第八話 「ライネン・バルグ」(2)
数日後、ツェルバ連邦軍本部地下の会議室。
沈黙に満ちた重たい空気の中で、俺はただ一人、上層部の面々に向き合っていた。
重役席には直属の上官たち、そして中央情報局の高官までもが並んでいる。彼らは、胸を張って立つ若造に、品定めするような、探るような視線を浴びせてくる。
喉の奥に若干の乾きと多大な緊張を覚えていたが、それらを悟られないように努めなくてはならない。
「……対象は、ヴァルモン王国の第一王女、アメリア・ド・ヴァルモン」
声を平らに保ち、口を開く。
部屋の片隅で、誰かが微かに息を呑む音が聞こえた。俺はその反応に構わず、用意していた資料を机上に差し出した。そこには、彼女にまつわるいくつかの【問題事例】が記されている。
「まず、本連邦商会による王国との交易独占権交渉の件。交渉団が王都に滞在中、彼女が独自に開発した『魔力反応式花火』の実験を行い、宿舎に保管されていた契約書類の大半を焼損させました」
一拍、間を取る。
上官たちは沈黙のまま、しかし確かに頷いた。
「次に、昨年の国境付近における交流会。これはヴァルモン王国内で執り行われました。当初、予定にない『雪上即興魔導競技会』を第一王女は主催。魔力暴走により、連邦の若手貴族数名が怪我を負いそうになりました。外交問題には発展しませんでしたが、以降、青年貴族連盟は派遣を停止しています」
俺の声は抑制されている。内容は決して軽いものではない。無論、これらはすべて意図的な敵対行為ではない。
王女の無邪気な好奇心と奔放な行動が呼び寄せた事柄だ。その無自覚さが厄介だった。
「三例目。貴族学院からの交換留学生が王立魔導学校に派遣された際、彼女は独自の『文化交流魔導演習』と称して未知系統の魔法融合実験を実施。結果、留学生二名が一時的に身体の一部を魚化し、帰国。以降、留学希望者が激減しています」
いずれも、連邦側は王国に強気で非難できなかった。なぜなら、事の発端が常に連邦側にあるからだ。彼女に突っかかっていった愚か者までいた始末だ。
「……総じて、殿下の行動は意図的挑発とは断言できません。しかし、無自覚な影響力が国家間の緊張を高めている事実は否定できません。ゆえに、事前に動向を把握し、外交リスクの芽を摘むべきと考えます」
淡々と言い終えた俺は、上役たちの言葉を待った。部屋の隅で、わずかに咳払いがあった。
顔を見合わせ、目配せを交わし。口元を引き結び、額に手をやるなど、様々な反応が見て取れた。
内心で息をつく。正直なところ、俺は第一王女を『危険な外交脅威』だと見なしているわけではない。常に爆弾であることは確かだが、事例を通しても分かる通り、かの王女は一定のラインを自らに課している節がある。国際関係の均衡が揺らいでしまいそうな無自覚な行動を取る一方で、死者は出していない。怪我人は出ているが、いずれも軽傷、それも王女自身に原因があるわけではない。
火薬や起爆剤のような存在ではあるが、だからこそ、利用することにした。
「監視が必要だと?」
沈黙に近い空気が数十秒ほど経つと、上層部の一人が重々しく口を開いた。
「はい。留学生として私が王立魔導学校に潜入し、学内生活を通じて直接の行動観察および情報収集を行います。対象の魔導研究傾向、人的交友関係、宮廷内部の影響力、王国貴族議会内での発言力……すべて網羅的に報告いたします」
アメリア姫を口実にし、監視という名目で国外からの逃亡を果たす。
それが、俺の考案した計画だ。
「報告頻度は?」
「週次での要約報告。特記事項があれば随時。必要に応じて、現地臨時連絡官との暗号通信体制も整えます」
数秒の沈黙。上官たちはしばし黙考し、視線を交わし合った。俺は平静を装っていたが、内心では静かな緊張が渦巻いていた。
ここで承認が下りなければ、別の手段を取らねばならない。それには、武力行使さえ視野に入っている。
イヴリンを、連れて行けるのであれば。
脳裏に忌まわしい記憶がよぎる。彼女が『兵器』として酷使され、最後には廃棄物のように捨てられた姿。
もう二度と、見たくはなかった。
「……よかろう」
国防学術院長が静かに頷いた。周りも彼の挙動をなぞるようにした。
「同行者は?」
「接触には同性が自然かと考えます。イヴリン・ダルヴィーク補佐官を随行させます。言語、魔導理論、礼儀作法——いずれも水準以上。現地対応にも適しています」
「許可する。準備を進めよ」
その言葉を聞いた瞬間、ようやく胸の奥深くで息を吐いた。
これで、イヴリンを国外へ連れ出せる。
第一関門は突破だ。
だが、これは始まりに過ぎない。
これから俺たちが踏み込むのは、銃や砲火が鳴る戦場ではない。平時にもかかわらず爆発の轟く場、ヴァルモン王国第一王女という混沌の巣食う戦場だ。
わずかに視線を落としながら、俺は遠い目をした。
「出立は三日後。準備を進めておいてくれ」
俺がそう言うと、少しの間が空いたあとイヴリンが口を開いた。
「…………性急ですね。心の準備ぐらいはしたいのですが」
口では言いつつも、声音は弾んでいた。ちょっとした旅行気分でいるのかもしれない。一応任務なんだがな。
全面的に信用されたわけではないだろうが、少なくとも俺の決定には従う気らしい。
「俺たちは従姉弟の設定だが、幼い頃から一緒に育った姉弟のような関係……確か、君の方が誕生日は早かったな」
「姉弟ですか。まあ、いいでしょう」
若干不満そうに目を細めたが、なんだ、不適当な設定でもあったのか。確かに、連邦の指示したこの仮初めの役割には少々おかしくは思うが。
何故従姉弟なんだ? 同級生などでも良かっただろうに。わざわざ近縁者にしなくとも、そちらの方が自然だと考えられるが。
まあ、何でもいい。とにかく外に出られればいいんだ。
「留学先では敬語禁止だ。今のうちに慣れておこう」
「わかった。ライネンのことは何て呼べばいい?」
「えぇ……まだ国内なんだが」
思わず突っ込んでしまった。唐突にも程があるな。あまりに自然な口調だから、流してしまいそうだった。まさかとは思うが、普段から俺は見くびられていたのか?
