神様探し
宗教的なモチーフが出てきている。当然、死の恐怖は、宗教的なものに対する興味を引き起こすだろう。
『神さま探し』
「神様の声を聞いたって?それが悪魔の声でなかったかどうかの判断が君につくとでもいうのかね?」
僕は神さまを探していた。これは本当に真剣な話で、うそなんかではなかった。
僕はだたっぴろい空港にいて、外の世界の空気とでもいうべき、あの空港独特のかおりがただよっていた。
あまりにも広すぎる空港には、僕のほかには、だれもいなかった。さて、僕は神さまを探すためにここに来たのだ。
はじめようじゃないか、神さま探しを。
街中にでると、そこには孤独が僕を待っていた。おなじみの彼である。気をつけしたみたいなビルディングスのコンクリートジャングルを抜けて、僕はあるいていく。ひざしはちょうどよい。そしてやっぱりここにも誰もいない。だが、そんなはずはない。ここには人がいるはずなのだ。僕は知っているぞ。
イタリア料理の店を見つけたので、はいってみた。パスタを食べようじゃないか。
「やあやあやあ。こんにちは」
陽気におじさんが声をかけてくれた。僕も返事をする。
「どうだね、うちはミートソーススパゲティがすばらしいのだよ。食べないかい?」
「あいにく、僕は受動的な雑食なんだ。つまり、無理強いされないかぎり、菜食主義者なわけだ。だからペペロンチーノを頼むよ」
「まったく、菜食主義者なんて連中は自己満足の典型でないかね?」
おじさんの言葉は、客にたいするものとしては、あまりふさわしくないように感じられたが、しかし僕個人の意見としては、この質問は無礼ではない。
「そうかもしれない。でも、それは人を食べないのと根本的には同じ原理で食べないのかもしれない」
「つまり、食べるのがあんまりだからというその理由でかね、おぼっちゃん」
「そのとおり」
「なるほど。さて、ではペペロンチーノだったね。うまいぞ。保証する」
「それは楽しみだ」
僕とのささやかな会話のあと、おじさんは厨房に入った。いいにおいがただよってきた。
僕はグラスに入った水を飲んだ。すばらしい味だった。そもそも、水とはなんとすばらしい飲み物なのか。
がらり、と戸をあけて、青年がはいってきた。白の上下に緑の上着をきて、なんだか春じみた青年だった。
「やあやあやあ。こんにちは」
厨房から出てきて、陽気におじさんが彼に声をかけた。彼も返事をする。
「どうだね、うちはミートソーススパゲティがすばらしいのだよ。食べないかい?」
「あいにく、ボンゴレを食べたい気分なんですよ。許してください」
「かまわんよ。ボンゴレひとつね。うまさは保証する」
「それは楽しみだ」
そして彼はまた厨房に戻っていった。
なるほど、青年は敬語を使っていた。すこし、僕は自分の世界に閉じこもりすぎていたのかもしれない。
「あら、こんにちは」
青年は僕を見て、笑った。
「こんにちは」
僕も笑い返した。
「詩人です。このイタリアレストランはおいしいですよ」
「そうなんですか? それは楽しみです。あ、僕は神さまを探しているものです」
にやり、と詩人である青年は笑った。
「それはそれは、なんという探求でしょうね」
「まったくです」
「そうそう。話はまったく変わってしまうんですが、イメージが頭の中に存在して、それをどうにも探し求めているということを経験したことはありませんか?」
「ふむ、あると思いますよ」
「それはよかった。ちなみにその探し求めているイメージというのはですね―――」
そして僕らはその頭の中にあるイメージについて話し合った。とても楽しい時間だった。
そのうちに、ペペロンチーノが来て、そしてボンゴレが来て、そしてとてもおいしかった。
僕はレストランを出て、詩人とコックさんにわかれをつげ、出発した。
街に出ると、数人の自転車のりが、はしりさっていった。
僕はかれらを知っていた。友人たちだったから。かれらとあいさつをかわして僕らは別れた。
さみしさだけが残った。
地下街へと入る。そうだ、人工的な光が支配する人工の王国。しかし、ここが王国だとするならば、国王はどこにいるのか。
だれもいない地下の商店街を歩いていく。だれも見ていないのに、着飾るマネキンが悲しい。いや、僕がいるのか。
そう思ったら、僕はマネキンにキスしたい気持ちになった。しかし、彼女のくちびるは冷たいだろう。そう確信している。
しばらく歩くと、地下鉄の駅に出た。地下鉄は、ほえながらやってきた。僕は乗った。がたんがたんという音といっしょに、今までいた駅は消え去った。
