第二話 「セレヴィーナ=ガーウェンディッシュ」(3)
私達は現在、大きな鳥籠に囚われた鳥となって、大空に留まっていた。
「セレヴィ、わたしって才能あるかも。今度は王城も飛ばせるかな」
「バカリア、貴方に大事なことを教えてあげる。才能には、責任が伴うのよ」
「ねえ、今、わたしのこと馬鹿って言った?」
「聞き間違いよ、アホリア」
「誤魔化せてないじゃん。アホって言う方がアホなんだよーん」
ひっぱたいてやりたいわ、この害獣。
ああもう、こんなことになるなんて。
魔法の維持のため、アメリアは今も掌から魔力を流していた。これだけの建物を動かすんだもの、ずっと供給していないと駄目そうね。
今、この子に何かするのはやめた方がいい。殴ったり蹴ったり、魔法を撃ちこんだりして下手に制御を失うようになれば、大惨事になるわ。
くっ、腹の立つ顔をして私をおちょくろうとしてくるバカ。あとでしばいてやるわ!
「どれだけ飛んでいるんだ!」
「ねえ、これ移動していない!? どこに行くの!!」
周囲では、この建物の状態と自分達の置かれた状況に右往左往している。
講義中に半ば強制的に空へと連行されたんだもの、彼らが混乱するのも無理はないわ。しかもこのホール、バカリアの制御下にあるものの、勝手に動き始めていないかしら。
「地面が動いて……どわっ!」
視界が徐々に傾いていくわ。足元から大きなスプーンで掬われるように、身体のバランスが崩れるように。
「アメリア! 集中しなさい! 制御が不安定になってきているわ!」
「これ、外の風の所為だと思う。魔力は乱れてないから」
一転して真面目な顔つきになった王女に、嘘偽りはなさそう。
気球が突風にあおられるように、建物は風の強さをもろに受けているんだわ。
「きゃあああ!!」
「どわあああ!!」
床が段々と角度を持ち始め、斜面へと変化していく内部では、逃げ出せもしない鳥たちの悲鳴がこだました。
私も危うく、床を滑りかけた。咄嗟に掌を自分の胸に当てて、詠唱する。
「平衡!」
魔法を自分自身にかけ、床面と並行の姿勢を保つ。安定を取り戻してから、私は人差し指に魔力を灯した。蜜柑の果汁を染み込ませたような、活力に満ちる橙色をしたそれをインク代わりにして、床に魔法陣を書き込んだ。
「あ、床が、」
「戻って、」
書き終えた陣に両手を掲げ魔力を精一杯投入すると、建物全体が鈍い音を立てながら傾斜を正していった。床が元通りになっていくと、恐る恐るといった様子で生徒たちが立ち上がり始める。
全員、特に怪我とかはなさそうね。よかったわ。
「な、直った?」
「立てる、立てる! セレヴィーナ様が正してくださったのだわ!」
歓喜に湧く生徒たちに、私は額に浮かんだ汗を拭った。
深呼吸をしつつ、改めて状況を見回した。
これは、原理が分からない。個人の魔力で建物全体を浮かせるなど、不可能なはず。私が行った魔法も、一般の人から見たら目を瞠るでしょうけれど、アメリアのしでかしたことはその比じゃない。
教員数十名が息を合わせて発動するならまだしも、単独でやってのけた?
