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「あっ、ルー……!」

「うん……」

 ひんやりした白く長い指先が、アリサの肌を滑っていく。

 何度かキスをしているうちに、死人のように冷え切っていたルーの身体は僅かに体温を取り戻し、ついでに体調も回復してきたらしい。まだ本調子とまではいかずとも、このまま行為に及んだ方が“契約”による彼の負担は軽減するはずだと考えたアリサは、文字通り初体験に臨むことを提案したのだが……。

(な、なんか……)

 丁寧にアリサの服を脱がせ、ルー自身も上半身を晒した時点で、すっかり自分は骨抜きにされてしまった。

 具体的には、細身ながら引き締まった青年の半裸姿にときめき、にこりと可愛らしく微笑む美貌に萌えまくり、そして極め付けに男前どストレート発言で思い切り心を撃ち抜かれたのだ。

『アリサお嬢サマは……昔も今も、キレイだな』

『っ……!?』

『優しくする。大事にするから』

 その言葉を聞くなり、まだ指一本触れられていないのに身体中が熱をもつ。

 彼に愛されたいと全身で求めている浅ましい自分を痛感したアリサだったが、ルーは宣言通りゆっくりと慈しむような愛撫を施してきた。

(焦れったい、かも……!)

 優しく穏やかなその触れ方から、大事に大事にされているのが伝わってくる。そんな幸せを実感する一方で、もっと激しく求めてほしいと願ってしまう自分は、やはり欲求不満なのだろうか。

「どうかした……?」

「ルー、あのね……」

 思考が顔に出ていたらしく、顔を上げたルーがこちらを窺うように見下ろしてくる。

 その大人びた表情──完璧な従者の顔をした彼を目の当たりにした瞬間、反射的にアリサが口にしたのは、それまで考えていた内容とは全く別の言葉だった。

「遠慮、しないで。あなたの気持ち、ちゃんと話して?」

「っ──」

 途端、はっと息を呑むルー。

 揺れる瞳をそのまま黙って見つめ続けていると、やがて彼は根負けした様子で小さく息を吐いた。

「アンタ、男前すぎるんだよ……少しは俺にもカッコ付けさせてほしいのに……」

 ポーカーフェイスが崩れた、泣き笑いのような表情。すぐに俯いてしまったため見えたのは一瞬だったが、その後ぽつりと漏らされた言葉こそ、ずっとアリサが求めていた彼の本心だった。

「……何となく、思っただけ。所詮俺らは期限付きの関係で、アンタの隣には、いつか──」

(──あぁ)

 続きを言わせたくなくて、その唇を塞ぐ。愛しさと切なさが溢れ出し、熱い雫となって頬を伝った。

(もしも──)

 いずれ天に昇る、愛しの君を。

 此の愛で、己の元へと堕とせたなら。

(……なんて、世界の理に逆らうみたいなこと、できる訳──)

『邪神からルー君を奪い返して、あの腹黒女王に一泡吹かせてやりましょ?』

 唐突に思い浮かんだのは、他愛ない会話の中で聞いた母の言葉。それと同時に、小さな疑問が頭をよぎった。

(どうして邪神は、ルーを──自分の器として捧げられた生贄を、あえて見逃したんだろ……?)

 邪神の意図は分からない。でも、同時に湧き上がってきた熱く燃え滾るような感情は、アリサの心に火を付けた。

(……諦めないわよ)

「おいで、ルー」

「え……」

「ねぇ。名前、呼んで?」

 左手は彼の頬に添え、右手で柔らかな前髪を掻き上げる。

 額の傷痕に浮かんだ光る紋様へと口付ければ、ルーは感じ入るように目を閉じた。

「……アリサ、お嬢サマ」

「ダーメ。今は従者じゃなくて、恋人モードでしょ?」

 彼の瞼にキスを落とす。

 長い睫毛を震わせ、まるで宝箱を開けた時のように綺麗な紫紺の瞳が覗く様は、何度見ても溜息が出るほど美しかった。

「アリサ、サン」

「まだ余所余所しいわ、もう一声!」

「じゃあ……リサ?」

 彼に愛称で呼ばれた瞬間、心の底から温かく満たされたような感覚に包まれる。

 いつも夢に出てきた朧げな人影と、目の前で小首を傾げている彼の姿が、ぴたりと重なった。

「やっぱり……」

「?」

(運命の相手は、あなたしかいない)

