「本人だからセーフ」
カタリは雪山に登っていた。
「冬山で飲むホットコーヒーが最高」とネットで見たのがきっかけだ。特に登山経験が豊富なわけでもなく、天気もそこまで気にせず、「まあ、大丈夫だろ」と軽い気持ちで山に入った。
だが、完全に誤算だった。
突然の猛吹雪。
あっという間に視界は真っ白になり、どこに進めばいいのかわからなくなった。
「……これは、詰んだか」
カタリは冷静に状況を整理する。
食料はそこそこある。防寒具もある。GPSは……圏外。
「……なるほど、詰んだな。」
このままじっとしていれば、間違いなく凍死する。
こんなときは体を温めるしかない。筋トレ?ランニング?
いや、寒さで凍えそうなときは人肌で温め合うのがいいと聞いたことがある。
「どこかに適当な人肌はないものか?えぇい、こんな時に呪いの人形しかないとは」
「よくも私を連れてきたな……。絶対に許さん……。」呪いの人形は怒っていた。
「いや、旅の安全を願ってココペリのキーホルダーみたいなものはないかと思ったのだが。君しかいなくてな」
「ココペリ買ってこい!そしてフィギュア棚に捧げろ!」
そんなやりとりをしていた その時——
ふわり、と冷たい手が頬に触れた。
気がつくと、カタリは暖かい部屋の中にいた。
見渡すと、そこは古びた山小屋のような空間で、目の前には一人の女が座っていた。
彼女は青白い肌に長い黒髪を持ち、透き通るような白い着物をまとっている。
「……目が覚めた?」
静かな声が響いた。
「雪山でこの感じ、とすると。君は、雪女かな?」
カタリは特に驚くこともなく、淡々と尋ねる。
彼女は一瞬、きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに小さく微笑んだ。
「……ええ。そうよ。」
「助けてくれたのか。すまんな。」
カタリは何事もなかったかのように礼を言う。
「お前……。後悔することになるぞ……。」
「何か声が聞こえるんだけど?」
「気にしなくていい、オレの周りでは割とよくあることだ」
雪女は少し驚いたような顔をしたが、すぐに真剣な表情になった。
「……いい? あなたを助けたのは、私の気まぐれ。でも、私のことは誰にも話さないで。」
「例えば、座敷童子や、抱き枕や、ハエトリグモにだったらOKだったりするだろうか?」
「何を言っているのかよく解らないけど、やめてね。」
「あ、ダメと……。」
「もし話したら、私は……消えてしまう。」
「なるほどな。」
カタリは頷いた。
「ああ、わかった。」
「本当に?」
「ああ。命の恩人のお願いをそんな邪険にできないからな」
雪女は少しホッとしたように微笑んだ。
「ところで、雪山で遭難したときは人肌で温め合うというのがーーーー」
「離れてもらえますか」
「あ、はい」
そして翌朝、カタリは雪山のふもとで目を覚ました。
彼女の姿は消えていたが、確かに助けられたのは間違いなかった。
無事に下山し、近くの山小屋の喫茶店に入る。
温かいコーヒーを注文し、ほっと一息ついたところで、店員の女性に声をかけられた。
「あなた、遭難してた人じゃないの?」
カタリは振り向く。
そこにいたのは、長い黒髪の美しい女性だった。
「ああ、死ぬかと思ったぞ。」
「どうやって助かったの?」
「いや、雪女と人肌で温め合って難を逃れてーーーーー。」
——秒で話した。
女性は静かに瞬きをした。
「……そう。誰にも話すなって言ったのに。」
カタリの言葉が途切れる。
目の前の女性が、じっとこちらを見つめていた。
長い黒髪。透き通るような肌。
そして——
さっきまでの雪女と、全く同じ顔。
「……あ、君はあの時の。」
「ええ、そうよ。」
カタリは軽く頷いた。
「じゃあセーフだな。」
「……どこが?」
雪女は呆れた顔をしたが、カタリは特に気にする様子もなく、コーヒーを飲む。
「他の誰かに話したわけじゃない。君に話しただけだ。条件は誰かに話すな、だろう?」
「……理屈としては、そうかもしれないけど……。私だってわかってたから話したってこと?」
「(即答)当たり前だ」
「あ、その感じ。違いますね。あと、嘘つくのやめてもらっていいですか?」
「すまん、ちょっと忘れてた」
「だから後悔すると言っただろう……。?」
呪いの人形と目が合う雪女は、改めてこの人、変な人なんだなと思った。
「……まあ、いいわ。私が消えたりはしないみたいだし。」
「そうだろう?そうじゃないかと思っていたのだ。」
「黙ってもらえますか?」
「あ、はい」
カタリはかしこまった。
「それより、コーヒー飲まないか?一杯おごりたいのだが」
「……遠慮しとくわ。」
雪女はため息をつきながら、ふっと笑った。