第八話 「ライネン・バルグ」(3)
ヴァルモン王国――大陸の華と称される魔導文化の中枢。
王立魔導学校の城門が開かれていた。重厚な青銅の扉は、まるで古代の要塞を思わせるようだった。
「……やっぱり、実物は迫力が違うね」
俺の隣で、イヴが呟く。新しい制服の袖を着こなしつつ、城門の上部を見上げていた。そこには、巨大な浮遊式の魔力蓄積球が静かに回転している。
「魔導集積炉を三基も常設している学園は、大陸でもここだけだ。贅沢なものだな」
そう答えながらも、自然と拳に力が入っていた。
この景色は、忘れもしない。
一度目の人生、戦争末期に俺はここを見た。門も尖塔も、炎に呑まれて崩れ落ちていた。
敵味方もなく倒れていった死体の山、人の絶叫が、耳の垢のごとくこびりついている気がした。
あの戦争からではない。きっと、もっと前から。
この国と祖国。大陸の歯車は静かに、着実に狂い始めていたのだ。
あの惨劇を、繰り返させはしない。
「ライ君?」
イヴがそっと袖を引いてきた。我に返って、俺は目を細めわずかな微笑みを返す。
「考え事をしていた」
改めて、今回の任務に当たっての設定を再確認する。
俺は客員研究員、ライゼル。イヴは研究助手、イヴェリア。
お互いを呼び合う際の呼称も決めた。【イヴ姉さん】と【ライ君】。
少し柔らかくした話し方を意識するものの、口調はあまり変えていない。最小限度の演技で振る舞う。下手な芝居は、かえって疑念を生むと判断した。
その点、イヴのほうは見事だった。
彼女はまるで別人格のように、表情も、所作も、言葉遣いも変えていた。
ここに来る前の彼女を知る者がいれば驚くだろう。常に口元を引き結び、感情を表出させなかったはずの性格が、穏やかな笑みばかり浮かべている。それが本来の姿であるかのように。
ただの演技ではない。困難にも動じぬ冷静さと知性が滲み出るような表情は、愛嬌すら感じさせる。
初対面の人間にとっては、好印象に映るだろう。
校門を潜り、正門広場へと進んだ、そのときだった。
「広場から出ろ! 巻き込まれるぞ!」
けたたましい声が響いた。少なくない人波が俺たちの脇を逸れていった直後、騒々しい原因を理解する。
空中に、浮遊する球があった。それはまるで酔ったように不安定に回転していた。
生徒たちが次々と広場から飛び出していく中、一人の少女がその球体近くでウロウロしていた。
「わわ、やっば、止まんないかも!」
女性と呼ぶには幼く見える制服姿の少女が、頭上にふわふわと漂う金色の浮遊球へ、片手をかざしていた。少女の口ぶりや周囲の反応からして、何かしらの不具合が生じているのは明白だった。
その球が、不意に進路を変え――俺たちのほうに向かってきた。
「避けてーー!」
「っ!」
身を伏せるイヴの前で立ちふさがるようにし、エネルギーを表出させる。
月光さえも届かぬ塹壕の底に溜まる泥濘のように淀んだ魔力を、全身に纏う。不測の事態に備えて、一部の隙もなく構える。
俺は懐から小型の立方体を取り出し、素早く投げつけた。
目の前一メートル。抑制用の魔法具が小さな結界を張り、浮遊球はその直前で停止した。
「おおおおお! 止まった!」
どうやら、解決したらしい。先ほどの少女が駆け寄ってきて、俺とイヴの手を同時に取った。
「ありがとう! 助かった! 怪我は無い? 君たち転入生、かな? すごいタイミング!」
無邪気に笑うその少女。制服の胸元には王家の紋章がはっきりと輝いていた。
俺は、即座に理解した。
アメリア・ド・ヴァルモン。
王国の第一王女。無自覚な災害者。ゆえの脅威……これが、監視対象か。
かしこまった姿勢を取る。これは思いもよらぬ遭遇だが、好機と見るべきだ。
「お初にお目にかかります、アメリア姫。私はライゼル・フォン・リンゼルト。こちらは従姉のイヴェリアです。本日より、こちらで学ばせていただきます」
「イヴェリアです。あの……さっきのは……」
「ごめんごめん! あれは新型浮遊補助球の実験だったの! たまに言うこと聞かなくなるんだよね。大したことないから、大体いつも止まるし!」
その『大体』に俺たちは緊急対応を迫られたのだが。寛容なイヴでさえ思わず口端が引きつっているぞ。
「とにかく、ありがとう! 君たち、いい人そうだから歓迎の儀式しようか」
「儀式……?」
「転入生歓迎、アメリア式・特製魔力ブレンドジュース!」
取り出された小瓶の中身に、俺は顔を引きつらせた。
紫色ともピンク色ともつかない、どろりとした液体。
蓋を剥がすと、瑞々しい果物をすりつぶしたような香りと、何かしらの薬品を混ぜた匂いが鼻を衝いた。不快ではないが、少々の引っ掛かりを覚える異臭だ。
