一番ライト水瀬徹
高校時代の後輩がにわかに活躍しているとは知っていた。
けど、優からしてみれば引っ張ることしかできない不器用なバッターだった。
金属バットから木製バットに変わり、適応するにも時間がかかると思っていたのだが、なんとかなってしまったらしい。
まあ、努力家ではあった。それが幸をなしたのかもしれない。
水瀬徹は西武のドラフト一位の新人だ。
優とは浅からぬ縁がある。
なにせ、『MM砲』として甲子園で暴れた旧友なのだから。
一番ファースト水瀬徹、四番キャッチャー三神優。優の父親が有名人だったこともあり全国区の知名度を誇った。
165㎝と小兵だったが、下半身が強く足も速く鋭い打球を放つことができた。
弾丸のようにスタンドインする打球はミサイルに例えられた。
しかし、何分不器用で小兵だ。ドラフト一位指名されるとは思っていなかった。
三年時はピッチャーとバッターの二刀流で甲子園に出場したので、その分の知名度補正もあったのかもしれない。
現在打率ニ割六分で本塁打が七本。交流戦の時期の新人としては中々の出来だ。
とにかく、二塁打が多いと聞いている。
まあ、いざ当たるとなっても外角に投げてもらっておけばよいかとたかをくくっていた。
後輩なだけに侮っていたかもしれない。
「まあ、外角に投げとけば安牌ですので」
そう、いざ対戦する時にまで侮っていた。
その水瀬の先頭打者本塁打で現在一点を追う状況。
高卒三年目のピッチャー獅子堂は球速は速いが時々すっぽ抜けるのが玉に瑕だ。
その時々を見逃すことなくやられた。
侮っていたと反省するしかない。
そうなると打席にも焦りが滲み、今回は六回まで優はノーヒット。
対して、水瀬は本塁打に二塁打のマルチ安打。
(凄いなあ。うちの後輩が試合を決めるピースになってる)
実感がわかない。
ともかく、今日は悪循環だ。
「あいつ、二刀流はしなかったんだな」
四番ファーストの一ノ瀬が言う。
「ピッチャーとしては140キロ前半ですからね。高校まででやらせてはもらえませんよ」
優は淡々と返す。
「それにしても早いなあ。こんな時期に上がってくる打者とは思ってもいなかった」
「一皮向けたのかもしれんな」
「いえ。相変わらず引っ張ることしか脳がない、不器用なバッターですよ」
「その不器用なバッターに試合を左右されている」
一ノ瀬は苦い顔で言う。
「お前、水瀬を侮りすぎちゃいないか」
「うーん、実感はないんですけどね」
「ともかく、俺はなんとしても塁に出る。お前も打て」
「はい」
ここまでノーヒットなだけに反論できない。
七回、水瀬の三打席目がやってきた。これで打てば猛打賞。勝てばヒーローインタビューだろう。
正直、水瀬は足だけで食っていける。塁に出られれば厄介だ。
ここは、なんとしても仕留める。
外角にスプリットのサインを出す。
引っ掛けてゴロを打つ。
高校時代に何度も見た姿だ。
しかし、その侮りが知らず知らずのうちに単調なリードになっていた。
コースは完璧。
曲がり始めを打たれた。
完全に狙われていた。
音が違った。
昔からそうだ。
不器用で直情的でそれでいて全てを力で解決できると信じているような破壊音。
打球はミサイルのようにスタンドに突き刺さった。
大歓声。
水瀬は淡々とダイヤモンドを一周する。
ホームを踏む時、すれ違った。
「馬鹿みたいに外角に集めてりゃそりゃ打てますよ」
女みたいな顔で皮肉っぽく言う。
そうか、侮ってたんだ。
実感が湧いてきた。
なら、今日の負けはほぼ自分の責任ではないか。
全権委任してくれている監督になんて申し訳ないことをしたんだろう。
キャッチャー失格だ。
次に水瀬をどう抑えるか。
そんなことを考えていたら気がついたら三打席目も終わっていた。
