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18.【出題編】最後から三番目のワルツ①

 その翌日の水曜日の夜、アメリアは以前からの母の意向通り、ベリック男爵家のチャリティ・ダンスパーティーに出かけた。

 そのチャリティ・ダンスパーティーは、慈善活動に熱心なベリック男爵夫人が貧しい女性の職業訓練施設のための寄付を集めることを目的に開催した会だったが、当然、母の目的はアメリアに結婚相手候補を見つけさせることだった。

 

 今夜のアメリアは付き添い役の母方の叔母と一緒だったが、付き添い役の件については、母子の間でギリギリまで議論された。

 アメリアは、今回のチャリティ・ダンスパーティーは、招待カードに「小規模」と明記されているのだから、最近の風潮から考えて付き添い役は不要だと主張した。

 対して母は、いくら小規模なダンスパーティーとは言え、母が病床にいる間に知らない人々と交流を深めすぎているアメリアを一人で行動させることはできないと主張した。

 そして、結局は普段の家庭内での力関係が物を言い、母の主張が通った。

 

 ただ、親戚の中でも穏やかで物静かなジェーン叔母さんが付き添い役に選ばれたことはアメリアにとって幸運だった。

 母自身は、翌日にメラヴェル男爵家が支援している病院の講演会で挨拶をすることになっているので、深夜までの外出は難しかったのだ。


 ベリック男爵家の豪華な装花と紳士淑女たちの煌びやかな衣装に彩られた舞踏室の中にいても、アメリアの思考がダンスよりも推理に囚われていたことは言うまでもない。 

 彼女はこれまでの洞察からシルヴァリー伯爵未亡人はやはり無実ではないかと考えていたが、できるだけ偏見を排して全ての可能性を検討しようとしていた。

 

 彼女が特に頭の中で繰り返し思い浮かべるのは、3つの問いだった。

 

 ――最初の問いは、「誰が殺したのか」?


 警察の見立てでは、先代シルヴァリー伯爵は心臓に作用する毒により殺されたということだ。

 そのような毒を直接的に手に入れることができたのは、お茶会の出席者の中では2人いたと考えられる。

 

 一人目は、伯爵未亡人の姉デヴァルー子爵夫人。

 彼女の夫が心臓病の薬“ジゴキシン”を処方されていた。

 この"ジゴキシン"は量を間違えると心臓に対して毒になるという。

 

 二人目は、先代シルヴァリー伯爵の弟ミスター・レジナルド・シルヴァリー。

 彼の屋敷の庭にジギタリスの花が咲いているのは、先日アメリアもその目で見た通りだ。

 そして、ミスター・グレイストーンによると、彼の家政婦は犬のために心臓薬を煎じているらしい。

 これらを併せて考えると、その心臓薬とはほぼ間違いなく庭のジギタリスから抽出される"ジゴキシン"だろう。


 その他の出席者シルヴァリー伯爵未亡人とミスター・テディ・グレイストーンは、デヴァルー子爵夫人との縁が深いため、子爵夫人を説得して彼女の夫の"ジゴキシン"を譲ってもらうということはあり得なくはない。

 よって、間接的な入手可能性まで含めれば、お茶会の出席者全員に毒の入手機会があったと言える。


 ――次の問いは、「どうやって殺したのか」?

 

 お茶会当日に亡くなったのは先代シルヴァリー伯爵のみであり、他に体調を崩した人もいないことから、伯爵だけが口にしていた飲食物に毒が混入されていた可能性が高い。

 順当に考えれば、水だ。

 伯爵は持病の糖尿病の症状により、絶え間なく水差しからグラスに水を注いで飲んでいた。

 そして、お茶会の参加者の中で、本人以外で唯一、水差しに触れているのを目撃されていたのがシルヴァリー伯爵未亡人だった。

 

 しかし、これについては、ミスター・グレイストーンの証言の中で解釈しきれない一点がアメリアの頭の中を巡り続けていた。


 ――最後の問いは、「なぜ殺したのか」?

 

 現在までの情報から伯爵殺害の動機として最も有力なのは"金銭"だと言える。

 実際、先代伯爵が亡くなったときには、伯爵家の財産の相続が発生した。

 シルヴァリー伯爵家の財産は、大部分が爵位と共に次代伯爵に相続される決まりなので、これについては誰にも操作することはできなかった。

 しかし、それ以外の財産は、先代伯爵の遺言に基づいて分配することができ、先代伯爵が亡くなったときに実際に適用された遺言では、伯爵未亡人に不動産の使用権と信託財産からの利益が与えられることになっていた。

 

 ただし、昨日ロンドン市警の二人の刑事から聞いた通り、先代伯爵は遺言を書き換えようとしていたことがわかっている。

 そして、エヴァレット巡査部長がその書き換え後の遺言がどうなるはずだったかを書いてくれた手紙がアメリアの元に届いたのは今日の午後だった。

 アメリアは辛うじて母に見つかる前にその手紙を受け取り、読み終わるとすぐに破いてしまったが、そこに書かれていたのは予想外の内容だった。

 

