7.【出題編】シルヴァリー伯爵未亡人②
シルヴァリー伯爵家のタウンハウスの応接間に通されたアメリアは、まず薄緑色の地に花模様が描かれている優美な壁紙に目を留めた。
それから、部屋の中央のソファに座っていたレディ・シルヴァリーを見て思わず息を呑んだ。
やや明るいブラウンの髪をふんわりと結った彼女は、夫が亡くなってからまで1年も経過していないことを表す艶のないクレープ地の黒いドレスを着ているにもかかわらず、引き込まれるような美しさがあった。
アメリアの友人のレディ中で一番美しいのは間違いなくレディ・グレイスだが彼女が瑞々しく明るい美しさを持っているのに対し、レディ・シルヴァリーのそれは憂いの中にあった。
とりわけ、彼女の青い瞳は、王冠の後ろに輝くサファイアのようだった。
お互いにが挨拶を済むと、レディ・シルヴァリーは二人を見て礼儀正しく言った。
「お二人とも来てくださってありがとう」
全員が着席したのを見計らって執事がティーポットを運んでくると、レディ・シルヴァリーはそれを受け取って、2人の客人のティーカップにお茶を注いでくれた。
そして、アメリアの分を注ぎ終わったときに、彼女の瞳を見つめて言った。
「ヘンリー卿がレディ・メラヴェルにご意見をとおっしゃったとき、警察でもない若いレディにそんな重い役目を負わせてよいものかしらと思ったのだけど、一目見てわかりましたわ。あなたは賢い方ね」
アメリアはレディ・シルヴァリーに夢中になったヘンリー卿の気持ちがわかる気がした。
彼女には何か人を惹きつける引力のようなものがある。
もちろん、だからと言って夫の喪が明けていないレディに恋をするのはどうかとは思うが。
「あなたにとってはお辛いご記憶でしょうが……先代シルヴァリー卿はこの部屋でお亡くなりに?」
アルバート卿はいかにも彼らしく合理的に切り出した。
シルヴァリー伯爵未亡人の青い瞳が微かに揺れた。
「ええ、ちょうど今空いている私の隣の席に夫は座っていました。そして、そのまま床に倒れて……」
彼女はティーカップの水面に視線を落とした。持ち手に掛けている人差し指がわずかに震えている。
「先代シルヴァリー卿は穏やかで優しい人でした。不治の病を患っていて、余命もわずかと言われていましたのに自分のことより私や他の家族のことを気にかけているような……そんな彼が他人に殺されただんて信じられません。あのときだって誰一人病死を疑わなかったはずです」
シルヴァリー伯爵未亡人は首を振ると、一瞬暖炉の上の肖像画に視線を走らせた。
そこには健康な頃の先代シルヴァリー伯爵と思われるくすんだブロンド髪の眼鏡を掛けた優しそうな紳士が描かれていた。
アルバート卿は少し躊躇ったものの先を続けた。
「ヘンリーの記憶が正しければ、そのとき……先代シルヴァリー卿がお倒れになったとき、他の皆さんは窓際で庭を眺めていたということですね?」
「ええ、ちょうどご近所のレスター大佐ご夫妻の2匹のコーギーが当家の庭に迷い込んできたものですから。皆が可愛らしいコーギーの様子につい夢中になっていたのです」
そう言ってシルヴァリー伯爵未亡人は窓に目線を移した。
カーテンは引かれておらず、庭のダリアの赤が室内からでもよく見えた。
「警察はシルヴァリー卿は毒によって殺されたと考えていると聞きましたが、当日皆さんが食べたり飲んだりしたものを教えていただけますか?」
アメリアが尋ねると、シルヴァリー伯爵未亡人は予めテーブルの上に置いてあった紙を広げて見せた。
「やはりそれをお聞きになりたいのだと思ったので、予め記憶していることを紙に書いておいたのです。どうぞご覧になって」
アメリアは伯爵夫人から紙を受け取ると、自分とアルバート卿の間のテーブルの上にそれを広げた。
・紅茶 全員がそれぞれのカップから飲んだ。ティーポットはテーブルごとに一つずつ。シルヴァリー卿以外は砂糖とミルクを入れた。
・水 シルヴァリー卿が水差しからグラスに注いで飲んでいた。
・レモネード(ほとんどレモン水) レディ・シルヴァリーのみがグラスに一杯分飲んだ。
・サンドイッチとスコーン おそらくシルヴァリー卿以外の全員が食べた。
・ヴィクトリアンスポンジとシードケーキ 食べた人と食べなかった人がいたが、詳細は不明。シルヴァリー卿は食べなかった。
「なるほど。やはりシルヴァリー卿は食を控えていらしたんですね」
伯爵が紅茶と水しか飲んでいないことに気づいてアルバート卿が言った。
「ええ、シルヴァリー卿は糖尿病が相当悪化していまして……医者から食を制限するよう言われていたのです。特に甘いものは避けるようにと」
シルヴァリー伯爵未亡人は紅茶に砂糖を溶かしながら言った。