だれも僕以外にはいやしないのに、なぜか僕は吊り革につかまって、ゆれていた。
詩人との会話を思い出す。イメージ先行の話。頭の中に、あるイメージがあって、それをつかまえたいのだという話。
つかまえることはできるのだろうか? 僕もつかまえたいのだが。
そして、僕はそれと同じくらい神さまもつかまえたいのだった。それとも、神さまとそのイメージとは等しいのだろうか。
ある聖職者が僕に言ったことがある。「神とは世界そのものだ」
しかし、聖職者など信用できない。
おおおおぉぉぉん、と電車がほえた。まるで狼。あるいはなにか他の生き物。きっと伝説上のなにかすごいやつだ。
そして次の駅についた。ドアが開く。出ようかどうしようか、と一秒くらい考えたあと、弾丸のように女の子が飛び込んできた。
まるで夏のような服装をしている女の子。肩がむきだしの服を着ていて、僕も牙をむきだしにしたくなるような感じだ。だけど僕は知っている。そんな使い方では、僕の牙は幸せを呼び込まないのだ。彼女を抱きしめる行為が牙をむくことと同意になる場合、幸せを呼び込むことはない。彼女を抱きしめる行為があたたかいふとんをかけてやることと同意になる場合、幸せを呼び込むのだ。
おそらくはそうなのだ。そして真の獣というものは、その牙を使うときを心得ている。誓ってそうなのだ。
ぷしゅう、とドアが閉まった。窓から、男たちが駆けてくるのが見えたが、もう遅い。この伝説上の生き物にもにた機械は再びほえて、ものすごい速度で走り出した。彼女は脱出に成功したのだろう。
「おつかれ」
はあはあと荒い息をする彼女に僕は声をかけた。
「あ……はあ、どうも」
にこにこと僕は笑う。さて、この子は善人だろうか、悪人だろうか?
あの男たちは善人だろうか、悪人だろうか? 僕にはわからない。まったくわからない。
「いったい、どうしたの?」
相手の言葉が正しいかどうかなどはわからないが、それでも質問をする価値はあると僕は思うんだ。
「え……いや、ちょっと逃避行」
「なにしたのさ」
「うん、まあ、いろいろ」
「僕はきみをつかまえて、警察にでも突き出すべきかな?」
すると彼女はにっこり笑った。
「やめてほしいな」
そう、彼女は言った。悪人だか善人だかわからない彼女は。
さてさて、ここで問題なのは、はたして世の中には悪人というのはいるのかという話だ。
すべての人が親切なのではない―――困っている人を平気な顔で見捨てる人もいるだろう。
安全な状態でそれを行えば、おそらくいかなる世界でもその行為は悪とみなされると信じているのだが、しかし、なにものかが困るようなことを積極的に、それもただ相手が困るのが楽しいからという理由で、する人物はいるのだろうか。
ああ、いるのかもしれない。いや、いるだろうと思う。数々の書籍で僕はそのような人物を見たことがある。いたずら好きな少年から、救いようのない悪人まで。きっとそれは物語の中だけに生息する神話の人々ではないのである。いや、むしろ、神話の時代からの系譜を受け継ぐ、呪われた一派といえるかもしれない。
ああ、しかしその呪われた一派とは、僕ら自身を指す言葉ではないのか。どんな人間にも、その相手を困らせてよろこぶ感情はあるのではないのか。いかなる邪悪も、その根本を僕らは持っているのではないのか。
一方、たましいの善なる部分はどうなのだろう。僕らは等しく、その根本を持っているのだろうか。僕らが善と呼んでいるものが、善とよばれるゆえんのものは、それが僕らを幸せにする可能性があるからだ。誰一人の例外もなく。
そう僕は信仰している。
「あなた、だれ?」
彼女の質問で僕は、僕だけがいる世界から、彼女と僕とがいる世界にもどってきた。
「だれなのか聞くときは、自分から名乗るほうがふさわしくはないかな? それともそういうルールがない世界から来たのかい? もしそうならよろこんで僕は自己紹介するよ」
「わたしは、逃げてきたの」
「僕は、神さまを探してるんだ」
僕らは自己紹介を終えて、電車の席に腰をおろした。そのまま僕らはつらつらと話した。
がたんがたんという音が気持ちいい。すこしだけ眠い。ねてしまおうか。
彼女の服装は、けっこう肌の露出が多くって、それがすこしまぶしかった。
目が覚めると、電車はもう動いていなかった。そして女の子も、もういなかった。
彼女と手をつないで、彼女の逃避行についていったらどうだったろう、と思った。楽しそうだったが、きっと神さまは見つけられないだろうと思った。
どうやら終点のようだ。やけにしんとして、空気にすら独特の緊張がみなぎっている感じだ。この空気を吸うだけで、のどがヒリヒリしそうだった。