「ルー……あたしの、ルーウェリン」

 神呪なんかに負けない。彼の存在と引き換えに王国の平和を維持しようとする女王の思惑通りになんて、絶対なるものか。

(神にも、国にも──この世界に喧嘩を売ってやるわ)

 無謀で壮大な決意を胸に、アリサは不敵な笑みを湛えたまま、ルーの身体を引き寄せた。

「あなたの総てを、奪ってみせるから。覚悟してて?」

 



 

 情熱的な一夜が明けて目を覚ましたルーは、隣でダークレッドの艶やかな髪を散らせて熟睡中の主を起こさないよう、そっと身を起こした。

 ベッドを降りて窓際に立つと、柔らかな朝の日差しに目を細める。

(……あったかい、な)

 温もりの戻った両手を見下ろし、背後に視線を向ける。何やらむにゃむにゃと寝言を呟きながら、気持ち良さそうに眠る愛しい女性。自身に生きる希望を与え、何度困難に晒されても立ち上がり、共に行こうと手を差し伸べてくれる──強くて美しい、自分にとって憧れの女性。

『あなたの総てを、奪ってみせるから。覚悟してて?』

(とっくに奪われてるんだけどな……)

 身分違いで分不相応だからとひた隠したまま、ずっと抱え続けていた淡い感情。

 それを知った邪神こと冥神ソフィアからは、心底可笑しそうに笑われてしまったが。

『生きる世界を分かたれて尚、不毛な想いを抱き続けている愚かさよ……人間というものは、本当に憐れで愛い生き物だのぅ』

 かつて、絶望の底で出会った彼女に救われた。それ以来、彼女の幸せを心から願っていた。誰かの隣で笑う主をただ見守っていられれば、それだけで満足だから。

 ──そう、思っていたはずなのに。

『面白い。せいぜい運命に抗い、足掻いてみせよ』

(足掻いて、いいのか……?)

 新たな主に背中を押され、最愛の人から全身で求められたことで、ずっと思考の奥底に仕舞い込んでいた欲が顔を出す。

(求めても、いいのか……?)

 金も地位も無く、人間として生きられるのも限られた時間のみ。だがこれまで築いてきた絆や、守護神契約という無二の繋がりを駆使すれば、自分が彼女の隣に立てるのではないかと、つい夢想してしまった。

 そんな未来を一瞬でも望んでしまった以上、もう己の心に嘘を付くことはできそうにない。

「ホント、敵わないな……」

 本当は、彼女が過去の未練を断ち切って前に進めるよう、約束だけ果たしたら潔く去るつもりだったのだ。それがまさか、逆に自身の未練ごとがっちり捕らわれてしまうことになるなんて。

(夢の続きを、見てみたい)

 サイドテーブルに置いてある小箱を見やる。その中身は、3年前にルーが贈った小さな魔石だった。照れ臭そうな笑みと共にアリサがそう教えてくれた時、自分の人生でこれ以上は無いと断言できるほど感激したものだ。

「……ずっと貴女を、お慕い申しておりました」

 アリサの穏やかな寝顔を見下ろし、無造作に投げ出された右手へと、触れるだけのキスを落とす。

「リサ──アンタが望むなら」

 紫紺の双眸に宿る決意の焔が、陽光を反射して強く煌めいた。

「俺も全力で、抗ってみるよ」





「──おや」

 その頃ブリアナイト王国の王宮内。窓も無く薄暗い部屋の中で儀礼服を身に纏い、水晶玉に手を翳していた女王が、一人ぽつりと呟いた。

「“彼女”の未来が、視えなくなりましたね……?」

 


 

 

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