「まあ、心強いな」
この適応力……まったく、頼りがいがある。
「呼び合う際はどういたしましょう。偽名をそのまま用いますか?」
「呼び名か。従姉弟という名の姉弟設定なら、愛称が妥当だろうな」
一瞬だけ思案し、すぐに口を開く。
「俺は【ライ】、君は【イヴ】でいこう。君付けでも構わないが、間違っても役職名で呼ばないように」
「オッケー、ライ。了解、ライ。かしこまった、ライ。ライライはちゃんとお姉ちゃんって呼んでね?」
「えぇ、すご…………それにニックネームまで。呼び捨てではダメなのか?」
「それでもいいけれど、姉として呼ぶことも想定した方がいいと思う」
「それも、そうか。確かに、その方が自然だろう」
頷いた彼女は即座に能力の如何を発揮してみせた。
彼女の急なテンションの変化に、内心たじろいだ。だが、この柔軟さは、まさしく俺が望んでいた能力だ。
「……これからよろしく頼む、イヴ姉さん」
「……………………それもいいけど、別の呼び方もしてみてよ」
「なぜだ?」
「色々試してみないと、どれがしっくりくるかわからないじゃない?」
「一理ある」
ターゲットを前にして不必要な違和感を持たれたくないしな。流石イヴリンだ。彼女の視点には気づかされることが多い。
一呼吸おいて、試しに口に出してみる。
「……イブ姉さん。イブリン姉ちゃん。イブリン姉。イブリン。イヴ。イヴねーちゃん。イブリンちゃん。イヴさん……まだ言うのか?」
見れば、彼女は背を向け肩をわずかに震わせていた。上司の不慣れな言葉遣いに、笑いがこみ上げているのかもしれない。
おい、ちゃんと聞いているのか。俺だって結構恥ずかしいんだぞ。
「どれも良い、けど。やっぱり、イブ姉さんがいいかな。たまに呼び捨ても混ぜてね」
「了解。これで行こう、イブ姉さん」
「あと、それ。態度も変えないと」
「態度?」
「顔も堅いし、肩肘張ってる。もっとこう、くだけて。幼い頃から知ってる人に対する感じで」
「姉さん、今日の報告書はどうだ? 最近は研究費用も増えてきて……」
「駄目、ダメダメ。上司の残滓がちらつく。もっと幼くしてもいいかも……姉さん呼びも良いね。仕事の話は極力避けて、日常会話を意識して」
「難しいな…………イヴ姉さん、今日の調子はどうだ、どう? この羽ペン、どこで購入したんだ? いや、買った? ……なあ、本当にこれ、やる意味あるのか?」
イヴの言いなりになっている。なんだか彼女の玩具になったような気がしてくるんだが。
「練習でできなかったことは、本番でもできないよ」
「……正論だな。俺の意識が低いだけか」
何を考えていたんだ、俺は。イヴは真剣にこの任務と向き合っているというのに。
本来の目的の建前ではあるのだが。
「じゃあ、次。お姉ちゃんを褒めてみて」
「褒める……?」
「仲の良い姉弟なら、自然と褒め合う事だってあるでしょう?」
「そう、なのか? まあ、そういうことなら」
歳の離れた兄とは、あまりそういうことはなかったな。男兄弟だとそうなのかもしれない。
今は、これからは、役になりきらなくては。
一つ、深呼吸をしよう。こういったことは勢いが大切だ。羞恥心など捨て置け。
「イヴ姉さんは……美人だ。疑いようがない。綺麗だ。可愛い。きめ細かな仕事ぶりにはいつも助けられている。気配りにおいて右に出る者はいない。整った着こなしに隙は無く、立ち居振る舞いは羨望と嫉妬の的だ。こんな姉さんを持てて、俺は幸せだ」
「 ふうん まあまあ かな」
少し上擦った声で、彼女は評価した。心なしか上気しているようにも見える。
「……やっぱり、固さが抜けないな」
ままならない適応能力に、俺は後頭部に手を当てる。
成長過程によって形成された口調は、長年着続けた軍服のように、身体に馴染みすぎていた。
腕を組み、一考を始める。無理に変えるより、今の自分をベースにして少しの変化を加える方が適しているのではないか。
イヴにも試しに俺を誉めてみるように伝えたが、照れ臭かったのか、言ってくれなかった。
顔を覗き込もうとしても、目線を逸らされた。
俺は恥ずかしさを抑えて、思いつく限りを伝えたのに。
まあ、いい。これ以上しつこくしても、鬱陶しく思われるだけだ。
それよりも、計画の再確認と今後の立ち回りを決めておかないとな。




