第九話 「ノーラ=エステルハージ」(3)
今日もまた、失敗続きだった。
放課後。大学の南にある校門へ向けて、メインエントランス広場を私は力なく歩いてた。
なにをやっても、うまくいかない。二ヶ月も経つというのに、殿下に限らず未だに友達の一人すらできない。こんな有様で、どうやってあの人の信頼を得られるというの。
このままでは、前の人生と同じになる。家族がみんないなくなって、誰も助けてくれない孤独な処刑台の道を、辿ってしまう。
そんなことを思ってた、そのときだった。
「それ大丈夫なんでしょうね!」
あの女の荒声が聞こえた。完璧と称されてる生徒が平常じゃないってことは、つまり王女殿下が何かやらかし、しでかそうということ。
迎えの馬車が待ってるとはわかってたけど、私は踵を返して声のした方へ向かった。
魔導経済・外交学部棟を通り抜け、石畳と芝の調和がとれた広場に出る。左手には大きな池があり、遠目には中央本館の正面が見える。けど、そっちに用はない。
右手側の一角、古い噴水と左とはまた違うもう一つの大きな池のまわりで、小規模な魔法実験が行われてた。
第一王女、お世話係、大貴族の令嬢。見慣れた三人組がいるわ。
「安心して、リンドラの留学生が大丈夫って言ったんだから」
「あの男でしょう! 全く信用ならないわ!」
魔法記号の紋様が刻まれた石のような何か、を殿下は持ってるわ。石材? 魔導工学科から持ち出してきた機械らしいけど。
リンドラってことは、東から来た人。ガーウェンディッシュの口ぶりからして、まともな人じゃなさそうな気がするわ。
殿下は、装置のようなものを両腕で抱えるようにしてた。
「今回こそは大丈夫!」
「いつもと同じ文言でしょう」
「失敗しないから安心して。失敗しないように祈ってて。失敗しても祈ってて?」
「まずやめなさいよ!」
勢いで来たけど、なんだか嫌な予感がするわ。こういう勘ってだいたい当たるものだから。殿下に関しては特に。当たって欲しくないのに。
なんて考えていると、殿下が機械を空に掲げた。炎のように揺らめく魔力が注がれた瞬間、空気が張り詰め、魔力の波動で周囲がびりびりと震えた。
「ねえ! これのどこが安全なの!?」
「うーん、失敗かも!!」
「でしょうね!」
に、逃げ、逃げた方がいいわ。足、脚動いて!
制御を失ったらしい装置は、弾けるような音を響かせた。
紋様の明滅を中心に突風が逆巻くと、人一人がすっぽりと収まってしまいそうな水の塊が生まれていた。宙に浮いたかと思えば、水球は噴水や近くの池から水をかき集めるように吸収して高くなっていき、巨大な水柱と化して地上へ落下した。
空気の抵抗のせいか、それは元居た場所、殿下たちの地点から徐々に逸れていった。
ぐんぐんとその勢いを増し、私のところへ。
「あ゛ああ゛ああ゛あっ!?」
やっぱりいいいぃぃぃ!!!
悲鳴の絶叫が、喉から出ていった。
空から落ちてきた水は、生き物のようにうねって見えた。鼓膜を破りそうなほどの轟音と全身を覆う冷水に直撃された私は、体ごと池へと叩き込まれていた。
冷水が服の中に染み込み全身が冷気に包まれる。魔力の制御も吹き飛んだ。頭の先から足の先まで、濡れてないところなんて一つもない。
「つ、づめ、冷たっっっ!!」
ぷかりと水面に顔を出し、私はどうにか声を絞り出した。
「ぶぇぇべえぇ……寒い……」
「ごっめーーん!!」
やってきたのは、もちろん殿下。今回も派手に不手際があったってこと。
飛び込むように駆け寄ってきて、私の体を引っ張り上げてくれた。
「ごめん! 本当にごめん! 寒い? 熱い?」
「いえ、大丈夫で……熱くなんてならないかと」
ぐしゃぐしゃの髪が宙に舞って、水滴がはじけた。幸いにも、衝撃の拍子にバッグは手から離れていたから、濡れずに済んだわ。
殿下、優しくしてくれるのはいいですけど、問題はまだ留まっていますよ。
「あれを、どうにかしないと、」
「うん、任せてるから」
今も暴れる渦巻き状の流体は、私達から離れていって校舎に向かってる。殿下はあっけらかんとしてますけど、いいんですか? 他の学生や教員まで集まってどよめいてますけど。
けど、懸念なんて意味なかった。殿下が任せたという人物が、混乱を収めたから。
ガーウェンディッシュは、蜜柑みたいな活力に満ちる魔力を両手に集め唇でささっと詠唱を終えると、両の指先から魔法を繰り出した。それは水柱を切り裂き、遂には核になっていた装置を破壊した。エルミナは王女の護り手として、水飛沫を素手で全て弾いて寄せ付けなかった。
この人達、人間やめてるわ。
あっという間に、事態は終息。第一王女の仕業だとわかると、みんな何事もなかったように日常へと戻っていくわ。ここの大学の人たちも、随分と訓練されてるわ。訓練というより苦労かしら。
「…………」
一分後、私は池の縁で座り込んでた。ずぶ濡れの制服は、ガーウェンディッシュが手に取って魔法で乾かしてくれてる。目の前では、殿下と世話係が実験の後片付けをしていて、『次はこうしてみようか』、なんて会話してる。
濡れた服の寒さよりもあのやり取りの方が、背中が冷たくなってくるんだけど。
「はい、これでいいかしら?」
「あ、ありがとう……」
手渡された紺色のコートは、濡れていなかったかのように元通りになった。魔力の熱量調整と空気の循環は細やかな操作がいかんなく発揮されてる。
さっきの冷静な対応といい魔法といい、憎たらしいけど感嘆するしかないわ。
