第二話 「リラックス」(2)
「教室の空気が変わった気がする」
「そうでしょう、彼女の洗練された魔法は、目を瞠るものがあります。一般の受講者はここまでの花弁を出すことはできません」
アメリアさんと講師の話し声が聞こえる中で、私は立ち上がった。
【安息の導き(リラックス)】は、正常に発動された。
光源として眩しすぎず、微小な熱を持った花弁は、触れればじんわりとほのかな温かみを伝えてくれる。
一般の用途としては、薄暗く寒冷な場所で用いることを想定されており、周囲を照らす視野の確保と体温の低下を妨げる。
副次的な効果として、心身を落ち着かせる作用が含まれている。それらが四方へ散っていくと、ピンとしていた糸がたるむように、こわばっていた教室の空気が緩和した。
「以上です」
「はい、お疲れ様です」
魔法の影響下になった講師も、柔和な笑みを浮かべていた。
机に戻ると、生徒たちが口々に囁き合う。それは私を称賛する声で溢れていた。
「皆さん、彼女を見習ってください。なぞれば良いのです。同じように発動すればよいのですよ!」
「わかりました!」
「……では、アメリアさん。どうぞこちらへ」
アメリアさんが、にっこりと笑った。
その笑顔が一番信用ならないのですけれど。
立ち上がったアメリアさんは、教壇の前で止まって、深呼吸を一つ。絨毯の端、踏んでいましたけれど。
魔法陣の中心に足を踏み入れる。どすん、と両膝をつく。
跪くというより、勢いよくぶつけたように見えましたけれど、大丈夫…………あ、俯いて両膝をさすっています。痛かったのですね。彼女も人の痛みを理解できる方のようです。安心しました。
体勢を立て直した彼女は、両手を重ね胸元に掲げる。首を傾け、体内の魔力の流れを意識するべく、目線を…………下げない。どころか、蝋燭を凝視しています。
息をめいっぱい吸い込むようにして、口を開く。
「静穏の庭より、安息の風を請い願う。揺らめく灯火よ、花弁となりて霧を晴らしたまえ。穏やかなる香りをもって、乱りし心に安らぎを。定型より柔和を求めん! リラ―ックス!!」
何と、何て言いました!?
戸惑う私の視線の先で、灯火が大きく揺らめいた。
ポポポ、と綿毛のような光が噴き出した。それらは天井で跳ね返り、ゆっくりと降ってくる。
「うわ、すっごい出てきた!」
「これは、いったい、」
わはは、と両手を上げて大喜びするアメリアさん、隣で狼狽える講師。
私も、瞬きを繰り返していた。
何でこんなに、私より多い!? 主よ、アメリアさんの詠唱の方がいいのですか!?
「なんか、凄い眠く、」
「あ~、力が抜けて、きた、ような」
「……! 先生、アメリアさん! 身体を守ってください! 魔力で全身を覆って!!」
周囲の生徒を一瞥して、私は全身に魔力を纏い、声を張り上げた。
膨大な魔力で身体を覆ったアメリアさん、透明な障壁で全身を囲った講師。
「え、なになに、これどうなってんの?」
「あ、貴方たち! 今は授業中ですよ!」
無事なのは、私達だけ。他の生徒は魔法の影響に侵食されていた。
「ねむ、ねむ、」
「なんか、ポヤポヤする」
「すー、すー、」
「床、つめたー」
机に突っ伏して寝息を立てる者、睡魔に抵抗していても寝てしまいそうになる者、背もたれにぐでんと背を預ける者。椅子から緩やかに崩れ落ちて、床に身体を投げ出して天井を見上げる者。
「副次効果がより強く表れたようです。影響された人は、あのように」
アメリアさんの詠唱によって出現した花弁は、五十を越えていた。それらが室内に行き渡ると、自室にいるような安息の心地になっている。弛緩した雰囲気に染まってしまった。
「密室で幸いでした。このようなところ、他の生徒や教師には見せられないでしょう」
神学科の在り方を疑問視されるところだった。
「不幸中の幸いってやつだね。よかった、よかった」
不幸の根源は噛みしめるように頷きを繰り返していた。
予想はしていた。他人の足跡を辿るような性格ではないことを。それでもなお、試してみたかった。そして、彼女に信仰の魔法を教えればどうなるのかを見ておきたかった。
想定以上だ。規模と効果がまるで違う。
問題は起こったが、まだよかった。個人で対処が可能な程度のものだ。
「な、何故なぞらないのですか……? 素晴らしい見本を目の前で、」
わなわなと震え交じりに詰める講師に、アメリアさんは首をかしげ、平然と答えた。
