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リープ ~私達の二周目~  作者: 蛇頭蛇尾
1章

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第八話 「ライネン・バルグ」

※ 本作品は、一部に生成AI(ChatGPT&Gemini)を活用して構成・執筆を行っています。設定および物語の方向性、展開はすべて筆者のアイデアに基づき、AIは補助ツールとして使用しております。誤字脱字または展開の違和感など、お気づきの点があればコメントをいただけると助かります


 



 苦痛から魂が解放されたときを、味わっていた。


 永劫にもたらされるかとさえ思われた喉を圧迫する苦しみは、意識が途絶えると同時に消え失せた。死への恐怖であれほど震えていた指先は、不本意であろうとその役割を成し遂げた。


 暗転した視界は、瞼を閉じていたのか、それとも目を見開いていたかすら、判別できなかった。しかし、背中や後頭部をなぞるように襲う後悔の念だけは、回想とともに張り付いてきた。




 そして。重い闇の底から、ゆっくりと意識が浮かび上がっていく。


 最初に感じたのは、頬をかすかに撫でる風だった。乾いていて穏やかな、内陸の風だ。戦場の焼け焦げた熱風とは違う。


 風が、心地いい?


 違和感に眉を寄せたまま、次に硬質な椅子の感触を確かめる。手が触れたのは、書き慣れた机の木肌だった。


 ゆっくりと瞼を開ける。色彩の情報量に一度だけ目を細め、それからもう一度、しっかりと世界を見据えた。


 雲間をすり抜けて差し込む朝日は、周囲を鮮明に照らしていた。

 整然と並ぶ帳簿と書類。壁際の古びた本棚。その横に軍用地図のかかった壁。

 そして、何より。

 この空間に満ちる、静かで当たり前の『平穏』。


 ……ここは、どこだ?


 ゆっくりと身を起こす。革張りのソファ。木目の整えられた重厚なデスク。そこかしこに書棚に並ぶ資料の束。


 全部、見慣れたものだ。そう、確かに見慣れていた。だが、跡形もなく燃え尽きたはずだ。


「執務室……?」


 かすれた声で、低く呟いた。

 間違いない。ここは国防学術院特別解析室。消え去ったはずの、私室兼執務室だ。


 戦争の末期に崩れた建物だ。床は瓦礫に埋まり、机も棚も、灰の下に沈んだはずだ。

 脳裏に生々しく蘇る景色と、目の前に広がる光景は、あまりに乖離していた。


「これは……」


 どういうことだ。走馬灯か。いや、だとすればあまりに生々しい刺激が五感に響いている。

 死の間際の夢か。この世から離れる前に見られる幻か。俺は自らに精神干渉の類をかけた覚えはないぞ。なんだ、何だ、何が起こっている。


 思考は霧散し、まとまらない。

 喉が焼けつくように渇き、動揺が胸を叩いてくる。


 何だ、軽い。身体が若返ったように軽やかだ。背筋が伸びる、肩が軽い、足も細くなっていない。瞼は重くなく、酷かった腱鞘まで消えている。やせ細っていたはずの身体が、ほどよい筋肉が付いている。数年前の肉体が復活した、戻ったように思えるが。

 俺は、患部を治癒するような魔法、回復魔法でも扱えるようになったのか。死んだ後に? 意味ないだろ。死ぬ前に覚えろよ。



「お、俺、俺は」



 鏡代わりの窓ガラスに映った顔を、凝視する。

 深い皺も、目尻の隈もない。淡い銀髪は短く刈り上げられ、端正な顔の輪郭を際立たせている。切れ長の瞳は澄んだ青色をしており、肉眼が自らの顔をはっきりと捉えている。


 これは、士官学校を出たばかりの……いや、少し成長した頃だ。十代後半の顔立ち。

 あの頃の、希望や慢心を胸に抱えていた頃の俺じゃないか。


 彷徨わせた視線が、暦を捉えた。


「……馬鹿な」


 俺は確かに、死んだはずだ。


 二十三歳の冬。首を吊った。自分の意志で。


 それなのに……なぜ、五年前に戻っている? いや、この暦が正しい保証はない。いいや待て、だとすれば俺の肉体はどうだ。まるで、そう、時間が巻き戻ったように筋肉があるぞ。


 それにこの部屋だ。あの頃を再現したとすればあまりに細部に忠実すぎる。俺でさえ配置を忘れていたようなものばかりだ。むしろ、記憶を辿って俺が再配置しようとても、ここまで修復はできない。



