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スケッチブック



 『スケッチブック』



「マッチ売りの少女が見たのは幻影か、それとも外的実在か。それがぼくにはどうもわからない」



 そして、僕は一人になった。

ただにさびしいだけの毎日が、明日からまっているような気がした。希望は見えない。

あのすてきな後輩はいまや遠くにいってしまった。おそらく彼女が見る空は、僕の見る空の延長にまちがいはないのだろうが、それにしたってあまりにも遠い。

 ぼくはためいきをついて、川面をみた。きらきらと、春のひかりが反射してきた。

僕はスケッチブックをとりだして、イメージを形にする作業にとりかかった。空想上の風景をえがくのが、僕はすきなのだ。だから、僕のスケッチブックには見たこともない、というよりは存在しない神殿や庭園なんかが、かきこまれていた。

だけどそこには人がいなかった。はじめのページから最新のページにいたるまで、まったく人がいなかった。

かくべき人など、いなかった。

 だから、彼女をえがこうか、なんて思ってしまったのだろうか。もういないのに。あまりにもさびしいスケッチブックに、神様みたいな奇跡をおこして、だれかを生み出したかったのだろうか。

とりあえず、かいてみた。それは思ったほどあの後輩に似ていなかった。しかし、かわいらしい顔立ちをしていた。

僕は彼女が気に入った。



 家に帰って、ちょっとした時間に、僕は彼女をえがいた。

彼女はつねに笑顔だった。いろんなポースもつけた。服だって色々なものを着せた。季節だって自由自在だった。

なにからなにまで、彼女はやってくれるのだ。自分の腕しだいで、彼女の魅力がきまるのだ。

それはすばらしいことで、あまりにもすばらしいことで、だから僕はその作業に没頭していった。



 たとえば。

あるときは彼女は、春のひざしのなかにたっているのだ。にこやかに笑いながら。白いワンピースなんか着ちゃったりして。桜の木の下で、だれかをまっているようなのだ。彼女の髪はすこしながくて、それでいてやっぱり、最高に魅力的なのだった。

あるときは彼女は、夏のホテルにいるのだ。ベッドにねそべりながら、こっちを見て笑う。甘えたように。これからどうするの、って目でこちらを見て、どこか力の抜けた色っぽい表情でこちらをながめやるのだ。その白い手は、つぎにこちらにのばされるみたいにして準備されていたりする。あまりにもきれいな足が、ふとももまで見えていて、自分の首をかっきりたくなるくらい魅力的だった。

あるときは彼女は、秋の公園でベンチに座っているのだ。やっと来たね、という風にちょうど首をこちらにむけたところなのだ。もうかなり伸びた髪を、右手でもてあそんでいて、左手は僕へのプレゼントのようなものを持っている。なにがはいっているのだろう、とても気になる。突然に僕がやってきたからだろうか、ちょっとおどろいたような顔をして、それでいて口元には笑みがある。次の瞬間には僕に最高の笑顔をくれて、楽しいおしゃべりのひとつでもはじまるのだろう。だろう? いやいや。それがはじまるということを僕は知っている。

あるときは彼女は、冬の僕のうちで、首もおおえるセーターに身をつつんで、短く切った髪をして、楽しそうに僕としゃべってる。こたつがあって、その上にはみかんがある。外はカーテンにかくれて見えないが、雪がふっていることを僕は知っている。もう夜なのだ。ながそでの服がとてもよく似合っていて、すごくドキドキする。いますぐ抱きしめたいほどかわいい。ところで、冬に髪を短くする必要はないんじゃないだろうか? でも、にあっているからいいか。とてもとても魅力的だ。

 そのほかにも、いろんないろんな場面や時間を設定して、僕は彼女と遊んでいた。

僕と彼女はふたりっきりで、だれにも邪魔されない遊びをしていた。スケッチブックの外側に僕はいるので、彼女だけが必然的に内側にいるのだった。そして、まるであの後輩のように、しかしそれとは少し違って、にこやかに笑うのだ。



