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 静寂に満ちた、穏やかな空間。

 優しく頬を撫でられる感触で、アリサはゆっくりと目を開けた。

(……誰?)

 唯一視界に入るのは、横たわる自分に寄り添う誰かの人影。

 それ以外は何もなく、どこまでも果てのない、真っ白な世界。

「──?」

 徐に身を起こした人影の顔は、逆光になっていてよく見えない。しかしその“青年”の口元は優しく微笑んでいて、つられるようにアリサも笑みを零す。

「──、────」

(えっ、何て……?)

 薄い桜色の唇が開き、何かを呟いた。しかしその声は何故か全く聞こえず首を傾げれば、長いダークレッドの髪がシーツをさらりと撫でた。

 その様子を見て笑みを深めた彼は、白く長い指先でアリサの髪を一房手に取り、そっと口付ける。

 瞬間、心に湧き上がるのは、熱を帯びた感情。

(あぁ……こんなに愛しくて)

 額、頬と順にキスを落とされ、アリサは擽ったさに笑う。

(こんなにあたしを愛してくれて)

 首筋へのキスに甘い声を上げれば、顔を上げた彼がじっとこちらを見下ろしてくる。依然として顔は全く分からないというのに、仄かに情欲を孕んだ眼差しが透けて見えるような気がした。

(……なのに)

 頬を撫でてくる優しい手。不意に込み上げてきたのは、先程とは全く異なる感情。

 思わず目を潤ませたアリサの頬にふと、濡れた温かな感触が落ちてくる。

(こんなに胸が痛いのは、どうして──?)

 それは彼の零した、一粒の涙だった。





 真っ暗な視界。

 温かな毛布の感触。

 そして、控えめに響くノックの音。

「アリサお嬢サマ、失礼いたします」

 大人びた口調で呼びかけてくる、愛らしい少年従者の声。

 穏やかな微睡みの中、アリサは無意識に口許を弛める。

「……ご主人サマ?」

「うぅん……るぅ……」

 夢現でムニャムニャ答えながら、アリサは布団の中で背を丸める。

 直後、勢いよくドアが開け放たれた。

「早く起きろ。遅刻するぞ」

「嘘っ、また小隊長にいびられるっ!」

 ぎょっとして飛び起きたアリサは、プラチナブロンドの長い髪で目元を隠した少年が腕組みしているのを見るなり、ふにゃりと笑ってみせた。

「あ。おはよ、ルー」

「……おはようございます」

 寝汚い自分に呆れている様子の彼は、しかし律儀にぺこりと頭を下げる。それに笑顔で返しつつ、ふと思い出した。

(そういえば……何か夢、見てた気が……)

「──ますか……お嬢サマ?」

(確か、真っ白な場所で、誰かが──)

「アリサ様──おい? 聞いてる?」

「っはい! ごめん、何だった?」

 うっかり思考に没頭して、ルーの言葉を聞き逃していたらしい。前髪の間からジト目が覗いていた。

「タメ口のが反応良くないか、元ブレイズ男爵令嬢サマ?」

「うっ……!」

 痛い所を突かれ、言葉に詰まる。

 アリサが元ブレイズ男爵の1人娘で、数年前までは男爵令嬢だったのは事実だ。だが、幼い頃から父と同じ王国騎士になることが夢だったため、令嬢としての教養は二の次でひたすら鍛錬に明け暮れていたのだ。

(パパは、女の子なのに怪我しないかっていつも心配してたっけ……)

 しかし、伯父のサザマ侯爵家が叛逆疑惑で一族郎党処刑された際、侯爵の弟にあたる父も投獄され、そのまま帰らぬ人となった。母と自分は刑を免れたものの男爵位も剥奪されてしまい、元々気品など皆無だったアリサは現在、良くも悪くも平民そのものの生活を送っている。

「どうせ、没落貴族どころかド平民よ……」

 思った以上に沈んだ声となってしまったためか、ルーは微かに眉を寄せる。そして壁際に立て掛けてあったアリサの剣を手に取ると、目の前で跪いた。

「いつか武勲立てて、返り咲くんだろ」

「……うん」

「俺なんか従者にしてさ。助けてもらった恩もあるし、出来る限りはサポートするけど──」

 出世したらもっと有能な人を雇うように、とか理想の男が現れたら、とか何とか続ける声を聞き流しつつ、アリサは彼の美しく透き通った碧眼をじっと見詰め続けていた。

(だって……あなたしかいないって、直感したの)