ドアを開けて、外に出る。どことなく、過去のにおいがする。かつんかつんと、地下道の階段をあがってゆく。枯れ葉が落ちていた。
階段をあがりきると、月が出ていた。実にまんまるく、そして明るい。青白い光がスパークしているようだった。
階段の出口から一直線に伸びている道をふさぐように、ベンチがあって、そこに男の子がひとり、座っていた。
がたがた震えているみたいだった。
「どうしたの?」
僕は心配だった。
「月が見てるの」
やけに詩的な言葉だった。そしておそらくあまりいい意味でこの子はこの言葉を使っていないと、僕は直感した。
「月が見ていて、僕は逃げられないの。逃げても逃げても追いかけてくるの。あんないやな目で僕を見るの」
これはいったい、なんという悪夢か? 僕はめまいと吐き気がした。
「いつか僕はつかまるんだ。僕にはわかる。あんなに高いところから、ぶざまな僕を見下ろして、あざわらってるんだ」
ちがう、ちがう、ちがう。少年、それはちがうんだ。それは君の勘違いなんだ。
それは君の被害妄想で、僕はそれが被害妄想だと証明、そこまでいかなくても説明できると思うんだ。
「証明も説明もいらない。僕はまちがってない。僕は正しい」
それはそうだと思うが、しかし、まあたしかに被害妄想ではないかもしれないが、聞いて欲しい。
それは多分、あるひとつの見方だと思うんだ。もっと別の、もっと幸せな見方があると思うんだ。
きみは、ものごとのあるひとつの絶望的な側面をみて、それでその側面につかまってしまったんじゃないかという気が、僕にはする。
真実はひとつだと思うけど、真実のあらわれかたは、あまりにも多いと、僕は信じてる。
「その信仰さえも、あるひとつの見方かもしれない」
冴えてるね。僕もそう思う。しかし、きみ、きみの考えは、あまりにも気持ちわるくないか。きみは震えているじゃないか。
「幸せな豚よりも賢い人間でいたい」
そうか、その考えは、とても悪くないと思う。だけど、もし本当に気分が悪くなったら、ちがう見方を探してみてもいいんじゃないかと思う。ちがう見方を探しもせずに、絶望して死んじまうのは、やめてほしいんだ。
「自分のやることは、自分で決める」
ああ、そうだ、それがいいと僕も思うよ。救いは、それを望むひとだけに、あたえられるのがいいと思うんだ。望んでもいないのにあたえられる、他人が「救い」と呼ぶものは、その人にとってはきっと救いでもなんでもないよね。それを望むひとが、救いだと思うものこそが、救いなんだと僕は思ってる。
「僕もそう思う。今はまだいらない。自分でもっとやってみる」
「そっか。がんばってな。月はあまりにも高いところにいて、きみを手助けすることはできないだろうけど、それでもしっかりと見守ってくれている、そんな考えもできなくはない」
「できなくはないね」
僕らは別れた。男の子はまだふるえていた。
神さま、あの子にご加護を。僕は祈った。
そろそろ四季がめぐるから、そろそろ旅も終わりかと思う。
歩き続ける僕に、空から雪が降ってきた。きれいだ。
僕にとって価値あるもののいくつかは、長いこと生きることはかなわないのかもしれない。
どんなに雪を愛していても、春が来たら溶けてしまうように、どんなにすばらしいと思っていても、あっさりと消えてなくなるかもしれない。しかし、また冬が来て雪がふるように、消えてしまったかにみえる大切なものも、もう一度やってくるだろうか? もう一度、会えるだろうか? ぜひ、会いたいものである。
僕はそれを本当に願う。
神殿にたどりついたみたいだ。
ステージのようなところで、ピアノを女の人が弾いていた。ああ、すばらしい音色だ。
「いらっしゃい」
「おじゃまします」
ピアノの音にかきけされることなく、彼女の歓迎の声は届いた。そして、僕の声も彼女に届いたんじゃないかと思う。さながらテレパシーのように。
あたたかい暖炉の火、きらきらときらめくロウソクの火。どこからか差し込む光。聖杯に入っている聖水、のようにみえる物体。すみっこの暗がり。くもりぞら。雷鳴。いなびかり。雨。ざあざあというやさしい音。彼女の祈りの声。
この神殿はどの宗教のものでもなく、よって同時にどの宗教のものでもある。神さまの不在と存在が同居する。
僕の祈りの声。呪文の詠唱。ご加護と救済の切望。
雨があがった。虹が出てきた。僕はステージに続く階段をあがる。
「おかえりなさい」ピアノをとめて、彼女がささやく。
「ただいま」僕が答える。
「神さまは、見つかったかしら?」そしてここで、このお話の幕がおりる。




