七番キャッチャー三神優
唐突に野球物が書きたくなったので書きました。
メイン連載があるのでこちらは不定期更新になります。
メイン連載ともどもよろしくお願いします。
まいったな。というのが三神優の感想だった。
三神優は高卒二年目のキャッチャーだ。
所属は横浜ベイスターズ。
一年目は一塁手と捕手として百試合に出場し、二割七分の打率に二十本の本塁打と輝かしい成績を残した。
二年目は開幕から捕手メインの起用が始まり、ここまでの七試合で全てスタメンマスクをかぶっている。
今日のナイターゲームで組むのは大卒七年目の投手である波多野。
この波多野の生命線であるフォークが、今日は調子が良くない。
曲がり始めが速すぎる。
これでは見極めてくださいというようなものだ。
相手は首位を独走する読売ジャイアンツ。
一試合でも落としたくないところだった。
幸い、スライダーはいつもの調子だ。
「今日はスライダーとストレートメインで攻めましょう」
優は波多野に提案する。
波多野は頷いた。
「わかった。組み立ては任せる」
「ええ」
と言っても二年目の若造である。そうそう全権委任などあるわけがない。
その証拠は初回に既に出てきた。
一番に四球を出し、波多野は苦しい立ち上がり。
そして、二番にはここまで五割の打率を誇っている遊撃手の秋田。
優とは同郷、同年代だ。
実は、幼馴染でもある。
この秋田、去年は二軍だったが今年はキャンプから頭角を現し、当たりに当たっている。
ちょこんと当てただけの内野安打から、強く放つ長打まで、技ありといった感じの成績を残している。
それもそうだ。高校時代は三振なんて数えるほどしかしたことがないという程度の化け物なのだから。
去年の体づくりで筋力もついて、怖いものなしといった感じだろう。
それにしても、巨人ってなんでいつの時代も遊撃手に困らないのだろう。
気づくと新しい遊撃手が育っている印象がある。
さて、秋田が打席に入った。
優としては見慣れた構えだ。
一塁には俊足の跡部。
外野の奥深くに飛べば本塁まで戻ってくるだろう。
ここは、単打ならありがたいと切り替えたいところだが、ジャイアンツは四番も五番も最近調子がいい。
ここで一旦、流れを断ち切りたいところだ。
ベンチを見る。
国枝監督は両腕を組んで、動かない。
(そうですか。任せるですか。二年目の俺に背負わせてくれるねえ)
半ば呆れ混じりにそう思う。
自分は優秀だと優は考えている。しかし、人に頼りたい時もあった。
秋田は変化球に滅法強い。
普段の波多野ならフォークが武器になるだろうが、今日は狙い打ちされるだけだろう。
秋田には本塁打もある。
ここまで放っている本塁打は二本。
今日の調子の悪いフォークは危ない。
本塁打を叩き込まれるイメージがある。
百五十キロを超えるストレートで押そう。
そう考え、内角高めにミットを構えてサインを出した。
二年目の若造に舐められてたまるか。
そんな心理か、波多野は素直に頷いた。
ストレートが投じられる。
秋田はバットを振った。
ボールはバックネットに突き刺さる。
変化球を待ちながらもそうでない球もカットできる。
秋田の強みだ。
高校最後の大会は七割の打率を誇っていた秋田。
その実力は伊達ではない。
キャッチャーミットを叩きながら次の一球を考える。
あらためて言うが、単打ならしめたものだ。
ボールになるスライダーを投げてみるか。
秋田と波多野は初対戦。
まだ秋田にはデータが少ない。
優は外角に構えを取る。
そして、ここでハプニングが起こった。
波多野が、首を振ったのだ。
ならば、もう一球ストレートを続けるか。
これにも首が振られる。
スライダーとストレートはもう投げたくない、と波多野は思っているようだ。
その後、三回ぐらいサインを送ったが全て首を振られた。
フォークで押したい。
その気持はわかる。
わかるのだが生半可な球では秋田には敵わない。
優は考えこんでしまった。
しかし、時間がない。
仕方ない。ボールになるフォークを要求した。
波多野はようやく頷いて、投げる。
ボールはワンバウンドし、ミットに収まろうとした。
それを、体勢を崩しながら秋田は打った。
右翼の頭の上を超える長打。
