6.【出題編】シルヴァリー伯爵未亡人①
翌日の午後、早速アメリアはミス・アンソンと共に、メイフェアの自邸<メラヴェル・ハウス>から自動車でベルグレービアのシルヴァリー伯爵家のタウンハウスに向かっていた。
自動車を運転しているノートンは、メラヴェル男爵家に最近雇われたショーファーだ。
彼はハンドルを握りながら調子が外れた鼻歌を歌っている。
自分の女主人がまさか殺人事件の捜査のために外出しているとは思っていない。
アメリアはエンジン音とその合間に時々聞こえるノートンの鼻歌を聞きながら、昨日ヘンリー卿から相談を受けて帰宅した後のミス・アンソンとの会話を思い出していた。
――お嬢様、私はお嬢様の侍女です。それにこのメラヴェル男爵家の当主はお嬢様ですから、お嬢様の行動を奥様に告げ口などはいたしません。
ミス・アンソンはアメリアの私室で彼女の着替えを手伝いながらはっきりとそう言った。
鏡越しに見た彼女の黒い瞳は真剣だった。
――ですが、奥様は勘が鋭いお方。事件を捜査なさるなら奥様が臥せっていらっしゃる今しかありません。
アメリアは無意識に濃紺の訪問用ドレスの上着の裾を整えながら考える。
ミス・アンソンの指摘は正しい。
アメリアは当然母を愛しているし、尊敬もしているので、母の目を盗んでレディがすべきでないことをするのは気が引ける。
しかし、アメリアはどうしても真実が気になる――それにこれは人助けでもある。
とすると、やはりミス・アンソンの言う通り、母が伏せっている間にすべてを解決して終わらせるのが最善だろう。
だからこそ、アメリアは失礼を承知で、昨日の今日でアルバート卿と伯爵未亡人を訪ねる約束を取り付けたのだ。
アメリアが再度自分を納得させている内に、自動車はシルヴァリー伯爵家のタウンハウスの前の通りに到着した。
伯爵家のタウンハウスは広い前庭の付いた白亜の邸宅で、殺人の容疑がかけられている伯爵未亡人が住んでいるとは到底思えない。
アメリアはその優雅なタウンハウスの前の通りに停まっている場違いな一台の黒い自動車に目を留めた。
その特徴からして警察の車両であることは明らかだった。
そして、その自動車の前では3人の男性たちが何やら話し込んでいた。
アメリアはノートンに指示して通りに自動車を停めてもらった。
車内から少し目を細めて彼らを見た彼女は、すぐにその3人の男性全員と知り合いであることに気が付いた。
3人の内黒いスーツを着た2人はロンドン市警の刑事だった。
背が高く大柄な中年の男性がヘイスティングス警部で、もう一人の細身の若い男性が部下のエヴァレット巡査部長だ。
2人は去年アメリアが解決した侯爵家の盗難事件の担当刑事だった。
事件当時、彼女は彼らの前で盗難事件の推理を披露したので、2人の顔をよく覚えていた。
そして、もう一人――灰色のラウンジスーツにボウラーハットを被って黒い外出用の杖を持っている紳士――は、アメリアには背を向けているが、彼女は彼をよく知っていたので後ろ姿だけでもわかった。
彼はアメリアがこの屋敷で落ち合う約束をしていたアルバート卿だ。
アメリアは、今回はミス・アンソンには車内で待っていてもらうことにして、屋敷の前の通りで自動車を降りた。
彼女は日傘を差しながら3人の紳士に近づいて行った。
「これはミス――じゃなくて、レディ・メラヴェル、お久しぶりです」
いち早くアメリアに気が付いたヘイスティングス警部が帽子を持ち上げて挨拶した。
傍らのエヴァレット巡査部長も同様に挨拶する。
さすがに彼らも刑事だけあって、一度会っただけのアメリアのことをしっかりと記憶していたようだ。
「レディ・メラヴェル」
彼らと話していたアルバート卿もアメリアの方を振り返って優雅に帽子を持ち上げる。
「紳士のみなさん、ごきげんよう」
アメリアも挨拶を返すと、アルバート卿は彼女に目配せして言った。
「先ほどお伝えしました通り、私は今日妹の代理でレディ・メラヴェルと秋の慈善バザーの相談で伯爵未亡人――レディ・シルヴァリー――を訪ねに来たのです」
アメリアは、2人の刑事の手前、アルバート卿がそういうことにしたのだろうと了解して頷いた。