本格的な悪循環。
(これは……良くないな)
勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。
キャッチャーの偉大なる先人である野村氏の言葉だ。
今回負けたとしたら、理由は明確で、優が徹を侮ったことにあるだろう。
「おい、三神」
ベンチに戻って守備の準備をしていると、国枝監督が声をかけてきた。
「はい」
「打つ方で取り返せよ」
「はい!」
お見通しらしい。
これは、打たないと少々首元が涼しくなる。
優の前は絶対的な捕手はいなかったが、それでもニ割五分は打ててリードもそんなに悪くない榊というニ番手捕手がいる。
優への懲罰としてチャンスを与えられる可能性はゼロではない。
自分はまだ競争の中にいるのだ。最近、国枝監督の信頼に甘えてそのことを忘れていたかもしれない。
九回の四打席目。優はこの試合で初めて、集中の世界に入った。
ベンチではこの試合完投ペースの獅子堂。
二塁には一ノ瀬。
本塁打を打てば同点。
振り出しに戻る。
名誉挽回できる。
そう思ったら、集中力は重ねがけのように高まっていった。
捕手のリードが、なんとなく読めた。
ここまで当たっていない優にボールカウントはそうそう使わない。そう思った。
となると、ファーストストライクを叩くのみだ。
速球に強いデータを残す優にストライクゾーンの速球は来ない。
変化球だ。
曲がり始めを叩く。
徹のように。
そして、ゆるいカーブが投じられた。
外角に軽く抜けていた。
流し打つ。
放物線を描いて、球はスタンドインした。
歓声が上がる。
(打ちたい時には打てるもんだ)
悠々とダイヤモンドを一周する。
「ゾーンに入ったお前を相手にするとそのうち俺の四番も危ういかもなあ」
一ノ瀬が苦笑交じりに言う。
「まあ、天才ですので。サインもらうなら今のうちですよ」
「調子に乗るな」
そう言って頭を抑えられる。
そして、十回の水瀬の第五打席目。
「馬鹿みたいに外角に集めてりゃ打てますよ、か」
外角にミットを構える。
「ダフるのがお前だ」
水瀬は、調子が狂うような表情をしていた。
なにかを思い出したのだろうか。
外角のスプリットに鈍い音がした。
打球は地面に叩きつけられ、点々と転がる。
きっちり振り切ってから走り始める水瀬の一塁到達速度はそこまでではない。
対して、優は球界トップクラスの強肩。
捕球して一塁に送球し、無事アウトにした。
「ダベりで集中力かき乱すのずるくないですか」
徹は皮肉っぽく言ってベンチに戻っていく。
「かき乱されるお前が悪い」
悪びれずに言う。
今日はホームランを打ったのでもう怖いものなしだった。
ここに来て、二人の勢いは完全に逆転した。
そして。
帰りのホテルで、ビールを飲みながら電話をする。
相手は荒川夫人。
「へえ。水瀬君がねえ」
荒川夫人は懐かしげに言う。
「まあ、初心に帰れたと言うか。俺もまだまだだな。貫禄が足りない」
「高校時代の水瀬君は欠点の多いバッターだったからね。君がいない一年で相当頑張ったんじゃないかな」
「だな。俺達はまだ競争の中だ」
そして、死ぬまで競争の中にいるのだろう。
水瀬は後輩ではなくこの世界に入ってきた時点でライバル。
そうと再認識できた。
「ねえ、知ってる? うちの旦那、一軍登録されたんだよ」
「ああ、知ってる」
「この三連戦で投げるよ」
「ああ、知ってる」
荒川婦人の手前負けるわけにはいかない。
そう気負っている自分は変なのかもしれない。
(人妻だぜ相手は)
自分で自分がわからないことって、結構ある。
しかし、高校時代の盟友である荒川との直接対決は目前に迫っていた。
首位阪神を追う横浜は現在ニ位。
一つも落としたくないところだった。