見るからに怪しいな。人体に有害どころか、一口だけで安らかな死を迎えそうだ。二度目の死因がこのようなわけのわからない流動食など嫌なんだが。
そこまで怯える必要もないとは思うが。王女にしたって、あからさまな劇物を渡してくるはずがない。俺たちの正体を看破したわけでもあるまい……恐らくは。そうであってほしい。
「今朝思いついて調合したの! どうぞ!」
快活な笑みで言われると、断りづらい。
俺は心中で冷ややかに分析していたが、辞退する術を見いだせなかった。外交的立場上、初対面で王族の厚意を無下にするわけにもいかない。隣ではイヴが不安げに俺を見上げる。
「ライ君……?」
「……問題、ない、はず。俺がまず飲む。君はそれを見てからにしてくれ」
イヴ、そんな不安そうな眼で見てくれるな。俺が倒れたらどこか人気のない場所まで運んで蘇生してくれ。
せいぜい、体調に異変が生じるぐらいのものだろう。腹痛を覚えるとか、幻覚を見るとか、視界がぐらつくとか。その程度で収まって欲しい。二度目の人生を早々に辞退したくはないんだ。
「ストップです。お二方」
意を決し小瓶を傾けようとした、そのときだった。
俺たちの背後にはいつの間にか女性が立っていた。
スラッとした長身に引き締めたような顔つきは、冷たい印象すら抱かせる。
暗灰色の瞳は、こちらを見定めているようでもあった。
「失礼いたしました。私はアメリア様の世話係兼同級生のエルミナと申します。こちらは試作段階ですので、回収させていただきます」
促されるままに、小瓶を渡した。受け取る手つきは丁寧で、まるで訓練された官吏のようだ。
同じ制服を着用しているが、一般の学生が纏う空気感がまるで違う。
「何でよぉ。セレヴィだって飲んでくれたじゃない」
「あの人は今も医療室で寝ていますよ。これ以上の被害者を出してはなりません」
被害者が出ているじゃないか。なんてものを俺たちに飲ませるつもりだったんだ。
まだ名乗っていないとはいえ、国際問題に発展するところだったぞ。
本来ならこう思っていただろう。だが、今の俺にそのような余裕は無かった。
「これを飲ませるなら、オルテンにでも与えましょう。喜び勇んで倒れるはずです」
「倒れたらダメじゃない?」
王女とその付き人。主従とは思えない和やかなやり取り。見る者によってはどこか笑いを誘うような会話だ。
しかし。俺は言葉を失っていた。
「ライ君、ねえ、ちょっと……大丈夫?」
「あ、ああ」
イヴが、俺の袖を引いてきた。その碧紫の眼には動揺が潜んでいた。
潜入任務に準じる者として多大な減点要素だろう。
だとすれば、部下が狼狽する要因となった俺はどうだ。マイナスどころでない、失格だ。強制送還されても文句は言えないだろう。
額に脂汗を浮かばせ、息遣いが荒くなり、指先が微かに震えている。喉がひどく詰まるようだ。深く息を吸おうとして、十分に肺に送れなかった。
「ああ、ああ」
返事のつもりだったが、声になっていない。呼気と共に漏れたものがわずかな声を伴っているだけだ。
落ち着け、息を整えろ。深呼吸だ。感情の機微を漏らすな。
早鐘を打つ心臓をなんとか抑えながら表情を固くした。目の前の二人にとって……少女の隣に立つ女性にとって、俺たちは初対面の留学生だ。不審は警戒を呼び、排除の候補となる。間違っても、この黒短髪の女に目をつけられてはならない。
「試すのは完成してからにしましょう」
「ケチ~けっちけちー」
エルミナ・ヴァルキュロス。
俺は、この女を知っている。戦場で相対したときのことを、鮮明に覚えている。
同胞の骸の山に立つ彼女の姿は、瞼に焼き付き忘れるはずもない。
ツェルバ連邦が主導した連合軍の侵攻作戦――ヴァルモン王国を攻略する際、最大の障害となった人物。王国の第二次革命において、アメリア姫の生存理由のひとつと目された。
文書に目を通しただけの情報ではない。俺は実際に、戦場で体感した。植え付けられた恐怖は、根を張った大樹のごとく成長し、取り除くのが困難だ。
「こちらの方々は」
「ライゼルとイヴェリア! ねえ、さっきのって魔法具? どういう仕組み?」
「え、ええと……」
俺の内心など知る由もない少女は、弾むような声音で疑問を繰り出し、イヴが答に戸惑っていた。矢継ぎ早な追及に、俺たちは圧倒されるしかなかった。
「あ、そうだ。どこから来たの?」
心臓が、跳ねた気がした。冷たい鉄の指を胸の奥に指し込まれたような感覚だった。
エルミナが俺たちを注視している。この女は視線だけで詰問しているつもりはないのだろうが、蛇に睨まれる蛙にはそこまで思考が及ばない。大蛇の重圧に皮膚が粟立つ。
