第十三話 「イヴリン・ダルヴィーク」(3)
「出立は三日後。準備を進めておいてくれ」
「…………性急ですね。せめて心の準備くらいはしたいです」
口ではそう言いながらも、私の声音は弾んでいた。
あの話をされてから週を二度跨いでいた。もしかしたらあの日の朝の事は上司の演技だったのかと、半信半疑どころか不平や怒りを抱きそうになっていたぐらいだがこの際どうでもいい。
手渡された書類の数々は紛れもない任務の証。彼の話を全面的に信じたわけじゃない。しかしここまでしてもらったら、従わない理由はない。
本当に、行くの。行っていいの? いいんですか?
これって、任務を名目にした旅行では。駆け落ちと言っても過言ではないのでは。
短期間で許可を取ってきた上官。行動と結果が早すぎる。
それほどまでに、私を大事にしている、と考えていいのだろうか。いいよね。
どうしたって期待は高まる。思考の端々に素の口調が漏れてしまうぐらいに。
「俺たちは従姉弟だが、家同士が近かったこともあり、幼い頃から姉弟のように過ごしてきた、といった役になる。確か君の方が誕生日は早かったな? 俺は弟として振る舞うことになる。よろしく頼む」
「姉弟ですか。まあ、いいでしょう」
幼少期から彼と過ごしてきていたら、どのような関係になっていただろう。
前々から想像していた、いくつかパターンに分けていた妄想の関係が、国家的に設定されてしまった。
良い。いい。凄く良い。これはもう、国が私達を後押ししていますよね。
それに、誕生日。覚えていてくれたんだ。
「二人の時以外、敬語は禁止だ。今のうちに慣れておこう」
よし、きた。
「わかった。ライネンのことは、なんて呼べばいい?」
「まだ国内なんだが」
ふ、ふふ、ふふふ。呼び捨て。勢いに任せてさりげなく、大胆にしてしまった。
「順応力が高いな。心強いよ……呼び名、か。愛称で呼び合うのが妥当だろう」
思案顔の上司を横目に、私は口角と格闘を始めた。
完全なる役得だ。能面を保つのが難しくなってきそう。
ここからはもう、役になりきるために素の口調をして言った方がいい。任務のため、目的のため、何より彼と私のため。
「俺はライ。君はイヴだ。間違っても役職名で呼ぶなよ」
「オッケー、ライ。了解、ライ。かしこまった、ライ。ライライはお姉ちゃんって呼んでね」
「ええ、すご…………それに渾名まで」
やっば。やっっば。
愛称で、可愛らしい渾名まで呼んじゃった。
上司と愛称で呼び合う。どう見ても親密な仲にしか見えない。
今、誰か入ってこないかな。覗き見ていてくれないかな。
いや、誰でもいい、盗み聞きしろ。勘違いして噂をばら撒け。
「呼び捨てでは駄目なのか?」
「それでもいいけど、姉として呼ぶことも想定した方がいいと思う」
「まあ、そういうものか」
この任務は、成功が決定した。私の中では、もう既に成功した。
今までで最高のミッションになった。
「これからよろしく頼む。イヴリン姉さん」
「……………………それも悪くないけど、他の呼び方も試してみて」
ふふ、はは、ははは。やばい。
上司に、姉呼びを強要。本来の立場では、まず不可能な事態。
これ、大丈夫? 私、処断されたりしない?
「何故だ?」
「いろいろ試してみないと、どれがしっくりくるかわからないじゃない?」
「確かに。一理ある」
もちろん、本音は別にある。
設定上の従弟は、一呼吸置いて口を開いた。
「イブ姉さん。イブリン姉ちゃん。イブリン姉。イブリン。イヴ。イヴねーちゃん。イブリンちゃん。イヴさん……まだ言うか?」
――――――お゛お゛お゛お゛お゛あ゛あ゛あ゛あ゛
耐え切れず顔を背けて、自分の鼓動を確かめる。
大丈夫? 私の心臓、まだ動いている? 麻痺は起こしていないよね?
