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19.【出題編】最後から三番目のワルツ②

 彼らが一緒に踊る約束をしたワルツの前のダンスが終わって暫くすると、アルバート卿はアメリアを迎えに来てくれた。

 二人はダンスフロアの適切な場所を確保し、向かい合って曲が始まるのを待った。

 その間にアルバート卿は何気なく切り出した。


「その後、お母様とはどうです?」


 前回会ったときに、アメリアが母の監視が厳しくなっているという話をしたのを受けてのことだと彼女は理解した。


「見てのとおりですわ。大規模な舞踏会でもないのに付き添い役を付けられています」


 アルバート卿は彼にしては珍しく一瞬言い淀んでから言った。


「……お母様は単にあなたの外出が気になったのではなく、"私"がそこにいたことも問題視なさっているのでは?」

「あら?何故そう思われまして?」


 アメリアは胸元の黒いレース飾りが気になっているふりをしながら、できるだけ軽い調子で言った。

 アルバート卿が答える前にワルツの演奏が始まったので、二人は軽く礼をしてから手を取り合った。

 

 この最後から三番目のワルツでは、ワルツメドレーが演奏されることになっていた。

 最初は明るく軽快な定番のワルツだ。

 滑らかにワルツのステップを踏みながらアルバート卿は話を続ける。


「簡単な推測ですよ。あなたは先ほどダンスカードに私の名を書くときに、ただ"M. H."とだけお書きになった。確かに私の姓――モントローズ(Montrose)ハーコート(Harcourt)――のイニシャルですが、先ほど、それと同じイニシャルのマーヴィン(Marvin)ヘアストン(Hairston)中尉をお見掛けしました。つまり――」


 アメリアはターンをしながら、フロアの反対側で、そのヘアストン中尉がとある男爵令嬢と軽食をとりに別室へと向かっていくのを目の端で見ていた。


「後でお母様にカードを見せるときには彼と踊ったことにするためですね。私ではなく」

「……母は何か誤解しているのですわ」

 

 アメリアは否定も肯定もせず微笑んだ。

 アルバート卿の"推測"は見事な"推理"だった。


「お母様は誤解などなさってはいないでしょう。あなたはご自身の爵位も財産もお持ちですが、レディは自分が持っている以上のものを与えてくれる夫を持つべきです」


 アルバート卿の口調には少し皮肉な響きがあった。

 

「意外と古風なのですね」


 敢えてからかうように言ったアメリアをアルバート卿は少し目を細めて見た。


「いえ、もちろんすべてにおいて男が上でないといけないとは思いませんよ。ご存じの通り、私の兄のロスマー卿はアメリカの大富豪のご令嬢と結婚しました。ただ、彼女は財産の面では兄以上のお金持ちですが、その代わり兄は彼女に爵位ある男の妻という地位を与えることができた。結婚とはそうあるべきです」

「あら……あなたはまるで――」


 そのとき、不注意なカップルが二人に接近してきたので、アルバート卿はアメリアを少し引き寄せた。

 アメリアの背中に置かれている彼の手に少し力がこもった。


 ――あなたはまるで……それができるのなら私に求婚してくださるようなことをおっしゃるのね。


 アメリアの言葉はそれ以上続かず、二人の間には、ダンスフロアの喧騒だけが残った。

 そして、不注意なカップルを無事やり過ごすとアルバート卿は仕切り直すように提案する。


「――さて、事件の話をしましょうか」


 それを聞いてアメリアは内心安堵した。

 アルバート卿と結婚の話をするのはなんだか落ち着かない。

 決して嫌なわけではない。

 ただ、理性的に話をしたいのに、何か余計な感情がこもってしまう。


 アメリアの表情がわずかに緩んだのに気が付いたアルバート卿は少し笑って言った。


「私が自惚れているわけでなければ、そのために私を待っていてくれたのでしょう?」


 彼の灰色の瞳には、"探偵"としてのアメリアへの称賛ともからかいともとれる輝きが滲んでいる。

 アメリアのヘーゼルの瞳もそれに呼応して、これから始まる議論への期待に輝いた。


「ええ、おっしゃる通りですわ」


 ***


 ワルツメドレーはここ数年の流行をなぞるように進行していた。

 事件の話を始めるにあたり、二人は敢えてターンに時間をかけることで、フロアの端の方を通過するように位置を調整した。


「先日あなたが当家にいらっしゃったすぐ後に、ヘイスティングス警部が私を訪ねて来て事件のことを聞かれました。私は彼にあなたから話を聞いた方が良いと助言したのですが、警部とお話しになりましたか?」