 実はルーと出会ってから、まだ1年ほどしか経っていない。

 貧民街にいた彼はひどく痩せており、血と泥に塗れた全身傷だらけの姿で、幼い孤児の子供達を劣悪な環境から必死に護り続けていた。そんな強く気高い心をもつ少年に、当時まだ新米騎士だったアリサは迷わず手を差し伸べたのだ。

(この綺麗な瞳以外、あんなにボロボロだったのに)

「今や超絶美少──コホン。今や家事全般こなすスーパー従者だもんね」

 人目を引く外見のせいで貧民街にいた頃は散々苦労したらしく、ルーは自身の容姿を好まない。

 漏れかけた本音をどうにか飲み込み、差し出された剣を受け取れば、ふっと碧い双眸が細められた。

「及ばすながら、粉骨砕身務めさせていただきます」

 背筋を伸ばして立ち上がったルーが、改めて丁寧に一礼する。

「朝食の準備が整っております。食堂で母君もお待ちです」

「所作も完璧! さっすが未来の執事様!」

 笑顔で拍手を送れば、はにかみつつ部屋を出て行くルー。ドアを閉めた彼の足音が遠ざかるなり、アリサはがばりと俯き肩を震わせた。

(っ、あー本当可愛い、大好き! あの子拾ったあたし大勝利!)

 彼は従者としての能力もさることながら、言動こそ冷静で淡々としているものの、その心根は誠実で優しい。今もさり気なく自分を励ましつつ場を和ませてくれた彼に、アリサはすっかり心奪われてしまっていた。

(男は断然年上派だったけど、ルーは特別! 真面目で気配り上手、ついでにすっごい美少年だし!)

 垣間見えた柔らかな微笑みを思い返しながら暫くにやついていたが、不意にぐうぅっとお腹が盛大な音を立てる。

 いそいそと着替えて食堂に向かえば、小柄だが自分と瓜二つの顔をした母エリカが首を長くして待っていた。

「おはよう、アリサちゃん」

「お待たせ、ママ──お母様」

「うふふ、それじゃ、いただきましょうか」

 カァン! と脳内で闘いのゴングが鳴り響き、アリサと母の激しい食事争奪戦が火蓋を切った。

 マナーは守りつつも早い者勝ちの賑やかな食事風景は、父の生前から続くブレイズ家の日常だ。

「ほら、ルーも座って。あなたの分が無くなっちゃう」

「……承知いたしました」

 給仕を済ませたルーを同席させるのもお決まりの流れだ。アリサの言葉が冗談ではないと分かっている彼は素直に従うと、貧民街出身とは思えない完璧な作法で食事を開始した。

(あぁ、この気品漂う雰囲気がまた……!)

 うっかり見惚れたのが運の尽き、朝食にしては多すぎるほど並んでいたはずの料理が、みるみるうちに無くなっていく。

「最後の一切れ、いただくわね?」

「あぁっ! ルーお手製のミートパイっ!」

 母の口に吸い込まれていく好物にアリサが愕然としていると、フォークの手を止めたルーが遠慮がちに呟いた。

「あの、明日も焼きましょうか……?」

「やった! 今度は絶対ママより沢山食べるわ!」

 苦笑していたルーが食事を再開する。丁寧にナイフを扱う様をうっとり眺めながら、アリサは未来の彼を夢想した。

(数年も経てば、きっと貴族顔負けの超絶美形紳士になるわね……!)

 恐らく十代前半と思われるルーだが、近い将来には気品溢れる美貌の青年に成長することだろう。彼のエスコートで社交界に顔を出す華やかな未来を想像するだけで、ミートパイ3枚は軽くいただけそうだ。

「ぐふふっ……!」

「……どうぞ」

 じゅるりと涎を垂らすアリサを見上げたルーは軽く引いていたものの、無言でナフキンを差し出してきた。

 幼いながら、本当によく出来た従者である。


 ◆

 


(で、どうしてこんなことに……!?)

 今日もいつも通りブリアナイト王国騎士団へと出勤し、鍛錬に精を出すはずだった。だが今、アリサの現在地は修錬場ではなく王宮──しかも、玉座の間で。

(完全に場違いなんだけど……)

 朝一で隊長から呼び出しを食らった挙句、王宮からの召集命令を聞かされた時には仰天したものだ。直属上司の小隊長には「何やらかしたんだ?」と揶揄われ、特に心当たりは無かったものの、ひとまず大急ぎで馬を走らせ馳せ参じたのだが……。

(あたし以外、明らかに“お貴族様”だし……!)

