ハッピーエンディングシンドローム
この作品で、すでにキューブラーロス、イアンスティーブンソンについての言及があるのが興味深い。死の恐怖に対する対抗手段を必死で模索していたのがわかる。
性欲で死を克服するか、何か別のアプローチをするか、ということを考えていたのだろうか。すでに記憶は摩耗している。
ハッピーエンディングシンドローム
いちど火のついた性欲がおさまらない。
こんなことなら、友人から、成人向け映像のCDなんて借りるんじゃなかった。
そのアダルトビデオ―――CDなのにビデオというのは矛盾しているか―――は、さいしょいやがっていた女の人が、やられているうちにだんだんなれてきたのか、うけいれるだけでなく、積極的に求めていくようになるというストーリーだった。
そのギャップに興奮した。馬鹿みたいに。そして、その興奮が冷めない。
精液は出したっていうのに、まったく、馬鹿みたいに、おさまらない。
しかし、あれは楽しかった。実に楽しかった。ああいうものは、独特の楽しさがある。やっている途中も楽しければ、思い出しても面白いという、完璧さ。性欲がおさまらないのは、人体麻薬の作用なのだということを聞いたことがあるが、なるほど、使っても廃人にならないということは、ありえないくらいの合法性をもった麻薬だ。
しかし、話はもどるが、ぼくはいったいどうしちまったんだろうか。どうやら、あの映像のせいで、今のぼくは、征服欲らしきものが、ありえないくらいに大きくなっているようだった。ああ、ちくしょう。
だれかを支配するなんて、ありえないくらいにうすぎたないことだと思うのに、だけどぼくはそれが楽しいかのようだった。
そうだ、だれかを支配するなんていうのは、きっと楽しいのだ。楽しいというより、興奮するといったほうが正しいか。
まるで自分が強くなったかのような感じをうけるからか。そうかもしれない。強くて、なんでもできるという開放感。魅力的だ。
まあ、そんな征服欲とはべつに、純粋に性欲もたかぶってきているようだった。いまなら、女の子というだけで、だれでもおそえそうなくらいだ。やけにハイにもなってきている。あきらかに、道徳観念がうすらいでいた。
ゆったりと立ち上がる。ああ、まったく、なんてことだ。うすら笑いがとまらんよ。
ドアをあけて、ふらふらと歩く。きれいな夜だ。なんでもできそうな感じがする。別に、今から血のつながっていない妹を襲おうなんて思っていない。想像と現実はちがうのだ。彼女に、手は出せない。出さない、じゃなく、出せない、のだろうか。
「あ、お兄ちゃん」
そして、なぜきみはここにいるのか。
「ちょっと目がさめちゃって、飲み物を飲みに。なんか飲む?」
いらない。きみがほしい。
「え、要らないの? うん、わかった」
にこにこと笑う彼女。ありえないくらいにきれいに思えた。髪のにおい?
肌がやけに今日は、ひかっている。髪もだ。いや、というより、体中から、なにかが立ち上っているかのような。
ぎしぎしと、体の中でなにかが悲鳴をあげているみたいだ。おさえろ。おさえろ。おさえろ。
他愛もない話に、そこそこの会話でついていく。心と口が、別のことを話す。
会話に集中しろ。さもなくば、のみこまれるぞ。
「じゃあ、おやすみ」
ああ、おやすみ。
そして彼女がぼくのよこを通ったときに、世界がゆれた。
彼女の悲鳴。たおれる彼女。ゆれる世界。たおれる物体。あぶない。
しばらくして、世界はまた、静寂につつまれた夜へともどった。
「お……にい、ちゃん? あの、だいじょうぶ?」
「へいき」
彼女のうえにかぶさって、盾となっていた。
いくつかのものが落ちてきてあたったが、平気。それよりきみは無事なのか?
