第九話 「ノーラ=エステルハージ」(2)
全身鏡を前にして、大学の制服に腕を通したとき、いつも思う。
見た目だけは、悪くないわね。
水色の瞳はお母様ゆずり。髪の色はお父様の方ね。まだ余力のあるエステルハージ家の経済力と二人の血を受け継いだおかげで、見栄えは良い。前髪もいい感じに額を覆ってくれるし、紺のリボンを髪に結べば、上品っぽく見える……見えるわよね?
口元には微笑み。うん、やっぱり可愛いわ。愛想は大事。少なくとも見た目だけは、『ちゃんとしてるお嬢さん』って印象になってる、はずよ。
なのに。
「ぜんっぜん、上手くいかない……」
思わず漏れた言葉に、がっくりと肩を落とす。
1901年。
伝統あり、由緒あり、見た目からして荘厳な王立魔導大学に入学して、二か月が経った。
アメリア殿下と仲良くなって、信頼を得て、庇護されて――そんな理想の未来を描いていたのに。
まだ、名前すら呼んでもらえてない。認知すら、されていない。
想像以上に、殿下に接近するっていうのは難しかった。
殿下に近づくのは、つまりトラブルの中心に飛び込むってこと。異常気象に生身でぶつかりにいくようなもの。
ドリル・ホールの浮遊騒動に、召喚魔獣の校内滑走、妙薬学の魔力暴走――巻き込まれた事件は、二十は超えたわ。災害って、何で一点に留まらないの?
顔を合わせるぐらいなら、何度もあった。
けど、たぶん私は『同級生の一人』扱い。
でも、諦めない。
行動無くして成果無し。頑張るしかないわ。
それにしても、王女殿下の周囲って、一周目とはまるっきり違うわ。特にあの二人。
「ダハアハハ!! たーのしー!!」
「ば、この、アメリア! ダメリア!! バカリア!!」
セレヴィーナ・ガーウェンディッシュ。この女、前の人生では、お互い大嫌いだった。私は今も嫌いだわ。実力も評価も、私とあまり変わらなかったくせに。大貴族の令嬢ってだけで、贔屓されてた。あの自己顕示欲の塊は、鼻についてならなかった。
でも……今の彼女は、まるで別人。魔法も勉強も完璧、殿下とも仲が良くて、殿下の起こす騒動に華麗に対処して。周りからも信頼されてて、模範的な貴族なんて言われてる。
まさに、完璧超人。誰よこれ。頭でも打ったの? ううん、それならもっと頭悪くなってるはずだわ。
おかしい、おかしいわ。
前世の彼女は、試験の度に私の成績を気にしてた。いつも少しだけ下回る私を毎回眺めて愉悦を感じてた、器の小さい女だったのに。
同じ世界のはずなのに、ここまで変わるものなの?
殿下と同じく何度か話したけど、そんなに変わってもいないような。私の感覚がおかしいのかしら?
いえ、こういう可能性だって考えられるわ。
もしかしてだけど、彼女も。私と同じなんじゃないかしら。
うーーーん、でも、違うと思う。一周目の殿下とあの女は、仲良くなんてなかった。ガーウェンディッシュはアメリア殿下を見かけたら嫌味ったらしく絡んでいたし、殿下は殿下で、あの女や取り巻きをトラブルに巻き込んでいた。本人は意図してなかったかもしれないけど。ともかく、肩を並べて笑い合うなんてことは絶対になかったって言える。
ただ時間が戻っただけで、私以外の人は性格や行動に変化はないと思ってた。それも違うのかしら。一度目とは違う動き方をする人もいるってこと? それとも歴史がちょっとずつズレているとか?
よくわからないけど、あの女って怖いものないのかしら、あんなに殿下を罵倒して。
「ガーウェンディッシュ殿。貴方、アメリア様を馬鹿などと言いましたか?」
「ち、違うわ。ただ零れただけで」
「普段から思っていると。不敬です。刑を執行します」
「ま、待ってください! せめて話を、裁判を通させて! この国には法があるのよ!」
「まーまー、エルミナ。セレヴィもこう言ってるんだからさ」
「貴方のせいでしょう!」
それに、もう一人。
エルミナ・ヴァルキュロス。王女殿下のお付きの女性。感情の読めない鉄面皮。あの人は、前の人生でも居たにはいた気がするけど、この頃って別の人が世話係をやってなかったかしら……やっぱり、これは『変化』なのかも?
