第五話 「手合わせと依頼」(2)
「う…………あ!」
「お疲れ様でした」
長い眠りについたと思ったけれど、気絶していた時間は五分にも満たなかったらしい。
跳ね起きるようにして目覚めた僕に、エルミナさんは少し笑っていた。
「まさか、一撃をいただくとは思いもよりませんでした」
結果は――歴然としていた。
仰向けに倒れる僕を、彼女は見下ろしていた。
僕は九割、ほとんど全力で臨んだが、彼女は二割か三割程度。一割かもしれない。
称賛してくれるけれど、貴方は腰の剣すら抜いてはいないじゃないですか。
ここまで手も足も出ないなんて、結構ショックだ。
「力量、練度、伸びしろ……まずまずといったところです」
褒めてくれている? 褒めている、のかな。たぶん。恐らく。
淡々と評価を述べるエルミナさん。僕はおもむろに立ち上がった。
彼女の声音はどこか弾んでいるようだった。
「ハルデン様の確かな腕を見込みまして、ご相談したき件がございます」
圧倒された相手に称賛されても、なんだかなとは思う。それでも、お眼鏡にはかなったんだ。
「明後日の一日だけ、アメリア様と行動を共にしていただけませんか」
「え?」
アメリアと? どういうこと?
呆けた僕に構わず、彼女は続けた。
「現在、王都で不穏な集会をしている組織があると耳にしました」
「組織……」
「現状は噂話として捉えられているそうですが、真偽のほどを確かめたく思いまして」
調査に行きたい、けれどアメリアの護衛を離れる訳にもいかない、と。
エルミナさん自身が行くってなると、余程の事だと思う。
「他の方を派遣すればよろしいのでは?」
「代わりは既に手配しております。優秀な者ばかりです……しかしながら、彼女たちのみではアメリア様に振り回されるだけでしょう。それでは困ります」
「……それで僕も護衛役に、ということですね」
「失礼は承知のうえです」
起伏に乏しい瞳で真っすぐ見られても、僕、経験なんてないんだけれど。むしろ守られる側だと思うし。
「ええと。信用していただけるのは光栄ですが、僕なんて力になれるか」
「普段と変わらぬ振る舞いで構いません。当日は護衛役四名が常に控えております。ハルデン様はあくまでも御学友として、です」
「何か危険が迫れば、と…………わかりました、お引き受けします。エルミナさんが警戒するほどの組織なら、僕や他の人では太刀打ちできないでしょうし」
「ありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします」
さて、引き受けた手前準備することは少なくないぞ。セレヴィにも伝えないと……これってセレヴィには話していないのかな。
「セレヴィには声を掛けておきましょうか?」
「……それもそうですね。ハルデン様からお伝えしていただいてもよろしいでしょうか?」
「わかりました。セレヴィも居ればより万全を期せると思いま……あ、たしか。セレヴィはその日、調停中の裁判で呼ばれていたような……とりあえず話だけでもしてみます」
「このことは、くれぐれも内密にお願いします」
「はい、委細承知しました」
快諾した僕の声音と表情は明るかった。けれど、内々には確かな違和を感じていた。
たぶん、たぶんだけれど。エルミナさんはセレヴィを快く思っていないんじゃないかな。
アメリアが気の許している人物を裏の護衛として配置する。彼女の思案は正しいと思う。
人伝いに把握する人柄と当人の言動を経て知るのでは人物像に少なからず乖離が生じる。アメリアに慣れていない人たちが警護に就くとなると一抹どころではない不安が残る。そのために、普段から付き合いがあり王女殿下の人となりを多少は心得ている者を非公式でも採用した方が良い。
だとしたら尚更だ。顔を合わせない日がないほど一緒にいるようなセレヴィを選択しないはずがないんだ。セレヴィの方が僕なんかよりよっぽど適任で、真っ先に候補に挙がるのが自然だ。異性よりも同性の方が、同行できる場所は多いのだから。
婚約者は一切そのような話をしてこなかった。この護衛依頼は僕だけにしている。個人間に終始する口頭での契約だ。
推測の域を出ないけれど、彼女たちの関係性には確信に近しいものを嗅ぎ取ってしまった。
僕を信用してくれたのは嬉しい反面、素直に喜べない部分もある。理由はわからないけど、彼女はセレヴィに良い印象を抱いていない。過去にその深度は測れない。セレヴィはエルミナさんを嫌ってはいないと思う……たぶん。
「私個人からの依頼となりますので、報酬を受け取っていただきましょう。何がよろしいでしょうか」
エルミナさんのセレヴィを見る目が変わってくれればいいな…………いや、できるかも。
「僕に稽古をつけてくれませんか」
「稽古、でしょうか」
面食らったように間を置いた彼女には、唐突で予想外だった。
困らせる気はなくて、好機だと捉えたんだ。
目の前にいる人はセレヴィ以上の強者で、学べることは多いはずだ。現状の修練以上に身につけられるものがある。
「……承知しました。それでは毎週、決まった曜日にここで行いましょう。ハルデン様のご都合の良い日時で構いません」
「ありがとうございます! あと、敬称は要りませんよ。同級生なんですから」
告げると、彼女は少し考えるようにして、やがて小さく頷いた。