 巡査部長が伯爵家の事務弁護士に確認したところによると、書き換え後の遺言書では、伯爵未亡人の取り分は変えずに、他の家族の取り分が追加されるはずだった。

 追加される家族は状況により変わることになっていて、伯爵未亡人が娘を産んだ場合はその娘、息子を産んだ場合には先代伯爵の弟のミスター・レジナルドにするというのが先代伯爵の案だった。

 先代伯爵は状況に応じて、娘、または、ミスター・レジナルドに、爵位と無関係に相続可能な不動産の所有権と信託財産からの相当額の利益を与えるつもりだったらしい。

 

 つまり、先代伯爵は爵位を継げない家族に配慮して相続の条件を定めようとしていたことになる。

 息子が生まれれば、爵位を継ぐ息子のことは心配しなくて良いが、弟の取り分が必要になる。

 一方、娘が生まれれば、爵位を継ぐ弟には気を遣わなくて良いが、娘の取り分が必要になるということだ。


 しかし、結局、書き換えは間に合わなかった。

 爵位と共に相続されるべき不動産とそうではない不動産の峻別に時間がかかってしまったのだ。


 この新情報により、アメリアはますます「なぜ殺したのか」がわからなくなっていた。

 

 遺言の書き換え計画を知った当初、アメリアは先代伯爵が密かに進めていたはずのこの書き換え計画を知っていた人物がいて、その人物が自分の損を防ぐために、遺言が書き換えられる前に伯爵を殺害しようとした可能性を考えていた。

 

 ――でも、お茶会の時点では、書き換え後の遺言で損をするとまで言えた人がいないわ。

 ――あの時点では、子供の性別や安否がわからなかったのだもの。

 

 例えば、伯爵未亡人にとっては、遺言が書き換えられれば、女の子を産んだとしてもその子に財産が入り生活水準の低下が避けられるのだから寧ろ安心だろう。

 

 ミスター・レジナルドも同じようなものだ。

 書き換え前の場合、伯爵未亡人に跡継ぎとなる息子がいなければ、彼が爵位とそれと共に相続される財産を得ることになるが、逆に彼女が息子を産めばミスター・レジナルドは何も得られなかった。

 しかし、書き換え後は、伯爵未亡人が息子を産んだとしても、ミスター・レジナルドもある程度の財産を得ることができたはずだった。

 

 強いて言えば、次代の伯爵になる人物――伯爵未亡人が産む男の子、または、ミスター・レジナルド――は、書き換え後の遺言のもとでは、若干取り分が減ることになるが、子供の性別や安否が不明な時点ではそこまで計算することは不可能だ。

 つまり、子供の性別も安否もわからなかったお茶会の時点では、どんな展開になってもある程度の財産が保障される書き換え後の遺言書の方が誰にとっても好ましいはずだ。


 ――そうであれば、やはり犯人は遺言書の書き換え計画を知らなかったからこそ伯爵を殺してしまったと考える方が合理的なんだわ……。


 しかし、知らなかったとしてもよくわからない。

 お茶会の出席者の中で伯爵の死に財産面で直接影響を受けるのは、伯爵未亡人とミスター・レジナルドだ。

 だが、伯爵未亡人のお腹の子の性別と安否が不明だったお茶会の時点で余命がわずかな伯爵をわざわざ毒殺するほどの利点が二人にあったとは思えない。

 そもそも、二人とも夫や兄を殺してまでしてお金が必要だったのかという疑問も残るが――この点についてはアメリアには少し気になることがなくはなかった。


 その他、デヴァルー子爵夫人とミスター・テディ・グレイストーンは直接的な動機に乏しい。

 デヴァルー子爵夫人は、妹の財産のためということはあり得るかもしれないが、やはり子供の性別や安否次第で取り分が大きく変わるので不確実だ。 

 そして、ミスター・グレイストーンに至っては、伯爵未亡人に跡継ぎの息子がいないままに伯爵が亡くなれば、妹思いの子爵夫人が自分の財産を名付け子の彼より妹に譲るように計画を変更したかもしれないので、お茶会の時点での伯爵の死は彼にとってかえって不利益になる可能性があった。


 ――もしくは、動機は金銭のことではないのかしら?

