春なる躁鬱3
春は嫌いな季節だ。
エリオットの春は最も残酷な季節、という言葉。
自殺率が最も高くなる季節。
自分の情緒不安定さを増幅させる季節で、あまり好きにはなれなかった。
この前の、京極さんとの会話を家で思い返した。
切なくなってきたね。胸がぐっ、とにぎられて、軽く圧迫されている感じがあるんだ。
きっと、素敵な会話だったからだろう。
本当なら、もっとたくさん話せたんだけど、ぼくは帰ってしまった。
しくじった。家に帰っても、何も待っていないっていうのに。
そう、よくあるんだよ。
望まないところにふらふらと行ってしまうっていうのがさ。
なんでかっていうと、そこにいくのが習慣になっちゃってるからなんだよ。
悲劇だね。
ぼくはいつも意志や決意を持って行動しているわけじゃないから、流されちゃうときがあるんだ。
すると、よくないことが起こったりするんだよね。
これ、油断大敵ってやつかな?ぼんやりとしていると、大変なことになるっていう。
だけど、ぼくは、ぼんやりするんだ。
ぼんやりとするな、と言われても、困ってしまう。
うん、だからきっとぼんやりしても大丈夫なときとそうじゃないときがあるんだろう。
ただ、それがいつなのかがわからないんだ。参ってしまうね。
ああ、だけどさ、上手くいってだよ、チャンスを掴んだらどうだろう。
ぼんやりしていると、大事なものが逃げていっちゃうかもしれないけど、飛び込んできたときはどうだろう。
なんていうのか、例えば、ぼくでいうなら、気に入っている人と話す、とかそういう機会に恵まれたときだよ。
そういうことの出来るチャンスを掴んだら、出来る限り放さないでいたいものだね。
うん、だから、また今度に京極さんと話す機会があったら、出来うる限り話していようと思う。
そうすれば、きっとぼくは幸せになれる。―――少なくとも、話している間は幸せになれる。
しかし。
しかしなあ、実際のところ、誰がぼくを助けてくれるっていうんだろうね?
ぼく自身かな。それとも他の誰か?もしくは複数か?
まあ、誰でもいいから助けて欲しいよね。
はっきり言って、現在の状況はよろしくないからね。
しかし、誰にも助けられない気がするんだな。気のせいであることを心より祈ってるんだけど。
まるでたちの悪い精神病にかかっているような感じなんだ。
でも、これってみんなかかるものなのかもしれないよね。
そう考えると、仲間がいるから嬉しいような気もするし、みんなかかるんだったら大したことないような気もして、嫌な気分になったりもする。
ぼくは、自分にとって大したもののことを、大したことないって言われると、ちょっと悲しいような、嫌な気分に陥るんだ。
まあ、無論この場合は大したことないって実際に言われたわけじゃないけどさ、みんなそうなら大したことないんじゃない?とかぼくが考えてしまって、その自分でひらめいた考えのせいで、ちょっと悲しいような嫌な気分に陥るんだ。
うむ、しかしね、嫌な気分はきらいだな。
いい気分でいたいよ。一応これでも色々画策しているんだけど、どうだろう、まだまだ満足できない。
でも、がんばろうぜ。って思うんだよ。自分で。
精神がひどく不安定なんだ。
退屈かと思ったら、興奮して、次にいきなり孤独に突き落とされて、気がついたら冷静になっていたり。
くるくるとぼくが変わっていくんだ。
万華鏡、つまりカレイドスコープだってこうもめまぐるしくは変わるまいよ。
本当に気分に一貫性が無くてね。
いや、まったく無いってわけじゃないな。
確かにきっかけはある。そうだ、少なくとも少しはある。
その「きっかけ」によって、気が変わるんだ。
ときに激しく、ときに緩やかに。
まあ、「きっかけ」が見つからないときもあるけどね。
それにしても、参ったね。
あんまりにもぼくが変わりすぎるんで、自分で自分を信用できないくらいだ。
でも、あんまりにも変わらないぼくもいたりする。
勇気が無くて昔っから、もう一歩の踏み込みが出来ないなど、そういうのは変わってないだろうなあ。
でも、最近、徐々に変わっていっている気もするんだな。
しかしながら、変わっていない気もするんだな。
変わっていっているっていう気がするときもあれば、変わっていないっていうときもある。
変わっていっているっていう気が一方でして、同時に変わっていないっていう気が一方でする。
わかんないね。
ちなみにぼくは、考えても考えてもわからないようなことは、ほうっておくことが多いんだ。
頭の中に転がしておくんだよ。たまに取り出してみて、吟味したりするのさ。
そしたらわかるときもあるし、わかんないときもある。
でも、それはぼくにとってあまり重要じゃないんだ。
何が重要かっていうと、それは難しい話で、一言じゃ言えないし、そもそもぼく自身よくわかってないんだ。
だけど、あえていうとするなら、そうだな、たとえば、二条さんや京極さんの笑顔っていうのは、ぼくにとってすごく重要だよ。
それは断言できるね。ぼくの名にかけて断言してもいい。
ぼくにとって女の子っていうのは不思議なもので、大抵の場合、不思議と安心する。
男の子の場合は、大抵の場合、気が滅入るものなんだよ。ちなみに一人でいると、死にたくなるんだ。
まあ、もちろんこれは、大抵の場合―――っていうか大まかに言ったらそうだ、っていうだけでさ。
例外はもちろんあるし、いるよ。