 アリサの服装は当然、騎士の制服姿だ。しかし案内された先で待っていた3人の貴族らしき人物は全員、大変高価そうな気品漂う正装を纏っていた。

 ぶっちゃけ今すぐ「すみません間違えました」と回れ右したい気分だ。

「……ふふ」

 恐らく彼らの中で最高齢と思われる、母と同世代くらいの貴婦人に鼻で笑われる。また残りの若い男女には、完全に憐れみの視線を向けられていた。

(いいもん、騎士の制服だって正装よ!)

 さっさと割り切って顔を背けた所で、入口とは対角に位置する重厚な扉が開かれる。反射的にそちらへ目を向ければ、王宮執事に付き添われ、床に届くほど長い純白の髪をもつ盲目の女王が現れた。

(あれが、女王様……!)

 戸惑いつつ、一斉に跪く貴族達にアリサも倣う。ゆったりと玉座に腰を下ろした女王は、瞼を閉じたまま上品に微笑んだ。

「御足労いただきありがとうございます。今回お集まりいただいた理由は、既にご存知のことと思いますが」

(いや全く知りませんけど!?)

 隣の男が頭を垂れたまま大きく頷いている。アリサは困惑を通り越して段々腹が立ってきた。

(何このアウェー感! ちゃんと分かるように説明──)

「王国に穢れの兆候が現れました。慣例に倣い、次の満月に浄化の儀を執り行います」

(──されても全然分かんなかったー!)

 貴族達が深々と頭を下げる中、アリサは泣きたくなってきた。恨めしい気持ちで女王を盗み見ると、まるで図ったかのように彼女がこちらへ顔を向け、笑みを深めたような気がした。

(え……?)

「レイブラック家、ラズリー家、ラティーナ家、そしてバミリオン家。神殿内には4大名家の皆様に加え、それぞれ護衛1名の同行を認めます」

「!」

 漸く理解できる単語を耳にし、アリサは思わず顔を上げる。

 4大名家。ブリアナイト王国の建国神話学に拠れば、1千年前に大地を穢す邪神を封じ込めた大魔導士の末裔だという。現在は北部ノーウィン地方をレイブラック家、東部イースリング地方をラズリー家、西部ウェスタム島をラティーナ家が管轄しており、南部サザマ地方については数年前、ブリアナイト女王の治める中央部に吸収合併されたのだが──。

(バミリオン家って、伯父さんの? でもパパも含めて一族みんな殺されて──)

 サザマ侯爵バミリオン家。父の実家が四大名家の一つであることは知っていたし、父や伯父達が処刑されたことを今更恨んでも無意味だと理解している。無論、複雑な心境ではあるが。

(それで、姪のあたしが? でも──)

 ただし、今アリサが最も懸念しているのは全く別のことだ。

「同じ英雄魔導士の末裔として、私と共に王国の未来を守りましょう」

 目を閉じ微笑む女王の言葉で、名家出身の魔術士達は深々と平伏する。慌ててアリサも額を床に押し付けながら、内心は冷や汗ダラダラ状態だった。

(悪いけどあたし、ゴリゴリの肉体派剣士! 魔力なんて皆無なんですけどー!?)



 

「調子良すぎだろ。俺、女王(ソイツ)嫌いだな」

(っどストレート!?)

 王宮に呼び出された日から二週間ほど経った、満月の夜。護衛役のルーを伴って神殿への道を歩いていたアリサは、隣で無造作に呟かれた内容に目を剥いた。慌てて彼の口を塞ごうとしたが、ひょいと身を躱されてしまう。

「ちょ、下手に聞かれたら首飛ぶわよ!?」

「今だから言ってんの。神殿着いたらちゃんと“従者”やるって」

 ルーは見た目こそ小柄で華奢な美少年だが、意外と剣の腕前が堪能で、少しだけ魔術も扱える。貧民街時代、幼い子供達を身一つで護っていた彼は、身寄りのない孤児達を保護するという約束の対価として、当時まだ新米騎士だったアリサを情報面でも戦力面でもきっちりサポートしてくれた。その際に従者として即スカウトしたのだが、今でもアリサが頼めば任務の相談に乗ってくれたり、時にはこっそり協力してくれることもある。今回も、事情を聞くなり二つ返事で同行してくれたのだが……。

