第十一話 「アークシス=ハルデン」(3)
僕は、あの日。見届けた。それしかできなかった。
想い続けた僕から見ても、セレヴィは高潔な貴族とは言えなかった。
世間に知れ渡った醜聞は、ほとんどが事実だった。
社交界から追放された後に、ガーウェンディッシュ家からも勘当され、その後は会えなかった。僕とセレヴィの婚約は無くなり、別の人と縁談を組まれていた。両親には再考を何度も申し出て抵抗はしたけれど、非力な僕にできることはなかった。
それから数日と経たずに、第二次革命が始まり情勢が一変した。
ヴァルモン王国、いや、ヴァルモン国は、王侯貴族の処刑をもって終結した。
ハルデン家も例に漏れず、僕を除いた全員が波に呑まれた。命からがら逃げた後も、五体満足とはいかなかった。頭部の一部が焼かれ、利き腕は肘から先を失くし、右目は誰かが放った魔法の衝撃で吹き飛んだ。それでも、逃げ切った。
人の居ない時を見計らって住宅に忍び込み、包帯や食料を盗み。人目に触れないようひっそりと息を殺して行動し。そのときの僕は、貴族の体裁や矜持なんて道端に放り捨てていた。
負傷からくる高熱にうなされて三日ものたうち回ったあとでも、辛うじて生き延びた。
血と怒号の中を駆け抜けて、群衆に紛れ……そして、再会した。処刑場に立つ彼女と。
元大貴族の令嬢とは思えない姿で、牢獄生活でやつれていたけれど、あの時の僕よりは健康だった。
爵位や富をはぎ取られ、希望の一切を絶たれた姿には、胸を締め付けられた。
まさか、変わり果てた僕に気づいてくれるとは、夢にも思わなかった。
損傷の激しい顔に失われた右腕を、彼女の翠の瞳は瞬きもせず見つめていた。
できることなら、助けたい。それすら出来なくなった自分が恨めしかった。
それに、セレヴィの処遇にも納得してしまっていた。元婚約者の所業には僕だって何度も傷つけられた。それ以上に、自らの愚かさを責め不甲斐なさを恥じた。
いつかは振り向いてくれる、と心の底から信じていた。
そんな日は、残念ながら訪れなかった。
あのとき、盲信に縋っていなければ。たとえ嫌われてしまおうと彼女の成長を願い諫言を呈し、毅然とした態度で接していれば。
何もかも手遅れだった。後悔に打ち震える僕は、それでも最期を見届けようと額を上げた。
悔恨も無力感も全て涙に吸いこませた。
視線の先には決意を固めた彼女。見つめてきた瞳で、何かを伝えるように呟いた。
唇の動きを見るまでもなかった。
感謝の念だと、僕は受け取った。そのときは何故かわからなったけれど、それでも、胸中に渦巻いていた曇が忽然と消失したような心地になった。
宙に舞った彼女を見届けた後、周囲の歓声が急激に遠のいて聞こえた。
群衆から離れた僕は、損壊の激しい街を目的もなく歩いていた。
黒煙があちこちから上がり、亀裂の入った石畳や穴の開いた外壁、事変の爪痕は深く刻み込まれていた。それでも、怪我人に肩を貸し、泣いている子供の手を引き、僅かな食料を分け合う。この国に住まう人たちは空を見上げて笑っていた。
革命の勝者、歴史の勝者、時代の勝者。
彼らは未来を熱望していた。将来を嘱望していた。これから眩しい道を歩み始まるのだと。
僕のことなんて、誰も見ていなかった。見て欲しくもなかった。
人気のない小道に入り、少し歩き。やがて空を見上げた。
厚みのある鉛色の雲間から、一筋の光が差した。
それは、天から差し伸べられた救いの手のように見えた。
知人友人、家族、想い人まで失った世界で、生きる意味の無くなった人間へ語りかけるようだった。
もういいんだ。
路上の端に横たわった僕は、手にした短剣で自決した。
*
夜の帳が下りる頃、ハルデン家の邸宅は静まり返っていた。一つ、また一つと窓に灯りがともるにつれて、それらは深い森に咲く宝石のようだった。僕の中で、この邸に染みついた記憶がゆっくりと立ち上がる。月明かりに照らされた石壁が、まるで僕の過去を閉じ込める結界のように見えていた。
地下へと続く重厚な鉄扉を開けたとき、視界の先に広がったのは、天井の高い空間だ。ここに足を踏み入れると、いつだって背筋が伸びる。床や壁、天井から、魔力の残滓が微かに漂っていて、僕の内側にある戦意を呼び覚ます。
ハルデン家の演習場にて軽装に着替えた僕は、身体を軽く動かして筋肉をほぐす。外界から隔離されているこの空間は、外と変わらない空気が流れている。淀みはなく、纏わりつくような重みもない。使用人たちの整備が行き届いていることがわかる。
訓練にのみ、集中できる。
「アークシス様、準備が整いました」
「ありがとう」
使用人の言葉に頷き、靴裏の感触を確かめながら、深呼吸を二度。十数メートル先には、使用人たちが創造した石造りの人形兵が配備されていた。
三秒後、起動したそれらは僕へ向かってきた。僕は、魔力を練り上げ出す。濃い葡萄酒を更に濾したような紫の流体が、全身から沸き起こる。
体内を巡る魔力が静かに波打つのを感じるその時、彼女の顔が不意に浮かんだ。
『言ってくれればいいのに』
『私、そんなに疲れてもないわよ』
『ただ、あの子と他の人達の相手に、溜息をつきたくなっただけだから』