それにやっぱり、ぼくにとって、女の子も男の子もひとりも、どれも大事だ。
間違いない話だよ、これは。
さて、それでは、いくつか考察をしようか。
ぼくの心を因数分解って具合さ。たまねぎの皮をむき続けるように終わりがない話かもしれないけどね。
文字を書く人の手ってすごくいいと思うんだよ。
じっ……と手を見ていると、くるくるとそれが動いて文字を生成していく。
そんなのを見ていると、ぎゅっ、とその手を握りたくなってくる。
ちなみにぼくは、やっぱり女の子に対してその傾向が強いらしいね。
つまり女の子が字を書いていると、その手を握りたくなるんだよ。
だけどねえ、きっと女の子だからだろうな。女性の手は……どうだろう、よくわかんないな。
あんまり見たことないから。でも、想像する限り、女の子に対するほどぞくぞくしないな。
でもみんな女の子のままでいられるわけじゃないからね。
昔に握りたかった手が今ではもう握りたくないなんて悲劇が起こることは十分に予想される。
嫌な話だ。
さて、こんなことを書くと、ぼくが頭のいかれた変態に思えるかもしれないけどね。
いや、実際、ある意味そうなのかもしれないけど、不思議とぼくは女の子と性行為をしたいと本気で思ったことが無いんだよ。
性欲が無いわけじゃないぜ、もちろん。だけどさ、実際に生きてる生身の女の子を見ると、どうもやる気が無くなるんだな。
なぜかしら興味が湧かないんだ。
ただ、抱きしめたくなるときはしょっちゅうだけどね。
………いや、だからぼくをそんな目で見るなよ。
うん、だからそんなぼくだからさ、多分、女の子の裸を見てもきれいだと思うだけじゃないかな。
そんな気がする。いや、見たこと無いけどね。だから確証も無いんだけど。
ちなみに、女の子が半そでの体操服なんか着て、カーテンにくるまり手と足と顔だけ出すっていうのはどきどきするぜ。
素手に素足に素顔、そして胴体がカーテンで隠れている。あの絶妙な隠し具合がぼくを少し酔わせるんだ。
絶対に全部見せるよりも少し隠した方が、人を興奮させると思うんだよ。
いや、これはどうでもいいけどね。
それにしても、こんな話していると、なんだか恥ずかしいな。
決まりが悪い感じもあるよ。いや、うん、別に恥ずかしがることじゃないのかもしれないけどさ。
さて、そういえば、ぼくは女の子にべらべらしゃべりかけられるのは全然平気で、むしろうれしいくらいなんだけど、男の子だとそうはいかないんだよ。
悲しいことだね。これはきっと本能に近い部分のせいだ。
いや、もちろん話の内容にもよるよ。だけど、一般的にいうとそうなんだ。
同じ話でも、女の子としゃべったほうが面白いことが多い気がする。
やれやれ。
ぼくは、女の子とか男の子とか種類に分けて考えるのは嫌いなんだけど、参ったね。
「女の子だから」とか「男の子だから」とか「お兄ちゃんだから」とか「弟だから」とか「お姉ちゃんだから」とか「妹だから」とか「A型だから」とか「B型だから」とか「O型だから」とか「AB型だから」とか、もうそれこそ腐るほど種類分けはできるけど、嫌なんだよね。
そんな風に大雑把に、一般的に、まとめられたくは無いんだ。
もっと、個別に、それをそれとして、その人をその人としたいんだ。
って、こんなこと言っているけど、きっとぼくだって無意識に種類に分けてまとめてるぜ。
で、そういう風に、女の子にしゃべりかけられたときと男の子にしゃべりかけられたときの心の反応について考えていると、たまに、何もしゃべりたくなくなることがあるんだ。
なんていうのかな。ぼくとしては何かしゃべるべきことがある気がするんだよね。
でも、よくわかんないから、下手なことをいうよりは、口をつぐみたくなるんだよ。
もちろん、ぼくだって、ノリのいい話っていうか、冴えた話ができるときもある。
いや、ぼくが自分の話を勝手にノリのいい話とか冴えた話って思っているだけなのかもしれないけどさ。
でも、自分でそう思える話ができるっていうのはいいことだと思うんだ。
むしろぼくの気分がいい。
おしゃべりといえば、よくわかんないことをべらべらしゃべられるのって、微妙な気持ちなんだ。
なんともいえないね。別に聞きたい気分のときならいいんだけど、そうじゃないときはまずいよな。
ほら、聞きたくない気分のときは、聞きたくない話を聞かせられているってことになるんだ。
会話を打ち切りたくなってくるだろ?少なくとも、ぼくはそうだね。
でも、別にこちらとしては会話を打ち切りたいだけで、相手を傷つけたいわけじゃないんだ。
ただ、今はそういう話を聞きたくないだけでね。そういうときは、会話の打ち切り方にも気を遣うよ。
しかし、言い方次第だと思うんだ。言い方次第で、どうにでもなることってあると思うんだよ。
人を傷つけるなんてぼくの気分が悪いよ。気分の悪いことはしたくない。
でも、人を傷つけるっていうのは簡単に出来ちゃうよね。
相手をなんとも思わなければ、こっちは全然痛くないぜ。そんなの最悪だけどな。
ただ、相手のことをよく思っていれば、こっちは痛い。痛いんだよな。
痛いのは嫌だ。
そうだ、やっぱり明るいのがいい。
夜明けくらいがいいな。空気も澄んで、きれいだし。
居心地がいいし、気持ちもいいし、気分もいい。
平和で、充実してて、楽しいんだ。誰かいれば最高だね。
オレも、ぼくも、おれも、心よりそう思うよ。