「親戚だからって、何でアンタが尻拭いさせられんの。しかもタダ働きでさ」

「まぁ、うん……」

「大体、女王は父親の仇なんだろ。慰謝料ってか迷惑料くらい要求すれば?」

 女王への不満を連ねながらも、特に感情を浮かべるでもなく真顔で見上げてくるルー。ひとまずアリサはひとまず素朴な疑問を口にした。

「……さっきから、やけにお金に拘るわね」

「ブレイズ母娘の食費で家計が火の車だからな」

「う……」

 迷わず即答され、アリサは黙るしかない。対するルーは、何だかいつもより饒舌だ。

「サザマ侯爵だっけ。国にとって大事な一族なら、簡単に切り捨てんなよな……そしたらアンタもエリカサンも、ここまで苦労しなかったのに……」

(あ……それで不機嫌だったんだ)

 さらりと夜風に靡くプラチナブロンドを見下ろす。依然ルーは表情こそ冷静に見えるのだが、どこか苛立ったような口調だったその理由を漸く理解し、つい口元が弛んだ。

「……? 何笑ってんの?」

「ルーは優しいなって」

 目を瞬かせる彼に、アリサは冗談っぽく付け足す。

「いっそ、このままうちの大黒柱にならない?」

「はぁ? 将来は絶対に年上長身美形貴族ゲットするって意気込んでたじゃん」

「…………」

「あ、そろそろ雑談も終わりだな」

 木々の向こうに荘厳な神殿が見えてきて、ルーはさっさと話を打ち切ってしまう。本音を込めた遠回しの告白だったのだが、完全に冗談と取られてしまったようだ。

(あーもう! 1年前のあたし馬鹿ぁ!)

 アリサは思わず、がっくりと肩を落とす。

 武勲を立てて爵位を取り戻し、素敵な金持ち貴族紳士とゴールイン──そんな夢を叶えるために従者として力を貸してほしい、と当時頼んだのはアリサ自身だ。彼をスカウトした際に語った身の程知らずな大望が、こんな形で自身の首を絞めることになるなんて、想定外にも程がある。

(だって、まさかルーに惚れちゃうなんて思わなかったし!)

「はぁ……前途多難だわ……」

「ご心配には及びません」

 うっかり漏らした溜め息が聞こえてしまったようで、背筋を伸ばしたルーは迷い無く言い切った。

「この身に賭けて必ずご主人サマを支え、お護りいたします」

 そんな年下従者の頼もしい一言にときめいてしまうのは、もはや不可抗力だと思う。

(っもう、そういう所っ! 可愛い顔して性格男前すぎっ!)


 

 ◆



 アリサ達が神殿前に到着すると、既に他の貴族達も集まっていた。高貴な身分同士で優雅に談笑しているかと思いきや、彼らは特に交流をする訳でもなく、それぞれ個々で固まっている。

(4大名家って名前連ねてる割に、お互いあんまり親しい訳じゃないのね)

 雑談くらいすればいいのにと思いつつ、とりあえず近くにいた令嬢へ向けて会釈をしてみたのだが。

「…………」

 栗毛できりっとした美人のラズリー家令嬢は、ちらりとアリサを一瞥したたけで、すぐに目を逸らしてしまった。そして隣に控えていた、アリサの所属する王国騎士団とは異なる制服姿の護衛騎士に何やらひそひそ話を始めてしまう。

(あっちのお嬢様も感じ悪……)

「こんばんは。良い夜ね」

 そこへ柔らかな声音で挨拶してきたのは、銀髪のラティーナ家夫人。護衛は連れておらず、1人のようだ。

(この人も、なんか苦手だし)

 王の間で会った際にアリサを鼻で笑った彼女は、相変わらず食えない微笑みを湛えている。かと思えば、背後で一礼するルーを見るなり、妖艶に目を細めた。

(……ちょっと距離取っとこ)

 何となくその表情が気に入らず、挨拶だけ返したアリサは夫人からさり気なく離れるように移動する。

「やぁ、騎士のレディ」

 すると今度はメンバー内唯一の男性、黒髪の長身でそこそこイケメンのレイブラック家子息に声を掛けられた。背後に控える初老の執事もかなり上等な服装に身を包んでおり、本人に至ってはパーティーの主役さながらの無駄に煌びやかな装束だ。

(あ……年上長身美形貴族、だけど……)

「皆様、お揃いのようですね」

 そこへ数名の護衛を連れた女王が現れる。跪こうとする一同を制し、相変わらず目を閉じたままにこりと微笑む。

「それでは、ご案内いたします」

 月光を反射してキラキラと光る白髪を靡かせ、魔術で扉を開錠した女王を先頭に、一行は神殿内へと足を踏み入れた。最後に入ったアリサは、殿を務めるルーと共に無言で通路を進んでいく。