事情を聞いたあとも少しだけ拗ねたように唇を尖らせ、魔力をピリピリと纏ったふくれ顔のセレヴィが、まだ脳裏から離れない。可愛かった。
誤解だったけれど、無理もない。彼女を蚊帳の外にして僕は王族の姫君と密談していたんだから。人によっては婚約の解消を言い出されたっておかしくなかったんだ。
相手がアメリアだったからよかったけれど。
右手を前に突き出し、魔力を解き放つ。
「重力の縛鎖」
静かに響いた声のあと、空間がわずかに歪んだ。その周囲の空気は鉛のように重く、凄まじい圧力を放っている。
演習用の人形兵が一斉に膝をつき、地に縫いとめられていく。腕の振り上げは途中で止まり、踏み出そうとした足は地面にめり込んだかのように動かない。軋む音とともに、表面の魔力回路を明滅させる。
魔法による制圧が展開される。人形兵は自重と増幅された重力に抗うように震え続けたけれど、一歩も動くことは叶わず、その場に釘付けにされたまま機能を停止させた。
「お見事です、アークシス様」
「追加で十体をお願い。大きさと形状は不均一に。土だけじゃなくて、石や泥、鉄も含めて」
「かしこまりました」
使用人の声を背に、僕は次の魔力を練り始めた。ハルデン家に受け継がれる継承魔法──《重力の縛鎖》。その効力は広範囲に及び、対象の移動・攻撃・詠唱すら封じる。
僕の練度はまだまだだ。未来の記憶と知識を用いて成長させようと、課題が浮き彫りになるばかり。発動速度、出力、精度に至るまで、上流から下流へと向かう川のように扱うセレヴィと較べれば、未熟もいいところ。
強いて言えば魔力総量ぐらいかな、彼女に勝てる部分は。
気を引き締めないと。破滅的な出来事まで、あと四年ほどしかない。
一度目の死から目覚めた僕は、事態の把握さえままならないのに真っ先に彼女へ会いに行った。
再会したセレヴィは、当時の姿がそっくりそのまま再現されていた。
日に照らされて雫のように輝く灰光を宿した銀髪は、彼女の横顔を縁取るように緩やかな曲線を描いていた。透き通るような白い肌に映える翠色の瞳は、湖の底を思わせる深く吸い込まれそうなほどに澄んでいた。
肩で息をしていた僕を視界に収めるなり、セレヴィは口元に手を当てて驚愕に目を見開き、数秒ほど立ち尽くした。
そして、誰かに押されるわけでもなく駆け出した彼女に、勢いよく抱きつかれた。
首から肩にかけて触れ合う柔肌、背中に回った指先が温かった。力強い抱擁は、けれども微かに震えていた。頬を撫でる銀髪が、少しだけくすぐったかった。
周囲が騒然とする中、やがて顔を上げた彼女の両眼には、謝罪と決意が秘められていた。
それを見て確信したんだ。僕とセレヴィは、戻ってきたのだと。
ガーウェンディッシュ家の庭園の一角、テーブルは取り除いた場で僕らは話し合った。
状況の整理に情報の共有、感情の整理と想いの共有。
どれほど言葉を重ねたかわからない。それこそ、日付が変わるほどに長く交わした。
何度も泣き崩れたセレヴィの手を取り宥め。何度も泣き崩れた僕を彼女が宥め。
謝り合って褒め合って。お互いが自分に非があると主張し合い、どちらがより自分に落ち度があったかをアピールして喧嘩になり。
アークならもっと良い人がいるから、と婚約を解消するよう言ってきた彼女に僕は激怒し。
セレヴィの隣を歩けないなら死んでやる、と息巻いた僕は彼女に激怒され。
言い合いに口喧嘩、そして仲直り。
朝から夜中まで繰り返し、朝食も昼食も夕食も二人きりで過ごした。
そうして僕らは、二度目の人生に目を向けるようになった。
来たる日に備えた計画を練っていった。
革命の要因は。未然に防ぐ術はあるのか、あるなら何をすべきか。
他にも、仲間はいるのか。
目覚めてから一年が過ぎた現在、計画は順調に進んでいる。
セレヴィは生まれ変わった。
犯罪組織の壊滅や悪徳貴族の失脚など、かつて自分を貶めた者達、革命の要因たる人間を打倒していった。何も知らない人から見れば、まるで出来事を予知したかのように立ち回っただろう。聡明でいて大胆な振る舞いを、舞台に上がった名俳優さながらに披露し成し遂げた。
勝ち取った財産や権力を用いて市民の人々に援助を施し、王都内外で名声を高めていった。
妬まれ恨まれ非難され。【肉体を得た不正】【歩く不倫理】などと罵られていた前世の過ちを正すかのように、彼女は実績を積み上げていった。
傍目には別人のように映るかもしれないけれど、彼女自身は変わっていない。
精神の根底、魂は同一だ。
着々と計画を進めていく中、未来の知識を活用した自己の研鑽も欠かさない。日ごとに多種多様な魔法を習得していく姿には、僕も見習っている。
今のところ、同じような状況の人は見つけられていない。現象について、何者かの魔法かと二人で予想していたけれど、もしかすると、僕らだけが奇跡を体験しているのかもしれない。
だとしても構わない。僕が再び命を得た意味は、ただ一つ。
今度こそセレヴィを守り抜く。彼女とともに、混迷の時代を乗り越えてみせる。
「重力の縛鎖」
決意を胸に、創造された新たな人形兵に向かって僕は魔法を放った。




