3.【出題編】死のお茶会③
それから9ヶ月後――。
1910年5月、社交シーズンの初めに以前から健康状態の悪化が取り沙汰されていた英国王が崩御した。
その知らせはメラヴェル男爵家でも衝撃を持って受け止められた。
当代のメラヴェル男爵家の当主は、昨年遠縁にあたる先代メラヴェル男爵から爵位を継承したばかりのメラヴェル女男爵ことアメリア・グレンロスで、彼女は20歳になっていた。
「まあ、なんと……大変なことだわ」
忠実な侍女のミス・アンソンから国王崩御の報せを受け、すぐに彼女に喪服の準備を指示したアメリアは、思わず呟いた。
そのとき彼女はロンドンのメラヴェル男爵家のタウンハウス〈メラヴェル・ハウス〉にいて、現在ここに暮らす家族の規模――彼女と彼女の母のミセス・グレンロスの2人――に対して明らかに広すぎる朝食室で朝食の目玉焼きを切ろうとしていた。
彼女は一旦フォークとナイフを置いて国王陛下の安息を祈るために手を組んだ。
一方、共に朝食をとっていたミセス・グレンロスは、彼女以上に衝撃を受けていた。
彼女は娘の祈りが終わったタイミングで切り出した。
「私たち大変なことになりましたよ、アメリア」
「あら、"私たち"?」
アメリアが思わず聞き返すと、ミセス・グレンロスは神妙な顔で頷いた。
「だって、こうなると当分はすべての社交イベントが自粛されるでしょう。そうすると――」
「新参者の私たちにとっては、交友関係を広げる機会が減ってしまうということね」
アメリアはすぐに母の懸念を理解した。
アメリアは当代のメラヴェル女男爵だが、先代である第10代メラヴェル男爵にとっては又従弟の娘という遠縁も遠縁だ。
アメリアの血筋をさかのぼれば第7代メラヴェル男爵に行きつくものの、アメリアの父の代には階級としてはすっかり中産階級の上の方に落ち着いていた。
彼女が女男爵になる数年前に亡くなった父は立派な法廷弁護士であっても、貴族ではなかった。
そんな法廷弁護士の一人娘が男爵家に不幸が続いたことにより、にわかに女男爵として上流階級の一員となったとき、特に気にせず付き合ってくれる人々もいた一方、当然、中産階級出身の女男爵とは距離を置くことを選んだ人々もいた。
そのため、彼女たちは昨年からできるだけ多くの縁を繋ぐ努力を続けてきていた。
「でも、去年、ウェクスフォード侯爵家のカントリーハウスに招いていただいたときに、それなりに新しい友人はできたわ」
アメリアは明るい調子で言って、朝食を食べる作業を再開した。
去年1909年の初夏、アメリアは先代メラヴェル男爵の知己であり社交界の有力者であるエルデンハースト伯爵夫人の紹介で大貴族のウェクスフォード侯爵家のパーティーに参加した。
そこで様々な偶然が重なり、パーティー中に発生したダイヤモンドの盗難事件をアメリアが解決したことで、彼女と母は侯爵家からお礼として後日カントリーハウスに招いていただいたのだった。
侯爵家のカントリーハウスには社交界の有力者が出入りしていて、アメリアは彼らの内何人かからお茶会に――幸運な場合は正餐会に招待されていた。
「"友人"じゃだめなのよ」
いまやミセス・グレンロスは朝食を放り出して額に手を当てている。
アメリアは母の言わんとすることはわかった。
母は娘の結婚相手探しを心配しているのだ。
アメリアは彼女自身の権利で爵位を保持しているが、世間は未婚のレディにとって爵位は重すぎると見ている。
アメリアが社交界で本当に自分の地位を確立して上手くやっていくには後ろ盾となる夫の存在が不可欠だとミセス・グレンロスは考えているのだった。
「財産があって、できればご自身の爵位をお持ちの方がいいわね……男爵か子爵、高望みして良ければ伯爵」
ミセス・グレンロスは勝手に理想的な条件を並べている。
しかし、確かに女男爵として財産も爵位もあるアメリアに気後れせずに結婚してくれるのは、そのような男性かもしれない。
母は特に爵位にこだわっているようだとアメリアは思った。