「……では、アーク君と」
「よろしくお願いします、エルミナさん!」
全く予想もしていなかった師弟関係が、ここに結ばれた。
頭を深々と下げた僕は、ちょっとした思惑の成功に奥歯を軽く噛みしめる。目線を下げた先でぶつかる地面が、普段より細かく見える気がした。
よし、よし。一挙両得のチャンスだ。エルミナさんのセレヴィに対する印象に変化をもたらすことができるかもしれない。しれない、じゃない。するんだ。
週に一度は、こうして顔を合わせる。そのときに、さりげなくセレヴィの良い面を強調するように会話に織り交ぜていくんだ。ただ押し付けるように伝えても反感をそそるだけだから、会話に差し込むタイミングは見極めて。
最初は眉間に皺を寄せられても、いずれは受け止め方が変わっていくはず。どんなことでも継続的な向上を目標にすれば、進歩が目に見える形で現れる。
「アーク!」
聞き間違えるはずもない声が入り口付近から響いた。振り返ると、宝石と見まがう瞳を携えた令嬢が息を切らしていた。
小走りで近寄ってきた婚約者は、僕の頬を両手で包むようにしてきた。
「大丈夫だった? 汚れがこんなに…………いじめられたりはしていない?」
「安心して、気絶したぐらいだから」
「傷害罪じゃない!」
僕の腕に抱きつき、エルミナさんを睨み距離を取らせるセレヴィ。
心配してくれるのは嬉しいんだけど、たぶん誤解している。僕の言い方がまずかったんだ。
「セレヴィ、話を聞いて、」
「エルミナさん! 貴方が私に何を思っていようと勝手ですけれど、アークに矛先を向けるのは筋違いでしょう。言いたいことがあるなら私にぶつけてください」
無表情の女性に眼光を鋭くさせたセレヴィに、呆気にとられた。自覚していたんだ。
普段の接し方で薄々感じ取っていたのか、それとも僕の知らないところで二人が衝突していたのか。
なんて考えている場合じゃない。今はそれよりも誤解を解かないと。
エルミナさんも、何で口を噤んでいるんですか。弁明しないと、ややこしくなりますよ。
「ええ!! エルミナ、アークにそんなことしたの!? それは駄目だよ、ちゃんと謝って!」
いつの間にか現れたアメリアも、セレヴィの側に立って従者を非難していた。
ますます面倒なことに。まずはエルミナさんの弁護に回らないと。
「誤解です。私は彼の実力を測りたかったのです。血が騒ぎました」
「そうだよ! 僕もエルミナさんとは前から戦ってみたいと思っていたんだ!」
淡々と告げる彼女はどこか武人のような物言いだった。僕も乗っかって、これ以上謂れのない疑いを増やさないようにした。アメリアのいる手前、護衛の件は伏せたうえで。
セレヴィには、後で二人きりのときにでも伝えればいいんだ。
「え、え、え? 本当に、手合わせしていただけ……?」
「うん。手も足も出なかったけど」
ハハ、と自虐的に乾いた笑みを浮かべる僕とエルミナさんへ交互に視線を移して、ようやく理解してくれたらしい。セレヴィは数秒沈黙した。そして、端正な顔に火がついた。
「…………啖呵を、切ったのに」
蹲った。顔を隠すように。魔法を使ってもいないのに、頭頂部から煙が出てきた。
わ、可愛い。瞼に焼き付けよう。
「ガーウェンディッシュ様」
「何ですか」
無類の強さを備える人は、半ば叫ぶようにして返事をした僕の婚約者に若干目元を細めた。
「私は、貴方を嫌っているわけではありません。ただ、憎らしいだけで」
「より酷くないですか!」
「えー、そうだったの?」
知らなかったぁ、と口を挟むアメリアを一瞥して、エルミナさんは続けた。
「だからといって、アーク君に八つ当たりはしません。ご安心ください」
「それならいいです、いえ、良くはないですけれど…………アーク君?」
一拍を置いて反芻したセレヴィは、今度は別の視線を投げかけていた。
「アーク、君? アークのこと、そのように呼ばれていましたか?」
「師弟になったんだ」
「そういうことです」
「短すぎるわ! 説明して!」
さっきよりも素早い首の振りで、二度三度四度と僕らに目を丸くした。
「ねえねえ、アークどうだった?」
「想像以上の方でした」
令嬢の困惑をよそに王女が尋ねると、静かに口元を緩めるエルミナさん。
この人、アメリアと話すときはいつも穏やかなんだ。世話係としてだけじゃない、母性というか、そんな目をしている。
「エルミナ、強いでしょ」
「大自然を相手にしたみたいだった」
ニヒヒ、と誇らしげに世話係を自慢するアメリアに、僕も同じように笑んだ。
この二人は、主従でありながらも姉妹のようでいて、友人のように接している。お互いの信頼が負担にならないんだろう。僕も、セレヴィとはそんな関係をこれからも築いていけるようにしたいな。
「私の見てない間に? またなの? 今度こそ浮気?」
ぶつぶつと、顔を伏せたままで呟く翠瞳には、徐々に光が失せていくようだった。
「ねえ、アーク? この後、お話しするわよね? 私の家、来るでしょう? 来なさい」
なんだか肩や背中が重くなってきたような気がする。魔法を使っていないのに。
これ、大丈夫かな。護衛のことはまだしも、稽古の件は伝えていいのかな。次の模擬試合が苛烈なものになりそうな気配がするんだけど。
別の誤解を解くまでに、それなりに時間がかかった。