「ええ、警部とお話ししましたわ……。やはり警察は依然レディ・シルヴァリーを疑っているのですね」


 アメリアが声を低めて言うと、アルバート卿は頷いた。


「しかし、あなたはその説には反対のようですね」

「そうなのです。もし、彼女が弟さんを助けたいとお考えだったとしても、やはりご主人を殺すというやり方は彼女の性格には合わないと思いますわ」

「なるほど。今、あなたの推理はどこまで進んでいるのですか?」


 そこで、アメリアは頭の中で問い続けている3つの問いについてアルバート卿にも簡単に説明した。


「――なるほど。間接的な手段も含めた毒の入手可能性という点では、ほとんどの出席者が容疑者になりそうだが、シルヴァリー卿が飲んでいた水に毒を入れる機会があったのはレディ・シルヴァリーのみ。一方で、誰が犯人だとしても動機は不明確だということですね」

「ええ、それから一点気になっていることがありますの」


 ちょうど彼らの近くにいた踊っていない人々のグループが何かの冗談で大笑いを始めたので、アルバート卿はよく聞き取ろうとアメリアの方に少し顔を寄せてくれた。

 アメリアは自分の鼓動が一瞬速くなったのには気づかないふりをして、できるだけはっきりとした口調で話し始めた。


「あなたもお気づきになったと思いますが、ミスター・グレイストーンは視覚的な記憶に優れた方です。彼が当家を……訪ねて来てくださったときに、改めてシルヴァリー卿がお倒れになったときの光景を細かく説明してもらったのです」


 アメリアはミスター・グレイストーンが彼女を求婚者として訪ねて来たことを示唆することに躊躇いを感じた。

 彼のことを話そうとするとどうも胸が騒いで落ち着かない気持ちになる。

 一方、アルバート卿は一度瞬きをしただけだった。

 ただ、もしかしたら、それもワルツメドレーの曲が切り替わり、曲の速度が急に落ちたことに対しての反応かもしれないとアメリアは思った。


「彼の証言で何か気になることがありましたか?」

「それが……事件にどう関係するのかまだ解釈しきれていないのですが、卿がお倒れになったときのテーブルの様子について彼はこう言ったのです。『執事が持ってきたばかりのお代わりの水差しと紅茶で満たされたティーカップが2客、空のグラスが2つ、そして、食事用の皿が置かれていた』と」


 それを聞いたアルバート卿のターンが若干遅れた。

 彼はアメリアから聞いた言葉を小さく復唱すると話を再開した。


「ティーカップが4つではなく2つなのは、ミスター・レジナルド・シルヴァリーとヘンリーが窓際に移動する際にそれぞれ自分の分を持って行ったからでしょうが――」


 そこで言葉を切ったアルバート卿は明確に眉を寄せている。

 

「ただ――『空のグラスが2つ』なのはおかしい」


 彼のその反応にアメリアの口元に自然と笑みが滲んでしまった。


「そうなのです。空のグラスはシルヴァリー卿が水を飲み干したグラス1つであるべきです。レディ・シルヴァリーの2杯目のレモネードは彼女が退席している間に運ばれてきたとレディ・デヴァルーもおっしゃっていましたから」

「ええ。その後応接間に戻ってきた彼女は、テーブルに着く前に庭に迷い込んできたコーギーを見に窓際に行って、その間にシルヴァリー卿が倒れたということでしたね。それならば、彼女に2杯目のレモネードを飲む時間はなかったはずです」


 まさにそれこそがアメリアの疑問だった。

 アルバート卿も同じ疑問を抱いてくれたことが彼女にとっては心強かった。

 

「もちろん、単に記憶違いの可能性もあるとは思いますわ。でも、本当はレディ・シルヴァリーは窓際に行くより先にテーブルについたのだとしても、その短い間にグラスを満たしていたレモネードを一気に飲み干すというのもおかしな話だとは思うのです」