逃走。
二文字が、脳を埋め尽くしそうになる。
「ライ君、本当に大丈夫?」
また、控えめに袖が引かれた。
見上げてくるイヴリンと視線を交わす。その美しくも儚い影を内含した瞳は、情けない上司を映していた。
一瞬だけ、目を閉じる。
俺は何のためにこの地に来たんだ。
事前に収集した情報で、化け物との接触は想定していただろう。そうだ、王女に圧倒される間に予想外の邂逅を果たしただけだ。
己の職務を思い出せ、覚悟を決めろ。
ライネン・バルグはイヴリン・ダルヴィークのためにここまで来たんだ。
「失礼いたしました。あまりに展開が早く、脳の処理が追いつかず……ツェルバ連邦より参りました。学術交流を目的とした、客員研究員として来ております。彼女は補佐役です」
準備した通りのセリフだ。どんな裏取りが来ようと、矛盾はない。
「北方の!」
「連邦、ですか」
銀灰色の眼差しは、こちらの敵意を探り虚偽を剥がそうとする刃のようだった。
戦場へ赴く何倍も恐ろしい。
この時間、この世界。時間的な猶予はそう多くない。
グレゴ暦1901年。
中央大国と連邦の関係は、緊張を増している。あと半年もすれば互いに罵り合い、プロパガンダが始まる。約一年後、ヴァルモン王国は貿易協定の破棄や関税の引き上げなど、経済的な圧力を連邦へ向けてくる。対抗して、ツェルバは軍事力の誇示と威嚇を目的とし、軍事演習を国境付近で行う。現在の国境付近における諍いがより深刻となる。
この場でエルミナに警戒されるのは当然だ。
だが。だから、何だ。
俺は言葉を選び、ゆっくりと口を開いた。
「現在、連邦とヴァルモン王国は、お世辞にも良好な関係とは言えないでしょう……ですが」
言葉ひとつひとつが、質量をもって空気に絡みつく。大気中の魔力が、ひどく重く感じられた。生半可な演技は、求められていない。本心を隠そうとしても、エルミナには見通される気がした。
「私は、争いを望んでいません。両国の歩み寄りを、信じたい」
一呼吸置いて、主張する。
アメリア姫とエルミナに思いを込めて伝える。多くは語れないが本音を前面に出す。不足分は目で訴える。
突然の演説じみた意思表明は、悪手だっただろう。警戒を高めてしまったかもしれない。
それでも。今、この瞬間だけは本心を晒したかった。
俺自身の、決意の表れでもあった。
「いいね、仲良くしよう!」
「……私も、両国が友好であることを願います」
エルミナの反応は変わらなかったが、その瞳には確かに、言葉以上の何かが滲んでいた。
「そうだ、今度連邦のどっかに連れて行ってよ!」
「!?」
「アメリア様、性急すぎます」
アメリア姫、残念ながらその要求は困難だ。事前通達を連邦に届けようと、怒りと困惑の電報が返ってくるだけだ。もしくは恐々とした返信か。
貴方を連れて行くとなれば、紛争地帯以上の厳戒態勢を連邦内に敷かなくてはならなくなる。
慌てふためく上層部を見られるならそれもいいかもしれないが、俺の胃痛にも被害が出てくるかもしれないんだ。
「イヴェリアはライ君って呼んでるんだ。ライゼルは何て呼んでるの?」
「イヴ姉さん、ですね」
「ライと、イヴ。うん、二人とも、これからよろしく!!」
爛々と。王女の目つきは、初めて魔法を覚えた子供がその力を披露したくなるようなものだった。
「あ、はは。では、よろしくお願いいたします」
「固い固い、呼び捨てか愛称でいいよー」
「ええ!? そういうわけには、」
「…………善処します」
思わぬ遭遇だったが結果的には幸先の良い収穫だった。
名前を覚えられ愛称をつけられるほどに潜入は成功した。
確実に、前回とは違う道に足を踏み出している。
握った拳に、無意識に力が入る。
ここからだ。
ヴァルモン王国での数年間で、全てが決まる。
自分と、イヴの命を守ること。最優先は彼女の生命だ。可能であれば、戦争そのものを避けたい……が、個人には限界がある。最も現実的な解決策は、戦火を避けるための逃げ道を作ることだろう。
アメリア姫の信頼を得られれば道はぐっと広がるだろうが、それほどの関係を構築できるだろうか。いや、やるしかないんだ。慎重に進めていこう。
王女は論理や法則の通じる性格ではない。下手に干渉して世話係に睨まれるような事態は避けたい。
「どこだったら行けそう? 国境? 演習場? あ、街中を散策するのも面白そう!」
まずは、この王女の遊び相手ぐらいにはなれなければ。骨が折れるどころではないが、首をくくるよりはいい。
イヴを見やって、俺は静かに心の中で誓った。
未来を、変えてみせる。