 さて、そもそもなぜ僕はあの後輩が好きだったのだろう。恋をしていたのか。それはちがうとおもう。恋はしていなかったとおもう。だけど、彼女がいなくなってから、僕はやっぱり心が痛かったのだ。じゃあ、これは恋なのだろうか。別にどっちでもいいことだ。名前なんてこの場合どうだっていい。僕の感情に名前はいらない。

大事なのは、僕が彼女に会いたいってことと、彼女と話しているとすごく楽しいっていうことと、それからそういう生活がこれからもずっと続けばいいと思っていること。だいたいこんなところなのだ、大事な点は。

ああ、そしてなぜ好きだったのだろう。きっとそれはさびしい僕にやさしくしてくれたからだ。友だちもあんまりいない僕にやさしく声をかけてくれたし、彼女はいつも笑顔だったし、いろんな話も聞いてくれたし、いろんな話もしてくれたし、ねえ、だからさ、僕は君にあえて本当によかったとおもってるし、実際、すっごく楽しかったんだぜ?

でも、彼女は、いっちゃった。



 その最悪の夕暮れは、僕が目を覚ましたことではじまった。とくに気力もなく、義務などできるだけ手を抜いて、やりたいことをなるべくやっていた僕は、その日はどうにも気分がのらず、昼ねをしていた。

起きたのは夕暮れ。赤いひかりが僕の部屋をそめていた。スケッチブックが、僕の目の前に開かれていた。

それはあまりにもひどすぎる体験だった。笑っている彼女が死んでいた。寝る前はたしかに生きていた彼女は、起きてみるとあっさり死んでいた。なんだろう、まるで写真でも見るような感じだ。いままでのように、同じ世界の恋人どうしのような感情にはなれない。

彼女は笑っていて、ただ笑っていて、僕のことなんかおかまいなしに、ひたすらに笑っているのだ。

彼女に声をかけてみても、なにひとつ返事は来ないし、彼女が声をかけてきてくれることなどありえない。

「ねえ……お話しない?」

 昔あのすてきな女の子としゃべりたかったときにいったせりふをそのままスケッチブックにおくる。

奇跡を願った。しゃべってほしいと。

しかし、当然のことながら、そして残酷にも、彼女は僕に答えなかった。ああ、答えなかったとも。

「しゃべろうよー」


「はなそうぜー」


「ねえねえ、あのさあ」


 まったくのところ、とんでもない、きちがいざたで、僕は彼女を永遠に失ったようなのを知った。

なんでこんなことになったのだ、わからない。なぜ夢がさめたのだ。夢とわかっていたなら、さめなかったのに。

ああ、しかし、夢だとわかっていたのなら、さめないことも、できたのだろうか? わからない。

スケッチブックの彼女はにせものだった。ささやかな夢だった。あまりにも悲劇的な、なぐさめだった。

彼女は笑っているが、ちっとも僕とふれあうことはなく、よってあまりにも本物とくらべて、冷たすぎた。

あたたかく、だきしめてほしかったのに。




 数日後、僕は埋葬を始めた。全身全霊をかけて、もてる技術のすべてを使って、僕はある絵を完成させた。

その絵には、僕と彼女がいっしょにスケッチブックにえがかれていた。もう彼女だけがスケッチブックにいるわけではない。僕がいる。

僕はスケッチブックのなかにいて、彼女と話している。お互いの手はつながっていて、そして二人は幸せなのだ。

断言しよう。スケッチブックの内側の僕は、スケッチブックの外側の僕ではない。そして同様に、スケッチブックの中の彼女は、僕のすてきな後輩ではない。まあ、後者のほうは、はじめてえがいたときからわかっていたことだ。あらゆる生き物は、絵の中に生きることはできない。それは本物ではない。

それにしても、絵の中の僕たちは、本当に幸せそうだった。僕はスケッチブックを閉じた。


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