比べて、私は。未だに服一枚すらまともに乾かせない。比べるべきじゃないって分かってても、悔しいわ。顔を背けたいぐらい。
才能って、なんで私に振り向いてくれないの。
「……さっきは、その、ごめんなさい。制服、直せた?」
あのとき、私の誤った魔法操作で彼女の制服を凍らせてしまった。今更だけどようやく謝れた。
魔法に関しては、この女に遠く及ばない。それどころか、一般の域にすら私は届いてないわ。それを痛感させられた。
だからかも。ちょっとだけ、自棄になってる。ううん、だいぶ、自棄になってる気がする。
「授業のこと? いいわよ、すぐに元通りにできたから………………悪かったわ。あの時、要らないことを言ったわ」
「え? ううん、あれは私が、」
この女、やっぱり変わったのかしら。素直に謝ってくるなんて。
威圧的でも、嫌味でもない。ただの真っすぐな謝罪。
一周目の彼女なら、なんて言うだろう。『弁償して』『責任取って』『不注意なあなたが悪い』とか大声で言い放って、周りを味方につけようとしたはずよ。
今の彼女は、全然違うように見えてきたわ。
「……全然、気にしてない。魔法が下手なのは、わかってるから」
自嘲でも、開き直りでもなく。事実として言った。嘘、結構自嘲してる。
「そう。なら良かったわ」
ガーウェンディッシュが、ちょっと安心したように笑った。
かつての彼女は嫌いだったけど、今の彼女にそれは重ならない。私が勝手にそう見てただけだったんだ。
涼しい風が、濡れたスカートの裾をなでていく。でも、心の奥はほんの少しだけ温かくなってた。
そして、ふと。私は思った。
あれ、今って、良い雰囲気なんじゃない?
「はー、終わっったぁ!」
殿下が元気よくやってきた。ステップを踏むごとに両手を大きく振って、騒動など起きていないかのように。
「いやあ、ごめんね。本当に。ええと、名前は……うんんと、あれだよね。今日も何回か会ったよね。廊下とか、図書室とか!」
覚えててくれてたんだ……今だ! 今しかない!
一世一代の大勝負は、ここだ。
迷ってる暇なんてない。ここで踏み込まないと。
深く息を吸い込んで、胸の熱に押されて私は言った。
「ノーラ=エステルハージと申します。ノーラとお呼びください!」
これは、私の第一歩。王女と親しくなって、力を借りるための。
でも、それだけじゃない。もっと、本当は。私だって、本当は。
「殿下。わ、私と…………と、友達に、なってもらいませんか?」
声が、少し上ずった。でも、伝えたい気持ちは、ちゃんと込めた。
打算はある。大いにある。否定はできない。
だけど――私は、本当に、友達が欲しかった。
前世でも、何度だって望んだ。
何度だって騙された。何度だって裏切られた。それでも、諦められきれなかった。
一人ぐらい、そう、たった一人でもいい。
心を許せる、気心の知れた友人が欲しかった。
「もっちろん! よろしく、ノーラ!!」
「………………本当ですか!!」
やった、やった……やっっった!!!
全身でガッツポーズしたい気分だった。心が、脳が、喉の奥が、じんじんと熱くなる。
濡らされたことなんて、もう頭から飛んでいた。
大きな前進。衝撃的で歓喜的な、歴史的な一歩だ。
初めての友達が、王族の方なんて。
まさか、まさかまさか。運が回ってきたんじゃない? きっとそうよ!
流れは来てるわ。この調子なら、他の二人だって。
「貴方も友達になってくれるよね? セレヴィーナ・ガーウェン、」
「検討するわ」
「早いわ! それに何で!? それって前向きよね? ね!?」
詰め寄る私に、ガーウェンディッシュは一度だけ目を閉じて、一秒後に目を合わせた。
「友人はきちんと選びたいの。私」
「私じゃ不満なの!!?」
「不満というより、不安ね」
「どこがよ!」
何よその即答、ばっさりしすぎよ! さっきの暴走水より斬ってくるじゃない!!
「え、エルミナさん、は、」
「私は、アメリア様のお付きですので」
「そう、ですか」
二人の返答に、私は俯いた。
玉砕。撃沈。ストレートと、遠回しに断れたわ。
「ええー、二人とも酷いなー。ノーラって良い子だと思うよ?」
「貴方がそう言うなら、駄目ってことじゃない」
「何で?」
「私はアメリア様に忠誠を捧げるので手一杯ですので」
「うーん、そう言われるとなー」
殿下、お優しいですね。でも、ありがとうございます。
急ぐ必要はないわ。殿下ともっと仲良くなれれば、この二人とも自然に顔を合わせる機会が増えるんだから。
そうよ。焦らずに一歩一歩進んでいけばいい。
いずれ彼女たちも、我が家に招待してみせるわ。無理やりにでも連れてってやるんだから。
お父様を驚かせて、嬉し泣きさせてやる!
「それじゃあ、これからお茶でも、」
「さて、帰ろうかしら」
「エルミナ、もう迎えってきてるよね?」
「既に」
「えええ、そんな」
「ねえ、貴方だって迎えが来ているんじゃないの? それとも徒歩で来ているの?」
「あ、そうだったわ!」
カーテンの降りた夜空には、星々が瞬いていた。まるで、私を祝福してくれるみたいだった。
破滅の未来を避ける。計画は、確実に前進してる。
殿下には、嫌われないようにしないと。
今度こそ、私は。
ちゃんと生きてやるんだ。家族とみんなで。
新たな道が始まったと、心の底から実感する。
しかし、それは別の道までも開けてしまったようだった。
殿下に振り回される、私の毎日が。