(建国神話なんて、お伽話だと思ってたわ)

 前を歩く面々の背中を見やり、ふと王宮に召集された時のことを思い浮かべる。

 他の貴族達が帰った後に1人残されたアリサは、女王から儀式についての詳細を聞かされた。とはいえ大した内容ではなく、ものの数分でアリサも帰路に着いたのだが。

『特に難しいことはありません。儀式に参加さえしていただければ、大丈夫です』

(──って、言ってたけど)

 女王の口ぶりから、形式的な儀式を簡単に行う程度だろうと高を括っていた。だが神殿内部に漂う重々しい空気は、魔術士の素養がない自分ですら普通ではないと感じる。実際、他のメンバーもずっと緊張の面持ちで黙りこくって歩いていた。

(ルーも、警戒してるし)

 彼はあまり感情を顔には出さないので分かりづらいが、何となくピリッとした空気が伝わってくる。アリサも気を引き締め直すと、まだまだ続く通路の先を見据えた。


 


 

「──それで建国以降、200年毎に邪神の浄化を行うことで、国の平和が保たれている訳さ」

(うんちく話長っ……)

 しかし、いかんせん道のりが長すぎた。いつの間にやら緊張感などすっかり消え失せ、あちこちで雑談が始まっている。

 ちなみにアリサは、すぐ前を歩いていたレイブラック公爵子息に絡まれて以降、ひたすら長話に付き合わされていた。

「ご理解いただけたかな、騎士のレディ?」

「はい心より感謝申し上げます」

(やっと終わった……!)

 ドヤ顔で話を締め括られ、虚ろな顔で棒読みの礼を言うアリサ。だが相手は全く空気を読んでくれず、親しげに喋り続ける。

「そう畏まらないでくれ。デレク・レイヴラックだ。デレクでいい」

「……アリサ・ブレイズです」

「よろしく、アリサ。因みに、我が一族の得意魔術は──」

(まだ喋り続ける気!?)

 げんなりして後方に控えるルーを振り返れば、彼は真顔で親指を立ててきた。

(玉の輿狙えるじゃん)

(無理。好みじゃない)

 力無く首を横に振ると、隣の男を視界に入れず前を向いたまま、アリサは嘆息する。

(ぶっちゃけ、もう爵位とか貴族の後ろ盾とか、あんまり興味無いし)

 喋り続けるお貴族様の声を聞き流しつつ、考える。

(今はただ、ルーが欲しい──なんて言ったら、怒るかな)

「またラティーナ家は使役魔術、要は魔物を使い魔にする契約の──ん?」

 不意にうんちく話が止まり、アリサは顔を上げる。丁度、集団の先頭で女王が立ち止まり、最奥の扉を開けた所だった。

(──わぁ)

 石壁で囲まれた広間。その中央には、巨大な黒い炎を閉じ込めた水晶が鎮座している。炎は水晶内で踊るように燃え盛っていたが、部屋は驚くほど冷え切っており、アリサは小さく身震いした。

「こちらが浄化の間です。護衛の方々は、私と共に壁際へ」

 護衛の付き人達が女王に従い、デレク達は水晶の方へと歩いていく。よく見ると、家紋らしき物が刻まれた石板が水晶の台座を囲むように置かれていて、4大名家の“魔術士”はその上に立って儀式を行うようだ。

(っていうか、本当にあたしで大丈夫……?)

「アリサお嬢様」

 アリサも移動しようとした所で、ルーに呼ばれる。振り向くと、彼は小さな碧い石を差し出してきた。

(綺麗な色……ルーの瞳みたい)

「魔石、作ってみた。俺の魔力量じゃ、小石サイズで精一杯だけど……」

 魔石──それは文字通り、魔力の込められた石だ。市場にも出回っているが非常に高価な代物で、生成には良質な素材と膨大な魔力を要するという。無論、魔術士と呼べるほどの魔力量でもない彼が、一朝一夕で生み出せる物ではないはずだ。

「わざわざ、あたしの為に……!?」

 儀式の話を聞かされたのは2週間前。その時から地道に魔力を込め続け、作ってくれたのだろう。

(なんて健気! やっさしぃ! 愛してるっ!)

