに聞いた。
「今宵も語り合いましょう…………アメリア様を!!」
「アメリア様万歳!!」
「アメリア様に栄光あれ!!」
「アメリア様…………我らが神よ!」
万雷の拍手が起こる傍らで、思わずたじろいでしまっていた。
何だ、なんだ、なにが起こっている。
「三番目に発言された方。言葉には気をつけてください。私たちの集まりは信仰ではありません。忠誠の視覚化ですから」
「はっ、そうでした。申し訳ありません!」
「良いのです。形容は内心の顕れでしょう。これからは気を付けてくださいね」
「はい! より富んだ表現を心掛けます!」
目の前の光景に、頭と精神の理解が、一向に始まらない。
想定外、あまりにも想定外の事態に直面した。
「もう三日も、アメリア様を見ていないなぁ」
「そうなのですか? 吾輩は来る途中でお見かけしましたよ。護衛の方々と、ご学友らしき方と並んで歩かれておられました」
「精力的な方ですじゃ。この前も、市販のバランスゲームを広場で積み上げられておったの。噴水より高くまで、凄かったのじゃ」
「それなら私も見た。成功したときに、全身をつかって喜びを顕わにしていたなぁ! 可愛かったぁ」
「よき……」
「いいですじゃ……」
「わかるよ、あの方は輝いて見えるもん」
わかる。
コロちゃんにニュートにグラまで。お前ら、わかっているな。
間近で見ていた私も、終盤はハラハラドキドキが止まらなかった…………などと言っている場合ではない。
どういうことだ? こいつら、この人達は、アメリア様に危機をもたらす集団ではなかったのか。いや、待て……Dさんとの会話を思い起こしてみれば、そのようには捉えられない。
むしろ、アメリア様への好感触を示していたような。
「エレクトラさん、貴方も噂を聞きつけてきた以上、ご承知のうえだとは思いますが」
後方で狼狽していた私に、Dさんがゆったりとした足取りで近づいてきた。
「あの、Dさん、これは…………」
「改めてお伝えしましょう。我々は――アメリア第一王女殿下を崇める者達の集いです!」
初耳でした。それどころか、アメリア様に害を為す組織だと思っていました。
ことによっては、殲滅を考えていました。
「ふふ、エレクトラさんも、まさかここまでの熱量があるとは思っていなかったようですね」
言葉に窮した私に得意気に胸を張るDさん。私は若干の眩暈を覚えそうになった。
「あの方に較べれば、私も霞んじゃうなぁ」
「何をおっしゃいます、コロさん。貴方も負けては……そう、太陽と雑草みたいなものでして」
「今言い淀まなかった? それにフォローになってないし」
「コロちゃん、そう自分を卑下するものではないぞ。あの方に比すれば誰だって露や霞のようなものじゃ。高級料理と残飯を較べるようなものじゃ」
「もっと良い言い方あるでしょ!」
どうやら私は、穿った見方をしていたらしい。先入観で視点がねじ曲がっていたのか。
いいや、まだわからない。アメリア様をまつり上げることで、おこぼれを狙っている場合も十分に考えられる。もう少し様子を窺おう。現状では、一人一人の真意は読み取れないのだから。
「今回は、新しく加われた同志のためにも、かの御方の功績を、諸君らと振り返りたい」
大袈裟なまでにローブをはためかせたコアンは、一言ずつ切り替わる音声を意に介さず朗々と語り出した。
「全てを列挙したいが、いくつかの事例に留めておこう…………まずは、先日の小麦の買い占め、並びに貧困層への配給!!」
「あれには愕然とさせられましたな」
「最初は戸惑ったけど、真意を知って鳥肌が立ったよね」
王城に招いた学友たちと、パンを作っていたときのことだ。次々と焼き上がるパンを王都中に配送すべく四方を飛び回っていた私は全容を後から聞いたが、随分と楽しまれたようだった。
参加はしなかったが、後悔はない。料理が不得手ということもあるが、一日中都市を駆ける必要があったのだ。