「わたしはへいきだよ」
それはよかった。
よくないのは、ぼくの心か。ああ、この体勢はよくない。彼女の目をじっと見る。吸い込まれそうだ。
だいたい、小学校三年生のときに、はじめて会ったのだ。妹というより、ただの見知らぬ女の子だった。
いまでも、そうなのか? 暴力的な衝動が、体の中をかけめぐる。だが、それはまるで現実ばなれした想像のように、実体とはならなかった。不思議なくらいしずかに、やつは消えた。ぼくは、彼女を愛しているから。
体をはなす。床にちらばったものを、ふたりでかたづけて、
「おやすみなさい」「おやすみなさい」
その夜からしばらくたったある日のこと。
その夜のことが原因ではなく、ぼくは絶望していた。
ほんとうは、そんなに絶望する予定じゃなかったのだが、流れがこちらにかたむいて、気づいたら、思ったよりもずっと下にいた。
落ち込んだ原因とは関係のないことで、ぼくは気を病み始めた。
食欲が消え、気力が失われた。まるで逃げるように、眠る日々だった。がたがたふるえていた。ひたすらに、つらい日々だった。歩くときも、力がはいらなかった。気分は、ひどくわるかった。
助けてほしかった。救済してほしかった。だけど、どうすれば助かるのかわからなかった。自分の考えで自分の心を痛めつけているような感じだった。ネットで検索もかけた。同じようなことを考えている人を探すために。同じことを考えているのなら、解決策のようなものも持っているのではないかと思ったのだ。図書館にも行った。自分を助けてくれる書物がないか見るためだった。こんな目的で図書館を使うのは、はじめてだった。自分のたのしみのためじゃなく、自分をたすけるための読書。書店に行ってもみた。
その日は、絶望しながらも、まだ以前よりは、精神も安定しているかという日だった。
こんこん、とドアをたたく音がした。
「はい」
ぼくは、読んでいた本から顔をあげた。
「ねえ、はいってもいいかな」
「いいよ」
妹だった。
妹は、はいってくると、部屋の中にいるぼくをみて、ぱたん、とドアをしめた。ぼくも、ぱたん、と本をとじた。しおりがわりのひもをはさんで。
「だいじょうぶ?」
まるで、あの夜のような口調で、彼女はそう聞いてきた。
「ほら、なんかかなり気分わるいみたいだったし、心配だったから、それで」
まるで言い訳するかのように、そう、妹はいった。
「心配してくれて、ありがとう。だいじょうぶ、だと思うよ。なんとか、もちなおせそう」
「そう、それならいいんだけど」
じゃあね、と言って、部屋を出ようとした。
急に、さびしい気持ちがあふれでてきた。そうだ、いつだってこの気持ちのせいなんだ。ぼくがこんなになったのも、もとはといえば、さびしかったからなんだ。いや、すべての原因がさびしさだとは言わない―――だけど、絶望したのは、さびしかったからなんじゃないのか。
「まってよ」
だから、そんなせりふを吐いたのかもしれない。
「しばらく、手をにぎっていてくれないかな」
自殺行為だと知っていた。それが自殺行為だということを、ぼくはよく知っていた。
やめたほうがいい、と、ぼくの中でだれかがつぶやいた。あまりにも、絶望的な口調で。絶対に手が届かないようなものに手を伸ばして、痛い目をみるのは、こちらなのだ。ぼくはそれを知っている。
さあ、妹よ、拒否をしたまえ!
「いいよ」
だから、ぼくは死ぬ羽目になるのだ。この、おろか者めが。
妹の手はあたたかく、それでいて、絶対的な距離を感じる。この距離を、つめられるのか。
「彼氏がいるのに、そんなことして、いいのかい」
「うん、平気」
だって、お兄ちゃんだから。
それを聞いて、ぼくの心臓が、冷たい空気のなかにつっこまれたように感じた。
「ありがとね」
「うん」
ぼくは眠りにおちた。目が覚めたら、世界が変わっていればいいと思った。きっと、今までに数え切れないほどの人が何度も願ったであろう願いを、ぼくも願った。
翌朝、目が覚めると、ふとんがかけられていた。あたたかかった。そして、世界は変わっていなかった。
あきらかに、ぼくは以前のぼくではなかった。精神にかなりの変化が起きたようだった。人は変わるのだ。
それは、イアン=スティーヴンソンや、キューブラー=ロスの書籍を横につみ、催眠療法についての本を読んでいたときだった。もちろんのことながら、今までのぼくならば、このような本は読もうともしなかっただろう。。
話がそれたが、その催眠療法についての本を読んでいたとき、妹が帰ってきたのだった。
「おかえりー」
