5.【出題編】捜査依頼②
ヘンリー卿が彼の叔母でありこの屋敷の女主人である伯爵未亡人をどのように説得したのかは定かではないが、いずれにしてもウェクスフォード侯爵家の兄妹とアメリアは屋敷の控えの間を借りることができた。
アメリアは依然ヘンリ―卿が言った"相談"について何の心当たりもなかったが、ここに至ってプライベートな空間でしか話せない重大な用件であることははっきりした。
「――さて、どこからお話ししましょう」
控えの間の少し手狭なテーブルに面したソファに3人の兄妹とアメリアが座り、ミス・アンソンが隅の椅子に落ち着くと、アメリアと向かい合わせで座っていたヘンリー卿は思案するように顎に手を当てた。
「まずはとにかく事件の概要をお話ししたらどうかしら?」
アメリアの隣に座ったレディ・グレイスが提案すると、ヘンリー卿は「そうだな」と頷いた。
そして、両手を膝の腕組むと重々しい口調で切り出した。
「実はあなたにご相談したいのはある事件――殺人事件のことなのです」
"殺人事件"と聞いてアメリアの鼓動が早くなる。これは思った以上に深刻な相談らしい。
「もう1年ほど前の出来事になるのですが、去年の夏に私が参加したシルヴァリー伯爵家のお茶会で先代の伯爵が急に倒れてそのまま亡くなるという不幸な出来事がありました。伯爵には糖尿病の持病があったので、当初は病死と思われいたのですが、つい先月、実は毒殺だったとの匿名の通報があり、警察が再捜査しているのです――」
アメリアは、ヘンリー卿がそのお茶会での出来事を時系列に沿って話すのを頷きながら聞いていた。
ヘンリー卿の語りはかなりドラマチックだったが、アメリアはその事件の要点を頭の中で冷静に整理した。
・事件が起こったのは去年の8月、ヘンリー卿が出席したシルヴァリー伯爵家のタウンハウスで催されたお茶会においてだった。
・お茶会が始まってしばらくすると、当時のシルヴァリー伯爵オーガスタス・シルヴァリーが突然胸を押さえて床に倒れ、その日の夜に亡くなった。
・お茶会の参加者は、当時のシルヴァリー伯爵と伯爵夫人、伯爵の弟のミスター・レジナルド・シルヴァリー、伯爵夫人の姉のデヴァルー子爵夫人、子爵夫人の名付け子でグレイストーン男爵家の長男のミスター・テディ・グレイストーン、子爵夫人の詩作仲間として呼ばれたヘンリー卿の計6人。
・伯爵夫妻と伯爵の弟、ヘンリー卿が一つのテーブルにつき、もう一つのテーブルに子爵夫人とミスター・グレイストーンがついていた。
・途中でミスター・グレイストーンが紅茶をこぼす騒ぎがあった。
・お茶会で出されていた紅茶は全員が飲み、食べ物――ヘンリー卿の記憶ではキュウリのサンドイッチ、スコーン、ヴィクトリアンスポンジ、シードケーキがあったとのこと――は病気の伯爵以外全員が何かしらを口にしていた。
・伯爵は専用の水差しから終始自分でグラスに水を注いで飲んでいた。
・伯爵夫人のみグラスでレモネードを飲んでいた。
・伯爵は意識を失う直前に伯爵夫人に向かって「君だったんだ」と言った。
もし、匿名の通報が真実だと仮定した場合、単純に考えればこの中の誰かが飲み物か食べ物に毒を仕込んでいて、その毒のせいで伯爵は亡くなったと考えられる。
しかし、そもそもわからないことがある。
「起こったことはわかりました。しかし、ヘンリー卿はなぜ私にご相談を?」
アメリアの問いにヘンリー卿は微笑みを浮かべた。
「よくぞ聞いてくれました。実は困ったことになっていまして……」
ヘンリー卿が少し言い淀むと、隣に座っているアルバート卿が横目で兄に視線を投げかけた。
「この事件が起きた当時、臨月でいらっしゃった伯爵夫人レディ・シルヴァリー――今は伯爵未亡人ですね――はご主人が亡くなったショックで産気づいて当日中に男の子をご出産されていまして、今はその幼い当代のシルヴァリー卿を必死で養育しておいでなのですが……」
ヘンリー卿は、花の意匠が描かれた赤い壁紙の向こう側を見透かすように目を細めた。
「私は先代シルヴァリー卿の死後、レディ・シルヴァリーの力になりたい一心で彼女の元を定期的に訪問していました。そして、その内に私たちは恋人同士に――」
とヘンリー卿が言ったところで、アルバート卿がわざとらしく咳ばらいをしたので、ヘンリー卿は少し眉を寄せて弟を見た。
「アルバート、私だって獣じゃないんだから、産後間もないレディに無礼なことはしてないさ。あくまで精神的な恋人だよ」
しかし、アルバート卿は兄の言葉を無視して、アメリアだけを見ながら話し始めた。
「つまり、ヘンリーはこう言いたいのです。彼の"友人"である伯爵未亡人はただでさえご苦労なさっているにもかかわらず、今回の匿名の通報によりご主人を毒殺した犯人だと疑われている。なので、彼は無実の"友人"の容疑を晴らすべくあなたのお知恵をお借りしたいと」