アメリア様が事前に描いていた計画だったとはいえ、場所によっては運搬が滞っていた。そのようなところへ、持ち前の身体強化魔法を用いて、私は応援に回っていた。
物資を抱えて目的地まで運び、溝に嵌った荷馬車があれば道へ戻して再始動させ、地方各所へ届けるための鉄道が脱線すれば、両手で持ち上げ線路へと戻し、不具合の発生した飛行船があれば墜落事故を起こす前に両手で支えて軟着陸させたりと、忙しなかった。
全てを終えて城に帰還すると、夜更けにもかかわらず、アメリア様が起き上がって迎えてくれた。
私のためにパンを作ってくれたらしく、まどろみの中で待っていてくれたのだ。
その労いには、感涙で数分ほど立ち尽くしたものだ。
ローブの者たちが思い思いに称賛するのも無理はない。
あの件は、まさしく先見の明だけでは説明できない功績だった。指示を受けた当初は、私でさえ反対したほどだ。
しかし、何か底知れぬ危機を感じ取っていたのかもしれないアメリア様は、頑として命令を覆さなかった。結果的には大成功を収められ、市民には喝采を持って受け入れられた。
いったい、どれほど先を見据えておられるのか。末恐ろしくも誇らしかった。
「次に、以前より悪評が渦巻いていた、ヤッバン・ゴレッチの失脚! 奴は貴族として国の重職に就いていながら、その陰で悪逆の舌を回していた。領地の一つの辺境における希少魔鉱石の不正取引、それに付随する領民への過酷な労働。それらを、アメリア様は自ら暴かれ、世間に知れ渡ることとなった!」
「アメリア様は以前から疑惑の目を向けていたのかもしれないね」
「義憤を募らせる日々に辟易したのじゃろうな」
「マスメディアも素知らぬふりをしておりましたな」
辺境での非人道的労働環境。その地で採れる純度の高い魔鉱石は、重要な天然資源として国が所有権を持っている。ゴレッチは採掘を任命されただけであるにもかかわらず、採掘量を改ざんして一部を他国の要人などに献上し、見返りを得ていた。
あれは、意図したものではなかった。東の留学生が、開発品のために純度の高い魔鉱石がないことをぼやくと、『じゃあ、探しに行ってみよっか!』とアメリア様が言い放ち、私とヴェルディックを伴ってこっそり領地に踏み入ったことがきっかけだった。
盗むつもりではなく、金髪の開発者が求める大きさのものが見つかれば、後々領主と交渉して手に入れる算段だった……その過程で発覚した事件だ。本来なら、アメリア様は領地侵害として訴えられてもおかしくなかったが、功績でかき消されたのだ。
流石はアメリア様。もはや空笑いが漏れそうなほど、運に愛されている御方だ。
「次に。アメリア様は、自身に対して偏向記事を流布していた記者を、自ら成敗された」
これも、第三者から見ればそう見えてしまっているのか。
アメリア様のスキャンダルでも欲していたのだろう、安易な考えで付け回っていた記者どもがいた。私は排除しようとしていたが、アメリア様は自由にさせておけとおっしゃった。
こちらから何かすれば、奴らは嬉々としてそのことを記事にしていただろう。
結果は言わずもがな。奴らは一日中振り回されるばかりか、しまいには過去の捏造記事まで自白する顛末になった。
「あれは大層愉快じゃった」
「あんな奴らの書いた文なんて読みたくもない」
「あの者ども、吾輩の店でも迷惑行為を働いておりましたからな。実に痛快でした」
私の主からしてみれば、普段通り振る舞っていただけで、何故か因縁をつけられたようなものだ。本人は全くもって気にしていなかったとはいえ。
「そして、何より。我々がこうして巡り合えた奇跡は、地下水路の浄化に他ならない!!」
全くもって、その通りだ。
弁舌を振るうコアンさん、私やDさん、周囲の人間に至るまで、現在も恩恵を受けている。
都市の地下に張り巡らされた水路は、常人の立ち入れない空間だった。