 手が震え、額に汗が滲む。脈打つ心臓の音が、やけにうるさかった。


 扉をノックする音に、俺の肩は跳ねた。


 何だ、誰だ。ああ、そういえば、あの扉はこんな黒茶色だったな。などと考えている場合か。


「失礼します。中尉、書類をお届けに参りました」


 俺の脳は、今度こそ静止した。


 聞き覚えのある声だった。聞き慣れていた声だ。

 懐かしみ、過去の思い出に浸ることだって可能な声音だ。

 それなのに、今は亡霊のように響く。



「おはようございます。今日は早起きなんですね」


 無言の俺を意に介さず入室してきた彼女は、柔らかい口調で視線を向けてきた。

 それが、あまりにも自然だった。何も変わらない、あの頃のままだ。


 イヴリン・ダルヴィーク。


 切れ長の深いヴァイオレットの瞳には、氷塊の溶けた海のごとく澄んだ碧が混ざったように印象的だ。漆黒の髪は肩までを覆い、そのストレートなラインが彼女の精悍な印象を一層際立たせる。高い鼻梁と引き締まった顎のラインは、凛とした雰囲気を醸し出し、見る者に確固たる自信と威厳を伝えていた。


 死んだはずの部下が、書類の束を抱え、平然とそこに立っていた。



「補佐、官」

「……中尉? あの、近いです」


 気がつけば、俺は彼女に詰め寄っていた。

 イヴリンは困惑した表情で、わずかに後ずさる。



 これは、やはり死の間際の妄想なんじゃないか……死人が、生き返っているのだから。そうでないなら、これは何だ。現実だ。現実? 現実なのか? いいや、そうなのかもしれなくもないかもしれん。


 はっ! 取り乱すな。状況を整理しろ。



 震える呼吸を整えながら、俺は自分を叱責した。


「すまない。大丈夫だ。いや、大丈夫じゃない……大丈夫だ」

「どっちですか」


 中途半端な物言いをした俺に、イヴリンは微妙に眉をひそめたが、声色は半ば呆れていた。

 このようなやり取りだけで、胸をえぐられるようだ。瞼の奥底から溢れ出てきそうなものを堪え、頭を振るう。


 ……まだ壊れていない。軍に壊される前の彼女だ。



 言い知れぬ痛みに、胸が締め付けられた。


 最後に見た彼女は、人工魔導核を埋め込まれ全身に抑制具をつけられた姿だった。

 虚ろな瞳。青白く変色した肌。人工魔法回路によって焼け焦げた跡には、目をそむけたくなるほど、おおよそ人の扱いとは言えぬ姿に変容していた。


 だが、いま。目の前にいる補佐官は、五体満足だ。


「……少し、寝起きで混乱しただけだ」


 小さく息を吐き努めて声音を整える俺に、彼女は顔をじっと見たかと思えば、目を細めた。


「お疲れが溜まっているんですよ。朝食は食べました?」

「いや、まだだ。君は?」

「私は既に。今日はグロートとスープを、豆の入った……まあ、あれです」

「それは酷いな」


 イヴリンの苦手なものだな……そんなことさえ、思い出せてしまうのか。

 現状把握だ。事実確認だ。何よりまずは、この状況を理解する必要がある。働け、俺の頭と口と耳と鼻と脳。いや、これだと頭が二つになるな。


「今日は、何年の何月何日だ?」

「……1901年6月3日です」


 間違いない。俺は、五年前に戻ってきている。まだ、戦争が始まってすらいない――分岐点の手前だ。


 何が原因かわからない。方法もまるで見当がつかない。魔法だとは推測できるが、このような事象を引き起こせるものは知らない。そもそも、これは人類が到達しうる領域なのか?


 ただ一つ、確かなことがある。


 やり直せるんだ。彼女がまだ、兵器にされる前の今なら。


「中尉? 本当に大丈夫ですか?」

「心配するな。少しだけ、考え事をしていただけだ」


 空笑いを浮かべ、書類を受け取る。部下の目は、なおも訝しげだった。

 俺は、不自然だろう。不審だろう、明らかに異常をきたしている。

 こんな、夢でも見ないような状況に置かれておいて、内心では変な高揚が滲みだしているんだからな。


「補佐官」

「はい。え、あ、あの」


 少しの沈黙の末に俺は机の上に書類を放置し、隅にあった椅子を引いてきた。彼女に座るよう促す。目を瞬かせながらも、イヴリンは無言で腰を下ろした。


 その視線には、警戒と不安と――微かな信頼が窺えた。


「君にだけ、話す。信じてくれとは言わない。ただ、最後まで聞いてほしい」


 そう前置きして、深く息を吸い、俺は話し始めた。


 自分が二度目の人生を生きていること。これから五年の間に、国際情勢が大きく塗り替わること。中央大国の崩壊、その後の戦争と終結。その過程でイヴリンが軍の実験にどのように利用され、悲惨な末路を辿ったか。