2人の刑事も特に怪しむ様子もなく頷いている。
次に、アルバート卿は先ほど2人の刑事と話していたらしい内容をアメリアにも聞かせてくれた。
「我々が噂に聞いていた通り、レディ・シルヴァリーはご主人が亡くなった件で警察の監視下にあるようですよ」
「おっと、部外者に話してしまわれて困りますね。アルバート卿」
ヘイスティングス警部は眉を寄せる。
アルバート卿と警部は侯爵家の盗難事件で知り合いになっているので、少し気やすいのだろうとアメリアは思った。
「まあ、いいじゃないですか。我々も既に部外者のアルバート卿に、我々がある告発に基づいて先代シルヴァリー伯爵殺害事件を捜査中で、シルヴァリー伯爵未亡人を監視していることを話してしまったわけですし」
エヴァレット巡査部長が言う。
彼は相変わらずあまり刑事らしくない柔らかい笑みを浮かべている。
「アルバート卿には侯爵家の盗難事件で協力してもらいましたからね。まあ、今回の事件には卿の兄のヘンリー卿も関わってはいるが、彼は事件当日に初めて被害者と会ったことは裏が取れているし、問題ないだろう」
ヘイスティングス警部は首元のネクタイを直しながら言った。
「盗難事件での協力と言ったら、レディ・メラヴェルにもご協力いただきましたね」
とエヴァレット巡査部長が穏やかに言う。
「“協力”?」
アルバート卿は腕を組みながら刑事2人に視線を投げかけた。
「“協力”というより、全て彼女が解決したと言った方が正確でしょう」
決して責めるような口調ではないものの、主張は明確だった。
それを聞いたアメリアは何となく持っていた日傘の柄を指でなぞった。
「確かにそうですね。そうなると、レディ・メラヴェルにもご意見をいただいた方が良いのでは?」
エヴァレット巡査部長は先ほどと変わらない穏やかな口調でヘイスティングス警部に提案するが、警部は笑いながら首を振った。
「いやいや、今回の事件はレディのご協力を仰ぐほどのものではありませんよ」
「あら、なぜそう思われまして?警部?」
警部が言い切るので、アメリアは少し首を傾げた。
「実は――レディ・シルヴァリーにはどうやら以前から愛人がいるらしいのです」
アメリアとアルバート卿は密かに目線を交わす。
ヘンリー卿とのことが明るみに出てしまったのだろうか。
しかし、彼らの心配は外れた。
「数年前から赤毛の若い男がレディ・シルヴァリーを頻繁に訪ねて来ていたという目撃情報がありましてね。しかも、たいてい夫である先代伯爵が不在のときに来ていたのだとか」
赤毛の男性。それは明らかにヘンリー卿とは別人だとアメリアは思った。
ヘンリー卿の髪は、他のウェクスフォード侯爵家の兄妹と同じアッシュブロンドだ。
さすがにそれを赤毛と見間違えることはないだろう。
「でも……そもそも先代シルヴァリー卿は本当に殺されたのでしょうか?当初は病死だと思われていたと聞いていますけど」
アメリアは眉を寄せながら尋ねた。
「それはあり得ないと思いますよ」
そう答えたのはエヴァレット巡査部長だった。
「先月、伯爵に死は実は毒によるものであるとの匿名の告発があったので、我々はわざわざ彼の遺体を掘り出して再度検視したのです。その結果、心臓に不自然な心室の肥大が見つかりました。彼には糖尿病の持病がありましたが、検視した医師の見立てではそれとは無関係だそうです」
ヘイスティングス警部も深く頷いて言う。
「なので、我々は伯爵未亡人が愛人と一緒になるために夫を殺したと睨んでいるのです。心臓に作用する毒を使ってね」
アメリアは少し目を細めて二人の刑事を見つめた。
「本当に毒殺だとして、レディ・シルヴァリーが犯人だという証拠はあるのですか?」
アメリアにはこの事件はそう単純な事件ではないように思われていた。
「いえ、まだありません。だから、我々はこうして彼女を監視して、何とか尻尾を掴もうとしているというわけです」
そう言うと、ヘイスティングス警部は「失礼」と言って自動車の座席に戻っていた。
エヴァレット巡査部長もそれに倣う。
アメリアとアルバート卿は顔を見合わせて、ひとまずは、屋敷の中で待っているはずのレディ・シルヴァリーを訪ねることにした。