「蜘蛛怪人の恩返し」
秋の夜のこと。
カタリは自宅でのんびりとくつろいでいた。
夕飯を済ませ、スマホを眺めながらコーヒーを飲んでいると——
コン、コン。
玄関の扉を叩く音がした。
時刻は夜の10時過ぎ。こんな時間に訪ねてくる知人はいない。
だが、カタリは特に警戒することもなく、静かに玄関へ向かった。
「はいはい、今開けるよ。」
何の警戒もなく、ガチャリとドアを開ける。
——そして、そこにいたのは。 巨大な蜘蛛の怪人だった。
男のような体格に、漆黒の甲殻を持つ八本の足。
胸部から腹部にかけては不気味な蜘蛛の体が融合しており、長い腕の先端には鋭い爪が輝いている。
「なるほど、スパイダーマンってこういうことか。」
その異様な姿を見て、カタリは淡々と呟いた。
「今晩一晩、泊めてください。」
カタリは特に気にすることもなく、
「ああ、いいぞ。」と即答した。
蜘蛛怪人は驚いた様子だったが、すぐに感謝し、家の中へ入る。
カタリは蜘蛛怪人を一つの部屋に通し、適当に布団を用意してあげた。
「すまんが、来客用の寝具の持ち合わせが無くてな。この抱き枕を使ってくれ。」
蜘蛛怪人に突き出される魔法少女のイラストが入った抱き枕。
「おまっ…!!」
抱き枕は驚愕しカタリを睨む(ような顔に見えた)。
「仕方ないだろ、それとも君がオレの枕になりたいのか?」
抱き枕は背に腹はかえられぬと、消去法で蜘蛛怪人の枕になることを選んだ。
カタリは少し寂しそうだった。
「泊めていただきありがとうございます。ですが、一つだけお願いがあります。」
「なんだ?」
「今晩、私が入る部屋の扉は夜が明けるまで、決して開けないでください。」
「ほう……」
時刻は1時を過ぎ、「おやすみ。」と扉を閉める。
カタリは、割とすぐに扉を開けた。
「え?!」
「開けんなって言っただろ」
「そこについては了承してないぞ」
「コイツ!」
抱き枕と問答しながらカタリは蜘蛛怪人がいたところに目を向ける。
「バレてしまいましたね……」
そこにいたのは、小さなアダンソンハエトリだった。
そう、日本でもよく見かける黒くて丸い、かわいらしい小さな蜘蛛だ。
カタリは無言で、小さな蜘蛛を見つめた。
蜘蛛もじっと、カタリを見上げていた。
やがて、その小さな蜘蛛が、カタリの足元でチョコチョコと動きながら、まるで恥ずかしそうに言った。
「実は私は、あの時、天井から足を滑らせ、ウイスキーのグラスに落ちて溺れているところを助けていただいたアダンソンハエトリです。」
「この蜘蛛、喋るぞ!」カタリは驚いた。
「驚く所もっとあっただろ!」抱き枕はだいぶツッコミが板についてきた。
「そうか、君はジャックダニエルか」
「えっ?ジャックダニエル?」
「そう、あのウイスキーの名前だ。覚えているぞ。」
「覚えていたんですか!!?」
ジャックダニエル、感動。
「そりゃあなぁ、でも、君は、どうしてこんな姿に?」
「……私はもともと、ただのアダンソンハエトリでした。あなたが私を救って逃してくれた日……私はとても嬉しくて、何かお礼ができないかと考えていました。」
「ほう。」
「でも、ただの小さな蜘蛛では、何もできません。せめてあなたの役に立てるように……と、願っていたら……」
ジャックダニエルは蜘蛛怪人の姿になって自分の手を見つめた。
「気づけば、このような姿になっていました。」
「なぜ、女体化を願ってくれなかったんだ。」
「誰がお前の望みを叶えてやると言った。」抱き枕はもう、突っ込み芸人レベルのスピードを誇っていた。
「……それで、私はあなたに恩返しをしたくて。」
「恩返しか。」
カタリは、ふと思い出す。
「そういえば最近、害虫をあまり見かけなかったな。」
蜘蛛怪人は、少しだけ誇らしげに微笑んだ。
「はい。私はずっと、あなたの家の周りで、ひっそりと害虫を狩っていました。」
「……そうだったのか。その姿で」
カタリは小さく頷いた。
「正体がバレてしまってはもうここにいられません。ですが、今晩はこのまま家の中の害虫を狩らせていただけますか?」
「ふっ、ジャックダニエル………。やってみせろ!」
蜘蛛怪人は驚いたように目を瞬かせたが——
やがて、静かに微笑んだ。
「……ありがとうございます!」
——翌朝。
ジャックダニエルは、家の中の害虫をすっかり狩りつくし、何も言わずにどこかへ消えていた。
カタリはコーヒーを飲みながら呟く。
「……まあ、アダンソンハエトリは家にいる害虫を食べてくれる益虫だからな。役目を終えたらまた別の害虫を狩りに行く。そういうものだ。」
——そして、数日後。
カタリが部屋でくつろいでいると、どこからか視線を感じた。
ふと見ると——
小さなアダンソンハエトリが、窓の隅でこちらをじっと見つめていた。
カタリ、微笑む。
「ジャックダニエル、帰ってきたか。」
アダンソンハエトリは、カタリの前でピョンッと小さく跳ね、嬉しそうに腕を振っていた。
「ちょっと待て、そんなにオレの家、害虫多いのか?!」