あ~~~、良い。どれも良い。良すぎる。最高。
日ごとに呼び方を変えさせてみようかな。従姉権限でそれぐらいは聞いてくれるはず。
いや、姉の命令で、聞かせる。
「イヴ?」
「どれもいいけど……やっぱり、イブ姉さんがいいかな。たまに呼び捨ても混ぜてね」
「了解。それで行こう、イブ姉さん」
あ、ああ、頬を少し赤らめて首の後ろに手を当てた。照れている。照れているよね、瞼に焼き付けないと。
上司の悶える様。見ごたえがありすぎる。
恥ずかしそうにするライ君、やっべえ。
「あと、それ。態度を変えないと」
「態度?」
「固い顔。肩肘張ってる。もう少し柔らかくして。幼い頃から知っている人を相手にしたら、くだけた口調になるでしょ?」
私は一人っ子だけど、たぶんそうでしょう。たぶん。
指摘すると、ライ君は眉間にしわを寄せつつ口を開いた。
「姉さん、今日の報告書はどうだ? 最近は研究費用も増えてきて、」
「なんか、上司の残滓がちらつく。もっと幼くしてもいいかも…………姉さん呼びも良いね。あと、仕事の話は極力控えて。日常会話を意識して」
「ふむ、難しいな。イヴ姉さん、今日の調子はどうだ、どう? この羽ペン、どこで購入したんだ? いや、買った? ……なあ、本当にこれ、やる意味あるのか?」
「練習でできなかったことは、本番でもできないよ」
「…………正論だ。意識が低いな、俺は」
肩を落とす彼に、私は小さく笑みをこらえた。
なんて単純な人なんだろう。この人、真面目なだけでこんなに誘導しやすかった? これでは将来が不安だよ。従姉として、一緒に居てあげないといけなそう。望むところ。
「ほら、続き。お姉ちゃんを褒める練習して」
「褒める……?」
「仲の良い姉弟なら、自然と褒め合う事だってあるでしょう?」
「そう、なのか? まあ、そういうことなら」
ライ君が歳の離れたお兄さんと複雑な関係なのは、私でなくとも知っている。
この設定上の関係性は、彼にとって良い機会かもしれない。
年上の親族に頼る、良い練習になるのかも。
さて、ライ君の褒め力を測定しようか。録音の魔法具はどこにあったかな。
逡巡して、深呼吸を挟んだライ君は私と目線を合わせた。
覚悟を決めたような瞳が、眩しく光るようだった。
「イヴ姉さんは美人だ。疑いようがない。綺麗だ。可愛い。きめ細かな仕事ぶりには助けられている。気配りにおいて右に出る者はいない。いつも乱れのない着衣、立ち居振る舞いは羨望と嫉妬の的だ。こんな姉さんを持てて、俺は幸せだ」
「 ふう、ん ま、あまあ かな」
や゛っっっっっっっっは゛い。
ま、魔力が、魔力が暴発しそう。
冷静に、返したつもりだった。喉奥から、絞り出した。
体内を駆け巡る熱が爆発寸前で、血管が破裂するかと思った。
言葉一つ一つが、内臓をかきまわすように響いた。
視線を逸らして、瞬きをして。
彼はその大きな両手で顔を覆い隠し、天を仰ぐようにした。その指の隙間から、羞恥の浮かぶ蒼い瞳が覗けた。
任務にかこつけて、上司を言いなりにできる。
軍法会議ものだ。たまらない。
「やはり、固さが取れないな」
息を吐いて腕を組み、また考え込む彼の傍らで、私はまた背を向ける。
ま、まずい。過剰摂取だ。
これ以上は、魔力が全身から迸ってしまう。空気に溶け込むような薄白い透明なのに、燃え上がった熱が伝播して朱く染まってしまいそう。
その切れ端部分が、『ラブ』や『ハート』を勝手に形成してしまいそう。
今、見られてしまったら、上手く言い訳を述べられる自信がない。
早く、早く。
熱、暑い。ねつ、収まって。
抑えようのない体温の上昇に、私はまたも時の経過に救済を求めていた。