殿下に声を掛けようとすると、必ず彼女が視界に入る。その姿を見るたび、猛獣と目を合わせた時のような威圧感が背筋を這いあがり、私は委縮してしまう。怖い。生命の危機を感じるわ。
でも、怖がってたらいけない。
尻込みしていては駄目、行動よ、行動あるのみ。進まないと始まらない。
朝、廊下の奥から歩いてくるアメリア殿下に会話を試みようとした。以前に話しかけようとしてスルーされたのは、私の声が小さかったからじゃない目を引くものがなかったから。決して、緊張や恐怖で小声になったわけじゃないんだから。
今回は市販の魔道具を用意したわ。カバンから取り出した、ぷよっとした球体は、魔力を込めて数秒待つと、点滅する。泣き出す赤子の気を引くために開発されたとか、そんな感じのもの。
これなら、どんな人でも一瞬は目を引かれる。殿下にしたって例外ではないはずよ。私を視界にとらえて、認識された瞬間が、話しかけるとき。
十メートルを切ったところで、掌の球に魔力を込めた。
タイミングはばっちりだった。
ただ、靴紐が解けていたことに気づかなかった。自分の足で紐を踏んで、盛大に転んだ。拍子に手から零れた魔道具は廊下を転がって、よりによって世話係の足元に。
彼女は暗灰色の瞳をわずかに細めて、構えを取った。
そして、球体は点滅した。
「…………」
沈黙が、あたりを支配した。殿下でさえ、首をかしげていた。
私は、プルプル震えてた。
き、きまずい!
「……また、あなた?」
その無表情な声に、顔から火が出そうだった。謝ろうとしたけど、彼女は何も言わず、いえ、溜息をつきながら球体を拾って、渡してくれた。それが逆に怖い。なんか舌打ちされそう……された! 今されたわ!
その間に、殿下は摩擦力を減らす魔法で廊下を移動してた。氷の上を滑るようにすれ違う教師に注意されながら。私なんて見てなかった。世話係の女性は彼女を追いかけてった。
うう。あんなに怖い目で、軽蔑した目で見なくてもいいじゃない。
昼、図書室で偶然殿下を見かけて、声をかけた。
「こ、こんにちは、偶然でで殿下!」
だあああ! 噛んだ! 噛んだわ! 『こんにちは、偶然ですね』って言いたかったのに!
エルミナは、何言ってんだこいつ、みたいな顔をした。私だってなに言ったのかわかんないもの、そんな目で見ないで!
アメリア殿下はと言えば、
「……ふっ、偶然はいつでも偶然に、か」
「え、あの、え…………」
不敵な笑みを浮かべて図書室を出ていった殿下を、呆然と見送った。
……なにあれ!? どういう意味? 私、なにか哲学っぽい会話を始めたの!?
午後の実技授業。
氷像を作る魔法の練習で、棒人間みたいな像を作ったはいいけど、制御を誤って隣のガーウェンディッシュの制服の裾を凍らせてしまった。
「ちょっと、私の制服が、」
「ごめんなさい!」
反射的に謝って、なんとか元に戻そうとした。けど、焦りすぎてまた失敗。像がいくつも生まれちゃって、なぜか登山してるみたいな配置になっていった。
「アッハハハ!! 私も登ろう~!」
近くで見ていた殿下がポポポンと氷像を追加してきた、悪ノリしないでください!
消そうとしてもどんどん増えていき、まるで氷像たちが、そそり立つガーウェンディッシュ山の踏破を目指す光景になっていった。
「ふふふ、今何メートルぐらいかな~」
「で、殿下、」
やめてやめて、あお、煽らないで! 山がブルブル震え出して……眉根がつり上がってきてるからぁ!
「気を付けてね。ここって活火山だから、」
「アぁメリアぁ!!」
「あ、噴火した」
一瞬で氷像を溶かすほど激昂した模範的貴族は、危険をいち早く察知して逃げ出した殿下を追いかける…………前に、一度だけ私に振り返った。呆れた顔をしてた。
「……気にしないで。貴方がやるより、私がやった方が早いから」
ぐ、ぐぬうう。刺さった。尖りすぎてるわ、あの鋭利さ。
やっぱり変わってないようね! 実力や評価は身に着けても、性格は変わらないわ!
……どちらも変われなかった私は、何も言い返せず、ローブの裾をぎゅっと握りしめた。