秋田は二塁へ。跡部は三塁を蹴る。
右翼のリヒーニャからレーザービームの送球が放たれた。
しかし、跡部は余裕を持って本塁のベースを踏んだ。
(ホント、反則だよな。あれをあこまで運ぶなんて)
半ば呆れ混じりに思う。
変態的な悪球打ちも秋田の特徴の一つだ。
早速一失点。
そして、無視二塁からクリーンナップに打順が回る。
(雲行き怪しいなあ)
そう思いながら、優はマウンドに向かった。
グローブで口元を隠しながら波多野はバツの悪い表情をしていた。
「俺のフォーク、決まってなかったか? コース通りに投げたぞ?」
「正直に言います」
優は仕方がないので白状していた。
「今日の波多野さんのフォーク、キレ悪いっす。使い物にならないから切った方がいい」
波多野は押し黙る。
調子が悪いなんて自信を失わせること、本当は言いたくなかった。
投手は煽てるだけ煽てて気分良く投げてほしいというのが優の信条だ。
しかし、こうも首を振られるのでは仕方がない。
「けど、スライダーはよくキレてるんで、そっち主体で押してきましょう」
「了解」
波多野はしぶしぶといった感じで頷いた。
二塁では秋田がドヤ顔でリードしている。
一瞬、目があった。
やはりドヤ顔をしていた。
(秋田うぜぇ)
そう思いつつ、座り込み、配球を考える。
なんとか、一回は秋田の長打のみで抑えた。
この試合。
秋田が鍵になるな。
そう、おぼろげに優は思った。
四番と五番の対策は練れている。
秋田の情報は、少ない。
「なあ。あいつ、外角に弱いんじゃないか」
データをタブレットで眺めつつ、ベンチで波多野が言う。
波多野も、秋田が鍵だと踏んでいるようだ。
「いえ、ストライクゾーンの球ならどれでも打ち返しますよ」
「イチローかよ」
「将来的には二世を冠する可能性もある」
優の一言に波多野は押し黙った。
「それぐらいの打者ですよ。認識を改めてもらわないと」
「序盤とはいえまぐれ当たりで五割は打てんわな」
菊野バッテリーコーチもとぼけた調子で言う。
「波多野」
国枝監督が淡々とした口調で言う。
「三神の言うことは聞け。それで打たれたら諦めろ」
優は感動した。
信頼されている。その事実が、優を奮い立たせた。
そして、打順は優に回る。
一発もある七番。
この打順で好きに打たせてもらっている。
ランナーはいない。
優は長打を放ったが、得点には結びつかなかった。
横浜はFAで育った選手を引き抜くこともままあるが、そこまで競争力はなく、消去法的に生え抜きを育てる主義だ。
そして、現実的にその生え抜きは育つと何人も抜けていく。
結果、AクラスとBクラスを行ったり来たりというのが近年の実情だ。
正直、ソフトバンクや巨人といった金満球団には一歩劣る層というのが実情だ。
何年か前には日本シリーズに出たが、やはり中継ぎの選手層の厚さの差で負けたというのが正直な所ある。
今年の成績は四勝三敗で三位。
秋田の一点が重く伸し掛かる。
そして、七回。
一死三塁で秋田の打順が回ってきた。
(敬遠してぇ……)
と頭を抱えたくなる。
しかし巨人は四番と五番も絶好調。
秋田なら。
秋田なら犠牲フライを打つことなど容易いだろう。
この天才打者ならば、それぐらいは軽いノルマだ。
低めに変化球を集める。それが無難。
しかし、相手はそれを読んでいる。
まずは一球高めに外れたストレートを要求した。
首を振られる。
やはり、波多野も秋田を警戒しているらしい。
ならば、外角に逃げるスライダー。
それも、首を振られる。
一回で自信を失っている。
そんな様子が、見て取れた。
「すいません、タイムお願いします」
そう言って、マウンドに出ていく。
「駄目だ。何投げても打たれる気がする」
これは相当だ。
秋田の怖さというのをあらためて感じた優だった。
「波多野さんのスライダーなら」
優は力を込めて言う。
「波多野さんのスライダーなら通用しますよ」
「そうか?」
波多野は自信なさげに言う。
「自信もってください。七年目でしょ。一回みたいに若造に舐められてたまるかってぐらいが丁度いいんです」
そう、波多野の胸を叩く。
「そうか」
波多野は微笑んで、ふと気づいたような表情になる。