ここまで魔力量があったの……魔力だけではない、技量にしたって。
いいえ、今は分析をしている場合ではないわ。
「アメリア、これはどこに向かっているの?」
「うーんとね、たぶん東のほうに流れてるかな」
バカリアも感覚的に捉えているでしょうから、そう言うなら東側ね。
窓から飛び降りて地上に戻る……いくつかの魔法を駆使すれば可能かもしれないけれど、それは私だけで他の生徒は無理ね。
それに、建物を放置するわけにもいかない。アメリアだけを残したら、更に事態がおかしくなってしまいそうだもの。
「あとどれほど浮かんでいられる?」
「十分ぐらい」
そんなに。私なんて十分どころか三分だって無理よ。今だって、平行に保つだけでドンドン魔力が消耗しているというのに。よく涼しい顔で答えられるわね。
なんて、驚愕している暇もないわ。もしも、制御を失って落下することになれば。
生徒だけじゃない、大学もしくは街に甚大な被害が出るわ。早く着地点を決めないと。
「着地の瞬間、全員が浮遊魔法を展開すれば、落下の衝撃は無くせる。それでいくしかないわ」
建物が破損、または全損するかもしれないけれど、人命が優先よ。ここに居合わせた人たちの中には、一周目の私が原因で命を落とした者も多くいるはずなのだから。
罪滅ぼしってわけでもないけれど、無事に返してみせるわ。やってみせる。
「問題は、降りる場所よ。安全に降りられるところは、」
「王城はどう? たぶん広いところあるよ!」
「破損でもさせたら、生還した後に全員処刑されるわね」
このバカ王女は、もっと考えて物を言いなさい。
現在は、どれほど移動してしまったかしら。既に大事になっているけれど、これ以上騒ぎを大きくしないためには、大学の敷地がやっぱりいいわね。どこかに降りたいわ。最適な場所っていったいどのあたりになるの。
「少しよろしいか。ガーウェンディッシュ家の令嬢」
振り返ると、銀縁眼鏡の金髪男子生徒が立っていた。
大学の制服に、東方の簡素な意匠。聞き慣れない東方訛りの声からして、恐らく東のリンドラ評議会から来た留学生ね。
細い体に感情を排したような表情は、この状況でも淡々としているわ。その佇まいは計算機か彫刻のごとく、周囲の生徒とは隔絶した雰囲気。ええと、名前は何だったかしら。
「敷地面積、容積、建ぺい率から考えて、ドリル・ホールはおおよそ千五百トン。安全かつ最良な着地点は三つ。校庭の第三演習場、芝生の中庭、そして西のサントーコ広場だ」
「急に何を……いえ、そういうことね」
意図を悟り、倒れている教師の下へ私は駆け寄った。羽ペンと、講義の最後に出されるはずだった課題提出用の書類一枚を教師から奪い取るようにして拝借し、裏面へ補助魔法の構造式を書き始める。
「……全体重量は千五百と仮定して。浮力偏差は東南東三度。芝生の中庭ならいけるわね」
紙面には、複雑な魔法陣の記号と、定石を無視した計算式で埋める。
迷っている暇はないわ。とりあえず脳を回転させないと。
生徒の位置、重心移動、魔力伝導経路──次々と計算式を連ねていく。細かい部分は後ろの男子生徒に修正させて、より正確な式に整えてさせていった。
「アメリア、少しずつ高度を下げられる? それと、魔力を供給したまま窓際に立って。地上に近づいたら報告を。あなたは彼女についていって、軌道の修正を補助してあげて」
「わかった!」
「了解した」
三分と経たずに書き終えた優秀な私は、同級生たちに指示を飛ばす。
アメリアと留学生が動き出してから少しして、建物はゆっくりと下降を始めた。私は大きく息を吸い込む。
「集合!! 全員、ここに集まって!!」
「オッケイ!」
「アメリアはいいわよ!? そっちに集中していて!」
こんな時にふざけている場合じゃないのよ、全く。
声を張り上げた私に、生徒たちは一度顔を見合わせ、集ってくる。人の輪がだんだんと広がりを見せる。未だ目を覚まさない教師は、男子生徒たちに引きずられるように中心に運ばれてきた。
まだ気絶しているのね…………水魔法を掛ければ目を覚ましてくれるかしら。ああでも、私も結構いっぱいいっぱいだわ。
中央に連れてこられた先生を見ていると、なんだか私たちが先生を儀式の生贄にしているようだわ。
そんなくだらないこと考えている場合じゃない。私は目線を上げて集まった生徒の顔を見渡した。
「両隣の人と手をつないで。私が合図を出したら浮遊魔法を展開すること。先生は私が担ぐわ。慌てずに、粛々と為し遂げましょう」
無言で全員が頷いてくれる。不安げな目が多いけれど、やってもらうしかないわ。
ちょっと早めの、少しだけ、いえ、だいぶ生命的危機の伴う実践だけれど。頑張ってもらわないと。
窓の方を見ると、アメリアは留学生に抱きかかえられていた。金髪の彼があの子の浮遊を担当するのね。良い判断だわ。
「中庭が見えてきた!!」
「魔法準備!!」
アメリアの叫びに合わせ、私は教師を背負い直す。身体中に魔力を満たし、その時を待つ。
「着地まで十秒!! 九、八、七、六、五、」
「展開!!」
私の号令に、十数の淡い光が呼応した。
直後、ドリル・ホール全体が、衝撃に包まれた。




