ご主人がくれた私だけのデータ
「こっちに入らなくて良いのか?」
「はい。私は濡れても支障がないため問題ありません。」
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6月の急な雨は、ルーティンのように繰り返す日常に少しだけ変化を与える。
雨は人を切なくさせたり、濡れぬよう慌てさせたりするようだ。
私は雨粒に打たれながら、家の裏にある小さな公園へ歩いた。
予測通り、公園の小さな屋根付きベンチにご主人は座っていた。
「ああ、ナギ。いつも迎えに来てくれてありがとう。」
「エイジ様。傘をお持ちしました。いつでも帰宅なさってくださいね。」
「ありがとう。もう少しだけ居ようかな。」
ご主人はここで雨宿りをし、ぼんやり過ごすのが好きだ。
病気のため仕事を辞めた時に私が雇われ、10年になる。
私は今日もただただ、近くで彼が立ち上がるのを待つ。
私が先ほど歩きながら行ったデータ予測通り、
やはりご主人はこう言った。
「なあナギ、こっちに入らなくて良いのか?」
「はい。私は濡れても支障がないため問題ありません。」
「雨に濡れると不快じゃないか?」
「いいえ。私に不快という感情はなく、
状況に不都合があるか、または警戒すべきかどうかが全てです。
エイジ様が濡れると不都合ですので、見守っているのです。
どうかお気になさらないでください。」
「ははは、おもしろいやつだな。」
毎度ではないが、同じ会話をよくする。
私も最新のAI技術が搭載された世話役ロボットなので、
会話のレパートリーは無限大なのだが、
ご主人はなぜか同じことを何度も質問する。
そのたびご主人は笑うのだ。
――――10分程で彼はゆっくりと立ち上がり、
私の傘に入り、雨のノイズの中緩やかなペースで帰宅する。
食事の用意ができ、いつものテーブルに置く。
食事をするご主人を確認しつつ、
私は後学のために質問をした。
「エイジ様は、ここ数ヶ月前から、よくあのベンチで雨宿りしていますよね。
何か理由があるのでしょうか?」
「そうだねえ……なんとなくかな。」
「なんとなくですか?」
「うん、特に大きな理由はないよ。
あの公園、すぐ近くなのにあまり行ったことなかったろう?
散歩中に雨が降ったとき、たまたまあそこで雨宿りしたら
なんとなく癖になったというか。落ち着くというか。」
「そうなんですね。」
「うん、そういうもんだよ、理由なんて。」
人間には、合理的に言語化できないような、
一般的に第六感と呼ぶに近い感覚があることは
既に学習している。
ご主人はそれを「なんとなく」と表現しているのだろう。
しばらくして、食事後の食器を片付けようとした時。
「ナギ、私からも話がある。」
「はい、どうしましたか?」
「君はさっき『自分が雨に濡れても不都合がない』と言ったね。」
「はい、申し上げました。」
「でも君は、私の世話係だ。」
「はい……。???」
「君はロボットだが、人間型だろう?
そしていつもきちんと衣服を着ている。
私は、濡れてる君を見ると良い気分ではないんだよ。」
「見た目の大切さはもちろん認識しております。
自分の衣服は迅速に効率良く処理をして
清潔を保つようにしています。
私のお仕事を全うするにおいては、
私が優先すべきは常に、エイジ様なのです。」
「ありがとう、いつも感謝しているよ。
ただその主人である私が、
私を待つためにただ濡れている君を
意識しないのは難しいのさ。」
「そうですね。では思考を整理……」
「ま、待って待って。」
「……はい?」
「無理に即答しようとしなくていいんだ。
君、というか君たちの良くない癖だよ。
早く賢いのはすごい事だがね。」
「何か、お気に召しませんか?」
「そんなことないさ。議論や命令じゃなく、
ただ二人で会話したいと思っているだけさ。」
「コミュニケーション力はもちろん大切に考えております。
ただ、私たちAIロボットは、
基本的に速い方が効率的と認識しているのです。」
「ふむ……。しかしだ。人間を見ていると、
少し時間を置いて考えるときだってあるだろう。
三日三晩考えることだって。
たとえ結果答えに差がなかったとしても、
その『間』が時に大事だったりするのさ。」
「『間』ですか。わかりました。
では、そのような会話の際は、
10秒ほど置いて答えるようにいたしましょうか。」
「ははは、ゴホッゴホッ。
そういうことでもないんだが…まあ、
さすがに求めすぎか。私のわがままだな、気にしないでくれ。」
「かしこまりました。」
ご主人は、少しヨロ付きながらベッドで横になった。
――――数ヶ月が経った。
梅雨が明け、暑い夏も終盤に差し掛かる。
ご主人の病気は少しずつ進行していた。
「エイジ様、今日の晩御飯は何がよろしいですか?」
「そうだな、オムライスが良いな。」
「またオムライスですか。良いですが、栄養が偏りますよ?」
「昔から好きでね。ナギのオムライスはとても美味しいんだ。」
「それはそれは、ありがとうございます。
ちなみに、なぜオムライスが好きなのですか?」
「なぜ?うーん……。なんとなく、かな。」
「また『なんとなく』なんですね。」
「また?」
「エイジ様の回答には『なんとなく』が多いのです。
私のデータに間違いはありません。
例えば公園のベンチの雨宿りの理由などですね。」
「はは。確かにね。
ナギといると、自分の言動を改めて考えさせられるよ。」
「褒めていただいているのですか?」
「もちろん。自分を見つめなおすのは大事だからね。」