アルバート卿の灰色の瞳にまっすぐに見つめられたアメリアはなぜか自分のドレスの襟を直したくなった。
確かにアメリアはこういった謎について思考するのが好きだ。
ヘンリー卿が話し始めた瞬間から彼女のヘーゼルの瞳はどんな小さな謎も見逃すまいと見開かれている。
しかし、本当に伯爵が毒で亡くなったのなら殺人事件ということになる。
去年ウェクスフォード侯爵家で発生した盗難事件を解決したアメリアでも、さすがに殺人事件を解決することは困難と言わざるを得ない。
「もちろん、できる範囲でですよ。少しでも気づいたことがあれば教えていただきたいだけなのです」
ヘンリー卿はアメリアを安心させるようにそのハンサムな顔に甘い笑みを浮かべた。
「そうはいっても、ヘンリーの話からじゃ何もわからないんじゃないかしら?そのお茶会の出席者の中で一番家族の事情に通じていない人の話なのだから」
レディ・グレイスがいつも通りの落ち着いた口調で指摘した。
「それについては……レディ・メラヴェル次第だな」
ヘンリー卿が言うと、部屋の隅で黙って聞いていたミス・アンソンの瞳が一瞬揺れた。
アメリア次第と言うのはどういうことかとアメリアはわずかに身を乗り出してしまう。
「伯爵未亡人――レディ・シルヴァリー――にはもうレディ・メラヴェルの探偵としての才能のことをお話ししてありましてね。まずは彼女と会っていただけませんか?」
「もちろん、あなたも同席してくださるのでしょうね?ヘンリー卿?」
アメリアが尋ねるとヘンリー卿は顎に手を当てて短い溜息をついた。
「実は、私は今、彼女と会うのを控えているのですよ。どうやら警察が彼女を監視しているらしいのです。私が会いに行って、我々の関係が露見すると彼女が愛のためにご主人を殺したと思われかねない……」
「現時点ではそれが一番合理的な説明にはなりそうだ」
アルバート卿が皮肉っぽく指摘すると、ヘンリー卿は弟に咎めるような視線を向けた。
「我々の関係はシルヴァリー卿の死後だと言っただろう。あのお茶会で私は彼女と初めて話したんだから」
「どうだか……」
アルバート卿は長いため息をついてから続けた。
「私もヘンリーの言う通り、レディ・シルヴァリーは無実だと信じたいが、そうでない可能性もある。……動機だって恋愛沙汰以外にもあるかもしれないだろう?」
最後の部分はヘンリー卿がまだ咎めるような視線を向けているため付け足された。
「だから、レディ・メラヴェルが殺人犯かもしれない人間に会うことはないと思っている。明らかに危険すぎるだろう」
確かに正論だ。しかし、アルバート卿の言葉を聞いたヘンリー卿とレディ・グレイスが意味あり気に目線を交わしたのをアメリアは見逃さなかった。
「じゃあ、アルバートが一緒に行けばいいんじゃない?」
レディ・グレイスはまるで雨の日に傘を持って出かけることを勧めるような自然な口調で言った。
「ああ、それがいいだろうな」
ヘンリー卿も間髪入れずに同意して深く頷いた。
一方のアルバート卿の青みがかった灰色の瞳には困惑の色が浮かんでいた。
「どうです?レディ・メラヴェル?」
ヘンリー卿に問われてアメリアは微かに眉を寄せた。
この事件が気になるのは確かだった。
謎を解きたい気持ちがあるのはもちろんだが、幼い息子のいる伯爵未亡人が無実の罪――しかも、殺人――で裁かれるなんてことになったら大変なことだ。
自分にできることがあるのであれば協力したい。
しかし、だからと言って、アルバート卿に迷惑をかけるのは――。
アメリアはヘンリー卿の隣のアルバート卿に視線を向ける。
すると、アルバート卿の方では既に彼女を見ていた。
2人の視線が合った瞬間、彼は肩を竦めて言った。
「……レディ・メラヴェル、あなたは既にこの謎を考え始めてしまっていますね?」
彼の言う通りだった。
アメリアの頭の中では既に、毒が入った小瓶を持った犯人がティーカップ、水差し、グラス、料理の皿などにそれを混入し、先代伯爵がその毒物を摂取してしまう場面が何パターンも描かれては論理矛盾を起こして消えていっている。
この謎に論理的整合性のある解答が与えられない限り、この想像は止まないだろう。
「あなたがその気になってしまっているなら、私も協力するしかないでしょう」
アルバート卿は深い溜息をつきつつも、どこか試すような視線をアメリアに送る。
「ええ、お願いしますわ。アルバート卿」
彼の視線を受けアメリアは素直にそう言っていた。
アルバート卿の口元には僅かに笑みが浮かぶ。
そして、アメリアのヘーゼルの瞳はますます好奇心に輝き始めていた。