返事がなかった。がちゃ、とドアが開けられた。ふりむいたぼくの目に、泣いている彼女の姿が映った。
声にならない助けをあげて、彼女は、ぼくの胸で泣いた。どうしようかと思った。ぼくはかけるべき言葉を知らない。
だから、髪をくしけずって、頭をなでて、背中をさすった。だいじょうぶ、だいじょうぶ、と精一杯やさしい言葉を言いながら。
「浮気……してた……」
背筋に一本、なにかしら冷たいものが通った気がした。
「なんであんなことするの? なんであんなことできるの? なんで、なんで、なんで、なんで」
なんでを、さながら呪文のようにくりかえす彼女。呪文のように? そう、まるでのろいだった。
ぼくは、彼女の彼氏に殺意が湧いた。正直にいえば、ぼくは自分の気に入らないやつにたいしてしばしば殺意をいだく傾向があるが、それでもこれほどまでの殺意をいだいたのはひさしぶりだった。今なら殺意だけでその彼氏を殺せそうな気さえする。
だけど、殺意といっしょに、かなしみも湧き出てきた。だって、彼女が泣いていたから。
じんわりと、目に涙がうかんで、それが落ちて、彼女の髪におちた。のどが、あの泣くとき特有の感じでしめあげられる感覚をあじわった。この感覚は、ひさしぶりだ。気づいたら、涙がとまらなかった。
「泣いてるの?」
「うん」
「ありがとう」
「うん」
うんという返事がうまくいえなかった。なにかを弔うように、ぼくは泣いた。なにを弔っているのか、ぼくはわかる気がした。きっと、彼女もわかっていたろう。
それがなんなのか、聞かれたってうまく答えられるとは思わない。だけど、それがなんなのか自分はちゃんとわかっていると思う。
ぼくはそれに名前をつけようとは思わない。きっと、名前をつけたとしても、つかまえきれないものだとは思うけど、それでもやっぱり名前はつけたくない。
ぼくらは、二人で、それを、埋葬した。
今日は妹が、学校を休んだ。ときには、休みも、必要だろう。
青い空。白い雲。空は今日も平和な姿をさらしている。空は、いつ見たって、きれいだ。
ぼくは、自分の部屋にねっころがって、午後の空を見ていた。窓と空しか見えない。とても、きれいだ。
このまま、どこかにいけそうだな、と思ってしまうくらいに、きれいだった。
ぼくはむくりとおきあがると、ふらふらと妹の部屋の前へとやってきた。こんこんこんこん、とノックする。
ノックは四回。運命は四度、とびらをたたくのだ。だから、ベートーベンの「運命」の冒頭、ジャジャジャジャーンは四回のノック音。
「はい」
「ぼくだ。はいってもいいかな」
「うん」
がちゃりとドアをまわす。以前にも、立場が反対で、こんなことがあったっけ。
きぃ、とあいたドアのむこうは、あっけないほどきれいな光で満たされていて。でも、彼女だけが死んでいた。
ぼくの指先を、彼女の肩に。
「復活を、希望する」
手を、ぺたり、と肩にあてた。きっと、どこぞの救世主はこれで死人が復活するのだ。あれか。生命力かなにかを注入するのか。
オーラか。フォースか。気か。要は、あれだろ、未知の生体エネルギーがなんちゃらというやつだろう? 知ってるぜ。
だが、愛の力では、どうにもならんこともある。たとえば、愛の力だ、とかいって、祈ったところで、だくだく出血している人の血はとまらない。輸血が必要だ。しかし、それでも愛は偉大だ。(しかしそもそも愛とはなにか。言葉に出すとちゃっちいな)そう、結局のところ、輸血などという方法をあみだしたのは、ひとえに愛の力ではないだろうか。助けたいと思ったからこそ、その方法を探り当てたのではなかったか? 助けたいという気持ちは愛ではないのか? 方法に愛は関係ないかもしれないが、方法を見つけ出すその原動力こそ愛ではないのか。愛がなければ、輸血などという方法は、そもそもあみだされなかったのではないかと考えている。だから、やっぱり輸血で助かるひとは、愛で助かっているんじゃなかろうか。それに、だれかに輸血をしようとするお医者様を動かしているのは、結局のところ愛ではないのか。
そしてなんというすばらしき偶然の一致かな。
わが妹の名前も、愛なのだ。
「悠くん……」
肩にあてたぼくの手に、彼女の手が、かさなった。
ひさしぶりに、ぼくを名前で呼んでくれたね。
「うん。ぼくはここにいるよ、愛」
「ねえ。一緒に寝ようよ」
「そうするか。ひさしぶりだよね」
「うん」
ただにあたたかいだけの空気の中、ぞっとするような暗さを秘めたぼくら二人は、一緒に眠りについた。覚めない眠りなどない。
そしてぼくらは復活する。