「そうですね。短時間でレモネードを一気に飲むなんて目立つ行動をしていたら、いくらコーギーに気を取られていたとしても、誰かが覚えていそうなものです」


 アルバート卿の言葉にアメリアも頷いた。


「この点をどなたかに確認したいですが、残念ながら私はもう今は……」


 アメリアがため息を漏らすと、アルバート卿は彼女を励ますように言う。

 

「とりあえず明日の朝ヘンリーに聞いてみますよ。結果はグレイスに手紙で連絡させます。さすがにお母様もグレイスとの手紙のやりとりまでは禁じていらっしゃらないでしょう?」

「ええ、ありがとうございます。ただ、手紙の内容は検閲されるかもしれないので、ぼかして書いていただけるとありがたいです」

「わかりました。……あなたのお母様はさながらカトリーヌ・ド・メディシスのように抜け目のない方らしい」


 アルバート卿が至極真面目な顔で言ったので、アメリアは思わず笑ってしまった。

 

 ちょうどそこでワルツメドレーの演奏は終了し、二人は周りのカップルたちと同じように一度離れて一礼した。

 そして、アルバート卿はアメリアを部屋の反対側にいる付き添い役のジェーン叔母さんのところに送り届けるために腕を貸してくれた。


 ジェーン叔母さんの元へと向かう途中で、アルバート卿は目線を下に向けながら慎重に思案するように切り出した。


「ところで――余計なお世話だとはわかっているのですが、もしかすると、あなたはミスター・グレイストーンと親しく交際する気になれないのではないですか?」


 アメリアは一瞬返答に詰まった。

 アルバート卿の言うことが当たっていたからだ。

 確かにアメリアはミスター・グレイストーンに好意を向けられると「胸が騒ぐ」が、それは「胸が高鳴る」のとは違った。

 好意自体は嬉しいが、それに応えられないことが不安だった。


 アルバート卿はアメリアの返答を待たずに先を続けた。


「お答えになる必要はありません。ただ、もしそうであれば、そのことをはっきりと彼に伝えてあげた方が良いと思っただけなのです」


 アメリアは頬が熱くなるのを感じた。


「……お気づきになりましたのね。私はきっとわかりやす過ぎるんだわ」

「いえ、あなたがわかりやすいのではなく――」


 アルバート卿は言いかけて止めて一つ咳払いをした。


「とにかく、彼は若いですが立派な紳士のようなので、彼にははっきりとした答えが相応しいと思ったのです。それが苦い毒のような答えだとしても」


 そこでちょうど彼らはジェーン叔母さんが座っている長椅子の前に到着したので、アルバート卿はアメリアを叔母に引き渡した。


「素敵なダンスでしたわ。アルバート卿」

「こちらこそ。レディ・メラヴェル」


 二人は笑顔で挨拶を交わした。

 アルバート卿はお目付役のジェーン叔母さんにも一礼すると、そのまま主催者に辞去の挨拶をするために去っていった。


 その背中を見送りながら、アメリアの頭の中に何故か先ほどの彼の言葉が浮かんだ。


 ――はっきりとした答えが相応しいと思ったのです。

 ――それが苦い毒のような答えだとしても。


 ミスター・グレイストーンにはっきりとした返事をしなければならないという意味において、アメリアも彼の助言に異存はなかった。

 しかし、この言葉は何か別のこと――シルヴァリー伯爵の事件のこと――にも深く関わっているような気がしていた。

 アメリアはアルバート卿を呼び止めたい衝動に駆られたが、寸前で思いとどまった。

 もう次のダンスのパートナーが彼女を迎えに来ていた。


 ――"苦い毒が相応しい"……この言葉が気になって仕方がないのは何故かしら。


 アメリアは思考の海に沈みたいのに、どうにも沈み切ることができなかった。 

 賑やかなポルカを踊りながらでは上手く考えることができない。

 この謎は明日木曜日に持ち越しになりそうだと、アメリアは心の中だけでため息をついた。

 そして、ひとまずはポルカの陽気さに似合う笑みを浮かべておくことに集中した。

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