 ――でも、その他に動機らしいものは見当たらないし……。


***

  

 思考の海に沈んでいたアメリアはふと我に返った。

 いつの間にか彼女はパートナーの紳士と共にダンスフロアにいた――演目はカドリーユだ。

 体は何とか記憶した通りの動きを続けていて、それに合わせてモーヴのドレスの裾が翻る。

 男女ペア四組で踊るカドリーユは、動くべき人と立ち止まるべき人が目まぐるしく変わるので余計なことを考えているべきではなかった。


 自分が立ち止まる段になってアメリアは密かにため息をついた。

 このダンスパーティー中に何とか暇を見つけて少しでも推理を進めたかったが、今夜のダンスパーティーは忙しすぎる。

 理由は明白だった。

 ベリック男爵夫人が主催するこのダンスパーティーは率直に言って――伝統的過ぎた。

 そのため、それを事前に察したレディたちは他の用事や招待を優先したと見え、たまたまこのダンスパーティーに出席することを選んだ数少ない若い未婚のレディ――当然、アメリアも含まれる――に紳士からのダンスの申し込みが集中した。

 アメリアの立場では儀礼上申し込みを断るわけにもいかないので、彼女は絶え間なくダンスフロアに駆り出されていた。

 そして、ダンスの後の短いインターバルにも、パートナーに誘われれば軽食を食べながら無害なおしゃべりに興じなければならない。

 殺人事件の話題が“無害なおしゃべり”でないのは言うまでもない。


 ただ、それでもアメリアは、このダンスパーティーに来た当初からある希望を密かに抱き続けていた。


 それは月曜日にウェクスフォード侯爵家を慌ただしく訪問したときのあのアルバート卿の青みがかった灰色の瞳だった。

 

 あのとき――アメリアがこのベリック男爵家のチャリティ・ダンスパーティーに出席すると言ったとき、レディ・グレイスは侯爵家の兄妹も招待されてはいるが出席はしないと応じた。

 

 ――でも、彼の瞳には確かに何かが映っていたわ。


 カドリーユの音楽が終わると、アメリアはパートナーと共に一度付き添い役のジェーン叔母さんの元に戻り、次のパートナーを確認するふりをしてダンスカードを開いた。

 ダンスカードには今夜のダンスの演目が書かれていて、その横に踊る約束をした紳士の名を記入できるようになっている。

 

 アメリアのカードはもちろん紳士の名前で埋まっていた――最後から三番目のワルツを除いて。

 

 最後から三番目のワルツを空けたのはもちろん休憩が欲しいからではなかった。

 アメリアは"彼"とどうしても話したかった。

 前回の事件のときのように、彼との議論が自分に閃きを与えてくれるという根拠のない確信があった。


 ――もしかすると、万に一つくらいは、彼の方でも……。


 そこまで考えたアメリアは首を振って立ち上がった。

 彼女の次のパートナーであるサー・パトリックが迎えに来てくれていたのだ。

 彼女は笑顔でサー・パトリックの手を取り、ダンスフロアに進む。

 

 次のダンスはマズルカ――古風なベリック男爵夫人らしい選択だった。

 この慌ただしいダンスではいよいよ何も考えられない。

 マズルカの音楽が始まるとアメリアは事件のこともアルバート卿のことも一旦脇に置いて、ステップに集中せざるを得なかった。

 

 ところが、開始からわずか十数秒後――。


「ああ――!」

 

 パートナーのサー・パトリックが悲痛な叫びを上げてフロアにしゃがみこんだ。


「大丈夫ですか!?サー・パトリック」


 どうやら彼は複雑なステップの着地に失敗し、足を捻ったようだ。

 もしかすると、サー・パトリックはすっかり時代遅れになりつつあるマズルカを数年来踊っていなかったのかもしれない。

 正直に言えば、アメリアもそうだった。


 心配するアメリアにサー・パトリックは、引き攣った笑みで応じた。


「大したことはありません。ただ……私は今夜はここまでのようです。レディ・メラヴェル」

 

 紳士であることを重んじているらしいサー・パトリックは、足を引きずりながらもアメリアを付き添い役の元に送り届けてくれた。

 アメリアはサー・パトリックの負傷に目をまるくしているジェーン叔母さんに「お気の毒ね」という意味の目配せをし、長椅子に座っていた彼女の隣に腰を下ろした。


 ――サー・パトリックはお気の毒だけど……これでようやく落ち着いて考えられるわ。


 そのとき――。

 アメリアは来場者の名を告げる声の中に、その名を聞いた気がした。

 

 彼女は思わず入り口の方に視線を向け、来場してきた人々の中にその紳士の姿を見た。

 見覚えのあるアッシュブロンドの髪、やや薄い唇、少し冷たそうな青みがかった灰色の瞳――。

 そして、彼はアメリアを見つけると、真っ直ぐ彼女の元にやってきた。


「こんばんは、レディ・メラヴェル」


 彼は付き添い役のジェーン叔母さんにも礼儀正しく挨拶すると、アメリアに向き直っていつもの通り少し皮肉に微笑んだ。


「あなたのダンスカードはもう埋まってしまっているでしょうね?」


 もちろん、彼はアメリアが待ち望んでいたその人――アルバート卿だった。

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