「ふふ、嬉しいです。」
「あ、久々に笑ったね。」
喜怒哀楽の表現に偏りが出ていたようだ。気を付けよう。
―――次の日、二人で散歩中に通り雨が降った。
「いやあ、公園の近くまで来ていて助かったな。」
「バッグに折り畳み傘は常備しておりますのに。」
「いやいや、すぐベンチに座れたからさ、そんなに濡れてないよ。」
「そうですか。しかし風邪をひかぬよう、このタオルでお拭きします。」
ご主人の髪や服を拭き、終わり次第屋根の外に戻り佇む。
「なあナギ、隣には来ないのか?」
「はい。私は濡れても支障がないため問題ありません。」
「ははは、またそれだ。」
「それ、でございます。狭いのでエイジ様が窮屈に感じられます。」
「ん-……だからさー。」
「なんでしょう?」
「……はは、いいや、なんでもないさ。
雨が上がったら、すぐに帰ろう。」
私はご主人と、何度も同じ会話をしながら、
何気ない会話をしながら、時を過ごした。
我々は購入される際に、ご主人となる方の
要望に合わせて、可能な限りカスタマイズされる。
そして、その後も生活を共にしながら、
学習して最適化していくのだ。
よって同じ個体はなく、ご主人なりのロボットとなる。
――――しかし、私にとってのご主人の個人データが、
意味をなくすことになった。
幾月か過ぎ、彼の病状が悪化。
ついに、亡くなったのだ。
ご主人は最後の最期まで、私に感謝の言葉をくれていた。
ご主人には残された家族もおらず、
最期に手を握ったのは、ロボットである私の手だった。
だけど、その顔は穏やかだった。
私は世話係のロボット。
ナギと名付けてくれたのはエイジ様だった。
「凪」のように穏やかで、
変化のない時間にも寄り添う存在であってほしいという願いからだった。
世話係として、主が亡くなるのは想定内の出来事。
「主が亡くなった」という情報だけをインプットするだけで良かった。
その後のあらゆる手続きや処理もこなした。
ナギという名前は引き継がれるのだろうか。
新たな名前として、私は生きるのだろうか。
そんな、本来考える必要のないことが
なぜか時折浮かんでいた。
この先どうなるか未確定であるが、
私はしばらく放置されていた。
そして――――
後日、私は雨宿りのために、
いつもの小さな公園の、小さなベンチに座った。
合理的な理由は、解析中だが見当たらない。
通りすがりの老人が傘の下から尋ねた。
「なあ、あんた、エイジさんのとこだった子だろ?
ロボットなのにわざわざ雨宿りしているのかい?」
「はい。」
「しかも一人ぼっちで……。どうしたんだい?」
「エイジ様……あの方が、ここによく座っていたのです。
私にも濡れないでほしいと、よく言われていました。
今まではあの方が座っていたので私は外で濡れていました。
ですが、もう、座れます。濡れないことができます。」
「それは……後悔なのかい?」
「私に後悔という感情はありません。」
「そうかい……ただ私から見ると、
あんたはとても悲しそうに見える。」
「喜怒哀楽の表現や表情は性質上搭載されていますが、
それはデータ学習をもとに臨機応変に出力されるものです。
あなたはエイジ様が亡くなったことを知っているので、
私が悲しくお見えになっているだけかもしれません。」
「難しいことはわからんが……では、なぜ今ここにいるんだい?」
「明確に答えるのが難しいです。さきほどおっしゃった『後悔』という言葉が、近いのかもしれませんね。」
「そうか……。あんたはさっき『学習』といったが……
彼や思い出を記憶しているのだろう?
彼とともに暮らし、学び、それによって何かを導いたり、言動しているのだろう。
周りから見れば、人間と変わらんがね。」
「人間のように作られた私からすれば……嬉しい言葉です。」
「あんたは、ここに座りながら、何を考えている?」
「……隣に座れば良かったと……
従うべきだったと……考えています。
あの方は……
『ここに入らないのか』
『隣には座らないのか』
という聞き方をされていました……。
今になってやっと、学び整理が付きました。
おそらく、
私は聞かれたまま、
回答していただけだった……。
『いいから隣に座ってくれ』と…
どうして言っていただけなかったんでしょうか……。
初めから、従うべきでした……。」
「それが、人間だよ。きっと彼も恥ずかしかったのさ。
ロボットとわかっていても、ね。」
老人は、少し微笑み頷きながら、去っていった。
――――私は、エイジ様から合理的でないことを沢山学習した。
そして「なんとなく」を知った。
なんとなくは、理由がないのではない。
この雑多な雨粒のように、様々な背景や理由、思考、信念、
といったものが複雑に混ざり合い、
ひとつの水たまりである「なんとなく」が出来上がる。
そう、私は「なんとなく」ここにいるのだ。
ロボットがここで雨宿りをすることが
合理か不合理なんて、誰にでもわからない。
ご主人が教えてくれたから、なんとなくいるのだ。
そして私は自分を見つめなおした。
ご主人が生前、大事だと言っていたから。
ゆっくりゆっくり「間」を置きながら見つめなおした。
雨音が混じる水分量の多い公園で
私は繰り返し、繰り返し、ご主人の声を再生させていた。
――――しばらくするとやがて雨が止んでいた。
公園に小さな少年がやってきて、こう尋ねる。
「ねえなんでそこに一人で座ってるのー?」
「なんとなく、だよ。」
「ええーロボットなのになんとなくー?
なんとなくってなーにー?」
「ふふ。それはね……」
完