「先生が言いましたよ? 一文ずつに解釈があるって。神様に祈りを捧げるのに、みんなが同じ所作しかしないなんて。個性の排斥だと思ったからです」
「ぐ、た、確かに……! 今は、解決に目を向けましょう」
「アメリアさんの『わかった』は、そのまま受け止めてはいけないようですね」
その言葉に、教師は唸る。反論したいのにできない顔だ。
凹凸な祈りの型、詠唱の追加、魔力量の多少、原因特定には要素が多い。
今は、目の前の状況を対処しなくては。魔法への防御策として纏っている私たちの魔力が、尽きる前に。
げんなりとする私に、当の本人は、けろりとした顔でこちらを振り返る。
「大丈夫! どうにかできるよ…………考えるから!」
望みは薄そうだと捉え、私は講師に提案する。
「リファーナさん。アメリアさんに、あれをさせてみましょう」
「私も、そう考えておりました」
「なになに、なにするの?」
アメリアさんは儀式魔法について知識が少ない。けれども、伝えさえすればその規格外な魔力を通して十全な効果を発揮する。それは、対抗魔法についても同じこと。
説明と手順を伝える。頷いた彼女は、教団の前に立った。
両手を掲げて、唱えた。
「堕落を蔑み、汚穢を嫌う火よ、満ちた不浄を狙い撃たん! 【洗浄の散火】!」
火先が迸った。三つの光が虚空へ飛び出し、室内の綿毛に襲い掛かった。接触と同時に花弁はかき消されるように消失し、光は更なる獲物を求めて飛び回る。
一噛みごとに全てを呑み込む光球は、刺激を追い求める貪欲な姿勢から生まれたようで、獰猛な犬にさえ見えてくる。
「アメリアさんが唱えると、こうなのですね」
「何故でしょう。教えたことを一つも遵守していなかったのに」
私と講師が教えたことを、またもや王女はずらした。魔法陣に立ち入る前に三度の足踏みをするはずが、勝手に省略して絨毯の上に立ち、蝋燭に背を向けて唱えるはずが面と向かって口を開き、掲げる必要もない手をふんだんに上へ突き出して、余計な詠唱も追加した。
そして、眼前に広がる結果だ。
浄化魔法の一種ではあるが、私が唱えても、火の光が宙を駆けることはない。
一体、彼女には魔法がどのように見えているのだろうか。
三分と経たず、室内に満ちていた空気は消え去った。獲物がいなくなると、邪気を払う光の粒子も霧散した。
生徒たちも、続々と正気に戻っていったところで、終了の鐘が鳴り響いた。
私と教師の目論見通りとはいかなかったものの、被害らしい被害はなく終えられた。
「わあ、楽しかった!」
事態が収まると、アメリアさんは満足げに笑う。
……楽しかった、で済む問題でしょうか?
「彼女は、主に愛されているのでしょうか。見当もつきません。信仰とは、儀式とは」
「先生。アメリアさんの詠唱は、これまでにない解釈でした。それが結果的にあのような現象を生んだと考えると…………価値はあると思います。不眠に悩む人々の一助になるのではないでしょうか」
教師が額を押さえて呻く。私はそっと口を開いた。
無理もない、彼女の異質性は、噂でまず恐れ、体験を通して更に恐れるようにできている。
幾度となく触れようと恐れが増すばかりですけれども。
しばしの沈黙の後、教師はため息を吐いた。
「……私も、そう感じていました。もしかすると、新しい視点が生まれるかもしれません」
アメリアさんの参加は、結果的に一つの新たな解釈を生み出す契機となった。
彼女自身は、そのことに無頓着で。そして無邪気に尋ねていた。
「また来ても、いーですか?」
「…………横向きに検討いたします」
「横向き?」
十分に間を取って、講師は回答をした。
アメリア王女は、実績をもたらす。しかし、付随してもたらされる混乱を、許容してもいいものか。そんな心の声が、聞こえてくるようだった。
玉虫色の返答、いいですね。私も困った時はあのように返答しましょう。
アメリアさんに今後教える魔法は、よくよく吟味したうえで伝えましょう。
……それにしても。アメリアさんの【安息の導き】は、安眠魔法としてすぐにでも導入したいほどです。
あの綿毛の一つや二つ、瓶詰めはできないものでしょうか。ベッドに入る五分前に、蓋を開ければ熟睡できそうな気がします。スッキリした状態で朝を迎えられるでしょう。
今度、アメリアさんに実技指導と銘打って、こっそり瓶に詰めてみましょうか。