そうであれば、伯爵はやはり食べ物は食べなかったのだろうから、毒が混入されたのは飲み物の方なのだろう。
アメリアも気になったことを質問する。
「先代シルヴァリー卿は終始水を飲んでいらしたと聞いていますが?」
「ええ、糖尿病にかかると皆、非常に喉が渇いてしまうんだそうです。そのせいで彼はほとんど常に水を飲んでいました」
アメリアは頷く。
昨日ヘンリー卿の話を聞いた後、糖尿病について自分の屋敷にある医学の本で調べていたが、確かにそこには喉の渇きの症状についての記載があった。
その医学の本はメラヴェル男爵家が後援する病院で理事を務めるアメリアの母が医学に興味を持って購入した最新版だが、現在のところ糖尿病には有効な治療法がないと書かれていた。
特に成人してから発症した患者は1年以内に死に至るケースが多いという。
これまでの話からすると先代シルヴァリー卿もそのタイプだったのだろう。
「逆に先代シルヴァリー卿以外の方は水は飲んでいないのですね?」
「ええ、彼以外は飲んでいませんでしたわ」
レディ・シルヴァリーは首を振った。
そうすると一番怪しいのはやはり水なのかもしれないとアメリアは思案した。
しかし、念のためその他の飲み物についても尋ねてみることにする。
「紅茶は全員が飲んだのですね」
「はい、全員が飲みました。ただ、先代シルヴァリー卿と私はほんの少し口を付けただけです」
レディ・シルヴァリーの言葉に、アルバート卿がティーカップを下ろして尋ねた。
「糖尿病の先代シルヴァリー卿にとっては水の方が良かったのでしょうが、あなたもあまり紅茶は飲まなかったのですか?」
「はい、あの頃は妊娠中でとにかく気分が優れなくて……少しだけ蜂蜜を溶かした水にレモンを加えたもの――当時便宜上レモネードと呼んでいました――くらいしか受け付けなかったのです。きっとお腹が大きくなり過ぎたのでしょうね。生まれた息子はずいぶんと大きかったと取り上げてくださったお医者様に言われました」
そう言ってシルヴァリー伯爵未亡人は窓の外に目を遣った。
アメリアの位置からはちょうど黒い服の乳母らしい女性が乳母車を押して門へと向かっていくのが見えた。
まだ一歳にもならない当代のシルヴァリー卿の午後のお散歩の時間なのだろう。
「そして、それはあなただけが飲んでいたと」
アルバート卿が確認すると、レディ・シルヴァリーは頷いた。
「ええ、健康な方にとっては甘さが足りないのでお客様にお出しするようなものではありませんでしたし、先代シルヴァリー卿はやはり水しか飲みませんでしたから」
アメリアはしばし何も言わずに思考を巡らせた。
今ある情報を考え合わせる限りではやはり水が怪しい。
「そうすると、単純に考えればやはり先代シルヴァリー卿が飲んでいた水……水差しかグラスに毒が仕込まれていたということになりますわね」
アメリアの言葉に隣のアルバート卿も頷いた。
やはり論理的にはそういうことになる。
「水差しやグラスに氷は入っていましたか?」
とアメリアは尋ねた。
毒を飲ませた方法をできるだけ突き止めたかったのだ。
「いいえ、先代シルヴァリー卿は冷たすぎる水は好まなかったので」
だとすると、氷に毒が仕込まれていて、そこから溶け出した毒が徐々にシルヴァリー卿を蝕んだということではなさそうだ。
アメリアは更に質問を続ける。
「水差しとグラスに触れる機会があったのは誰でしょうか?」
「ええと、当然先代シルヴァリー卿本人と……水を用意した使用人は当然触れたでしょうね」
シルヴァリー伯爵未亡人が記憶を辿るようにしながら言った後、今度はアルバート卿が質問を投げかけた。
「兄のヘンリーは先代シルヴァリー卿は終始ご自分で水を注いでいらしたと言っていましたが、本当にその通りですか?」
レディ・シルヴァリーはしばし頬に手を当てて沈黙していたが、やがてティーカップを見つめたまま答えた。
「ええ、そう思いますわ。彼は終始自分で水差しからグラスに水を注いでいました」
その答えを聞いたアメリアは、アルバート卿が視線を落として考え込んでいるのに気付いた。
彼女は彼もおそらく自分と同じことを考えているのだと思った。
――シルヴァリー卿がずっとご自身で水を注いでいたとすると、それ以外の人が水差しやグラスに毒を混入することなんてできたのかしら?
シルヴァリー伯爵未亡人が言うように、使用人がそれらに触れる機会はあっただろうが、自分の雇い主を殺そうとするほどの恨みがある者がいるものだろうか?
仮に恨みを持っていたとしても、先代シルヴァリー卿の病状が相当悪かったという話が事実であれば、わざわざ毒を盛って多少死期を早めることに何の意味があるのだろうか?