人体を蝕む大気の壁は、小動物に至るまで生物を締め出していたのだ。
しかし、ある事件から変質した。
「それを成し得た人物こそ、我らがアメリア様、第一王女殿下だ!!」
歓声がひと際大きくなったところを流し見て、私も頬が緩む。
数カ月前、王都は数年に一度の【魔導列強会合】の準備で多忙を極めていた。その会議の目玉の一つであった【祝福の香油】は、王家の秘蔵として各国の大使や有力な権力者たちに贈呈の予定だった。香油は見た目とは裏腹にサラサラとした液体であり、少量でも強力な浄化と癒しの効果を持つ。
国際的に注目を集める会合の前日。
百の小瓶に分けてあったそれらのうち、アメリア様はあろうことか半分を無断で持ち出した。
王都の地下水路から立ち上る臭気と、その環境の劣悪さを憂いていたアメリア様は、その効果を試すという名目で、こっそりと私的に使用した。地下水路の主要な起点、つまり大量の穢れが集まる場所に、豪快に流し込んでしまったのだ。
最初は数個程度だったが、効果が薄いと見て取ると次第に追加して投じていき、気づいた時には半分を投げ込んでいた。
当時はアメリア様の命で宰相や運営のサポートに回っていた私は、これを事件の当日に知った。
『これで少しは、臭いがましになるはず!』と満足そうに額の汗を拭っていたという。
翌日、当然のことながら王宮は大騒ぎとなった。アメリア様の関与もすぐに判明したが、最高機密の香油を単なる芳香剤として使用した事実は、国際問題になりかねない。
宰相は卒倒し、外務大臣は気絶し、私は慄いた。
しかし、立ちつくしてもいられなかった。他の目玉のいくつかを贈呈品として整えた。
そこにもアメリア様は介入した。
ビンゴ大会なるものを開催。本来の司会者が気絶したので代わりを務め、数字や文字が書かれたカードを招待客に配布していった。大広間の中央にはどこから持ってきたのか、真鍮製の巨大なルーレット式抽選機が設置された。
レバーを引くと、機械の中に封じられた光る数字の球がガラガラと音を立てて回転していた。
くじ引きゲームは、ビンゴした者から順に贈呈品を選択して貰い受けるという展開になり、数字が読み上げられるたびに大いに盛り上がったものだ。
成功を確信した私も、途中からは会場の熱気に同調して楽しんでしまった。
王室や貴族にとっては醜聞の隠蔽と会合の成功に複雑な顔を浮かべる形になったが、結果的に【祝福の香油】の大量流出が、地下水路に予期せぬ大規模な浄化作用をもたらしたのだ。
「通称【香油事件】と評される事柄は、我々の淵源と言っても、過言ではない!」
毒性の高い瘴気が中和と希釈によって薄まり、無害な水蒸気と化していった。
壁面を覆っていた青白く光る毒性のある粘菌や、病原菌を宿す苔なども祝福の魔力によって一掃された。地下の空気に充満していた刺激臭や、その原因が時と共に取り除かれていった。
浄化作用に伴い、水路を詰まらせていた一部の沈殿物や汚泥が溶け出し、水流れが大幅に改善された。結果、淀みが減り、安全な通路が確保された。
「臭いなどすっかりしなくなりましたな」
「『臭い物には蓋をする』が、この間までの共通認識だったのにね」
「アメリア様はどこまで見通されておられるのかのう」
「王女殿下は一体何者なのでしょう。人智を超越した存在に思えます」
しみじみと、噛みしめるように頷くDさんのとなりで、私は肩を震わせていた。
なんだ、この人達、なんだこの集団…………最高か。
いや、まだ、まだ。そう易々と信頼してはならない。
そうだ、本来の目的を思い出すべきだ。
これしきのことで、私が絆されることはない。
*
「アメリア様万歳!! 第一王女殿下に栄光あれ!!」
気迫のこもった拳を、私は再三にわたって突き上げた。
「我らが象徴! 奇跡の御方! ヴァルモン王国に栄光あれ!!」
呼応して、眼前の人々も片腕を天に向けて伸ばした。
なんて……なっっっんて楽しいんだっっっ!!