 話すごとに喉が締め付けられ、目尻が引き裂かれそうだった。記憶を掘り起こし、せり上がらせてくるたびに、言葉に詰まりかけた。


 イヴリンは無言で聞いていた。しかし、表情や態度は彼女の心境を都度表していた。

 下唇を噛むように口を閉ざし、眉根を歪める。そして、重ねた両手の指に力が入る。目を伏せ、息を詰める。


 そして、話し終えた。拷問のようなひとときから解放されると、思わず深い息が漏れていった。


「………………中尉、過労ですね」


 伏し目がちになっていた部下は、小さく前へ傾けていた首を戻し、俺を見つめてきた。


 その声は、優しかった。優しすぎて、かえって胸に刺さった。


「君がそう思うのも当然だ。普通なら、そうとしか思えないだろう。だが、俺は、本当に」


 歯切れが悪くなり、声は苦しげに震えていた。それでも言葉を紡ごうとして、それ以上の訴えは引き出せなかった。


 イヴリンは、黙って俺と視線を合わせていた。その瞳には、困惑と戸惑い、微かな迷いがあった。


 俺でさえ。自分自身を信じ切れていないんだ。それでどうやって他人を納得させられる。

 間違えたな、早計だった。頭の中を整理し、報告書類としてまとめてから彼女に提出すべきだった。


 異常事態に遭遇した人間とは、かくも非論理的な行動に移ってしまうものなんだな。

 この国の誰よりも信頼できるからといって、伝えるにはあまりに唐突だ。

 これで信じてくれ、なんてのは無理が過ぎる。無茶が過ぎる。


 聞いて欲しい、聞いてもらいたい。半ば縋るような思いが高じたせいだ。

 それを制御できなかった俺の責任だ。



「わかりました……とりあえず、信じてみます」

「…………本当、か」

「完全には、信じ切れませんけど。でも、中尉が冗談を言う人じゃないことは、知っていますから」


 柔らかな、一言だった。


「え、え、あ、え。ちゅう、中尉?」

「すまない、すまない……ありがとう」


 俺は、こらえきれなかった。


 袖で目元を拭い、指の腹で取り除こうと流れてくるものを、止められなかった。


 荒唐無稽な、一笑に付されてもおかしくない話を、彼女は訊いてくれた。錯乱の最中にある上司に、気遣いで共感を示してくれただけなのかもしれない。

 だが、それでも聞き入れてくれた。その事実が、深く胸に沁みた。




 それだけで――やっと、救われた気がした。報われた気がした。





「落ち着きましたか?」

「ああ。すまない、みっともないところを見せた」

「そんなことは。ビックリしましたけど」


 人前で泣くなど、何年ぶりだ。それも、女性の前でなんて。渡されたハンカチを汚してしまった罪悪感もあるが、頭と瞳がスッキリしたせいか、なおのこと気恥ずかしい。

 恥などと思う必要などないんだが、決まりが悪いというか照れ臭いというか。何とも形容しづらい。


「それほどまでに、抱えていたものが大きかったのでしょう」


 彼女の柔和な笑みは、眩しく温かだ。まるで極寒の地から帰ってきた先で待つ上質なベッドのような安心感だ。見ているのが俺だけでは勿体ないとさえ思えてくる。

 イヴリンの笑顔は宗教画にした方がいいんじゃないか。高名な画家でも連れてくるべきか。


 脳裏をよぎった思考に制止を呼びかけ、俺は瞼を閉じる。


 そして、ゆっくりと見開き、彼女に焦点を合わせた。


「補佐官。俺と、国外に出るつもりはないか。君はまだ、軍にその価値を気づかれていない。国外へ出よう……君を守りたい」

「え、ええ? 国外? 急すぎます……あ、あの、だから、近いですって……!」


 距離を詰めた俺に、彼女は椅子を倒し慌てて後ずさる。だが、逃げようとはしなかった。


 俺に困惑している時間はない。勝負はこれからだ。


「イヴリン。ついてきてくれるか? いや、ついてこい。俺は、君を連れて行く」

「は、はあ……あの……命令、ですか?」

「そうだ」


 この状況を最大限に活かすためなら何だって使ってやる。軍の上層部すら利用してみせる。


 次こそは、彼女を。ひいては母国の愚行を止めなくてはならない。


「…………それ、なら。仕方、ないです、ね」



 一拍の沈黙の後に、小さな声が返ってきた。


 それは、確かに『了承』だった。


 尻すぼみになって目線を下げるイヴリン。彼女の戸惑いや不安の全てを横に置いて、強引に押し切る形になってしまった。すまない、と謝罪は心の内で留めておく。

 止まっている暇はない。心変わりを待っている余裕などないんだ。


 同じ過ちを繰り返さない。


 彼女を、そして祖国を守る。


 それが、この二度目の、戻ってきてしまった人生の価値だ。


 口を引き結び、晴天を見上げた。


 窓の向こうでは、まだ色褪せていない空が、広がっていた。



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