 感激のあまり抱き付きたいのを堪え、ルーの手を両手で握りしめる。途端、ルーがビクッと肩を跳ねさせた。

「あ、ごめん!」

「……や、別に平気」

 言葉に反し、すっと逸らされた目には怯えの色が覗いていた。

 真面目で正直者な彼は、嘘や誤魔化しをひどく苦手としている。今も虚勢を張っているだけなのはバレバレだったが、彼の優しい嘘に気付かないふりをして、アリサは満面の笑みを返す。

「そっか。でも本当、ありがとね!」

「…………」

「それじゃ、頑張ってくるわ!」

 彼が小さく頷くのを確認して踵を返す。

 脳裏に浮かぶのは、貧民街で出会った頃の彼。差し出された手に対して怯え、手負いの獣さながらに剣を向けてきた。それでもアリサが動じることなく真っ直ぐ見つめ続けていると、やがてこちらを窺う瞳の奥で揺らめき出した、微かな灯。

(まだ1年、されど1年……よね)

「ルー!」

 今度はアリサが呼び止め、振り向いた彼へと真摯に告げる。

「帰ったら、大事な話があるの。聞いてくれる?」

 一瞬だけ虚をつかれたような顔をしたルーは、微かに目元を弛めて丁寧に一礼した。

「……承知いたしました、ご主人サマ」

「絶対ね、約束よ!」

 彼の返答に満足し、色々と決意したアリサが石板の上に立つと、女王の声が響く。

「では、浄化の儀を始めます。皆様、お願いいたします」

 他の3人が杖を構え、水晶へと向ける。

(……え? ちょ、どうすればいいの!?)

 視線で女王に助けを求めるが、彼女はただ静かに微笑んでいる。

 迷った末に、アリサは自身の愛剣を抜いた。父の形見である剣は火属性で、朱色の刃に炎を纏っているため、少なくとも見栄え的には遜色ないのが救いだろうか。

(で、次は何!?)

 儀式の開始を知らせるように、デレク達が掲げる各々の杖へと魔力の光が点っていく。

 アリサは再度女王を振り返ったが、やはり彼女は無言でにこにこしているばかりだ。

(いや全然分かんな──そっか、魔石!)

 その横で何やら身振りで示すルーの姿が視界に入り、アリサは大急ぎで制服のポケットに入れていた魔石を取り出した。これで何とかなりますように、と石ごと両手で剣の柄を握り締めれば、呼応するように剣身が赤々と燃え上がり、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。

(良かった、ルーのお陰ね)

 視線の片隅でルーを探すと、見慣れたプラチナブロンドはすぐに見付かった。だが何やら女王に声を掛けられていた彼が顔色を変えたように見え、疑問を覚える。

(──え?)

 突如、目の前で紫色に発光した水晶から、黒い影が漏れ出した。無数の手を伸ばすように広がった影は、一斉にアリサへと襲いかかってくる。

「!?」

 思わず剣を構えた直後、目の前に割り込んできたのは最愛の従者。影を薙ぎ払うように短剣を振るいながら振り返ったルーの表情には、珍しく焦りが滲んでいた。

「嵌められた。狙いはアンタだ」

「えっ……!?」

「アレに触るな、早く退がれっ……!」

 切迫した様子の指示を聞くなり、アリサは素早く後退した。

 斬っても斬っても湧いてくる影にルーは必死で迎撃していたが、一瞬の隙を突かれ、小柄な身体があっという間に絡め取られていく。

「ルー!?」

「っ、ゴメン……最期に、恩を返──」

 影がルーを取り込むように覆った直後、水晶が白く輝き、あまりの眩さにアリサ達は目を瞑った。

「!?」

 光は徐々に弱まっていき、再び目を開けた時には影もルーもすっかり消え失せていた。

 水晶内では、小さな種火サイズとなった黒い炎が静かに揺れている。

(……は?)

「お疲れ様でした。浄化の儀、完了です」

 広間は水を打ったように静まり返っていて、歓声はおろか労いの会話すら無い。

 全員無言で、ただ憐れむような視線をアリサへと向けていた。

(え……ルー、は……?)

 愕然と立ち尽くすアリサの脳裏に、つい先程神殿の外で彼に告げられた内容が蘇る。同時に、貧民街でアリサに忠誠を誓ってくれた時の言葉も。

『この身に賭けて必ずご主人サマを支え、お護りいたします』

「っや、だ……」

『この恩は忘れない。俺の一生を、アンタに捧げると誓うよ』

「違う……そんな風に、恩を返してほしくなんか……!」

 手から炎の剣が滑り落ち、魔石を握り締めた拳に涙の雫が落ちる。

「っ、嫌、いやあああぁ──っ!!」

 その場に膝を付いたアリサの慟哭が、神殿中に響き渡った。


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