第一話 「ふわっと膨らむ」(3)
焼き上がりを想定した最終的な成形も終わり、二次発酵。
生地が元の大きさの1.5倍から2倍に膨らみ、指で押すとゆっくりと戻る状態になった。
職人たちが休憩時間に入ったときを見計らって、焼成を行える人から順次投入していった。
「上手く焼けているでしょうか」
「大丈夫です。私が手伝ったんですから」
「なおさら不安じゃないかしら?」
「貴方のは少し焦げればいいわ!」
初めての試みからか心配そうに窯を見やるリファーナさんに、胸を張っていたポンコツ。
ポンコツが自信満々なら誰だって不安になるでしょう。窯の中で爆発が起きるかもしれないじゃない。
「焼けてるかなー、綺麗に焼けてて!」
目をつぶって祈るようにする王女は、一人で一つの窯を使っていた。象を模したパンと一緒に残りの生地も入れていた。他の窯で全員分焼けているから構わないけれど。
ひとしきり呟いたアメリアは、身を翻してエプロンを締め直した。
この子、また何かするつもりなの。
と思っていたら、小麦の入った袋とは別の、穀物袋を引っ張りだしてきた。
「それって、ライ麦? 黒パンも作るの?」
ライ麦粉は一般的に小麦粉よりも色が濃く、全粒粉に近い濃い褐色から灰色や茶色がかっている。ライ麦の外皮や胚芽が小麦よりも濃い色をしているためだ。
「これと小麦を一緒にしようかなって」
鉄道網の発達により、遠方からでも小麦が安価に輸送できる現代で、都市部や経済的に余裕のある層の間では、白い小麦粉を使用したパンが好まれるようになった。とはいえ、地方ではまだまだライ麦で作られた硬めのパンが主食のところもある。ヴァルモン王国の北部では特にそうだろう。
「ブレンドするってこと?」
「ううん、重ねてくっつけるだけ」
「ふうん」
大きな画用紙とペンを取り出した王女は、おもむろに書き出した。
象を白黒で表現するつもりで、イメージ図を描いているのかも。特に問題はなさそうね。
周りでは、お互いの好き嫌いや食文化について花を咲かせていた。
「私たちはライ麦が一般的でしたので、柔らかいパンを初めて食したときは感動しました」
「ああ、俺も驚いたな。こんなものがあるのかと」
北国出身の二人は、この国に来てからソフトパンを知ったという。
寒冷地ではライ麦が栽培に適しているでしょうから、ハードパンの食べ方の選択肢、種類に関しては彼らの方が知っているかもしれないわね。
「私は白い小麦の方で育ちましたので、黒いパンは馴染みがなく。エステルハージさんは?」
「私はどっちも好きです! 柔らかいのはチーズやソーセージを挟んだり、硬い方は薄切りにしてバターを塗ったりするので」
王族のリファーナさんはそうでしょう。ポンコツは…………あの子って何でも美味しいと言うでしょうね。
「何か失礼な目をしてるわね、あなた」
「気の所為よ、エステルハージさん。貴方なら味さえついていれば小麦のまま食べそうって思っていただけ」
「失礼すぎるわ! ……いい加減、ファーストネームでもいいじゃないの!」
「それもそうね……ポンコツ」
「ホント、この女!!」
私達のやり取りに、場は笑いで包まれた。
ここに集った人たちは、アメリアを介して関わるようになった人ばかり。私が知らないだけで、個人間ではそれなりに付き合いがあるのかもしれないけれど、
友人というほど近くはなく、知り合いというほど遠くもない、廊下ですれ違ったら会釈して少しの雑談をする程度。そんな距離感の面々。城に集まった当初はお互いに気遣う素振りがあったけれど、もうたいぶ肩の力が抜けているわ。
関係性も踏まえてアメリアは呼んだの?
…………そんな気遣いがあの子にあるのかしら。ないわね。大勢で楽しみたい一心で催したのでしょうし。
「もうすぐでしょうか」
「ああ~、鼻腔が幸せ~」
数十分ほどして、鼻腔をくすぐるような匂いが立ち込めてきた。
「よし、できたー!」
一人黙々と作っていたアメリアの立ち上がりに、全員が振り返る。
「何が、できたって?」
「アメリアさんは何を作っていました?」
「大丈夫よ。これから作るパンの想像図を、紙に描いていただけだと思うから」
不安に王女を見るポンコツとリファーナさんに、私が告げると、ライゼル君が口を開いた。
「魔法陣なんか、描いてはいないよな」
「さっきのパンは、象をモチーフにしていたはず。まさか実物を呼び出す召喚の式でも描いていたり、なんて…………」
アークの推測に、途端に冷気が背中をなぞるような思いだった。
「誰も見張っていなかった?」
「皆、ここで雑談してました」
全員で顔を見合わせて、即座にアメリアのもとへ駆け寄った。
「何ができたんですか殿下!?」
「爆弾?」
「食べてる途中で燃えたりしますか!」
「ちぎった途端に腐りだすとか!」
「モデルの動物は何です!?」
各々の推測を持って詰め寄る私達に、アメリアはきょとんとした。
「みんな、なに言ってんの。これだよ、これ!」
「あ、これって」
画用紙には、クマが描かれていた。人目を引くように愛らしくデフォルメされていた。
白い生地で頭と胴体を作る。比較的大きな塊の小麦粉生地を用意する。丸めてクマの頭や胴体になる部分を成形する。黒い生地でパーツを作る。ライ麦粉の生地を少量ずつ取り分け、丸めて耳と目、鼻のパーツを作る、など、最後には生地同士をくっつけるとまで補足が書き込まれていた。
「ほ、よかった。魔法陣を書いているわけじゃなかったんだ。クマをモチーフにしたんだね」
「一安心しました。ひとりでに動くパンでも作っているのかと。殿下はただ絵を描いていたんですね」
「若干ですけれど、肝が冷えたといいましょうか。アメリアさんも静かな時があるのですね」
「よかった。まともなパンだったんだ。ふふ、ライ君も珍しく慌てていたね」
「誰だってそうだろう。俺は爆発を予感したぐらいだ」
「アメリア、何でクマなの? さっきは象だったじゃない」
「違うもの作りたいじゃん…………みんな、わたしを何だと思ってるの」
意図したわけでもないのに全員が一斉にアメリアに背を向けた。
「なんで目逸らすの? 背中向けてくるの? ねえ、ねーえ!」
アメリアの咎めるような目つきと声音を背景に、皆が一様にほっと胸をなでおろしていた。