「けどお前も二年目だよな」
「生意気はご容赦を」
そう言って、優はキャッチャーマスクをかぶって定位置に戻る。
構える。
波多野は頷いて、スライダーを投じた。
カウントを稼げれば有利になる。
そう思った一球だった。
理想的な体重移動からバットが振られた。
ボールはセンターへ。
優は思わず立ち上がる。
当たったところが良かった。
センター真正面。
運の悪い当たりだ。
こうして、秋田は凡退した。
しかし、打率は相変わらずの五割。
これからもしばらくはスタメンとして出場するだろう。
(また厄介な選手が増えたなあ)
そうしみじみと思う優だった。
その裏、優に打順が回った。
一塁には六番打者の藤野。
ゲッツー崩れで一点を取り、試合は振り出しに戻った。
(ストレートを狙い打とう)
優はストレートに滅法強い。
いや、子供時代からのライバルのストレートが速かったから自然とそうなったと言うべきか。
今は、ストレートに山を張った。
ベンチに視線を送る。
サインはない。
一球目は緩いカーブ。
自信を持って見逃す。
「ボー!」
審判がコールする。
球が投手へと変球される。
(七回まで頑張った波多野さんに勝ちつけてやりたいよな)
というのが優の考えだ。
願うように、ストレートが来るのを待った。
そして、その時はやって来た。
内角に甘く入ったストレート。
(甘い!)
捉えた。
バットを投げて、確信の歩みを踏み出す。
ボールはレフトスタンドへと突き刺さった。
結局、この一打が決定だとなって、ベイスターズは二位に浮上した。
試合後、二人でのヒーローインタビューの帰り道、波多野が話しかけてきた。
「今日はサンキューな、三神。今日、飲みに行かねえか」
「すいません、先約があるんで」
「お前、ホームゲームの時はいつもそれだな」
波多野は呆れたように言う。
「女でもいるのか」
「まあ、女っちゃ女ですが」
優はついつい苦笑いになる。
「へー。変な女に捕まるなよ。お前とは長い付き合いでいたいからな」
その一言は、優の胸を打った。
ベイスターズの捕手として出始めてからまだ歴は浅い。
しかし、信用を徐々に勝ち取りつつあるという実感が嬉しかった。
今日の酒は美味くなりそうだ。
そんな予感があった。
その日の夜、優は田舎町の路地裏にある小さな看板が出た居酒屋に足を踏み入れた。
「よ、勝ったね」
そう言って手を上げるのは、高校時代のマネージャーの美羽龍樹だ。
今は結婚したので荒川夫人というべきか。
「なんとかだな。捕手は考えることが多くて疲れる」
「けどあんたは結果を出さなきゃ親の七光って言われるしねえ」
痛いところを突かれる。
優は苦笑した。
テレビのCMには勇が出ていた。
NPBを経由せずに直接メジャーへ殴り込んだ優の兄。
父親が三冠王だということで、兄弟共々注目されている。
「頑張りなよ―、三神優。メジャーでホームラン王だ」
「松井選手が無理だったんだ。メジャーでアジア人がホームラン王なんてなれるのかな」
苦笑交じりに言う。
「大谷選手がいるじゃない」
「あれは特別だ。店長、肉食いたい」
そう言って龍樹の向かいに座る。
マネージャー時代は龍樹は結婚していなかった。
自分にもチャンスはあったのかな。
そんなことを思いつつ、旧友として二人は飲んだのだった。
「俺はね、最近俺は自分が思っているより凡庸な選手じゃないかと思うことが増えたよ」
「けどあんた、うちの旦那を差し置いて去年の新人王じゃない」
「まあね。けど、運もあった。不動の捕手のいるチームなら数年は塩漬けされてただろうし」
「巡り合わせがいいんだよ優は。高校時代だってうちの旦那とバッテリー組めたじゃんか」
「言われてみればそうだ。竜也さん元気?」
荒川竜也。荒川夫人の旦那で、優の元チームメイト。
去年は新人ながら六勝五敗の成績を上げている。
「元気過ぎるぐらいだねー。あのひょろっこい体でよくやる」
「シーズン進めばもっと痩せちゃうぞ。肉食うように言っといて」
「りょけ」
龍樹は微笑む。
正直言えば、竜也に龍樹を横からかっさらわれた形になるわけだが。
(本当に巡り合わせがいいのかな)
そんなことをぼやき気味に思う、四月の夜だった。
続く