女性が爵位のある男性と結婚すると自動的に“男爵夫人”やら“伯爵夫人”やらの称号を得るのに対して、男性が爵位のある女性と結婚しても、妻の爵位に応じた称号は得られない。
だから、母は元々アメリアと同等以上の爵位を持っている男性を望んでいるのだ。
実際、彼女が爵位を継ぐ前に婚約していた准男爵家の跡取りからは婚約を反故にされてしまった――"准男爵"の爵位は世襲できるものの男爵以上の本物の貴族とは違うので、先方が自分よりも上の"女男爵"との結婚に尻込みしたようだった。
「ウェクスフォード侯爵家のご兄妹のお友達から年頃の独身男性をご紹介いただけるといいんだけど」
侯爵家との縁を通じて交友関係を広げたアメリアだが、間違いなく一番仲良くなったのは、彼女と同じ世代の侯爵家の兄妹たちだった。
特に昨年19歳になった侯爵家の末子で長女のレディ・グレイスとは、今やお互いの屋敷を気軽に訪問し合う間柄になり、ハイドパークで何度か一緒に乗馬も楽しんだ。
爵位を継承する前は乗馬をしたことがなかったアメリアがオフシーズン中にカントリーハウスで熱心に乗馬の練習をしたのは、間違いなく乗馬好きのレディ・グレイスの影響だった。
「例えば、アルバート卿のご学友であれば歳の差も適切だと思うのだけど……お願いしてみようかしら?」
アメリアはその名前を聞いて急に目玉焼きが喉を通らなくなった。
ウェクスフォード侯爵家の中で、レディ・グレイスの次に仲良くなったのは間違いなく三男のアルバート卿だった。
彼とは年もそれほど離れておらず、趣味が読書という共通点もあり、いつも興味深い意見交換ができた。
何より、去年のダイヤモンド盗難事件では一緒に事件を捜査した経緯もあり、少なくともアメリアの方では彼に親しみを感じていた。
「ご迷惑じゃないかしら……?」
アメリアは一応言ってみたが、母は首を振り、娘を真っすぐに見据えた。
「なりふり構っている場合じゃないのよ。アメリア」
母の言葉を聞きながらアメリアは目玉焼きの端を切って口に運んだ。
「まず、あなた自身が結婚相手探しに積極的にならないと」
母の言葉にぼんやりと頷きながら、アメリアは何故か自室の箪笥の2段目の引き出しのことを考えていた。
そこには去年のダイヤモンドの盗難事件を解決した記念にアルバート卿から贈られたハンカチが大事にしまわれていた――。
「まあ、とにかく、国王陛下が崩御されたとあっては社交は暫く停止ね。でも、チャリティ・イベントなら開催されるかもしれないわ」
アメリアは母の言葉に現実に引き戻された。
彼女は口に入れていた目玉焼きを飲み込んで、わざと明るい調子で母に尋ねた。
「じゃあ、7月のレッドメイン大佐の〈愛国者友愛会〉のチャリティは予定通りかしら?」
レッドメイン大佐は、アメリアの父の旧友で1902年まで続いたボーア戦争で武功を上げて名誉大佐となった退役軍人だった。
退役後、彼は慈善団体<愛国者友愛会>を立ち上げ、ボーア戦争などで負傷したり亡くなったりした軍人とその家族たちの支援に邁進している。
生前アメリアの父も彼の活動を支援していた縁で、アメリアと母は、大佐から7月にロンドンで開催されるチャリティ目的のアマチュア演劇の会に招かれていた。
「そうじゃないかしら?傷痍軍人や戦争未亡人、遺児への支援は大事ですからね」
これにはアメリアも深く頷く。
イベントが予定通り開催されるのであればぜひ出席して寄付もしたいと思った。
しかし、そんなアメリアの思いをよそにミセス・グレンロスはまた別のことを考えているようだった。
「まあ、爵位がなくても軍人さんは悪くはないわね……お家柄の良い中尉とか……」
ミセス・グレンロスはそれだけ言うと、ようやく食事を再開した。
――全く、お母様ったら。最近は私の結婚相手の心配ばかりね。
――私が21歳になって成人してから考えたって良さそうなものなのに。
アメリアは少し可笑しくなって母に気づかれないように笑みをこぼした。
このときのアメリアの心配と言えば、こうやって母に結婚相手の世話を焼かれていることくらいなものだった。
まさか自分が殺人事件を捜査することになるとは露ほども思っていなかった――。